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2014/10/02

世界の諸宗教に出会う 第13回 講演会 報告

世界の諸宗教に出会う 2014年9月28日(日)講演会
講題:天使のことば、人間のからだ
講師:山内志朗 先生 (慶應義塾大学文学部教授)
参加・聴講者 約300名

 雲ひとつない秋晴れの午後、東京の友心院ビルを会場に、第13回目の「世界の諸宗教と出会う」講演会が開催されました。講師は、中世スコラ哲学・キリスト教神学が専門の山内志朗・慶應義塾大学文学部教授。『天使の記号学』(岩波書店 2001)で、神と人間の間にある「媒介する存在」としての天使の特質と、人間が天使に憧れを抱くことの危うさを、広範な話題とともにお話しくださいました。特に、現代の若者文化にみられる「無垢であること」「透明な存在であること」への志向が、言葉によるコミュニケーションの軽視につながるものであること。しかし、生身の人間として、身体と言葉を駆使して他者と関わり、社会を共に創っていくことが、すなわち生きることに他ならないということ。これらの点が、話題の中心となりました。

  自分のことが自分でも分からなくなった現代。現代人のアイデンティティとは何か。そして、その根拠とは…。これらは、現代のわれわれの精神状況を捉えようとする際に出されてきた問いです。山内先生は、中世ヨーロッパの天使論を軸に、この問いに迫ります。キリスト教文化において天使は、肉体らしき肉体を持ちません。そこに透明性や無垢性という性質が出てくるわけですが、人間は肉体を持っているために、社会的存在としては天使と同様の透明性や無垢性を備えることは出来ません。ところが、天使を理想化する「天使主義」に陥ると、透明な存在になろうとするあまり、生身のコミュニケーションや言葉による交流が疎かになってしまいます。現代社会(特に若者の間)の「コミュニケーション不全」の背景には、こうした事情があると、山内先生は分析します。そして、この状況をあらためて未来へ開くためには「言葉によるコミュニケーション」の回復・復権が求められると、お話を締めくくりました。

  会場からは、「イスラム教やユダヤ教の天使のありようはキリスト教のそれとどう異なるのか」という質問も出て、「天使概念の起源は、イスラム教にあるといいうると思います」と応答されました。人間を見つめ直す「鏡としての他者」について、参加・聴講者のみなさんの理解も深まった講演会となりました。

 (宗教情報センター研究員 佐藤壮広)

* 「世界の諸宗教と出会う」記録・報告のバックナンバーは、以下でご覧いただけます。
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