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宗教情報センターの研究員の研究活動の成果や副産物の一部を、研究レポートの形で公開します。
不定期に掲載されます。


2015/06/18

宗教界の歴史認識~戦争責任表明とその後(年表付き)

宗教情報

藤山みどり(宗教情報センター研究員)

 欧米の日本研究者ら187人が、戦後70年を過去の植民地支配や侵略の過ちを清算する機会にするよう安倍晋三政権に求めた「日本の歴史家を支持する声明」に対し、世界で456人が署名したことが2015年5月19日にわかった。[1]
   宗教界では2月に日本カトリック司教団が「戦後70年司教団メッセージ」[2]を発表し、戦後50年と60年にあたってのメッセージ[3]と同じく、戦時・戦中の戦争責任についての反省と平和への決意を表明した。浄土宗は3月に営んだ終戦70周年の戦没者追悼・平和祈念法要で、1994年の太平洋戦争戦没者五十回忌浄土宗法要の表白を踏襲し、戦争協力への反省を表明した[4]真宗大谷派の宗議会は6月に戦後50年の「不戦決議」を踏まえて「非戦決議2015」[5]を採択した。戦後70年の声明を発表した主な教団は現時点では少ないが[6]、戦後50年に戦争責任を表明した教団は多い。そこで、主な教団の歴史認識について、戦争責任表明と、過去の清算状況、現在の活動の3点から見ていく。
 戦争責任表明は、各教団が一言一句に腐心した成果である。「戦争責任表明」と括られることが多いが、実際の文面を読むと、何を語り、何を語っていないか、教団による違いが明白になる。文末の年表は資料集としてリンク等で実物が読めるようになっている。ぜひ、原文をご一読いただきたい。

※以下は6月15日時点の文章で、真宗大谷派の「非戦決議2015」に触れていない点、ご容赦いただきたい。
 

1.戦争責任表明に見る歴史認識

 明治以降の天皇制に基づく軍国主義のなかで、時流に抗して治安維持法違反や不敬罪で弾圧された教団がある。宗教団体へ治安維持法が初めて適用された1935年の「大本」への弾圧では、教祖・出口王仁三郎と幹部ら61人が治安維持法違反と不敬罪の容疑で検挙され、壊滅的打撃を受けた、このほか法華宗本門流、日本基督教団第6部・第9部のホーリネス系教団[7]、創価教育学会(現・創価学会)なども弾圧された。カトリック教会は上智大生靖国参拝拒否事件[8]をきっかけに、神社参拝を認める方向性に転換した。
 圧力に押される形であったとしても、主な教団のほとんどが戦争協力した。軍用機の献納、戦勝祈願(祈祷)、国家神道に即した教義の変更、国策と教団の目論見が合致した海外布教、海外での宣撫工作(現地の人の懐柔)への協力、などである。このような教団の過去を過ちと認識しているかを端的に示す指標となるのが、戦争責任の表明である。なお、戦時体制との関わりが薄い1938年創立の立正佼成会など新宗教は言及対象外とし、戦争協力をしたとされる主な伝統仏教教団とカトリック、日本基督教団を見ていく。

(1)戦争責任表明の背景

 宗教界における第二次大戦後の戦争責任の表明としては、ドイツのプロテスタントである福音主義教会の代表者たちがナチスに追随した罪を告白する「シュトゥットガルト罪責告白」(1945年10月19日)や、同教会兄弟評議員会の「ダルムシュタット宣言」(1947年8月8日)が有名である。
 だが、日本の主な教団が戦争責任を表明した時期は遅い。日本基督教団が1967年に教団として初めて戦争責任を表明したが、各教団の表明のピークは戦後50年にあたる1994~1995年である。55年体制が崩壊して非自民党の首相が続いた期間(1993年8月~1996年1月)とも重なる。1993年には河野洋平内閣官房長官が談話(河野談話)で従軍慰安婦に謝罪し、1995年の終戦記念日に村山富市首相が談話(村山談話)でアジア諸国の人々に謝罪するなど、政府によるアジアの人々への謝罪が続いていた。この背景には、1985年のドイツ敗戦40周年を機に西ドイツのワイツゼッカー大統領が連邦議会で「過去を心に刻むように」と呼びかけた演説「荒野の四十年」が世界に感銘を与えたこと、1991年のソ連崩壊により東西冷戦が終結したため日本の戦争責任問題が浮上したこともあるだろう。
 過去への謝罪に社会的圧力が高まった時期に、政府と同じような方向性で各教団の戦争責任表明が相次いだことは、国策に沿って戦争協力した姿を彷彿とさせる。だが、政府への追随だったか否かは、追って探ることにして、まずは戦争責任表明をみる。

(2)主な教団の戦争責任表明

 主な教団の戦争責任表明の主体は教団トップから事務方トップ、教団の議会などさまざまで、教団としての表明か否かは見解が分かれる場合もある。そのような点にも触れつつ、表明の有無を見ていく。(巻末年表参照)
 主なキリスト教団では、1967年に日本基督教団(総会議長)[9]、1995年にカトリック(日本カトリック司教団)が表明したということで内外の見方が一致している。
 主な伝統仏教教団では、真宗大谷派の宗務総長が日中戦争勃発から50年目に当たる1987年に「全戦没者追弔法会」で戦争協力を自己批判したのが最初とされる。同派は同じ法会で、1990年には伝統教団として初めて[10]法会の趣旨を告げる表白(ひょうびゃく)で、2000年には全文口語体に改めた表白で門首が戦争加担を懺悔した。1995年には、宗議会(僧侶からなる議会)と参議会(信徒からなる議会)でともに、戦争責任を懺悔し、不戦の誓いを表明する「不戦決議」を採択した。以降、「不戦決議」が平和活動の根拠となっていた。
 浄土真宗本願寺派は、湾岸戦争を機に1991年に宗会(宗派の議会)が太平洋戦争への協力を懺悔する決議を初めて採択した。1995年には門主が「終戦五十周年全戦没者総追悼法要」で戦争責任を懺悔し、これが後の平和運動の指針となった。
 曹洞宗は、民族差別表現などがあった宗務庁監修・発行の差別図書[11]の回収・破棄通知に併せて1992年に出した宗務総長名の「懺謝文」で、過去に関与した侵略と植民地支配についての懺悔を表明した[12]。「懺謝文」は公式サイトで平和活動を紹介する頁で、活動理念のように引用が紹介されており、全文も掲載されている(後述参照)。
 浄土宗は、1994年の「太平洋戦争五十回忌法要」で門主が戦争協力への懺悔を表明したが、宗内からは明確な対外的表明とみなされず、2008年の法要「世界平和念仏別時会」で宗務総長が発表した「浄土宗平和アピール」で改めて内外に戦争協力の懺悔を示した。
 臨済宗妙心寺派は、禅宗の戦争協力を告発する『禅と戦争』(ブライアン・ヴィクトリア著)を読んで衝撃を受けたオランダ人女性が管長宛てに戦争責任表明を求める書簡を出してきたことや、米国同時多発テロと報復攻撃を批判する前に過去の懺悔が必要と判断されたことから、ハンセン病問題を宗門として看過してきたことへの反省を含めて、2001年に宗議会で「非戦と平和の宣言」を採択した。
 日蓮宗は、立教開宗750年となる2002年に、日蓮宗現代宗教研究所所長は『仏教タイムス』で、1948年に宗務総監(現・宗務総長)が東京裁判の判決に対する所見を『日蓮宗宗報』に記したのが教団としての最初の戦争責任表明と説明した[13]。だが、一般紙では日蓮宗は戦争責任を表明していないとみられている[14]うえ、宗門内でも2005年の全国宗務所長会議で「戦争協力への反省を表明しないのか」と問われている[15]
 天台宗では、1994年の『毎日新聞』(11月17日)のアンケートでは戦争責任を公に表明しているとされたが、2001年の『朝日新聞』(12月3日夕)では「ない」とされた。2002年に宗務総長がイタリアでの「世界宗教者平和の祈りの集い」や宗議会の執務方針演説で戦争加担を懺悔したが、宗派として対外的に明確な戦争責任表明はないとされる。
 以上、教団の戦争責任を認めて対外的にも明確に表明しているのは、日本基督教団、カトリック、真宗大谷派、浄土真宗本願寺派、曹洞宗、浄土宗、臨済宗妙心寺派となる。

(3)戦争責任表明の内容にみる歴史認識

 次に、戦争責任表明の内容から、教団の歴史認識を見る。各表明はその後の指針として重要な位置づけにあるため、文章量や発表時期の違いは留保した(原文は巻末年表参照)。
 歴史認識に関しては、①国策への言及の有無、②アジアの人々への言及の有無、③日本人への言及の有無、の3点に注目した(表1)。カトリックは、「日本人としての責任」と「教会共同体としての責任」の2つに分けて述べているため、表には教団としての戦争責任表明である後者について記し、「日本人としての責任」を( )内に記した。

表1.各教団の戦争責任表明

教団名(発表年) 国策 アジアの人々 日本人
日本基督教団(1967)
曹洞宗(1992)
カトリック(1995) ○(—) —(○) —(○)
浄土真宗本願寺派(1995)
真宗大谷派(1995)
臨済宗妙心寺派(2001)
浄土宗(2008)

【国策について】いずれも戦争協力した過去を教団の過ちと認識しているが、ほとんどの教団が国策や軍部の圧力について言及している。戦争協力については、当時は仕方がなかったという意見も多いが、自ら進んで協力したという指摘もある[16]。国策の影響は事実かもしれないが、反省の弁にしては責任転嫁や被害者意識がうかがわれる。

【アジアの人々について】アジア諸国の人々に対しては、1995年の村山談話でも「植民地支配と侵略」の被害者として謝罪がなされた。被害者としての認識が広く共有されており、教団の交流相手として意識されているためか、ほとんどの教団が犠牲者として言及している。仏教教団では「懺悔」が多いため謝罪対象が明確ではなく、懺悔以上に踏み込んで謝罪した教団は、曹洞宗日本基督教団のみである。また、教団が直接の加害者として宣撫工作したなどの表明は、曹洞宗のみである。ただし、曹洞宗の歴史認識は後日に揺らいでおり、後述を参照いただきたい。

【日本人について】国策に関して教団は被害者だったかもしれないが、教団は信者や日本人に対しては指導的立場にあり、加害者であったともいえる。信者や日本人などに言及し、加害者としての教団の責任表明がみられるのは、日本基督教団浄土真宗の2派である。浄土真宗2派は「門信徒を指導した過ち」「仏法の名を借りて、青年たちを死地に赴かしめ」など具体的に記している。日本基督教団の表明は、やや抽象的である。
 教団として戦争責任を強く反省している条件を、「国策への言及がないこと」、「アジアの人々への言及があること」、「日本人への言及があること」とすると、3つにあてはまるのが真宗大谷派、2つに当てはまるのが日本基督教団浄土真宗本願寺派、( )内を含めるとカトリックとなる。

【参考】
表明に記された「教団としての過ちや懺悔内容」「謝罪やゆるしを請う対象」、「決意」は以下参照。

 仏教教団では「懺悔」が多いため謝罪対象が明確ではない。カトリックの「教会共同体としての責任」は抽象的でわかりにくく、ある司祭から「何を意味するのか、具体的内容がわかりません」[17]と指摘されているが、日本基督教団と同様に戦争の危機に警告しなかったことと考えられる。カトリックは表では「教会共同体としての責任」について記したが、別途「日本人の責任」として、「アジア・太平洋地域の二千万人を超える人々の死」「アジアの人々に負わされている傷への償い」を挙げ、謝罪対象として強制連行されてきた在日韓国・朝鮮人や元「従軍慰安婦」を列挙している。

参考.各教団の戦争責任表明

教団名(発表年) ●教団としての過ち、懺悔内容 ◇謝罪対象 ★決意
日本基督教団
(1967)
●戦争を支持し、勝利のために祈ることを内外にむかって声明したこと
●「見張り」[18]の使命を疎かにしたこと
◇主なる神、世界とアジア諸国の教会と兄弟姉妹、我が国の同胞
★あやまちをくり返すことなく「見張り」の使命を正しく果たすこと
曹洞宗
(1992)
●海外伝道の過ち・・・アジア地域の人々への人権侵害
●戦争責任への謝罪が遅れたこと
◇アジアの人々
★二度と同じ過ちを犯さない
カトリック
(1995)
●日本がアジア・太平洋地域に兵を進めていこうとするとき、非人間的、非福音的な流れに気づかず、神のみ心によって果たさなければならない預言者的な役割[19]についての適切な認識が欠けていたこと
◇神、戦争で苦しみを受けた人々
★世界平和の実現・・・戦争で踏みにじられた人々の人権回復、世界的な人的ネットワークの輪の拡大、アジア・太平洋地域の人々への援助、地球環境保護、核廃絶活動、差別解消活動、平和教育の促進
浄土真宗本願寺派
(1995)
●戦争への参加を念仏者の本分であると説き、門信徒を指導したこと、
●宗祖の教えに背き、仏法の名において戦争に積極的に協力したこと
◇仏祖
★すべての「いのち」を尊ぶ仏教の精神を身につけ、実践していく、平和への努力を重ねていく
真宗大谷派
(1995)
●大日本帝国の名の下に、アジア諸国の人たちに惨禍をもたらしたこと
●仏法の名を借りて、青年たちを死地に赴かせたこと
★惨事を未然に防止する努力を惜しまない、戦争を許さない平和な国際社会の建設にむけて人々と歩みをともにする
臨済宗妙心寺派
(2001)
●反戦を貫けず戦争協力したこと
★世界平和のために努力する
浄土宗
(2008)
●戦役に助力したこと
●アジア太平洋地域の人々の人権と尊厳を侵し、惨禍と犠牲を強いたこと
★同じ過ちを犯さない、非戦・非核武装を誓い、共生・平和の社会を創るために行動する

▲とじる

 主な教団の1995年時点の一般的な歴史認識は、『産経新聞』による調査への回答[20]にも見られる。「太平洋戦争は侵略戦争」と位置づけたのは、日本基督教団カトリック天台宗浄土真宗本願寺派真宗大谷派曹洞宗日蓮宗である。カトリックは、「欧米帝国主義列強と後発の日本帝国主義の衝突」という側面をも指摘した。これらの教団はまた、「アジア諸国へ明確に謝罪すべき」と答えている。これらの教団は、天台宗と日蓮宗を除けば調査時点で戦争責任を表明していた教団と一致する。なお、浄土宗は個人回答で、高野山真言宗は回答とは異なる文章を寄せたため、教団としての回答は不明である。
 「戦争協力」について現時点でも明確な戦争責任表明をしたか否かが不確かな2教団の回答をみると、天台宗は「戦争協力は宗教者として取るべき立場ではなかった。その意味で深く懺悔しなくてはならない」と答え、日蓮宗は、「宗教教団にとって国策としての戦争政策への対応がどうでなければならなかったのか、今日の時点で断罪することはできるが、当時の現実を振り返りみるとき、言うべき言葉を失う」と慎重だった。天台宗は、この回答からは戦争責任を表明していると言える。日蓮宗は2002年に「1948年に戦争責任を表明した」と説明したが、その事実はこの回答からは伝わらない。

2.過去の清算状況にみる歴史認識

 戦争責任を表明するには教団内部の意思統一が不可欠で、それほど容易ではないのだが、「言うのは簡単」「行動が伴わない」との批判もある。そこで、行動に表れた歴史認識として、過去の清算状況を見ていく。ただし、歴史検証をしていないために問題を把握していない教団もあれば、逆に検証が進んでいるために課題が明確な教団もある。このため、下記で「課題が残っている」とされた教団が一概に「清算が進んでいない」とは言えない点に留意が必要である。主な教団としては高野山真言宗、天台宗、臨済宗妙心寺派については詳細不明だった。不明だった教団については判明次第、追記で補っていく。
 日本基督教団は、戦時体制下に国策によってプロテスタント教派33派が合同してできた教団であるが、合同に否定的な教派は1960年までに離脱した。1944年の復活節に教団統理(教団トップ)の名で発表した、アジアのキリスト教徒に共栄圏樹立のため戦い抜くことを呼びかける「日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰」(以下、書翰)は、1967年に教団総会議長(教団トップ)の名で復活主日の日付に出された「戦責告白」によって打ち消されたとされる[21]。「戦責告白」から17年も経った1986年、教団は1942年の「ホーリネス弾圧」に際して、旧第6部・第9部のホーリネス系の牧師の籍を事実上、剥奪したことを謝罪した[22]
 カトリックでは、信者の神社参拝を「単なる愛国心のしるし」と認める方針転換の根拠となった1936年に布教聖省(現・福音宣教省)が出した指針「祖国に対する信者のつとめ」が残存している。岡田武夫大司教は国家神道を前提にした指針を現代に適用することは「適切ではない」と述べている[23]。だが、閣僚の靖国参拝の問題が続いていることに加えて、参拝を主張する信徒も出ているため、指針の修正を求めるべきとの声があり、2014年に司教たちが検証を始めたところである[24]
 真宗大谷派は、1995年の「不戦決議」で、反戦平和を説いたために非国民とされ、宗門からも見捨てられた人々に許しを乞いた。表明通り、1996年には大逆事件[25]に連座して獄死した高木顕明(けんみょう/1864~1914年)の宗門追放処分を取り消し、2007年には反戦的言動で布教使資格剥奪処分などを受けた竹中彰元(1867~1945年)の処分を取り消すなど、反戦思想の僧侶らの名誉回復を行った。
 浄土真宗本願寺派は、1995年に門主が戦争責任を表明したのを機に「戦後問題検討委員会」を設置し、処理方法を検討してきた。そして2004年に発布した宗令・宗告で、戦時中(1931~1945年)の戦争協力に関する消息や通達を事実上、失効させた[26]。さらに、この宗令との整合性をとるため、2007年には宗派の憲法にあたる「宗制」を改正し、戦争協力を呼びかけた前門主(当時)の「消息」(発言)を無効とした[27]。これをもって、同派は「戦争責任を完全に清算」した[28]
 曹洞宗では、1979年の町田差別発言事件で人権団体から糾弾されたのを機に行った差別体質解消の取り組みの一環が、「曹洞宗の戦後処理」とも呼ばれた[29]。宗門の行事儀礼について記した『行持規範』の改訂作業で、差別表現を見直すとともに明治以後の国家体制のもとで取り入れた天皇制に関わる行事の削除を行い、1988年9月に『昭和修訂曹洞宗行持規範』を刊行した[30]。1993年には、大逆事件の被告として処刑された宗門僧侶・内山愚童(ぐどう/1874~1911年)の僧籍剥奪処分を撤回した[31]
 浄土宗では、1947年に宗派が分裂(1962年に合同)したため戦争協力の検証作業が進まなかったが、2008年3月に作業を本格化すると発表した[32]。同年9月の浄土宗総合学術大会で研究発表も行われた[33]が、検証が終わる前の11月に戦争責任を表明する「平和アピール」を発表し、逆にこれを歴史検証の出発点と位置づけた[34]。今回の調査では検証結果は不明で、戦後処理も不明であった。
 日蓮宗は、戦時中に「宗祖・日蓮聖人の遺文の不敬箇所の削除」「本尊である曼荼羅の不敬箇所を紙で隠す」などを行ったが、それらの指示は撤回されていないようである[35]。また、教義を曲げて「天皇本尊論」を唱えた人々への処置がないとの指摘もある[36]

3.現在の活動にみる歴史認識

 最後に、各教団の直近の歴史認識を現在の状況と活動から確認する。

(1)戦争責任表明後の変化と現状

 各教団の戦争責任表明は現在も活動指針となっているが、早い時期に表明が行われた日本基督教団と曹洞宗については、その後の変化を補足しておく。
 日本基督教団の戦争責任表明(以下、「戦責告白」)は、教団の表明の出発点として評価が高い。アジア諸教会から歓迎され、1968年には韓国3教会[37]と宣教協力協約を締結した。だが教団内部には議論を呼んだ。「教会の責任問題は、福音が保持されていたかどうかだけが基準となるべきで、過ちを犯したとは言えない」など批判も多々あった。賛否で教団が分裂しそうになったため委員会が設置され答申を出したが、答申にも賛否両論が出た[38]。神学者の川端純四郎によると、最終的には「戦責告白」には賛否があってよいとされた[39]
 この対立が出発点となり、1970年の大阪万博への「万博キリスト教館」出展の是非をめぐって、「戦責告白」路線で社会問題との連動を訴える「社会派」と伝道優先を唱える「教会派」とが対立し、20年以上に及ぶ内部抗争が始まった。内部抗争が伝道の停滞を招いたことへの反省もあり、1996年に教会派が主要ポストを独占してからは伝道優先路線が優勢となった[40]。だが、現在も公式サイトで「戦責告白」のバナーは目立つ位置に置かれている。「戦責告白」は、アジアの人々との交流や伝道に有利な側面もある。同教団は1984年に在日大韓基督教会との宣教協約を締結した。2014年8月に教団総会議長と在日大韓基督教会総会長の連名で出した平和メッセージ[41]では、河野談話の検証[42]について韓国で大きな非難が起きていると述べ、「従軍慰安婦」問題に関する日本政府の姿勢に抗議し、被害者女性たちへの謝罪と公的補償を求めた。連名のためもあろうが韓国寄りの歴史認識である。
 ただし、アジアの教会との交流が深いキリスト教教団は、概して親アジア的な歴史認識となるようだ。カトリックも1995年の戦争責任表明で「日本人としての責任」として従軍慰安婦への謝罪を表明し、戦後70年メッセージでは河野談話の検証を意識したように“戦争中の人道に反する罪の歴史を否定しようとする動きが顕著だ”と懸念を表明した。
 曹洞宗の戦争責任表明とされる「懺謝文」は、その内容に感動した韓国の曹渓宗が2011年の東日本大震災を機に曹洞宗との初の公式交流に踏み切ったともいう[43]。だが2012年10月に宗務庁から出された説明を読むと、歴史認識が揺らいだようだ。
 そもそも「懺謝文」が出された発端は、町田差別発言事件[44]を機に宗内の差別問題について人権団体から糾弾され、差別問題の解消に取り組んだことである。差別図書の点検のなかで、宗務庁が監修・発行した『曹洞宗海外開教伝道史』(1980年刊)に民族差別による差別表現や皇民化政策に加担した表現があることがわかり、関係者への回収・破棄通知に合わせて「懺謝文」が出された。いま「懺謝文」と言えばこの文書の代名詞だが、他の差別図書に関しても「懺謝文」が出されている[45]
 2012年9月に宗門僧侶が代表を務める任意団体が韓国・東国寺に「懺謝文」の一部を刻んだ石碑を建立したことが宗門の関与で建立したように誤報され、保守派の人々や右派団体などから抗議が殺到した。すると宗門は石碑の撤去を要請し、公式サイト上での公開を一時中止した。再公開した後の「懺謝文」には、「曹洞宗の『戦争責任表明』とも捉えられるのですが、当初は(略)関係国・被害者に告知する」ことはなく、「差別図書回収の趣旨説明と遺骨問題の取り組みの理念を理解してもらうという限定的な目的のために作成、使用」しており、「一方的に曹洞宗の懺謝を表明するための道具として使用することを想定していません」という説明「懺謝文とは」[46]が付された。
 この対応を高橋哲哉・東京大大学院教授は「曹洞宗が正式にまとめた懺謝文なのに、状況によって撤回を求めるのは歴史認識に確信を持っていないからではないか。(略)宗教者は政治的な動きと一線を画して、毅然として社会に警鐘を鳴らすべき立場。(略)「領土ナショナリズム」のような社会的な空気に気おされて認識が後退していては、国策に抵抗できなかった過去を繰り返すようなものだ」と批判した[47]
 「懺謝文」は現在も公式サイトでは平和活動の理念のように紹介されている。断り書きと一体となった「懺謝文」は、人権団体からの圧力と右派団体の抗議に苦悩した宗門の証でもある。

(2)戦争への動きに反対する声明

 各教団の戦争責任表明では、教団の戦争協力は「国策のため」と弁明されたが、「過ちを繰り返さない」「平和の実現に努める」との決意が見られた。日本基督教団やカトリックは、戦争の危機に警告しなかったことを教会の責任とした。そこで、戦争につながりかねない政府の動きに抗議や反対の意見表明を行っているかを見てみた。これは、村山談話が発表された戦後50年に相次いだ戦争責任表明が当時の政権への追随だったか否かを判断する材料にもなる。戦争に関わる問題として、自衛隊イラク派遣(2003年)、憲法改正(2007年~)、集団的自衛権の行使容認(2014年)の3つを取り上げた。自衛隊イラク派遣については、イラク戦争の忌避やイラク日本人人質事件対応は含まない。憲法改正については、直近の動きを見るため2007年成立の「国民投票法(日本国憲法改正手続に関する法律)」以降の問題に絞った。公式サイトや報道から探ったため、漏れは容赦いただきたい。

表3.反対声明の発表状況

  戦争責任表明 イラク派遣
2003
憲法改正
2007~
集団的自衛権
2014
日本基督教団 1967
カトリック 1995 ●*
天台宗
高野山真言宗
浄土宗 2008
浄土真宗本願寺派 1995
真宗大谷派 1995
臨済宗妙心寺派 2001
曹洞宗 1992
日蓮宗

※△は総合的案件の1つとして表明、○は主題として表明、●は抗議文などを首相宛てに送付
*はカトリックの下部組織である「カトリック正義と平和協議会」が実施

 戦争責任を表明した教団は、概ね各種反対声明を発表しており、表明で示した決意を実行していると言える。特にカトリック浄土真宗本願寺派真宗大谷派は、政府に抗議文を送付しており、戦争責任表明に見られた強い反省を行動に移していると言える。日本基督教団は、毎年8月に教団総会議長と在日大韓基督教会総会長の連名で発表している「平和メッセージ」で時事的な問題を取り上げるなかで表明しており、他教団に比べるとメッセージ性がやや弱い。戦争責任表明以後の教団の変化で、社会性が後退したためだろうか。
 曹洞宗は、自衛隊のイラク派兵[48]や憲法第9条改正[49]については反対表明をしているが、2012年以降に起きた集団的自衛権の行使容認については表明がない。ただし、これだけで歴史認識が変化したと言うのは早計であろう。戦争責任表明が2008年と遅かった浄土宗は、今後が期待されるところである。
 日蓮宗は明確な戦争責任表明をしていないが、集団的自衛権行使容認の閣議決定には、宗務総長名で強い危惧を表明した。すべてに表明を行わない天台宗と高野山真言宗は、政治社会活動に対する考え方が他教団とは異なるのだろう。

(3)平和の実現に向けて

 このように見てくると、濃淡はあれども過去を見つめ、その歴史認識を行動に反映させてきた教団が多いことがわかる。また、これまで見てきたものとは異なる形で、過去の清算活動や平和の実現に向けた活動を行っている教団もある。伝統教団では逐一明記していないが、戦没者追悼法要に併せて平和を祈念しているところがほとんどである。
 真宗大谷派では、2000年から毎年春の法要に併せて、「不戦決議」の精神に則って「非戦・平和展」を真宗大谷派本山東本願寺の参拝接待所にて開催している[50]
 曹洞宗は、「懺謝文」を理念に、戦前・戦中に強制連行されて日本で死亡した中国や朝鮮半島出身者の遺骨返還の取り組みを続けている[51]
 浄土宗は、宗祖・法然の祥月命日である1月25日にちなみ、2003年1月から毎月25日を「世界平和念仏の日」に制定し、正午に「南無阿弥陀仏」の念仏を十回唱えて世界の平和と人類の幸福を願う運動を展開している[52]
 日蓮宗では、1954年に当時の増田日遠管長[53]が、原水爆実験反対、核廃絶を叫ぶ「世界立正平和運動」を提唱し、約6年間は活発に運動を展開した[54]。この運動は現在休眠状態ではあるが、その後も中国人俘虜殉難者遺骨送還、被爆者援護法制定折鶴行脚などの活動を展開し、1959年の墓苑開設以来、毎年8月15日に千鳥ヶ淵戦没者墓苑で追善法要と世界立正平和を祈願する法要を修している[55]
 天台宗は明確な戦争責任表明がないとはいえ、その世界平和に向けての活動は名高い。1987年からは毎年8月に世界の宗教指導者らが宗教・宗派を超えて世界平和を祈る「比叡山宗教サミット(世界宗教者平和の祈りの集い)」を実施、1990年からは毎年3月13日に「比叡の大護摩」で世界平和を祈念している[56]
 弘法大師空海の「済世利人(世を救い人を利する)」の思いから開創された高野山は2015年に開創1200年を迎え、高野山真言宗の総本山金剛峯寺で4月に修された記念大法会の開白では、世界の平和・幸福と山運隆昌が祈念された[57]
 戦後70年、現在の日本を取り巻く状況には厳しいものがあり、いつか来た道を辿っているようにも思われるが、宗教界の活動と祈りが平和の実現に向けて少しでも力となることを願いたい。

 

宗教界の戦争責任表明

日本の宗教界の戦争責任表明 関連する出来事
1945   8.15太平洋戦争終結
10.19ドイツ福音主義教会「シュトゥットガルト罪責告白」*
1947 5.5日本宗教連盟(前身は大日本戦時宗教報告会)などが主催した全日本宗教者平和会議「懺悔の表明」 8.8ドイツ福音主義教会兄弟評議委員会「ダルムシュタット宣言」*
1948   11.12極東国際軍事裁判(東京裁判)判決
1949 1.15『日蓮宗宗報』宗務総監「先ず懺悔せよ」  
1950   6.25朝鮮戦争(~1953.7.27)*
8.10警察予備隊(陸上自衛隊の前身)発足
1951 2.24プロテスタント宗教者有志による「キリスト者平和の会」発起人ら「平和に関する訴え」 9.8サンフランシスコ講和条約調印
宗教者の平和団体が各地に発足するなど平和運動が盛んになる
1954   7.1自衛隊発足
1960   1.19日米安全保障条約調印
1965   3.米軍の北爆(ベトナム戦争1960.12ごろ~1975.4.30)*
 ベトナム反戦・平和運動が盛んになる
6.22日韓基本条約(日韓国交正常化)
9.25日本基督教団総会議長、韓国基督教長老会第50回総会で日本統治下の韓国における日本の罪悪を謝罪
1967 3.26日本基督教団総会議長「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」  
1969   6.自民党が靖国神社国家護持法案を国会に提出(~1974年まで5回、廃案)
1970   『仏教者の戦争責任』市川白弦・花園大学教授
1972   9.29日中基本条約(日中国交正常化)
1975   8.15三木首相が終戦記念日に靖国神社参拝(終戦記念日の首相靖国参拝の端緒)
1979   8.第3回世界宗教者平和会議(於米国)で町田差別発言事件、曹洞宗への人権団体からの批判が強まる
1980   『曹洞宗海外開教伝道史』曹洞宗海外開教伝道史編纂委員会編
1982   6.26歴史教科書問題発覚
1985   5.8西独ワイツゼッカー大統領の独敗戦40周年演説「荒野の40年」*
8.15中曽根首相靖国神社公式参拝
1986 9.21日本カトリック司教協議会会長「第4回アジア司教協議会連盟総会」の説教 11.12日本基督教団、戦時中の「ホーリネス弾圧」の際に第6部・第9部の牧師の籍を事実上剥奪したことを謝罪
1987 4.2真宗大谷派宗務総長「全戦没者追弔法会」挨拶  
1988 8.26日本バプテスト連盟第42回年次総会「戦争責任に関する信仰宣言」  
1989   1.7昭和天皇逝去
1990 4.2真宗大谷派式務部長、「全戦没者追弔法会」表白 8.2湾岸戦争(~1991.2.28)*
11.12即位の礼、11.22大嘗祭
1991 2.27浄土真宗本願寺派宗会「宗門の平和への強い願いを全国、全世界に徹底しようとする決議」 8.28第84次浄土宗日中友好訪中団、南京で平和祈願法要、教団として第二次世界大戦中の日本軍の行為を懺悔
12.26ソ連消滅、東西冷戦終結*
1992 4.2真宗大谷派連枝、「全戦没者追弔法会」表白
8.26日本バプテスト同盟第35回総会「戦争責任に関する悔い改め」
11.20曹洞宗宗務総長「懺謝文」
6.15PKO法
9.自衛隊カンボジアPKO(~1993.9)
11.20曹洞宗、『曹洞宗海外開教伝道史』に差別表現や戦争荷担の表現があるとして回収・廃棄処分を関係者に通知
1993 3.15日本ナザレン教団理事長「第二次大戦下における日本ナザレン教団の責任についての告白」
8.8日本福音ルーテル教会「日本福音ルーテル教会宣教百年信仰宣言 明日の教会むかって」
4.曹洞宗、大逆事件で僧籍剥奪処分を下した内山愚童(1874-1911)の名誉回復
8.4慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話(通称・河野談話)
8.9細川連立内閣発足、55年体制崩壊
1994 2.11浄土宗門主「太平洋戦争戦没者五十回忌浄土宗法要・念仏者による平和誓願のつどい」表白
7.6曹洞宗管長「終戦五十回忌平和祈念法要」おことば
6.3浄土真宗本願寺派の僧侶ら「教団の戦争責任と戦後処理を問う真宗者ネットワーク」、教団に戦争責任の明確化を求める署名運動開始
1995 2.25日本カトリック司教団「平和への決意 戦後五十年にあたって」
4.15浄土真宗本願寺派門主「終戦五十周年全戦没者総追悼法要ご親教」
4.16日本カトリック正義と平和協議会「新しい出発のために -戦後50年にあたって-」
6.10金光教本部教庁『戦争と平和—戦後50年を迎えて』
6.13真宗大谷派宗議会「不戦決議」(6.15同参議会)
8.15立正佼成会「終戦50年 平和への決意」
8.15村山内閣総理大臣談話「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(通称・村山談話)
1996   4.1真宗大谷派、大逆事件に連座で処分された高木顕明(1864-1914)の名誉回復
1997 3.20日本ホーリネス教団第34回総会「日本ホーリネス教団の戦争責任に関する私たちの告白」 9.23日米安保条約の新ガイドライン
1999 4.2真宗大谷派門首、「全戦没者追弔法会」全文口語体の表白 5.28周辺事態法
8.13国家国旗法
2001 9.27臨済宗妙心寺派第100次定期宗議会「宗議会宣言文(非戦と平和の決議文)」 5. 『禅と戦争』ブラィアン・アンドルーヴィクトリア(原書1997年刊)
7. 『戦闘機「臨済号」献納への道 - 「検証」臨済宗の戦争協力』水田全一
9.11米国同時多発テロ*
10.7米国、アフガニスタンへ報復攻撃*
10.29テロ対策特別措置法
2002 10.29天台宗宗務総長「第102回通常宗議会」における執務方針演説  
2003   イラク戦争の危機に宗教界の声明、相次ぐ
3.20イラク戦争(~2011.12.14)*
6.6有事関連三法
7.26イラク復興支援特別措置法
12.15自衛隊イラク派遣(~2009.2)
2004   5.24浄土真宗本願寺派、1931~1945年に戦争に関して発布した消息等を依用しないとする宗令を発布
6.14有事関連七法
6.28自衛隊多国籍軍参加
2005 8.6日本カトリック司教団 戦後60年 平和メッセージ「非暴力による平和への道」  
2006   10.19真宗大谷派、反戦発言で処分された竹中彰元(1867-1945)の名誉回復
2007   5.14国民投票法成立
9.20浄土真宗本願寺派、宗制改正を可決(2008.4.1施行)、戦争協力を求めた消息が失効
2008 11.19浄土宗宗務総長「平和アピール」  
2012   4.27自由民主党、憲法改正草案発表
9.10群山聯合ニュース、「曹洞宗が韓国の寺に植民地支配謝罪の石碑建設」と誤報、曹洞宗に保守派や右派団体の抗議殺到
9.12曹洞宗、「懺謝文」掲載休止
10.16曹洞宗、「懺謝文」再掲載、「懺謝文とは」掲載
2013   12.6特定秘密保護法
2014   6.13改正国民投票法成立
7.1集団的自衛権についての憲法解釈変更
集団的自衛権の解釈変更に対する宗教界の抗議声明、相次ぐ
2015 2.25日本カトリック司教団 戦後70年司教団メッセージ「平和を実現する人は幸い~今こそ武力によらない平和を」
4.28浄土宗「第2次世界大戦終戦70周年戦没者追悼・平和祈念事業 基本理念」
6.9真宗大谷派宗議会「非戦決議2015」(6.10同参議会)
7.16臨済宗妙心寺派宗務総長「戦後七十年に際して」
7.17日本基督教団「戦後70年にあたって平和を求める祈り」
7.27全日本仏教会理事長談話「戦後70年目の年にあたって」
8.3曹洞宗宗務総長談話「アジア・太平洋戦争終戦70年を迎えて」
8.7大本・人類愛善会「第二次世界大戦終結70年平和アピール」

8.10浄土真宗本願寺派総長談話「戦後70年にあたって非戦・平和を願う総長談話」
 
 

※左欄太字は教団の代表的な戦争責任表明とされるもの。
※右欄太字は教団関連の出来事、*は海外の出来事を示す。

●8月24日追記:戦後70年談話等を追加しました

宗教情報センター研究員 藤山みどり


[1]  『毎日新聞』2015年5月20日
[4]  『中外日報』2015年5月29日
[6]  信者数が多い教団とは言えないが、日本聖公会が2015年4月5日に復活日付で「主教会メッセージ“戦後70年”に当たって」を、日本福音同盟が「戦後70年にあたってのJEA声明」を出している。
[7]  1942年6月にホーリネス系教団の唱える救世主再臨の教義が治安維持法第7条にいう国体の否定、皇室の尊厳の冒涜になるとして、第6部・第9部の教師等が一斉検挙された。このため、教団指導層は、弾圧が他の部に及ぶことを恐れて部制廃止を進めていった。1943年4月に、旧第6部・第9部を含むホーリネス系の教会(元日本聖教会派および元きよめ教会派)に対して、文部省は宗教団体法による教会設立認可取り消し処分、内務省は同系の伝道所に対して、治安警察法による結社禁止処分を行った(日本基督教団宣教研究所教団資料編纂室編『日本基督教団史資料集 第2巻』日本基督教団宣教研究所1998年2月)。
[8]  1932年5月、配属将校が上智大学学生を引率して靖国神社参拝をした際に、カトリック信者の学生2名が参拝を拒否したという記事が10月に『報知新聞』などで報じられたことをきっかけに、12月に陸軍省が上智大学からの配属将校の引き揚げを決定。これにより、上智大学卒業生は、軍事教練に伴って幹部候補生となる資格および在営期間の短縮という兵役上の特典を失うこととなった。入学志願者が激減し、中途退学者が続出するという存亡の危機に、文部省に陸軍への取り計らいの嘆願書を提出し、学長・新聞・学生らが神社参拝するなどした結果、ようやく1933年12月に配属将校が再び派遣された。(カトリック中央協議会福音宣教研究室編『歴史から何を学ぶか』新世社1999年3月)、宗教情報センター「憲法改正が宗教界に与える影響――信教の自由と政教分離」も参照ください。
[9]  増田琴・日本基督教団牧師は「この告白はその内容において、発表に至る手続きにおいて、教会の罪責を十分に言い表したものとはなっていない。全教団の総意、教団総会での議決によるものではなく、議長名であること・・・・・・」と記している(『クリスチャン新聞』2006年5月21日)。
[10]  『朝日新聞』1990年4月3日
[11]  曹洞宗宗務庁監修・発行『曹洞宗海外開教伝道史』1980年
[12]  曹洞宗公式サイト「平和」
[13]  『仏教タイムス』2002年8月29日
[14]  『朝日新聞』2001年12月3日では明確に否定し、『朝日新聞』2008年11月20日では「・・・・・・など」としつつも名前が挙がっていない。
[15]  『中外日報』2005年5月3日、このほか石川浩徳「平和への歩みと提言」日蓮宗現代宗教研究所編『現代宗教研究(第41号)』日蓮宗宗務院2007年3月などにも宗門に対する厳しい意見がある。日蓮宗現代宗教研究所の伊藤立教主任も宗門の戦争責任について問い直すことが必要と2005年の教団付置研懇話会などで述べている。
[16]  日本基督教団は、戦時中の海外活動について「自らすすんで国家のアジア政策に奉仕していった」としている(日本基督教団宣教研究所教団資料編纂室編『日本基督教団史資料集 第2巻』日本基督教団宣教研究所1998年2月)。曹洞宗の工藤英勝氏は、曹洞宗が皇道仏教化する兆候の一つとしての宗務当局自ら不敬字句削除例を紹介し、国家からの強制ではなく、宗門が政府の精神を先取りする形で国家主義に傾いていったとしている(『仏教タイムス』2005年2月24日)。
[17]  西山俊彦『カトリック教会の戦争責任』サンパウロ2000年7月
[18]   旧約聖書エゼキエル書33章「見張りの務め」同3節「剣が国に向かって望むのを見ると、角笛を吹き鳴らして民に警告する」
[19]   日本カトリック正義と平和協議会の声明「新しい出発のために-戦後50年にあたって-」には、「侵略に対して『剣が国に向かって臨むのを見ると、角笛を吹き鳴らして民に警告する』見張り役(エゼキエル33,3)と預言者的な使命(同33,7)を受け継ぐこと」という記述がある。新共同訳聖書のエゼキエル書(33,7)「人の子よ、わたしはあなたをイスラエルの家の見張りとした。あなたが、わたしの口から言葉を聞いたなら、私の警告を彼らに伝えねばならない。」
[20]  『産経新聞』1995年8月10日、同8月14日
[21]  日本基督教団宣教研究所教団資料編纂室編『日本基督教団史資料集 第2巻』日本基督教団宣教研究所1998年2月
[22]  『キリスト新聞』1986年11月29日
[23]  岡田武夫「戦前・戦中と戦後のカトリック教会の立場」日本カトリック司教協議会社会司教委員会編『信教の自由と政教分離』2007年3月カトリック中央協議会
[24]  『カトリック新聞』2014年6月29日
[25]  1910年、明治天皇暗殺を計画したとして幸徳秋水ら社会主義者らが大量に検挙され、死刑などに処された事件
[26]  『産経新聞』2004年5月25日
[27]  『毎日新聞』2007年9月13日、同年9月21日、宗制の施行は2008年4月。
[28]  『京都新聞』2007年9月21日
[29]  『仏教タイムス』1988年4月25日
[30]  『仏教タイムス』1988年11月25日
[31]  『毎日新聞』1993年8月12日夕刊
[32]  『京都新聞』2008年3月8日
[33]  『中外日報』2008年9月11日
[34]  『朝日新聞』2008年11月20日
[35] 伊藤立教 基調報告「日蓮宗の教化学を考える-教団の歴史から学ぶ平和と戦争」日蓮宗現代宗教研究所編『現代宗教研究 第40号』日蓮宗宗務院2007年3月
[36] 伊藤立教 基調報告「日蓮宗の教化学を考える-教団の歴史から学ぶ平和と戦争」日蓮宗現代宗教研究所編『現代宗教研究 第40号』日蓮宗宗務院2007年3月、石川浩徳「平和への歩みと提言」日蓮宗現代宗教研究所編『現代宗教研究 第41号』日蓮宗宗務院2008年3月、なお、『日蓮宗宗報』で教団としての戦争責任を表明したとされる西川景文宗務総監は、日蓮宗宗務院主事の高佐管長(日煌)が首導として1938年4月に結成した天皇本尊論を説く「皇道仏教行道会」において、のちに管長となる増田宣輪(日遠)とともに主要メンバー(副首導)だった(三好龍孝「日蓮宗の戦争協力の経過」大阪宗教者9条ネットワーク編『日本における宗教教団の戦争責任』2011年12月)。この皇道仏教行道会については、当時の望月日謙管長が会の発行物に讃辞を寄せるなど、宗門の重鎮もほとんどが好意的だったという。
[37]  大韓イエス長老会、基督教大韓監理会、韓国基督教長老会
[38]  日本基督教団宣教研究所教団資料編纂室編『日本基督教団史資料集 第4巻』日本基督教団宣教研究所1998年11月
[39]  川端純四郎「日本におけるキリスト教」『経済』2002年9月号
[40]  『産経新聞』1997年4月11日夕刊、『クリスチャン新聞』2010年10月7日
[41] 日本基督教団公式サイト「2014年 平和メッセージ」2014年8月1日
[42]  2013年10月16日の『産経新聞』で、河野談話の根拠となった元「慰安婦」の聞き取り調査報告書が杜撰であったことが判明して問題になったため、2014年3月に政府は「河野談話は見直さない」としたが、6月に談話作成過程の検証結果を発表した。その結果、談話作成の過程で、韓国政府の要望を可能な範囲で受け入れたこと、元慰安婦の証言は裏付け調査をしていなかったことなどが明らかになった。
[43]  一戸彰晃・雲祥寺住職の発言による。中外日報』2012年10月20日
[44]  曹洞宗の宗務総長だった町田宗夫・全日本仏教会理事長が、1979年に米国で開催された第三回世界宗教平和会議に日本代表として出席し、部落差別の存在を否定する発言を行い、部落差別に関する記述を会議の報告書から強引に削除させた事件。これを機に部落解放同盟による「確認糾弾会」で差別問題を数多く指摘、糾弾された。このため教団では、1982年に「曹洞宗人権擁護推進本部」を設置し、差別図書の回収などに取り組み始めた。(曹洞宗公式サイト、『全仏』1984年10月号、同1989年4月号)
[45]差別図書『家庭訓』に関する大本山永平寺の丹羽廉芳貫首の「懺謝文」が、1987年8月の「家系図差別事件」第6回糾弾会において、”中間報告書”として部落解放同盟側に提示された。「懺謝文」のなかでは、「私自身も、戦前の旧価値観の中で人間形成が成された世代の一人とは申せ、この過ちに、指摘があるまで気づかずに参りましたことは、仏祖の慈訓に反することでもあり、痛恨の極みとも言えることであります」などと述べられている。「家系図差別事件」とは、広島県の曹洞宗寺院の住職が、1984年10月に檀家の求めに応じて家系図を作成し、被差別部落の近くに住んでいるが部落ではないという含意のある文章を添えたものが縁談に使われていた事件。『文化時報』1987年8月5日。なお、『家庭訓』自主回収時の「懺謝文」は、機関誌『傘松』十一号に住職、関係者に対する「家庭訓回収についてのお願い」として、20頁にわたって発行状況、差別事象についての解説などとともに掲載された。『朝日新聞』1987年12月10日
[46]  曹洞宗公式サイト「懺謝文とは」2012年10月16日
[47]  『中外日報』2012年9月22日
[50]  『京都新聞』2014年4月1日ほか
[52] 浄土宗公式サイト「世界平和念仏の日」
[53]  戦時中に天皇本尊論を説く「皇道仏教行道会」において主要メンバー(副首導)だった。
[54]  石川浩徳「平和への歩みと提言」日蓮宗現代宗教研究所編『現代宗教研究 第41号』日蓮宗宗務院2008年3月
[56] 「比叡山宗教サミット」、『毎日新聞』2014年3月14日
[57]  『中外日報』2015年4月3日
[58]  『文化時報』1991年9月18日