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研究員レポート

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こころと社会

宗教情報センターの研究活動の成果や副産物の一部を、研究レポートの形で公開します。
不定期に掲載されます。


2015/04/25

新コーナーのご案内【ペリスコープ(潜望鏡)】

こころと社会

佐藤壮広(宗教情報センター研究員)


今月から、新しいコーナーが始まります。タイトルは「ペリスコープ(潜望鏡)」です。宗教について広く深く見渡そうとすれば、出来事や現象の外側だけでなく、深層はどこにあるかという点を押さえながら見渡していくことが求められます。そしてまた、「宗教」という観点から世の中の様々な動きを捉えると、物ごとはまた違った意味を帯びてきます。

例えば、カラオケで歌うお気に入りの歌。そのなかのラブソングは、単に愛しい思いを歌ったものではなく、居てほしいけれどそれがままならない誰かに向けての呼び掛けです。この誰かを、「不在の他者」という言葉で捉えてみましょう。

この「不在の他者」ということで思い起こされるのは、死者、そして神的存在です。歌の発生には「不在の他者」とのコミュニケーションの希求がある、というわけです。キリスト教の聖歌、仏教の声明、イスラム教のクルアーンの詠唱など、諸宗教にはその大切な表現として必ず音楽や歌が含まれていますね。メッセージの投げかけが、日常の会話とは異なるスタイル(メロディ、リズムを伴った表現)をとり、「歌」になるわけです。

この「不在の他者」とのコミュニケーションが歌の発生につながると考えたのは、民族音楽学者の小泉文夫(元・東京藝術大学教授)でした。東京藝術大学で初めて民族音楽ゼミナールを開いた小泉は、世界中をフィールドワークする中で、その土地で奏でられている音楽の個別性と普遍的特徴を発見していきました。意外だと思うかもしれませんが、恋人、死者、神は、「そばに居てほしい」と願ってもなかなか姿を見せてくれず、会うには困難な存在、つまり「不在の他者」として共通の性質のものです。

宗教儀礼、祭礼の現場では、畏れ多い神的存在に対して、音楽や歌が捧げられます。その表現を通して人間は、「居てほしい」存在に自分たちの思いを届けようとしてきました。居てほしいけれどもそれがままならない愛しい人に思いを込めて捧げるラブソングにも、こうした宗教儀礼と同じような構造が含まれているわけです。世に溢れているたくさんのラブソングを、こうして宗教という視点でとらえてみれば、そのラブソングの熱さはとても尊いものに思えてきますね。

こころや社会の表面から少し潜ったところから現代の宗教現象や精神情況をみることの面白さと大切さが、このコーナーで少しでもお伝えできれば幸いです。

参考
小泉文夫『音楽の根源にあるもの』平凡社ライブラリー 1994
小泉文夫・團伊久磨『日本音楽の再発見』平凡社ライブラリー 2001
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本コーナーではこれから、パワースポット、グローバル化、公共性、スピリチュアルケア、社会貢献、などの現代的なトピックを紹介し、広く宗教について考えるヒントや視点を提供して参ります。今後をどうぞお楽しみに。

次回(5月20日配信予定)は、聖地・パワースポットについて、当コーナー<ペリスコープ(潜望鏡)>からレポートします。