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こころと社会

宗教情報センターの研究活動の成果や副産物の一部を、研究レポートの形で公開します。
不定期に掲載されます。


2015/06/03

現代の聖地巡礼

こころと社会

佐藤壮広(宗教情報センター研究員)

 
 
第1回の現代宗教ペリスコープのテーマは、「聖地巡礼」。宗教文化のみならず、観光やポピュラー文化の中でも聖地巡礼が語られる今日、それらをどのように捉えることができるのか。いくつかの視点を紹介しつつ、現代の聖地巡礼の特徴をみていきます。

◆現代の聖地巡礼

◇現代文化のなかの聖地

「聖地巡礼」と言えば、宗教学や民俗学にふれたことのある人ならば、カトリック・キリスト教のバチカンやアッシジへのいわゆる巡礼や、四国八十八箇所巡りのお遍路を、まず思い浮かべるでしょう。近年では、マンガやアニメ、映画やドラマの舞台となった場所を訪ね歩くことも、「聖地巡礼」と言うようになりました。
 
2004年、日本でも放映された韓国ドラマ「冬のソナタ」の大ヒットによって、ドラマのロケ地をめぐるツアーが人気を集めました。日本国内の例では、人気アニメ「らき☆すた」の舞台となった鷲宮神社(埼玉県久喜市)で、2008年9月の土師祭に「らき☆すた」の神輿まで登場し、担ぎ手としてファンが殺到しました。埼玉県観光課のサイトには、地元の商工会と連携しながら、神社に奉納する絵馬や町内の街灯にもアニメのキャラクターを使うなどの活況の様子が紹介されています(http://www.sainokuni-kanko.jp/?page_id=1123)。

このように、「聖地」は現代文化の中では、個々人が物語やキャラクターに魅せられ、その舞台に身を置いてみたい、その場所の空気を実際に感じてみたいという願望の実現空間として、まず大きな意味を持っています。


◇聖地巡礼への視角

『聖地巡礼 世界遺産からアニメの舞台まで』の中で、宗教学者の岡本亮輔は、現代の聖地巡礼で注目すべきポイントは巡礼者たちの個々の体験の多様性とその質だと述べています。聖地の由来や歴史より、巡礼者たち自身による体験の「意味づけ」が重要だというわけです。ただし、この体験の「意味づけ」も、(1)聖地となっている場の「聖性」とその由来や意味がまず先にあり、続いてそれを感受する主体の体験を重視する立場と、(2)巡礼する主体の歩く・詣でるといった体験がまず先にあり、そのなかで生成する意味を重視する立場に分けることができます。

(1) の聖地の聖性を重視する論者には、たとえば植島啓司(宗教学)や鎌田東二(宗教哲学・神道学)らがいます。植島は『聖地の想像力—なぜ人は聖地をめざすのか』の中で、聖地の不動性を強調しています。確固たる聖なる場所があり、そこを中心として聖なる儀式(祭礼)が営まれ、人はそのためにそこを訪れるというわけです。また鎌田は『究極 日本の聖地』のなかで、聖地を感受する人間に内在する「ソフト」(PCのソフトウェア)を想定し、それを「聖地感覚」と呼び換え、その感覚を深めるのが聖地巡礼の主な機能だと考えています。修験の実践者でもある鎌田は、体験重視の聖地論者ですが、その体験の中心軸は聖地にあります。したがって、(1)の立場に位置づけてよいでしょう。


◇聖地からパワースポットへ
先に述べた「聖地」の意味の広がりのなかで、聖地巡礼に関する本や雑誌の特集記事を目にするようになりました。例えば、現代のスピリチュアルな感性にも造詣の深い作家・田口ランディは、2003年に『聖地巡礼』を出版しています。田口は、天河弁財天、屋久島、富士山、知床、出雲大社などを巡りながら、あくまでも自身の感覚と言葉で各スポットを紹介しています。田口はこの本の中で「聖地に定義はないのだ。私が聖地だと思えばそこは私にとっての聖地である。誰かが決めた場所じゃない私だけの聖地。その方が面白い。」(p.12)と述べています。

雑誌や新聞のルポの中で記者やライターたちは、聖地訪問を報告する際、そこに行けば「元気になる」、「癒される」、「力がもらえる」などと表現しています。記事の多くは、由緒ある場所であるよりも、訪問者の心身が癒され元気になる場所であることを強調します。こうした聖地は2000年代以降、「パワースポット」と呼びかえられ、聖地巡礼は更に一般化していきます。岡本亮輔は、パワースポット・ブームの特徴の一つとして、「祈りの多様性」を指摘しています。例えば、明治神宮の本殿よりも、同宮苑内の湧水である清正井(きよまさのいど)のほうに人が集まり、恋愛成就や厄落としなどを祈願することが人気となったことが挙げられます。岡本によれば、この神社と参拝者との間の食い違いは、パワースポット・ブームによく見られる傾向だとのことです。


◇パワースポット化する聖地の戸惑い
2014年3月13日の毎日新聞・京都版に、「聖地に怒り 「パワースポット」参拝に誤解」という記事が載りました。パワースポットとしてメディアに紹介された宮津市の真名井神社の磐座(いわくら:神が宿る場所)に、短パン・サンダル履きで訪れ、座禅を組んだりする人々が現れ、周りから多数の苦情が寄せられているとのことです。また、2014年10月13日の読売新聞・大阪版は、交野市の磐船神社の岩場で、ひとりで「岩窟めぐり」をしていた女性が転落死したと報じました。磐船神社は、近年のパワースポットブームで、一般人も多数訪問するようになった場所です。神社側は、安全対策を講じるとともに、そこが古くからの修行の場であることを認識して欲しいと注意を促しました。こうした例に見られるように、寺社や霊山などの聖地がパワースポット化することによって、新たな課題も出てきています。


◇宗教の私事化とパワースポット・ブーム
宗教社会学では、伝統的かつ支配的な意味解釈を離れ、個々人がそれぞれの体験にもとづいて宗教体験の意味づけを行なうことを「宗教の私事化」といいます。岡本亮輔は、パワースポット・ブームがこの「宗教の私事化」の好例だと述べています。

もともと、寺社や修験の行場は、檀家信徒や氏子、行者組織などによって支えられ、個々人もそうした共同性の中で自身の宗教体験を共同化させてきました。しかし、そうした場所が不特定多数の人々に開かれることで、聖地での宗教体験の意味が多様化し個人化していきます。これを、宗教世界の断片化とみるか、新たな共同性が生まれるプロセスとみるかで、パワースポット・ブームの評価は分かれます。観光と聖地巡礼との境界が曖昧になるなかで、あらためて聖地巡礼の意味が問われているのが、現在だといえます。

心身にはたらきかける何らかの力が宿っているという観念があるからこそ、ある場所がパワースポットとなることは、以上のお話から理解できると思います。神仏が人間に恵みをもたらしてくれるという信仰を「御利益信仰」と言いますが、パワースポット巡りをする人たちは、心身の安寧や勇気・元気を得ています。宗教学者の堀江宗正は、2014年7月25日付の毎日新聞・大阪版の特集記事のなかで、パワースポット巡りがもたらすこうした心理的な効果を、「心理利益」と表現しています。これは、信仰なき巡礼者たちがそのプロセスのなかで得るものを、的確に述べています。この「心理利益」という視角から現代の聖地巡礼の意味を再考していくことも、大切な作業ですね。

□参考・参照
植島啓司『聖地の想像力 なぜ人は聖地をめざすのか』集英社(新書)2000
*岡本亮輔『聖地巡礼 世界遺産からアニメの舞台まで』中央公論新社(新書)2015
鎌田東二『究極 日本の聖地』中経出版 2014
田口ランディ『聖地巡礼』メディアファクトリー 2003
星野英紀・山中弘・岡本亮輔編『聖地巡礼ツーリズム』弘文堂 2012

*の文献は、書評コーナーでも取りあげています。どうぞ、あわせてご覧ください。

http://www.circam.jp/book/detail/id=5615