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研究員レポート

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仏教研究

宗教情報センターの研究員の研究活動の成果や副産物の一部を、研究レポートの形で公開します。
不定期に掲載されます。


2019/03/01

第2回 阿閦仏と触地印

仏教研究

佐藤直実(宗教情報センター研究員)

 今回は前回登場した「阿閦仏(あしゅくぶつ)」と「触地印」についてご紹介いたします。

◎阿閦仏と妙喜世界
 西方・極楽
(ごくらく)世界にいらっしゃる阿弥陀仏(あみだぶつ)は、日本人にとってなじみがあると思いますが、阿閦仏をご存知の方は少ないかもしれません。阿閦仏は、阿弥陀仏と対をなす仏として、大乗仏教の最初期に登場する仏です。東方・妙喜(みょうき)世界を主宰し、右手を大地に向けて垂らす姿で表され、密教では金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)の東方に配される尊格です。

 大乗仏教とは、紀元前後に現れた新しいタイプの仏教です。それ以前の仏教は、さとりを得られるのは出家者のみであると説くのに対し、大乗仏教では、出家在家を問わず、誰でも釈尊と同じさとりを目指すことができると説きます。そして、宇宙には、我々が暮らす娑婆
(しゃば)世界以外にも多くの世界があり、さまざまな仏がそれぞれの世界で、今現在も説法していると考えます。このように仏が説法を行なっている世界を「仏国土(ぶっこくど)」と呼びます。

 妙喜世界も仏国土の1つで、娑婆世界から東方に千の仏国土を過ぎた場所にあり、もともと大目
(だいもく)という名の仏が主宰していました。まだ修行僧だった頃の阿閦仏は、この仏の説法を聞き、自分も菩薩道を学び、無上正等覚(むじょうしょうとうがく)、すなわちさとりを得たいと決意しました。そして、たくさんの誓いを立て、やがて仏となり、大目仏から仏国土を継承しました。

 阿閦仏の生涯を記す経典は1種類しかありません。インド原典は残念ながら発見されておらず、漢訳2本と、チベット語訳が1本ありま
[i]3訳ともに異なる題名が付されていますが、2世紀後半に漢訳された最古訳『阿閦仏国経(あしゅくぶっこくきょう)』の名前で呼ばれることが通例です。大筋の内容は3訳ともに一致しますが、最も詳しく記すのはチベット語訳です。そこで、本稿では、チベット語訳『阿閦仏国経』の内容にそって、紹介してまいります。

◎阿閦仏の誓願
 さとりを得たいと決意することを「発菩提心
(ほつぼだいしん)」あるいは「発心(ほっしん)」と呼び、それに向けて立てる誓いを「誓願(せいがん)」と言います。阿弥陀仏の四十八願は有名ですが、阿閦仏も同様に独自の誓願を立てました。阿弥陀仏が利他的な誓いが多いのに対し、阿閦仏は自戒的である点が特徴です。たとえば、最初に次のような誓いを立てます。

 1) 全ての生類に対して、怒ったり動揺したりしない
 2) 一切智者(さとりを得た人)の心を離れない
 3) 声聞
(しょうもん)や独覚(どっかく)の心を生じない
 4) 殺生・盗み・非梵行(邪淫)を伴った心を生じない
 5) 妄語・悪口・両舌・綺語を伴った心を生じない
 6) 貪瞋痴の三毒の心を生じない

 このうちの1番目の「全ての生類に対して、怒ったり動揺したりしない」という誓いは阿閦の名前の由来でもあります。阿閦の誓いを聞いた大目仏が、「全ての生き物に対して心を揺れ動かさないとは、実にすばらしいことである。この修行者に〈揺れ動かない者〉と名づけよう」と言い、サンスクリットで「揺れ動かないこと、不動」を指す〈akṣobhya
(アクショーブヤ)〉が彼の名前になりました。「阿閦」はその音写語と考えられます。伝承によっては、「不動」「無動」「無怒」などと漢訳されることもあります。

◎阿閦仏の触地印
 前置きが長くなりましたが、ここから、阿閦仏を象徴する「触地印」について見てまいりましょう。まず、阿閦仏の「触地印」の図像を確認したいと思います。
 
図1 阿閦(『ナルタンの500図像集』より)

 図1はチベットに伝承される大乗の阿閦仏の姿で、大地に右手を垂らす姿で描かれます
[ii]。図2は、インドで発見された8世紀の密教の阿閦像で、同じく右手を下に向けています[iii]
 
図2 阿閦如来 (ウダヤギリ仏塔)

 このように、右手の五指を下に向けて垂らす形が阿閦仏の印相であり、釈尊の触地/降魔印と一致します。

 では、『阿閦仏国経』には触地のしぐさがどのように記述されているでしょうか? チベット語訳にそって確認してまいります。

*****
 大目仏から「阿閦」の名前を賜ったあと、阿閦菩薩[iv]は新たに多くの誓いを立て、「もしも私が言った如くに行わなかったならば、あらゆる世界の諸仏を欺いたことになるだろう」と宣言する。すると、それを聞いていたある修行僧が、

「よき人(善男子)よ、あなたの誓いがもしも正しく、さとりから退くことのない正しいものであるならば、真実と真実の言葉の力により、右足の親指でこの三千大千世界
(さんぜんだいせんせかい)の大地を震動させ、揺らしてみせよ」

と言った。すると、阿閦菩薩は、仏の威神力と、自らの真実の誓いの力によって、まさに右足の親指で三千大千世界を六種に震動させた。
  その後、阿閦菩薩は自らが誓った如くに行い、さとりを得て、阿閦仏となった。
(佐藤直実抄訳)
*****
 阿閦が大地に指でふれる逸話は、この一箇所のみです。したがって、阿閦仏の触地印はこの逸話に由来すると考えられますが、皆さまお気づきのように、チベット語訳の記述では、大地につけるのは「手」ではなく「足」となっており、図像と一致しません。

 面白いことに、漢訳2訳も、大地につける「指」の記述がそれぞれに異なっています。最古の漢訳は単に「右指」と記すだけで、手か足かには言及しません。一方、新しい漢訳は「足指」とだけ記し、左右を示していません。これに対し、上記のチベット語訳は「右足の親指」としており、ちょうど漢訳2訳を折衷した形になっています。


 最古の漢訳 :右指で地を大振動させる
 新しい漢訳 :足指で大地を揺らす
 チベット語訳:右足の親指で三千大千世界を大きく揺らす


 『阿閦仏国経』には、阿閦が「手」を大地につけるという伝承は記されていないということになります。では、なぜ、阿閦を象徴する姿が「手を大地につける」という形になったのでしょうか? 可能性はいろいろ考えられますが、まだわかっておりません。この点については、これから研究してまいりたいと思います。

〈参考文献〉佐藤直実『蔵漢訳『阿閦仏国経』研究』山喜房佛書林, 2008年
 
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[i] 最古訳は、支婁迦讖訳『阿閦仏国経』で、2世紀中葉に訳出されている。続いて、菩提流志訳『大宝積経-不動如来会』が706年、チベット語訳は9世紀初頭の訳出である。
[ii] Lokesh Chandra1999, Buddhist Iconography of Tibet, New Delhi. 1995, M. Tachikawa, M. Mori, S.Yamaguchi, Five hundred Buddhist Deities(五百尊図像集)国立民族学博物館
[iii]森雅秀2001『インド密教の仏たち』春秋社, p20, 図4より
[iv]大乗仏教では、修行者のことを「菩薩」と呼ぶため、大目仏から名前を賜った段階では、「阿閦仏」ではなく、「阿閦菩薩」と記されている。