文字サイズ: 標準

CIRの活動

バックナンバー

活動報告

2014/10/10

CIR Seminar for the Study of Japanese Culture and Religion 2014 (CIRセミナー2014)報告・論文ダウンロード

 2014年6月14日(土)・15日(日)、東京・半蔵門の友心院ビル7階ホールでCIRセミナー2014が開催されました。イタリア、イスラエル、ニュージーランド、アメリカ合衆国、カナダなどから大学院生の日本宗教・日本文化研究者を招き、日本語での発表・討論を行ないました。報告者、アドバイザー、聴講者を含め総勢30名の参加者が集い、実りある学術交流の機会となりました。両日の模様は、以下のとおりです。当日の報告論文も以下でダウンロードできるようになりました。
 



Melanie Coughlin(McGill University) 西谷啓治の宗教論:フォイエルバッハの感覚理解が何故、問題であるのか
Timothy Benedict
(Princeton University)  日本ホスピスにおける「スピリチュアルペイン」を巡る議論
Danilo Giambra
(University of Otago) 生長の家総裁・谷口雅宣氏:ソーシャルネットワーキングサービス上でカリスマ性のある宗教的な指導者を(再)紹介する
Yiftach Raphael Govreen   
(Hebrew University) 平和の島、基地の島:沖縄県民の中の米軍基地
Andrea Castiglioni (Columbia University/慶応大学)  江戸時代の湯殿山信仰における一世行人の活動
 



 6月14日午後、西浦恭弘・宗教情報センター長の挨拶に続き、アドバイザー(第一線の日本宗教研究者)によるオープニングレクチャーが行なわれました。
 はじめにポール・スワンソン先生(南山大学、仏教学、宗教学)が、宗教と科学の対話をはかる研究プロジェクトを企画運営した経験を振り返りつつ、「海外研究者で日本を調査研究するなら、日本語文献を読むのは現在では普通になっている」ことをあらためて確認し、日本の文献資料を国際的視野のもとで検討するという学術環境が整いつつあると指摘しました。
 続いて西村明先生(東京大学、宗教学、慰霊研究)は、戦後における遺骨収集・戦地慰霊の経緯と宗教者らの取り組みについての研究を紹介し、1964年の海外渡航解禁を機に遺骨収集団や慰霊団が結成されたこと、無名の戦没者の追悼施設として(会場からほど近い)千鳥ヶ淵の墓苑が今なお靖国神社と対照的位置にあることなどを解説しました。
 また奥山倫明先生(南山大学、宗教学、宗教史学)は、日本語による研究報告や論文作成はコミュニケーションであるという観点から、発表者と聴講者がともに意義ある時間を過ごすための注意点を参加者にアドバイスしました。学術と表現が連続していることを意識することのたいせつさを強調しました。
 オープニングレクチャーに続き、2つの研究発表が行なわれました。まずMelanie Coughlin氏(マッギル大学)が「西谷啓治の宗教論:フォイエルバッハの感覚理解が何故、問題であるか」という題で、フォイエルバッハを踏まえつつ批判した宗教哲学者・西谷啓治の宗教論の特徴を論じました。宗教が倫理的な力を失いつつあった19世紀ドイツ・ヨーロッパで、人間学を通して宗教を再解釈しようとしたフォイエルバッハ。その思想はラディカル・ヒューマニズムといいうるもので、西谷はニヒリズム克服の努力をそこに見い出しながらも、「無自覚なヒューマニズム」と批判した。コクリン氏はこの両者のズレに着目し、「自覚」という概念で宗教の生成根拠をとらえようとした西谷の宗教論の射程を明らかにしました。
 なお、ボストンカレッジのデイビッド・ジョンソン教授も参加、リクールやメルロ=ポンティの考察を踏まえながら和辻哲郎の人間存在概念を再考する作業を進めているご自身の研究を踏まえつつ、コクリン氏の発表にコメントされました。
 2つ目の発表は、Timothy Benedict氏(プリンストン大学)による「日本ホスピスにおける「スピリチュアルペイン」を巡る議論」でした。Timothy氏は、近代ホスピスの創立者であるシシリー・サンダースが、挫折(failure)、後悔(regret)、虚無感 (meaninglessness) を含む広い概念として「スピリチュアルペイン」を提示したという原点に遡り、現代のスピリチュアルペインの諸定義も多様であると指摘。スピリチュアルケアの「医療化」に伴い、スピリチュアルペインも医療化せざるを得ないが、患者と患者を取り巻く人間関係のなかでスピリチュアルペインの実相もあきらかになるので、医療的、機関的、歴史的、宗教的、文化的、社会的文脈を一つ一つじっくり研究する必要があると述べました。「心のケア」のあり方を歴史的理論的に問う発表に、参加者は熱心に議論しました

 6月15日(日)は、3つの発表と総合討論が行なわれました。
 まず、Danilo Giambra氏(オタゴ大学)の発表は「生長の家総裁・谷口雅宣氏:ソーシャルネットワーキングサービス上でカリスマ性のある宗教的な指導者を(再)紹介する」というもの。TwitterやFacebookの活用を通じ、宗教指導者である総裁が新たなカリスマ性としての「セレブリティ」を呈示しつつ,日本のみならず英語圏やポルトガル語圏でもメッセージを伝える活動を分析しました。
 続いてYiftach Raphael Govreen氏(ヘブライ大学)が、「平和の島、基地の島:沖縄県民の中の米軍基地」と題し、「平和の島」と「基地の島」との間の葛藤が、戦争に対する恐怖(fear)と認知的不協和(cognitive dissonance)に起因していると考察しました。Yiftach氏は、沖縄で「平和の島」というキャンペーンが広がる一方で、生活上は米軍の車両や輸送機や戦闘機を目にするのが日常となっており、そのため沖縄社会の平和アイデンティティに齟齬が生じているのですが、その齟齬との直面から目がそらされている状況を、認知的不協和の一例として分析しました。沖縄に詳しい研究者が詳細なコメントをし、戦前戦後から現在に至る日本のあり方を再考させられました。
 3つ目の発表は、Andrea Castiglioni氏(コロンビア大学/慶応大学)による「江戸時代の湯殿山信仰における一世行人の活動」でした。Andrea氏は、湯殿山で修行した集団「一世行人」に焦点をあてその習慣や儀礼の特徴を分析・考察しました。Andrea氏は、入峰儀礼から疎外され、僧侶とも修験者とも認知されなかった一世行人を「ダブル例外」的存在と述べ、同時に即身仏の思想と実践を後世に残した一世行人のユニークさを評価。特に即身仏の実践は、一世行人と世話人との「双務契約」に他ならず、一世行人の死後も継続する信仰の一形態だと説明しました。未開拓の部分もおおい湯殿山修験を事例に、修験や宗教共同体そのものについて、議論が広がりました。
 5つの発表のあと2時間ほど、オブザーバー参加の方々もまじえての総括コメントと討論が行なわれました。その中で鈴木正崇先生(慶応大学、宗教人類学)は、学生時代の世界旅行体験に触れ、「異文化を歩くことで自己認識はもちろん研究視点も磨かれ広がった」と、歩きと出会いの意義を強調しました。また、海外で決めた研究テーマが日本に来て変化することも多く、交流しながら柔軟に研究を進めることの大切さを,留学生の指導経験から語られました。
 また遠藤潤先生(國學院大学、宗教学、宗教史学)は、日本の神道研究の国際的広がりについて紹介されました。研究トレンドの相違やことばの相違から、日本と海外で、神道への関心はかなり多様であることを指摘しました。日本語でもよいからその資料を読みたい、という熱心な海外研究者も多く、語学力よりも国際学会での発表や学術交流を通して、フレームワークありきの研究をこえて事例に即しての調査研究を展開していくことが大切と提案されました。
 聴講者からの細かな質問にも各発表者は丁寧に応答し、2日間の議論はさらに深まりました。発表者の中には、日本にふたたび滞在して調査研究を続けるかたもおり、学術的かつ人的交流を深めつつ、自身の研究についての新しい展望を持つことができたとの声もありました。なお、友心院の施設見学も行なわれ、特に海外からの参加者にとっては、信仰の現場にふれつつ日本の宗教と文化についての理解を深めるひとときとなりました。
 前々から論文を準備して熱い発表を行ってくれた発表者、ご自身の体験から豊かなアドバイスをくださった先生方、聞き手としてまた質疑応答者として温かい雰囲気をつくってくださった聴講者,みなさまのご協力に、主催側の一員として、心より感謝申し上げます。

(宗教情報センター研究員 佐藤壮広)