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仏教研究

宗教情報センターの研究員の研究活動の成果や副産物の一部を、研究レポートの形で公開します。
不定期に掲載されます。


2019/05/14

第4回 触地と真実性の証明(下)

仏教研究

佐藤直実(宗教情報センター研究員)

 前回より全2回にわたって、大地に触れて大地震を起こす〈触地〉の意味について検討しています。前回(第3回)では、釈尊の触地に関する逸話を検討しました。

 釈尊の場合、〈触地〉という動作は、自分がなした過去の善行が真実であることを証明するためになされていることを確認しました。

 今回は、触地印を定形にとる阿閦仏の場合を検討したいと思います。

 

◎阿閦仏の触地

 阿閦仏を主役として扱う経典は1種類のみで、漢訳2訳とチベット語訳の3本が現存します[i]。以下では3訳の内容を確認していきます。

 阿閦菩薩は誓いを立てたあとに「もしも私が言った如くに行わなかったならば、あらゆる世界の諸仏を欺いたことになるだろう」と宣言します。すると、それを聞いていたある比丘
(びく)が、次のように言いました。


漢訳1

比丘この誓願をなし、もしも退転することがないならば、まさに右指を[地]にのせて、大震動させよ
 その時、阿閦菩薩は、仏の威神力を受けて、隠していた優れた力
(高明力)で地を6回震動させた。[ii]


漢訳2

比丘 「大士よ、もしこの誠心が退かず、言ったことに嘘がないならば、どうか足指によって大地を揺動させよ
 その時、不動 
[iii](阿閦)菩薩は、仏の威神[力]によって、また、本願の善根力の故に、その大地を6種に震動させた。すなわち動、大動、遍動、搖、大搖、遍搖である。[iv]


チベット語訳

比丘 「善男子(ぜんなんし)よ、あなたの誓いがもしも正しい誓願であり、無上正等覚(むじょうしょうとうがく)から退転することのない正しいものであるならば、あなたは真実と真実の言葉[の力]により、右足の親指でこの三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)の大地を震動させ、確かに震動させ、遍く確かに震動させ、動かし、確かに動かし、遍く確かに動かし、揺らし、確かに揺らし、遍く確かに揺らしてみせよ
 そして、アクショーブヤ
(阿閦)菩薩はその時に、仏力と自らの真実の誓いの善根力が生じたことにより,右足の親指でこの大いなる三千大千世界を六種に震動させた。すなわち,震動させ,確かに震動させ,遍く確かに震動させ,動かせ,確かに動かせ,遍く確かに動かせ,揺らし,確かに揺らし,遍く確かに揺らしたのである。[v]


 3訳いずれも、ある比丘から「誓願が不退転であるならば、大地を震動させよ」との要請を受けた阿閦菩薩が「仏の威神力と自らの誓いの力」によって大地を震動させる、と記します。つまり、阿閦は、自らが立てた「誓願の真実性」を証明するために、
仏力と自力の2つの力で大地を震動させたと言えます。

 釈尊の場合は、前世での善行を証明するために大地の「神の力」を使ったのに対し、阿閦仏は、「仏の力」のみならず「自らの力」も用いていることは注目に値します。この記述から、『阿閦仏国経』が、自他両方の力を重視していることうかがえます。

 

◎触地の意味

 さて、ここで釈尊と阿閦仏の触地について確認したいと思います。
 
釈尊の降魔図(ガンダーラ)
釈尊の降魔図(ガンダーラ出土)
 
密教の阿閦仏(ウダヤギリ仏塔)

 釈尊は、自らがなした過去の善行、すなわち布施行が真実であることを証明するために、大地に手を触れ、女神を湧出させます。それに対し、阿閦仏は、自らの誓願が真実であることを証明するために、大地に触れ、大地震を引き起こします。阿閦仏の場合には、女神は登場せず、また証明する内容も両者で異なりますが、「真実性の証明」という点では一致しています。

 
〈触地の役割〉
  • 釈尊の場合…前世の善行が真実であることの証明
  • 阿閦仏の場合…誓願が真実であることの証明

 これらの点から判断すると、大地に触れるという動作は、何かの「真実性を証明する」ためのパフォーマンスであると考えられます。つまり、釈尊と阿閦仏の触地という仕草は、それぞれの卓越した「真実性」を強調するためのものであり、もともと「降魔」の意味はなかったと言えます。


 右手を垂らす〈触地〉という形が、釈尊の降魔・成道の姿を描く際に用いられ、それが定着し、やがて〈触地印〉という印相が成立すると、この印相のもともとの意味合いは薄れ、第1回でもご紹介したように、〈降魔〉エピソードそのものの象徴としてとらえられるようになったのではないでしょうか。


 また、釈尊と阿閦仏とを比べると、触地という所作が、真実性を証明するために用いられている点では一致しますが、厳密には異なるエピソードを示していることもわかります。


 ところで、依然として残ったなぞがあります。すなわち、阿閦の触地の仕草がなぜ、足ではなく手で描かれるのかという点です。これについては、わかり次第、ご報告したいと思います。


※文章中に記す和訳は、注記がない限り、全て佐藤直実によるものです。
 
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[i] 資料については、第2回脚注1参照
[ii] 支婁迦讖訳『阿閦仏国経』より「乃作是結願 若使不退轉者 當以右指案 地令大震動 爾時阿閦菩薩 應時承佛威神 自蒙高明力乃 令地六反震動」(『大正新脩大蔵経』第11巻, pp.753a18-19)
[iii] 菩提流志訳「不動如来会」では、アクショーブヤ(Akṣobhya)の訳語を、意訳である「不動」と記す。
[iv] 菩提流志訳「不動如来会」より「大士 若此誠心不退至 言無妄者 願以足指搖動大地 時不動菩薩 以佛威神及 本願善根力故 令彼大地 六種搖動 所謂 動大動遍動 搖大搖遍搖」(『大正新脩大蔵経』第11巻, pp.103a19-21)
[v] 北京版12a7-12b4, デルゲ版10b4-7 skyes bu dam pa khyod kyis dam bcas pa 'di  gal te yang dag pa'i smon lam yin żing / bla na med pa yang dag par rdzogs pa'i byang chub las phyir mi ldog par 'gyur pa'i yang dag pa yin na bden pa dang / bden pa'i tshig 'dis rkang pa g-yas pa'i mthe bos stong gsum gyi stong chen po'i 'jig rten gyi khams kyi sa chen po 'di  g-yo ba dang /(om. L) rab tu g-yo ba dang / kun tu rab tu g-yo ba dang / 'gul ba dang / rab tu 'gul ba dang / kun tu rab tu 'gul ba dang / ldeg pa dang / rab tu ldeg pa dang / kun tu rab tu ldeg par byos ṡig ṡa ra dwa ti'i bu de nas byang chub sems dpa' sems dpa'chen po mi 'khrugs pa des / de'i tshe sangs rgyas kyi mthu dang / rang gis bden pa'i dam bcas pa'i dge ba'i rtsa ba'i stobs bskyed pa des / rkang pa g-yas pa'i mthe bos stong gsum gyi stong chen po'i 'jig rten gyi khams kyi sa chen po 'di rnam pa drug tu g-yos bar byas te /g-yos rab tu g-yos / kun tu rab tu g-yos / 'gul / rab tu 'gul / kun tu rab tu 'gul / ldeg / rab tu ldeg / kun tu rab tu ldeg par byas so //