研究員レポート
2019/04/02
第3回 触地と真実性の証明(上) |
仏教研究 |
佐藤直実(宗教情報センター研究員)
触地印とは、仏が大地に右手を垂らす手の形〈印相〉を指します。釈尊の〈降魔 ごうま〉像や阿閦仏(あしゅくぶつ)を描く際に使われる形です。釈尊の触地印の逸話については第1回で概要を述べました。また
そこで、今回は「大地に触れる」という動作と「真実性
◎古代インドの大地のイメージ
古代インドでは「大地」を「不動 acala, 堅固 sthirā」なものであると考えていました[i]。このような大地のイメージは、古代インド叙事詩『マハーバーラタ』(BC.2c-AD.2c)や仏伝文学『ブッダチャリタ』(AD.2c)の記述からもうかがえます。マハーバーラタ
不動性、拡がり、固さ、生産性、香、重さ、力、結合性、基盤性、保持が大地に属している。(Mahābhārata 12.247.3,原実訳)
ブッダチャリタ
火が熱さを捨てる事があっても、水が流動性を[失うことがあっても]、
又大地が不動性を[捨てるようなことがあっても]、
この男(釈尊)は、幾多の劫期の間に善業功徳を積んでいるから、
己が決心を捨てるような事は絶対にしないであろう。(Buddhacarita 13.58,原実訳)
この男(釈尊)は、幾多の劫期の間に善業功徳を積んでいるから、
己が決心を捨てるような事は絶対にしないであろう。(Buddhacarita 13.58,原実訳)
『マハーバーラタ』では、大地は不動性や堅固さ、保持力といった性質を持つと述べます。
『ブッダチャリタ』の記述は、釈尊の成仏を阻もうとする魔王に対して精霊が放った忠告に当たり、釈尊の成道への決意がいかに不動であるかを示すために大地の「不動性」が引き合いに出されています。
このように、大地に対して「不動・堅固」のイメージを持つ古代インドでは、本来動くはずのない大地が動き、大地震が起きるという現象は、とてつもなく特別な事態が起きた証と考えられていました。
◎釈尊の触地
さて、ここで釈尊の〈触地〉について見てまいりましょう。第1回でも述べましたが、魔王が釈尊の成道を阻もうとする逸話はバラエティーに富んでおり、それらを総称して〈降魔〉と呼びます。〈降魔〉については、『サンユッタニカーヤ』や『スッタニパータ』などの古い仏典にすでに記されますが、意外なことに、大地に手を触れるくだり〈触地〉はありません[ii]。〈触地〉を述べる仏典は、成立がやや新しい次の3本のみです[iii]。
大乗経典『ラリタヴィスタラ』(普曜経、方広大荘厳経) AD.2-6c
律典『サンガベーダヴァスツ』(根本説一切有部毘奈耶破僧事) AD.3c
仏伝『ニダーナ・カター』(ジャータカの序文) AD.4-5c
律典『サンガベーダヴァスツ』(根本説一切有部毘奈耶破僧事) AD.3c
仏伝『ニダーナ・カター』(ジャータカの序文) AD.4-5c
これら3本に記される〈触地〉の様子を紹介します。ここに記される「菩薩 ぼさつ」とは、修行時代の釈尊を指します。
ラリタヴィスタラ
菩薩は魔王に、自分が過去になした無数の自己犠牲(自分の手足や頭を切って与えること)について告げた。
魔王 「お前が過去世でなした惜しみない自己犠牲の証人は誰もいない!」
菩薩 「生類を支えるこの[大地]が証人である」
菩薩は右手を体からすべらせ、大地に優しく触れ、次の偈を説いた。
魔王 「お前が過去世でなした惜しみない自己犠牲の証人は誰もいない!」
菩薩 「生類を支えるこの[大地]が証人である」
菩薩は右手を体からすべらせ、大地に優しく触れ、次の偈を説いた。
是なる大地は一切を支え、動不動の全てに贔屓することなく平等
これは我が権証なれば、我が言に偽りなし。この場で私の証人たれかし
菩薩が大地に触れるや否や大地は6種に震動した。するとこの三千大千世界の大地の女神(Sthāvarā)が無数の女神を引き連れて大地を割って現れ、大地を震動させ、菩薩に礼拝して次のように言った。
女神 「大士よ、そのとおりです。私たちは証人となりましょう」[iv]
女神 「大士よ、そのとおりです。私たちは証人となりましょう」[iv]
サンガベーダヴェスツ
魔王 「どうしてあなたは菩提樹の根元に座っているのか」
菩薩 「無上智を手に入れるためである。私はそのために、過去世で無量の布施として自分の手足や頭、妻子や財宝などを捨てた。それ故、必ず無上智を得るであろう」
魔王 「汝が無上智を得るために過去世で無量の布施をなしたことを誰が証明できようか」
すると釈尊は大地に触れて、
菩薩 「まさにここ(大地)が私の過去世の布施の証人となるべし」
と述べた。その時、大地の女神が現れ、
女神 「魔王よ、そのとおりです。世尊の言葉は真実です」
と言った。[v]
菩薩 「無上智を手に入れるためである。私はそのために、過去世で無量の布施として自分の手足や頭、妻子や財宝などを捨てた。それ故、必ず無上智を得るであろう」
魔王 「汝が無上智を得るために過去世で無量の布施をなしたことを誰が証明できようか」
すると釈尊は大地に触れて、
菩薩 「まさにここ(大地)が私の過去世の布施の証人となるべし」
と述べた。その時、大地の女神が現れ、
女神 「魔王よ、そのとおりです。世尊の言葉は真実です」
と言った。[v]
ニダーナ・カター
菩薩 「実にヴェッサンタラ(釈尊の過去世)の生において、私の700回もの大いなる布施の証人は、まさにこの堅固なる大地である。汝は証人となるか、証人とならないか」
そう言って、菩薩は衣服の中から右手を出して、大地に向かって手をさしのべた。
女神 「私はその時のあなたの証人になります」
すると、大地は百の大音声、千の大音声、百千の大音声によって魔王軍を蹴散らしつつ唸った。[vi]
そう言って、菩薩は衣服の中から右手を出して、大地に向かって手をさしのべた。
女神 「私はその時のあなたの証人になります」
すると、大地は百の大音声、千の大音声、百千の大音声によって魔王軍を蹴散らしつつ唸った。[vi]
細かな点は異なりますが、3本共に、釈尊のなした「過去世の善行」を大地によって証明する内容になっています。『ラリタヴィスタラ』と『ニダーナ・カター』の記述では証明の根拠として、大地の保持力や堅固さを挙げています。大地を「女神」として擬人化し、「証人」としての役割を与えることで、より説得力を持たせようとしているように見えます。これらの内容から、釈尊の触地のしぐさは「過去の善なる行為の真実性」を証明するための姿と言い換えられるでしょう。
次回は、阿閦仏の触地について紹介し、「大地に触れる」という動作の意味について検討したいと思います。
※文章中に記す和訳は、注記がない限り、全て佐藤直実によるものです。
[i] 大地の属性に関しては原實『古代インドの環境論』東洋文庫, 2010, p.77-104に詳しく述べられている。古典インドの代表的な同義語辞書アマラコーシャには、大地の同義語として「不動、無限、保持、堅固」などが記される。
[ii] 『スッタニパータ』Mahāvagga Padānasutta 425-454 当該箇所が降魔伝説の最古の記述と考えられる。
[iii] 仏伝『マハーヴァスツ』にも類似の記述があるが、大地の女神は登場しない。平岡聡「仏伝から見える世界」『新アジア仏教史03インドIII』2010, p.93参照。
[iv] 前掲 原2010, p.80 及び P.L. Vaidya ed., Lalitavistara (Buddhist Sanskrit Texts 1), Darbhanga, 1958, p.232-参照。
[v] R. Gnoli with the assistance of T. Venkatacharya ed., The Gilgit Manuscript of the Saṅghabhedavastu (Serie Orientale Roma, 49), Roma 1977-78 (Input by S. Karashima and K. Wille 2000) p.114-参照。
[vi] V. Fausboll ed., Nidānakathā Jataka with Commentary Vol.1, PTS (input by Dhammakaya foundation) p.74 l.18-参照。