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仏教研究

宗教情報センターの研究員の研究活動の成果や副産物の一部を、研究レポートの形で公開します。
不定期に掲載されます。


2021/09/22

第8回 チュンダの供養ー最後の供養の2つの評価ー

仏教研究

佐藤直実(宗教情報センター研究員)

 第5回からチュンダの供養について、初期仏教と大乗仏教の〈大般涅槃経 だいはつねはんぎょう〉をもとに考察しています。前回(第7回)から、大乗の〈大般涅槃経〉(以下、大本〈涅槃経〉に記される記述をみています。

 大本〈涅槃経〉では、チュンダは2回登場します。最初の登場は、チュンダが釈尊に最後の供養を願い出る場面で、前回
(第7回)確認しました。釈尊から許可を得ると、チュンダは食事の準備のために、いったんその場を辞します。2回目の登場は、戻ってきたチュンダが食事を振る舞う場面です。

 第8回では、2回目の登場場面を紹介した後、小本〈涅槃経〉と大本〈涅槃経〉のチュンダに関する記述を比較考察したいと思います。

 まずは、現存する大本〈涅槃経〉の典籍について紹介します。

 

◎現存する大本〈涅槃経〉の種類と章構成

 大本〈涅槃経〉は、サンスクリット(梵語)原典が断片的に発見されています。漢訳には、法顕 ほっけん (以下、六巻本と曇無讖 どんむしん 訳(以下、北本、そして、これら2訳をもとに編纂した慧厳 えごん・慧観 えかん・謝霊運 しゃれいうん らによる南本の3種類があります。また、チベット語訳には、インド原典からの翻訳(以下、チベット語訳と、北本からの重訳(以下、重訳の2種類があります[i]

 これらのうち、北本と南本、そして重訳はほぼ同じ内容で、完結した形
(完本)と考えられています。一方、六巻本とチベット語訳は、完本の前半1/3で終わっています。また、サンスクリット断片も、前半1/3までの内容しか発見されていません。

 このことから、大本〈涅槃経〉は、最初に前半1/3が記され、その後、残りが順次できていったと考えられています。

 チュンダが登場する場面は、2回とも前半1/3に含まれることから、チュンダの供養は、後に付加されたものではなく、大本〈涅槃経〉成立当初から記されていたと考えられます。

 なお、中国や日本で一般的に読まれている大本〈涅槃経〉は南本ですが、研究では、原典からの翻訳である六巻本と北本、そして翻訳チベット語訳が用いられます。本記事でも、後者の3本をもとに解説します。

 それでは、チュンダが再登場する場面をみてまいりましょう。

 

1. 釈尊、チュンダの供養を受ける

 チュンダが釈尊のもとに戻ってくると、そこに集っていた人々(会衆)は、再び釈尊に最後の供養を願い出ます。会衆はチュンダよりも先に、釈尊に最後の供養を願い出ていたのですが、その時は釈尊から「まだ時期ではない」と断られていました。ところが、今回の申し出は承諾されます。

 釈尊は自分の毛穴から諸仏とその眷属たちを現出させ、彼らに会衆の供養を受け取らせます。一方、釈尊本人はチュンダからの供養を受け取りました。そして、そのチュンダから受け取った施食を神通力で会衆に振る舞いました。

 
六巻本
その時、純陀の設けた供養の道具は仏の威力を承け、来集した人々は皆、[それによって]充足した
[ii]

北本
釈迦如来は自ら純陀の奉設したものを受け取った。その時、純陀が持参したマガダ国の八斛
こくほどの米は、仏の神力によって、悉く一切の大衆を満足させた[iii]

チベット語訳
如来自身は、チュンダの差し上げた食事を召し上がった。チュンダはマガダ国の米八斛で食事を調理し、また、如来の力で一切の比丘僧団を[その]食事で満足させたのである
[iv]

 このように、いったんは断った会衆の供養を、釈尊は自身が現出した化身たちに受け取らせます。小本〈涅槃経〉では、最後の供養をなしたのはチュンダだけですが、大本〈涅槃経〉では、間接的ではありますが、その場に集まった全ての
会衆が最後の供養をなし得たことになります。

 また、小本〈涅槃経〉では、チュンダの供養は、釈尊と弟子たちだけが受け取り、在家者をはじめ、その場にいた者たちは受け取りませんが、大本〈涅槃経〉では、釈尊の神通力により、その場にいた全ての者たちに配られます。

 小本〈涅槃経〉に比べると、大本〈涅槃経〉では、より多くの人が報われる形をとっています。一切衆生の救いを標榜する大乗仏教の特徴が表れていると言えるでしょう。

 さて、こうして無事に最後の供養を捧げることができたチュンダは、この後、一闡提 
いっせんだい などについて釈尊に質問をした後、未来世に仏となることを授記 じゅき され、その登場は終わります。

 以上が大本〈涅槃経〉に登場するチュンダの記述です。

 

2.共通点と相違点

 ここで、小本〈涅槃経〉と大本〈涅槃経〉を比較し、チュンダに関する主な共通点と相違点を確認しましょう。まず、共通点からみてまいります。
 
〈共通点〉
  • チュンダの職業:鍛冶屋(金属細工人)
  • チュンダの供養:最後の供養
  • チュンダの供養に対する釈尊の評価:尊いもの、称賛すべきもの

 どちらの経典も、チュンダを、金属細工師であり、釈尊に最後の供養を捧げた者として描きます。また、その最後の供養を、釈尊は得難く尊いものと受け止めています。

 相違点としては、以下の7点が挙げられます。( )内は、左が小本〈涅槃経〉、右が大本〈涅槃経〉の内容です。

 
〈相違点〉
  1. チュンダが釈尊と出会う場所(パーパー/クシナガラ)
  2. チュンダの仲間の有無(なし/15人)[v]
  3. チュンダが入滅を知っていたかどうか(知らない/知っている)
  4. チュンダの供養に対する衆生の評価(低い/高い)
  5. 供養を捧げた後のチュンダの気持ち(後悔/歓喜)
  6. チュンダの供養の受者(釈尊と比丘集団/釈尊と会衆)
  7. 最後の供養を捧げた者(チュンダのみ/チュンダと会衆)

 特に注目したい相違点は、4「チュンダの供養に対する衆生の評価」です。第5回第6回でも記したとおり、大本〈涅槃経〉では、釈尊も人々も共にチュンダの供養を高く評価しますが、小本〈涅槃経〉では、衆生はチュンダを評価しません。

 小本〈涅槃経〉では、釈尊が自分亡きあと、チュンダが人々から「チュンダよ、如来はお前の最後の施食を食べてから般涅槃したのだから、お前にはその利益がなく、お前にはその功徳がない」と非難されないよう、アーナンダに次のように言付けます。

 
如来はお前(チュンダ)の最後の施食を食べて般涅槃したのだから、お前にはその利益があり、お前にはその功徳がある[vi]

 釈尊を般涅槃へと導いたチュンダの供養は、成道を促した乳粥供養と等しく、他の施食よりも優れた功徳があると釈尊はアーナンダに説明しました。

 このように、小本〈涅槃経〉では、釈尊と衆生とでは、チュンダの供養への評価が異なります。しかし、大本〈涅槃経〉では、衆生も釈尊と同じように、「得難い行為」として称賛します。

 

 3. 衆生の評価が異なる理由

 最初の疑問に立ち帰り、チュンダの供養に対する衆生の評価が、小本〈涅槃経〉と大本〈涅槃経〉とで、なぜ異なるのかを考えたいと思います。 両本ともに、釈尊の入滅、すなわち「般涅槃 はつねはん」を主題にしていますが、それぞれの主旨はどのようなものでしょうか。

 小本〈涅槃経〉は、ラージャグリハからクシナガラに到るまでの行程が丁寧に綴られ、入滅の様子やその後の荼毘、仏塔建立についても記されます。釈尊の入滅前後の事績を時系列に沿って述べています。途中の滞在先で、七浄行や四念処観、四種の法などの仏教教理が説かれるものの、小本〈涅槃経〉の主旨は、釈尊の説いた教理教学を伝えることよりも、入滅前後の様子を客観的に記すことにあると考えます。

 一方の大本〈涅槃経〉は、クシナガラに到る行程は述べられず、荼毘や仏塔建立の様子はおろか、入滅場面も記されません。クシナガラでの最後の一夜の様子のみを記します。入滅を知った人々が馳せ参じるという描写が冒頭に記され、また、チュンダの最後の供養といった事績の記述はあるものの、大半は釈尊と弟子との問答に費やされます。その問答を通して、「常楽我浄
じょうらくがじょう」「如来常住 にょらいじょうじゅう」「一切悉有仏性 いっさいしつうぶっしょう」「闡提成仏 せんだいじょうぶつなど、これまでの大乗仏教では説かれなかった教理が示されます。

 
横超慧日博士を始め、多くの研究者が、同経の主旨は「入滅の意義を明かすこと」にあると主張[vii]ておりますが、筆者も、大本〈涅槃経〉の関心は入滅の事績にあるのではなく、教義の解説にあると考えます。教義の解説とは、凡夫ではなく、覚者・如来の視点に立った解釈ということです。

 ところで、両本の主題である「入滅」とは、悲しい出来事でしょうか? それとも喜ばしい出来事でしょうか? 釈尊の入滅を人間的な「死」と捉えるならば、それは悲しい出来事になります。しかし、これは凡夫の判断です。覚者の立場から見れば、入滅は涅槃の完成です。肉体が滅んでも、如来という存在はあり続けるのですから、むしろ喜ばしいことになります。

 入滅を悲しい出来事と受け取った場合、最後の供養は批判の対象となりますが、入滅を涅槃の完成、すなわち価値あるものと考えれば、最後の供養は賞賛に値します。前者は凡夫の受け止め方であり、後者は覚者の視点です。

 小本〈涅槃経〉では、入滅に対して「悲しいこと」と「喜ばしいこと」の2つの受け止め方が記されます。すなわち、凡夫と覚者の両方の解釈が描かれているということです。一方、大本〈涅槃経〉は、「喜ばしいこと」という受け止め方しか記されません。覚者の視点のみで記されているということになります。

 小本〈涅槃経〉は、客観的事実の描写に重点を置くという主旨に沿い、如来だけでなく、凡夫の立場にも配慮したため、チュンダの供養に対して二分した評価を記したと考えられます。それに対し、教理教学を伝えることを重視した大本〈涅槃経〉は、如来のみの視点に基づいて記したために、チュンダの供養も「喜ばしいこと」という評価だけになったのではないでしょうか。

 

◎まとめ

 以上、初期仏教と大乗の〈大般涅槃経〉に記される仏弟子チュンダとその供養をめぐる記述について、全4回にわたり、考察してまいりました。

 小本〈涅槃経〉は、釈尊の入滅を嘆き悲しむ凡夫と、仏教としての本来あるべき姿を伝えようとする釈尊と、その両者の立場を記したものであり、大本〈涅槃経〉は、凡夫の解釈を差し込まず、釈尊の立場のみから、その意図を強く打ち出した典籍であると筆者は考えます。

 

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略号
大正:高楠順次郎編1924-1932『大正新脩大蔵経』全100巻,大蔵出版.
 

[i] 書誌情報については第5回を参照
[ii] 大正12, p. 896b3-4
[iii] 大正12, p. 424a19-21
[iv] デルゲ版141b4、 北京版146b3
[v] 2「仲間の有無」は3「釈尊の入滅を知っていたかどうか」と関連します。小本〈涅槃経〉では、チュンダは、たまたまパーパー村を訪れた釈尊に供養を申し出ており、入滅が近いことは供養を捧げ終わった後に知ります。チュンダの施食は、結果的に「最後の供養」となりましたが、チュンダ自身にはその自覚はなかったことになります。一方、大本〈涅槃経〉では、チュンダは当初から釈尊の入滅を知っており、その上で供養を捧げています。つまり、チュンダ自身は「最後の供養」という自覚を持った上で、仲間とともに施食したということです。
[vii] 横超慧日『涅槃経』(サーラ叢書26)平楽寺書店, 1981, p.44