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2022/07/19

第10回 阿閦仏の誓願

仏教研究

佐藤直実(宗教情報センター研究員)

第10回では,大乗仏教初期に登場する阿閦仏あしゅくぶつ誓願について紹介します。

誓願とは,菩薩がさとりを得るために立てる誓いのことで,大乗仏教において重要な実践行の一つです。有名なものには,阿弥陀仏の四十八願薬師仏の十二願釈迦牟尼仏の五百願,またあらゆる菩薩に共通する四弘誓願
しぐせいがんなどがあります[i]

阿弥陀仏の誓願(本願)については,ご存じの方も多いでしょう。たとえば,衆生が生前に,心から極楽世界に生まれたいと望んだならば,その人の臨終時に阿弥陀仏が迎えに行くという誓願です。阿弥陀仏はさらに,自分がさとりを得たあかつきには〈極楽世界〉を作り,地獄・餓鬼・畜生・修羅といった悪の存在をなくし,修行に集中しやすいように男性しかいない世界にするなど,衆生にとって修行しやすい環境を作ることも誓いました。

誓願の原形は,釈尊の過去世でのエピソードにあります。ある過去世において,釈尊は菩薩として修行していました。その時に,燃燈仏
ねんとうぶつ(ディーパンカラ仏)の前で,「人々と神々のために必ずやブッダ(正覚者しょうがくしゃ)になります」と誓いを立てました[ii]。そこで燃燈仏は,釈尊に「お前は将来,釈迦牟尼仏となるであろう」と授記じゅき(成仏を確約)し,釈尊はそのとおりにブッダになりました。

大乗仏教は釈尊と同じさとり(正覚)を得ることを目指していますので,釈尊がたどった実践過程を一つひとつ追体験しようとしたと考えられます[iii]。そのため,大乗仏教では,「ブッダになります」という釈尊の修行時代の誓いを,「誓願」という定まった実践形態として取り入れたのです。

今回は,中でも阿閦仏が修行時代になした誓願について紹介します。


 

◎二段階の誓願


阿閦仏は,東方・妙喜みょうき(アビラティ,阿比羅提あびらだい)世界を主宰する仏で,『阿閦仏国経あしゅくぶっこくきょう』にその半生が詳しく述べられています。

『阿閦仏国経』には漢訳2本とチベット語訳が現存し,インド原典は発見されていません。紀元前後に成立したと考えられ,大乗仏教最初期の経典の一つです。未だ解明されていない大乗仏教の起源を知るための貴重な資料でもあります。

まずはじめに,阿閦仏が誓願を表明し,その後成道するまでのおおまかな流れを紹介します。

 
  1. ある比丘(後の阿閦仏)が大目だいもく如来の説法を聞く。
  2. ある比丘は,自分も菩薩の学処を得たいと大目如来に願い出る。
  3. ある比丘は「一切知者いっさいちしゃ(ブッダ)になりたい」と不動なる真実語によって発心する。
  4. ある比丘はいくつかの誓願をたてる。【比丘時の誓願】
  5. ある比丘は大目如来より「アクショーブヤ(揺れ動かない,阿閦,不動)」の名前を得て,阿閦「菩薩」となる。
  6. 阿閦菩薩はいくつかの誓願をたてる。【菩薩時の誓願】
  7. 阿閦菩薩は大目如来より授記される。
  8. 授記により,大地震などの様々な奇跡が起こる。
  9. 阿閦菩薩は阿閦仏となる。

阿閦仏は,生まれた時からさとりを得ていたわけではありません。釈尊と同じように出家し,比丘(声聞乗の修行者)となり,大目(マハーネートラ/広目
こうもく如来のもとで修行をしていました。つまり,阿閦仏は,最初は菩薩(大乗の修行者)ではなく,声聞乗しょうもんじょう(初期仏教)の修行者だったのです。

ある日,大目如来が六波羅蜜
ろくはらみつをはじめとする大乗の教えを説いていました。それを聞き,ある比丘(後の阿閦仏)は,「私も大目如来のように菩薩の学処(菩薩として学ぶべきこと)を修めたい」と発心し,いくつかの誓いを立てました。

阿閦仏の誓願は,上の流れの4と6にあるとおり,2回に分けて行われます。第1段階の誓願は,
比丘から菩薩になるためであり,第2段階は,菩薩からブッダになるためです。

大乗の〈誓願〉とは,「菩薩」が「ブッダ」になるため(正覚を得るため)にするものですが,阿閦仏の場合,第1段階の誓願後は,「ブッダ」ではなく「菩薩」になっています。「ブッダ」となるのは,第2段階の誓願後のことです。

この流れから,第1段階の誓願は,阿閦仏が声聞乗,すなわち従来の仏教(初期仏教)から,大乗仏教に転向するために誓われたといえます。そして,第2段階で,本来の大乗の誓願,すなわち菩薩としてブッダになるための誓いを表明したのです。

このように誓願を二段階に分けるのは,阿閦仏のみの特徴で,阿弥陀仏や薬師仏など,他の仏には見られません。

 
大乗・声聞乗・独覚乗・二乗〉
 大乗…紀元前後に登場する新しい仏教運動
北西インドからチベットや中国に伝わり,さらに朝鮮半島から日本に伝わる。北伝仏教とも言う。
 声聞乗…釈尊在世時から伝わる従来の仏教。それを指す大乗側からの呼称。
南インドからスリランカに伝わり,さらに東南アジアに伝承される。
南伝仏教,初期仏教,原始仏教,テーラワーダ仏教など,種々の呼び名がある。
最近では「伝統仏教」と呼ぶ研究者も増えている。
 独覚どっかく…誰にも師事せず,自分だけの力でさとりを目指す修行者の呼称
資料が少なく,実態は不明。縁覚えんがくとも呼ばれる。
※声聞乗と独覚乗を併せて「二乗」と呼ぶ。
 


◎菩薩になるための誓願〈比丘時の誓願〉


それでは具体的に阿閦仏の誓願を見てまいりましょう。

前項で紹介したとおり,大目如来の説法に感銘を受けた比丘(後の阿閦仏)は,自分も菩薩の学処を修めたい,と大目如来に願い出ました。しかしながら,大目如来は「菩薩は全ての生類に対して動揺してはならず,怒りの心を生じてはならないので,菩薩の学処を得るのは非常に難しい[iv]」と,その申し出を断ります。しかし,比丘はひるまず,「私は今後,不動で,ごまかしのない真実の言葉と,不変の言葉によって,さとりに対して心を起こしましょう。さとりに対して心を捧げましょう。確かに[心を]振り向けましょう(回向しましょう)」と発心し,具体的に30ヶ条ほどの誓願を立てます。発心とは,さとりを得たいと決心することです。

最初に立てた誓いは次のとおりです。チベット語訳を紹介します。


 

尊者世尊(大目如来)よ,私は,一切知者の心を生じ,それを無上正等覚むじょうしょうとうかくに回向しよう。もしも,無上正等覚をさとるまでの間に,どんな衆生に対してであれ,瞋いかりや動揺の心を生じたならば,私はあらゆる十方世界の無量,無数,不可思議,不可計なる全ての国土において,現に存在し,法の解説をしている諸仏世尊を欺くことになるだろう[v]



詳しくは後述しますが,この第1願「怒りや動揺の心を生じない」は,とても大切で,阿閦仏の名前の由来でもあります。


後半の,「(誓いが達成されなければ)諸仏を欺くことになるだろう」という表現は,阿閦仏の誓願の定型句で,他の仏の誓願には見られません。この表現から,誓いは絶対に守りますという阿閦仏の強い決意が受け取れます。

続いて,残りの比丘時の誓願を紹介しましょう。諸訳で一致しない点もありますが,内容としては次の4つにまとめられます。

 
  1. さとりを求める心を保ち続ける
  2. 声聞・独覚の心を生じない
  3. 三毒(貪瞋痴)や愛欲,疑惑などの煩悩を生じない
  4. 身口意の三業を犯さない

2の「声聞・独覚の心を生じない」は,二乗と呼ばれる当時の主流勢力(初期仏教)への批判です。3では,迷いの原因である煩悩の消滅を誓っています。これは初期仏教の頃から提唱されている戒めで,迷いから脱するために必要な基本的な修行者の態度です。4は,大乗仏教で重視される十善(行)に関する遵守です。十善とは,身口意による善い行いのことを指し,その逆の行為を十悪(行)と呼びます。このような善悪の行為に関する分類は,初期仏教時代にすでに定型化されており,それが大乗仏教にも取り入れられました。
 
〈十善〉
 身体に関する3種=不殺生,不偸盗,不邪婬
 口に関する4種=不妄語,不悪口,不両舌,不綺語
 心に関する3種=無貪・無瞋・無痴
 ※「身三口四意三 しんさんくしいさん」と呼ぶこともある。

阿閦仏の比丘時の誓願は,自分自身への戒めばかりで,他のための願いや誓いがありません。第1段階では,阿閦仏は大乗ではなく,声聞乗(初期仏教)の修行者ですから,このように自戒的な内容になっているのは当然といえます。

さて,晴れて菩薩(大乗仏教徒)となった阿閦仏は,まさにこの時,大目如来から「阿閦」の名前を賜ります。

阿閦とは,サンスクリットで「揺れ動かない者,不動」を意味するアクショーブヤ(Akṣobhya)の音写語で,「不動」「無動」と漢訳されます。第1願で誓ったとおり,阿閦仏の決意が堅固不動であったため,このように命名されました[vi]


 

◎ブッダになるための誓願〈菩薩時の誓願〉


菩薩となった阿閦仏は,続いて,ブッダになるための誓いを表明します。これが第2段階の誓願です。

第2段階,すなわち菩薩時の誓願も,第1段階同様に自身に関わるものが多いものの,他者に関する誓いもなされます。他者に関する誓いは,さらに「他者に対する阿閦自身の行動・態度」と「他者自身のあり方」の2つに分けられます。

そこで,これら3点に分けておおまかな誓願内容を紹介します。番号は,経典に記される順番です。


 
[自分自身の行動・態度]
1.  言った如くに実践する
2.  一切知者の心を生じる
3.  生まれ変わるたびに必ず出家し,頭陀行ずだぎょうに励む
4.  生まれ変わるたびに必ず出家し,説法者となり弁才力を得る
5.  威儀を正し,根本罪を犯さず,妄語せず,人を欺いたり誹謗しない
9.  外道に帰依しない
12.  夢精しない

[他者に対する自分の行動・態度]

6.  女性を誘惑するような仕種や邪な心で説法しない
7.  手振りを使って説法しない
8.  菩薩に対して尊い方として認識し,聞法する
10.  衆生に対して差別しない
11.  罪人に対して罪を自覚させる

[他者自身のあり方]

13.  女性特有の苦しみ(不利な点)をなくす


3と4では,出家することを誓っています。頭陀行
とは,「糞掃衣ふんぞうえを着る」「乞食こつじきを行う」「午後は食事をしない」「森林に住む」など,出家者の守るべき生活態度の総称であり,各僧団の保持する律蔵にも記され[vii],初期仏教時代から規定されています。弁才力とは説法話術に長けている能力を指し,出家者に必要な能力です。また,下線を引いた6,7,9,12も出家を前提としており,『阿閦仏国経』では,大乗仏教徒といえども出家することを推奨していたと考えられます。

比丘時の誓願では,自分自身の態度を戒める誓願ばかりでしたが,菩薩時の誓願では,他人に対する自分自身の態度についても誓われています。たとえば,説法する際に,相手に対して手振り身振りで説かない,相手が女性であれば歯を見せたり,誘惑するような態度をとらない,また,どんな人にも平等に対応し,罪人に対しては事なかれで終わらせず,きちんと問題点を自覚させることなどです。いずれも他人に対して自身がどのように振る舞うべきかを述べています。

これに対して,他人自身のあり方に言及するのはわずかに13の「女性特有の苦しみ(不利な点)をなくす」にすぎません。ここでいう「女性特有の苦しみ」とは「妊娠」「出産」「月経」による苦しみのことです。こうした生理現象は修行の妨げになるため,ブッダを目指す場合には不利になると考えられたのではないでしょうか。つまりこの誓願は「男性よりも不利な要素を排除する」という,他人(ここでは女性)を益するための誓いと言えます。

以上のように,阿閦仏の誓願は,比丘時も菩薩時も自戒的な内容が圧倒的に多いことがわかりました。

この特徴は,利他的な内容が大半を占める阿弥陀仏の誓願とは対照的です。阿弥陀仏の場合,逆に,自分を戒める誓願はなく,自分に関することであっても,全て他を益するための誓いです。

筆者は,阿閦仏と阿弥陀仏は,釈尊の成道直前の「降魔
ごうま」と,成道後,他のために説法に踏み出す姿を、それぞれ象徴しているのではないかと考えています。

成道前の釈尊は,自身がさとることを目的(自利)としており,自戒的な実践をおこなっていました。それに対して,成道後は,梵天の勧めにより,他に教えを伝えていく覚悟を定め,説法の道に踏み出します。つまり,釈尊の利他行は,成道後に始まるのです。成道前は自利・自戒的で,成道後は利他的という対応は,ちょうど阿閦仏と阿弥陀仏の誓願の傾向と一致します。


 

◎阿閦仏の誓願の特徴


ここであらためて,阿閦仏の誓願の特徴をまとめると以下の3点になります。
 
  1. 声聞乗から大乗の菩薩になるため」と「大乗の菩薩としてブッダになるため」の2段階に分けて行われる
  2. 出家を重視する
  3. 自利的かつ自戒的である


これらの特徴は阿弥陀仏をはじめとする他の仏にはみられません。

一般的な大乗の〈誓願〉は〈菩薩の誓願〉とも呼ばれ,阿閦仏の誓願では第2段階の「ブッダになるための誓願」に相当します。第1段階の「菩薩になるための誓願」がなされることはありません。阿弥陀仏の場合も,比丘時の誓願はなく,法蔵
ほうぞう菩薩(修行時代の阿弥陀仏の呼称)としてなされるだけです。

比丘から菩薩へ,すなわち初期仏教から大乗仏教へ転向する過程が明確に記されるのは『阿閦仏国経』の大きな特徴であり,初期仏教からの脱却を図ろうとする大乗仏教黎明期の様相を明確に伝えています。

さて,今回は阿閦仏の誓願について紹介しました。「誓願」には,このような各仏(菩薩)ごとになされる個別の誓願「別願」と,全ての仏に共通する「総願」とがあります。次回は,「総願」である四弘誓願と,誓願の源流についてお話したいと思います。

 

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略号
大正:高楠順次郎編1924-1932『大正新脩大蔵経』全100巻,大蔵出版.


参考文献
藤田宏達1970『原始浄土思想の研究』岩波書店
佐藤直実2008『蔵漢訳『阿閦仏国経』研究』山喜房佛書林
平岡聡2015『大乗経典の誕生―仏伝の再解釈でよみがえるブッダ』筑摩書房
平岡聡2020『菩薩とはなにか』春秋社

[i] 阿弥陀仏,阿閦仏,薬師仏の誓願,また四弘誓願については平岡2020に簡潔にまとめられている。
[ii] 大乗の誓願の源流や特徴については,藤田1970(pp. 402-428),平岡2020(pp. 31-113)に詳述されている。
[iii] 平岡2015では,大乗経典が仏伝(釈尊の足跡)をふまえていることを,『無量寿経』『阿閦仏国経』『八千頌般若経』『十地経』『法華経』などの初期大乗経典をもとに考察している。また,平岡2020では,菩薩は「ブッダを模範に自ら覚りを目指して修行する人(p. 43)」と述べる。
[iv] 漢訳2訳は「動揺する(mi 'khrugs pa)」に対応する訳語はない。
[v] チベット語訳は,著者の課程博士論文・佐藤直実2002『蔵漢訳『阿閦仏国経』研究』副論文掲載1.26を参照。漢訳の対応箇所は大正11,p. 752a08(支讖訳),p. 102a29(流支訳)。
[vi] 支讖訳は「阿閦」と音写し,流志訳は「不動」と意訳している。また,その名前の由来としては,チベット語訳は,阿閦仏が「一切衆生に対して心が動揺しない(mi 'khrugs pa),すなわち,不動心を持っていたから」と述べる一方,支讖訳では,怒りがないため(意無瞋怒 亦無恚恨也),流志訳では,怒りといった感情で揺れ動かないため(不爲瞋等之所搖動)と記し,漢訳では「怒り」に言及している。これをふまえ,望月信享1930『浄土教の起原及発達』共立社(p. 447)では,阿閦仏は忍辱波羅蜜の神格化であると述べる。
[vii] ショペンは,初期仏教で形骸化し,象徴的になっていた頭陀行を大乗仏教が復活させようとしたと述べている。ショペン・グレゴリー著・小谷信千代訳2000『大乗仏教興起時代 インドの僧院生活』春秋社(pp. 26-28)参照。