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仏教研究

宗教情報センターの研究員の研究活動の成果や副産物の一部を、研究レポートの形で公開します。
不定期に掲載されます。


2022/01/24

第9回 阿閦仏と正法護持

仏教研究

佐藤直実(宗教情報センター研究員)

 第9回では、大乗『大般涅槃経 だいはつねはんぎょう[i]』に記される阿閦仏 あしゅくぶつ の仏国土・妙喜 みょうき 世界と、正法護持について取り上げます。


◎妙喜世界―阿閦仏の仏国土

 『阿閦仏国経 あしゅくぶっこくきょう(紀元前1世紀から紀元後1世紀成立)によると、妙喜世界は、阿閦仏が主宰する仏国土で、私たちの住む娑婆世界(この世)から東方に仏国土千個分離れた場所にあります。この世よりもはるかに暮らしやすく、修行に適した環境です。

 娑婆世界には、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天
(神)という6つの生存形態〈六道[ii]〉があると言われますが、妙喜世界は人間と神だけで、修羅や餓鬼など〈悪趣 あくしゅ〉はいません。悪人はおらず、皆、良い心を持っています。また、山や谷などの高低差がなく、大地は平坦で柔らか、低反発なクッションの上を歩くような心地よさです。食べ物や衣服、アクセサリーなどの生活用品は、木に手を伸ばせば、のぞみ通りのものを得ることができます。

 阿閦仏は、阿弥陀仏とほぼ同時期に登場し、初期大乗仏教を代表する古い仏です。どちらの仏国土
(妙喜世界と極楽世界も浄らかで、たいへん修行しやすい環境ですが、異なる点もあります。

 たとえば、極楽世界は男性の大乗仏教徒しかいないのに対し、妙喜世界には女性や声聞乗
(初期仏教徒)がおり、また、わずかながら欲望が残っています。そこに生まれ変わる方法も異なります。極楽世界には、南無・阿弥陀仏とお唱えすれば生まれることができますが、妙喜世界に生まれるには、阿閦仏と同じ修行、すなわち禁欲行をなさなければいけません。この世で厳しい修行をしないとそこに生まれ変わることができないのです。

 このように、妙喜世界に再生することは極楽世界よりもハードルが高いこともあり、阿閦仏への信仰は阿弥陀仏信仰に比べ、広まりませんでした。しかし、阿閦仏や妙喜世界の名前は、大乗仏教で広く知られており、多くの大乗経典に記されます。たとえば、『般若経』では、妙喜世界を「禁欲行をなすための場所」「恐れの心を抱かない場所」として記され、『維摩経
ゆいまきょう』では、維摩居士が前世で過ごしていた清浄な世界として紹介されます。『法華経』には、妙喜世界の描写はありませんが、阿閦仏が過去世において、釈迦牟尼仏や阿弥陀仏の兄であったことが記され、『法華経』の功徳により、成道したと説かれます[iii]

 『大般涅槃経
』では「金剛身品 こんごうしんぼん[iv]」で、妙喜世界が紹介されます。この章では、如来の身体がなぜ金剛(ダイヤモンド)の如く常住、不壊であるかを解説しています。釈尊が常住身を得たのは、過去世において、破戒者たちから持戒比丘(戒律を守る男性出家者)を守るために武器を持って戦ったからであり、それゆえ、「戒律・威儀・功徳を備えた比丘たちを守るために、箭弓 せんきゅう・剣・短剣を手に取るべきである[v]」と説きます。

 妙喜世界は、この釈尊の過去物語の中で言及されます。


◎金剛身はどうすれば得られるか

 『大般涅槃経』は、釈尊と弟子たちの最後の問答を綴った経典ですが、一度に成立したのではなく、少しずつ増広されながら今の形になったと考えられます[vi]

 「金剛身品」はその中でも、初期に成立した章で、迦葉
かしょう 菩薩が質問者として登場します。冒頭の釈尊と迦葉菩薩とのやりとりを、チベット語訳に基づいて見てみましょう。


釈尊
 如来は常住身であり、不壊身であり、金剛身であり、肉身ではなく、法身である。

迦葉 世尊(釈尊の呼称)が般涅槃(入滅)されるのなら、私はそのように考えることはできません。般涅槃されるということは、壊れる体ということですし、肉身であると考えます。

釈尊 そのように考えてはならない。如来の体は生じることも滅することもなく、存在するものでもなく、清浄で、執着がなく、煩悩を離れており、そのような無量の特性をそなえているのである。このような如来の身体を理解できるのはの如来だけである。声聞や独覚には理解できないのだ。それゆえ、今後は、如来の身体は、金剛の如く不壊で、堅固であると考えなさい。他人にもそのように伝えなさい。如来は法身であると理解するのがよい。

迦葉 他人にもそのように伝えたいと思いますが、それならば、金剛の如き不壊身はどうしたら完成し、手に入れることができるのでしょう?

釈尊 正法を護持した功徳で手に入れたのである。正法を守ろうとする在家者は、[正法を守るためならば]五戒や在家者の律を守るべきではない。戒律・威儀・功徳をそなえた出家者たちを守るためであれば、弓矢・剣・短槍を手に入れるべきである。

 


 釈尊は迦葉に、如来は、正法を護持した功徳で、法身・金剛身となったと述べ、さらに、在家者は出家者を守るためであれば、五戒や律にしたがわず、武器を持ちなさいと言います。これを聞いた迦葉菩薩は驚き、「在家者に守られている出家者は、いわば在家の修行者にすぎません。真の出家者は、一人で樹下に座し瞑想している人たちです」と反論します。


 そこで釈尊は、自分の過去物語を語り、武器を携えてでも正しい比丘を守る大切さを説きます。


◎正法を護持した釈尊の過去物語

 はるか昔、このクシナガラの地にナンダヴァルダナ如来が現れると、世界は、まるで極楽世界のように広大で、豊かになりました。ナンダヴァルダナ如来は、長い間、この地に留まり、やがて般涅槃しました。
 

それからこの教えは多劫(カルパ[vii]の間留まり、残りが40年という時、すなわち、正法がまさに滅亡しようとする時に、無量の眷属を引き連れ、獅子吼 ししく をなし、九分経[viii]を説くブッダダッタ比丘が現れた。

使用人や牛などを所有し、間違った法を説き、戒を破り、憎しみの心をもった者たちがこれ
(ブッダダッタ比丘の登場)を聞きつけると、「(ブッダダッタ比丘を)殺してやろう」と思い、その破戒者たちは武器を携えて一団となってブッダダッタ比丘のもとに向かってきた。
 

 如来のいない世界は廃れ、何も所有してはいけないはずの出家者が、使用人や家畜を得て、好き勝手な振る舞いをするようになりました。このような、正しく教えにしたがっていない出家者を破戒者、破戒僧と呼びます。


 そこに、正しい伝統的な法
(九分経)を説く出家者、ブッダダッタ比丘が現れるのですが、破戒僧たちは、彼をうとましく思い、武器で殺そうとしました。すると、バヴァダッタ王(釈尊の前世)が現れ、破戒僧に応戦し、命がけでブッダダッタ比丘を守りました。


バヴァダッタ王
(釈尊の前世)は、そのことを聞き、正法を守るためにブッダダッタ比丘のもとに行き、彼ら破戒者たちと戦いをなさった。その時、彼らはその法師(ブッダダッタ比丘)を傷つけ[られ]なかった。[一方で、バヴァダッタ王自身は、]剣・短槍・槍・矢などが、芥子の実ほども体に刺さっていない場所はないほどであった。
 

 バヴァダッタ王は、あたかも弁慶が義経を守った時のように、体を張ってブッダダッタ比丘の盾となり、槍や剣から守りきりました。これを見たブッダダッタ比丘はバヴァダッタ王を讃え、次のように言いました。


正法を守る者は、そのようにしなければならない。そなた(バヴァダッタ王)は無量の法の恵みに預かることになるだろう。

 

 バヴァダッタ王とブッダダッタ比丘は、その後、阿閦仏の世界に生まれ変わり、二人とも阿閦仏の優れた弟子になったと記されます。


バヴァダッタ王は、ブッダダッタ比丘の言葉を聞き、死んだ後に、阿閦如来の世界に生まれた。その世界で、随喜した者たちと、戦った衆生たちは皆、さとりを得た。…(中略)…[ix]ブッダダッタ比丘も、バヴァダッタ王が死んだのに続き、阿閦如来の教えにおける第1の声聞(弟子)となり、バヴァダッタ王は第2の声聞となった。


 また、この時、共に戦った衆生たちも、皆、阿閦仏の世界、すなわち妙喜世界に生まれ変わりました。
 

多くの衆生も喜んで戦い、彼を守り、その結果、皆、正覚 しょうがく を得た。その後、正法護持のために戦い、破戒比丘たちを退けた者たちは、皆、阿閦仏の仏国土(妙喜世界)に生まれ変わった。


 釈尊は、この過去物語を語り終えると、次のように、正法護持の大切さを迦葉菩薩に説きました。


したがって、正法が滅する時、正法を護持するべきである。…
(中略)…このように、正法を守ることの果報は無量である。その清浄な果報によって、私も多くの雀斑じゃくはんの模様で飾られた孔雀のようになった。不壊身と法身をも得たのである。


 この過去物語では、戒律を守ることよりも、正法を護ることが何より大切であることを伝えています。教えの伝道者である出家者を守るためであれば、在家者は戒律を無視し、武器を持ってもよいと、過激ともとれる内容を示しているのです。

 ただし、その際に「
殺してはいけない」と記されるため、武器の使用は、破戒者の排斥のためではなく、あくまでも清浄なる出家者の保護、すなわち防御が目的であることがわかります。

 そして、このように正法を護持した者が生まれ変わる場所こそが、阿閦仏の仏国土、妙喜世界であると説いています。


◎正法滅亡の原因

 以上みてきたように、『大般涅槃経』では、妙喜世界を「正法護持者の世界」とみなしていますが、これは一般的な妙喜世界の特徴なのでしょうか? 実は、妙喜世界を正法護持者の国と記すのは『大般涅槃経』のみで、『阿閦仏国経』をはじめ、他の大乗経典には見られません。

 阿閦仏に言及する最古の経典『阿閦仏国経』に記されないということは、もともと、阿閦仏信仰には、妙喜世界を「正法護持者の国」とする考えはなかったということになります。時が経ち、『大般涅槃経』が成立する頃に、このような考え方が新たに生じたといえるでしょう。

 そもそも「正法護持」という概念は、初期仏教にも、初期の大乗仏教にも見られません。涅槃経を初めとする、中期大乗の時代から現れる新しい考えです。なぜそのような考えが現れたのでしょう。現実の社会で、悪比丘が横行し、正しい教えが消えてしまう危機的な状況があったのかもしれません。あるいは、他宗教や他民族との確執が生じていたのかもしれません。

 先述のとおり『阿閦仏国経』には、正法護持への言及はありませんが、正法の滅亡については、第5章の阿閦仏の入滅に関する章に述べられます。

 

阿閦仏が般涅槃した後、彼の語った正法は十億大劫(カルパ)の間留まるが、大光明や大地震、大音声とともにやがて埋没する。しかしそれは悪魔のせいでも声聞のせいでもなく、人々に教えを聴聞する欲望がなくなり、それを知った法師が教えを説かなくなるからである[x]


 『阿閦仏国経』では、法の滅亡の原因は、聴聞者と説法者、いわば生徒と教師の意欲の低下であると説きます。一方、『大般涅槃経』では、法を守らない比丘の登場が法の滅亡の原因であると述べています。いずれも、法の継承が困難になっている状況を示してはいますが、原因の違いに、当時の仏教教団の状況や世相の違いを垣間見ることができます。

 『阿閦仏国経』の時代、すなわち、紀元前後の頃は、仏教徒の怠慢をたしなめる程度ですんでいたのが、『大般涅槃経』の時代、4世紀頃になると、仏教徒の怠慢が進み、法を護るためであれば、命をかける必要があるほどの危機に瀕していたのかもしれません。


◎正法護持と阿閦仏

 ところで、阿閦仏は、成道を決意した際に、嘘偽りのない言葉で、「身口意のあらゆる悪業をなさない」ことを誓いました。そして、その決意(誓願)が不動であったことから「不動なる者」すなわちアクショーブヤ(阿閦)と命名されました。

 阿閦仏は、自身の誓願が真実であることを証明するために、大地に触れ、大地震を生じさせます。「大地に触れる」というしぐさは、「触地印
そくちいん」「降魔印 ごうまいん」と呼ばれ、釈尊が成道する直前に、悪魔を排斥する際のものと同じです。釈尊の場合は、自分の過去世の善行が真実であることを証明するために行うのですが、両者共に、「真実であること」を証明するためになされている点は共通しています[xi]

 このように、阿閦仏には、「不動」や「真実」といった特徴がみられます。そうした特徴が、正法護持のための堅固な心と重なり、阿閦仏の仏国土・妙喜世界が、正法護持者の集う世界というイメージに発展していったのではないかと考えます。

 阿閦仏は、密教の時代になると、堅固な尊格として、より重要性が高まりますが、『大般涅槃経』に記される正法護持の考え方が、影響しているのかもしれません。わからないことの多い阿閦仏について、今後も注目していきたいと思います。


 

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略号
大正:高楠順次郎編1924-1932『大正新脩大蔵経』全100巻,大蔵出版.

参考文献
佐藤直実『蔵漢訳『阿閦仏国経』研究』山喜房佛書林,2008.
下田正弘『涅槃経の研究―大乗経典の研究方法試論』春秋社,1997.
下田正弘『蔵文和訳『大般涅槃経』(I)』山喜房佛書林,1993.


[i] 初期仏教経典と大乗経典との2種類がありますが、妙喜世界に言及するのは後者です。大乗『大般涅槃経』は4世紀後半に成立したと推定され、如来蔵思想を含む中期大乗仏教経典に分類されます。クシナガラにあるヒラヌヤヴァティー河(尼連禅河にれんぜんが)のほとりで、釈尊入滅前の弟子との問答について書かれています。(下田1993, p. xxi)
[ii] 修羅を除く〈五道〉説もある。
[iii] 佐藤2008, pp. 43-47.
[iv] 『大般涅槃経』にはサンスクリット断片、漢訳、チベット語訳がある。詳細については、第5回を参照。
[v] 下田1993, p. 247.
[vi] 下田1997, p. 162.
[vii] 古代インドや仏教において用いられる極めて長い時間の単位。
[viii] 九部経、九部法ともいう。最初期の仏教における釈尊の教説の分類法。のちに3部を加え、十二部経として知られる。
[ix] チベット語訳には中略箇所に「阿閦如来の妙喜世界に、アクショーブヤ・アーカーラという名の如来も生じた」が記される。アクショーブヤ・アーカーラ如来は『阿閦仏国経』には記載がなく、詳細は不明。
[x] 大正11 p. 761b19-22,p. 109c17-21, 北京版58a2-6, デルゲ版50b3-5. 佐藤2008, pp.3-4, 35参照。
[xi] 阿閦仏と釈尊の触地印については、第1回第4回の記事を参照。