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こころと社会

宗教情報センターの研究活動の成果や副産物の一部を、研究レポートの形で公開します。
不定期に掲載されます。


2010/10/11

誰がために弔鐘は鳴る――現代日本の葬儀考

こころと社会

蔵人

 近年、葬儀や墓のあり方が話題となっている。どうして、葬儀や墓が注目を集めているのか? その背景には、日本において生じている葬儀や墓についての様々な変化がある。

(1)    葬儀の変遷

 まずスタートとして、戦後初期前後の葬儀の当事者たちのかかわりを、ひとつの理念的なモデルとして図示するところからはじめたい。
 

 葬儀とは、菩提寺を同じくする地域共同体の行事として位置づけられる。現在でもこの原則に違わない、地域共同体で協力し合って葬式を行う地域も存在する。しかし、このような、葬儀や墓をめぐる社会構造は、日本の高度成長期に徐々に変化していく。最も重要な背景として、人口の流動が挙げられよう。地方の地域共同体においては、若者を中心とした人口の流出によって葬儀のみならず地域行事、諸儀礼などをになう継承者の不足が生じてきた。一方の、地方からの人口の流入によって人口密度が増加した大都市部では、元来菩提寺との関係も無ければ世帯同士の協力も少ない。男手は通勤するため隣人がどんな人か理解しない。一戸建てを新しく建て替えたりマンションを買ったりすれば、洋風の間取りには仏壇や神棚を置くスペースもない。高度経済成長期において、私たち日本人は、地域のコミュニテイないし人間関係が過去と比べ相対的に希薄な社会に生きることとなる。そしてその過程において、地域共同体にとってかわり葬儀業者が葬儀を請け負うシステムが重要度を増してきたのである。もはや高齢者も葬儀の「しきたり」を知悉しないので、代わって葬祭業者がしきたりを広め伝え、葬儀を経験したものがそれを記憶にとどめるということになる。近代の葬送儀礼について研究する山田慎也(国立歴史民俗博物館)は、業者がシステマティックにネットワークを作り、葬儀の「しきたり」を受け継ぎ、時に想像し、広め、伝えてきたことを、実例を挙げて示す。知識の担い手でもある葬祭業がビジネスとして成立してくる過程である*1 。
 ビジネスとしての形をとれば、利用者はそのコストに関心を持つことになる。高度経済成長期から概ね右肩上がりの経済成長を続けてきた日本においてバブル経済が崩壊したことは、この傾向を強めただろう。その後の日本は景気が低迷し、葬儀費用があらためて検討されることになった。加えて重要であったことは、90年代以降インターネットが徐々に普及し始めたことによる情報化社会の訪れである。インターネットという新たに生まれた特別な空間にあって、これまで公然と議論することが憚られる布施や葬儀費用が、高い匿名性のもと、ビジネスとしての葬祭業におけるコストとして、議論されるようになった*2 。電気製品の価格を比較するように、葬祭業者間の見積もりが照らし合わされた*3 。*4
 それは、法事での僧侶に対する布施、また価格を比較し難い葬儀業者への報酬や寸志といった、不透明な部分が多かった葬儀費用の明確化とみることができる。一方で、宗教界でも、差別戒名や価格ごとの戒名という慣例に対する真摯な問い直しがなされていった。葬祭業者、墓地関連業者、寺院などの権益に対する問い直しも行われていった。多様なライフスタイルや考え方を志向し尊重する傾向が社会で共有されることは、人々の死生観にも変化をもたらした。たとえば、宗教的な葬儀の枠を離れた自然葬・散骨・樹木葬といった選択肢、また儀式をほとんど取り去った直葬というスタイルまできわめて多様である。このことは、逆に考えるならば、従来の葬式仏教中心から葬儀に対する選択の幅とそのような個人の選択に対する社会の許容性が担保されるようになった、ということも出来るであろう。
 日本が超高齢化社会と呼ばれる状態に入り、当面葬儀の数は減ることがない。世代間をまたいで葬儀の伝統や意義を伝えてきた共同体がもはやその機能を果たさない今、葬儀についての問い――葬儀とはなにか、どのようであるべきなのか、どのような選択肢があるのか、いくらかかるのか――といった問いは、ふだんは背景に退いているが、身近な人々の死において突然クローズアップされる。


(2)葬儀やお墓に関わる当事者たち

 現代社会における、葬儀、葬送に関わる様々な方々は、これらの変化をどのように受け止めているのだろうか。具体的には、(ⅰ)葬儀の伝統的担い手であった寺僧について、(ⅱ)葬祭業者について、(ⅲ)葬儀に関わる市民団体について、みてみよう。

(ⅰ)寺僧の取り組み
 かつて葬儀が地域共同体のなかで寺僧中心に行われ、現在でも葬儀や法事の導師という意味では中心人物である。しかし、後述するように、現代の葬儀では葬祭業者が葬儀の大枠を決め、また代替的な葬儀を市民団体が提供し、それらを個人が比較的自由に選ぶケースが増えている。寺檀関係の弱まりは、伝統仏教教団にとって大きな課題となっている。たとえば、浄土宗では、同宗派の浄土宗総合研究所」を通じて、檀信徒の葬祭意識調査を大規模に行い、檀徒の葬儀に対する意識を分析している。また、葬祭についての研究は、寺院一万五千を擁する伝統仏教で最大の宗教集団である曹洞宗も、曹洞宗総合研究センターを通じて現状分析を行い、寺檀関係の今後を、不安視している[『中外日報』「死の儀礼の変貌」2008年10月4日・10月21日掲載]。
 寺院のなかには、葬儀の多様化を模索する動きもある。近年評判になっている樹木葬を創始したのは、岩手県にある臨済宗のお寺、祥雲寺であった。そこでは、超宗派で墓地運営を行うなど、従来の枠組に囚われない葬儀を行っている[『中外日報』「死の儀礼」2009年1月3日]。また、葬儀業者が葬式の仲介をすることが半ば当たり前の時代に、葬祭業者を介さないで葬儀を行っているお寺もある。島根県松江市にある浄土宗東林寺の住職、安井昭雄は「寺請葬儀」と題した文章で葬儀について「葬儀社の人にとっては、これら葬祭接待はすべて商売であり、すべてが葬儀費用に加算されている。それに対して、私の場合は檀家様の身内という気持ちで葬儀のお手伝いをしているのである。全てが奉仕であり、無償である。」[『宗教と現代がわかる本2009』 pp.220-223]と述べ、檀家と菩提寺との強い信頼関係を強調する*5 。これらは一部の例に過ぎず、もっと目立たない、地道な取り組み、たとえば寺族(僧侶の妻)の努力などは、枚挙にいとまがない。
 葬儀の手筈はますます葬儀会社がにない、多様化する葬儀に寺僧の存在意義が曖昧と見られるなかで、信頼ある寺檀関係の構築をふだんの交流から築いていく動きが内部から挙がってきていることを事実として確認しておきたい。

(ⅱ)葬祭業者の展開
 すでに述べたように、高度成長期以降、地域共同体に代わって葬儀を担うようになっていくのが葬祭業者であった。葬祭業者にとって一つの転機となるのは、90年代以降、葬祭業者に対する批判や疑問が、ひろく議論されるようになってきたころに遡る。インターネットなどの言説空間は、ふだん他人と語ることを忌避されるような事柄、あらためて語れない素朴な疑問などを、識者ではない人々のあいだで共有しうるツールを提供した。
 葬儀への不満とは、それは大切な人の死という突発的事態において、数日のうちに一通りの儀式を終えるように求められ、細かく仕様を吟味納得する余裕なく決定しなければならない、そういった葬儀という儀式にとうぜん伴う不満でもある。急につけ込んで商売する悪徳業者の存在は、葬祭業者への不信を生みだしたが、これらに対して、葬祭業者*6 は業界を挙げて取り組んできた。葬儀を正しく執り行う「葬祭ディレクター」という資格認定制度を導入し、依頼者の満足度を高め、葬儀の質を維持・向上させる努力がなされている。
 多様な葬祭業者は、多様な葬儀の選択肢を提案する。葬儀の経済を包括的に特集した号を合本した『週刊ダイヤモンド 臨時増刊号』によると、全国に葬儀業界の会社は約8000あり、各企業が様々な方法で葬儀に関わっている。葬儀で様々な演出を施し、死者を厳粛に弔うスタイルの企業から、近年増加している小規模の葬儀、いわゆる家族葬といったものから直葬というスタイルまで様々だ。仏教伝統による葬儀を行う葬祭業者だけではなく、散骨や樹木葬といった自然葬などの葬儀を執り行う葬祭業者もある。価格設定から葬儀の内容(演出)、あるいは方法に至るまで、非常に幅広い選択肢がある。2009年9月号の『エコノミスト』によると、葬式費用は全国平均で237万円ということであるが、たとえば亡くなった後に、葬式をせず火葬だけをする葬送方法であれば、経費は10万円前後から可能である。また葬祭業者が仲介して派遣されて来た僧侶に経を上げてもらい、安価なお布施で、葬儀を執り行うという方法(いわゆる僧侶派遣)も徐々に認知されてきた。一方で、葬儀という行事が金額をつけられない、お金には替えられない事柄である、という認識がいまなおわれわれ日本人のなかにつよく根付いていることも否定できない。

 (ⅲ)市民団体の活動
 葬儀関係のNPOでは、葬儀に関する知識の紹介や、葬儀にかかる大まかな料金の公開、葬儀関連の事柄に対する相談など、いわば葬祭業者ウォッチャーのような活動をしているところがある。NPOによっては、情報の提供ではなく、半ば葬祭業者のようなところもある。これらは、葬儀における多様化の流れは、市民の側からも生まれているしるしである。こうした市民からの動きとして思い出されるのは、自然葬の一つである散骨を日本で始めて行ったNPO法人「葬送の自由をすすめる会」である。彼らは1991年、相模湾の沖合にてクルーザーから散骨を行ったのだった。散骨や樹木葬などを選択する比率は、火葬・墓地埋葬という流れに比べて、現在もけっして高くないが、今後はどうなっていくだろうか。
 また、ホームレスや身寄りのない人間が亡くなった場合、彼らの葬儀をとりおこなうNPOの取り組みもある。NHKは「無縁社会」と題して、身寄りのない人々が火葬場の職員一人に送られていく姿を描いて、人々に訴えた。急激な景気の悪化で大量に解雇された派遣社員らがホームレス化したことは、われわれの記憶に新しいだろう。「年越し派遣村」ともかかわりの深いNPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」では、「葬送支援・合同墓プロジェクト」を行い、将来的には遺族の引き取りがない遺骨を納骨する計画である。それは、貧困な労働者に対して、せめて死後の不安を少しでも緩和するため、お墓をつくりたい、という思いが始まりであったそうだ[『中外日報』「死の儀礼の変貌」2009年2月17日]。さらに、東京を中心にホームレス支援を行っているNPO法人「ぽたらか」では、ボランティアの延長上として、同NPOが支援してきたホームレスが亡くなったときに、葬儀を行う取り組みをしている[『中外日報』「死の儀礼の変貌」2009年1月24日]。


(3)誰がために弔鐘は鳴る
 
 前節で葬儀に関わる当事者として、寺僧、葬祭業者、そして市民団体を挙げた。しかし、彼らはあくまでも葬儀を執り行なう存在であり、いわば主役である故人と遺族との媒介者なのである。したがって、葬儀という儀礼全体を分析するさいに、やはり故人と遺族についての、彼らの立場に立った省察を加えることは不可欠であろう。『SOGI』編集長、碑文谷氏は葬儀について、以下のように述べている。

“死別によって生じる、こうした悲しみ、嘆き、後悔、自責の念・・・これらを総称して「悲嘆(グリーフ)」と言う。お葬式とは、遺された者による死者への弔いである。”
 (碑文谷創『SOGI』50号 1999 No.2  p.21) *7

 忘れてならないことは、遺族の悲嘆と故人への弔いをたしかめ、いくどでも葬儀の核心に据え直す、私たち当事者の姿勢ではないだろうか。


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※1 伝統的に民俗学が対象としてきた死生観や葬制などの日本の慣習は変化の波に洗われ、新しい様式が次々と現れているため、社会学の研究対象ともなった。自ら樹木葬を推進するNPO役員でもある東洋大学の井上治代は、『墓をめぐる家族論』平凡社 (2000/11)、『墓と家族の変容』岩波書店 (2003/02)などで、現在の葬儀を家族のありかたとあわせて検討している。大きな反響を呼んだ島田裕巳の『葬式は、要らない』 幻冬舎 (2010/1/28)は、新しい主張というよりは、「葬式は無駄なのではないか」という多くの経験者の思いに応え、反論を浴びながらも版を重ねた。
※2  ビジネス系ウェブサイト日経BPのなかのひとつのページとして、「セカンドステージ 冠婚葬祭講座」((http://www.nikkeibp.co.jp/style/secondstage/manabi/ceremony/index.html)がある。
※3  「価格.com」では「葬儀」という項目が設けられ、比較した価格が地域単位で検索できる。
※4  一般紙においても、葬儀を考え直す記事は時々、特にお盆シーズンなどに先立って掲載されてきた。たとえば、「平成「お葬式」入門」『中央公論』2010年5月号や、「葬送と墓の変質」『論座』、2006年11月などはそうした事例であろう。しかし、近年、よりストレートに、葬儀のコストに注目し、同時に「しきたり」についてわかりやすく解説した特集がビジネス誌に現れているのが、注目される。葬儀を執り行うための準備についての知識や段取りの紹介はもちろん、葬儀業者の提示する葬儀の価格帯や、葬儀を行う際にお寺に支払う戒名料やお布施の金額などについて明らかにし、葬儀業者や寺僧に対して批判的な立ち位置を取りつつ、人々により一層いわゆる経済合理的な選択が出来るような知識を紹介している。たとえば、「葬儀・寺・墓・相続」『ダイヤモンド 臨時増刊号』、2010年4月、「お墓のグランプリ タイプ別ベスト60」『週刊現代』、2010年4月、「相続 事業継承&葬儀・墓」『週刊東洋経済』、2010年4月17日号、「彼岸に考える 葬式と墓そして寺」『エコノミスト』、2009年9月、などである。興味深いのは、葬儀という問題が、相続、つまり故人の遺産をどのように扱うか、遺産を巡ってどのような関係を遺族たちが築くかという問題に直結していることである。2010年4月に発売された『ダイヤモンド 臨時増刊号』では、残す遺族へ、自らの葬儀の要望や遺産分与における意向を詳細に示すためのフォーマットが載せられた「エンディングノート」なるものが、附されており、遺言状のフォーマットはもはや文具メーカーコクヨでの定番商品となっている。
※5  宗教専門誌においては、これまで葬儀の主な担い手であった寺院や僧侶の取り組みに焦点を当てつつ、葬儀の宗教的意義を再考する特集を重ねている。葬儀の仏教的意義を強調するだけでなく、人をつなぐ(つなぎ直す)という機能を見据え、取り組む僧侶の姿を積極的に紹介しており、興味深い。たとえば、『寺門興隆』(興山舎):2010年4月号、「葬式仏教の危機・直葬実態」、『大法輪』(大法輪閣):2010年5月号、特集「葬儀・祖先供養の《誤解》を解く」などである。
※6  葬祭業者については、田中大介の論文「葬儀と葬儀社――死ぬこと、はたらくこと」(『人類学で世界をみる』ミネルバ書房 2008)が興味深い。死者を扱う日常にあって葬祭業者の仕事に対する真摯な姿勢が、田中氏自身がパートタイマーとして働きつつ葬祭業者でフィールドワークを行った経験をもとに詳細に記されている。
※7  『SOGI』(表現文化社)は、葬儀を扱った隔月発行の雑誌であり、1991年の創刊から現在に至る。葬儀という事象そのものから社会的意義にまで及ぶ様々な角度から中立的に葬儀を紹介している葬式の専門誌である。


(蔵人)
文献
・『葬儀と墓の現在 民俗の変容』 国立歴史民族博物館編 吉川弘文館(2002/12)
・『自然葬と世界の宗教』 中村生雄、安田睦彦、葬送の自由を進める会[編] 凱風社(2008/04)
・『変わるお葬式、消えるお墓』 小谷みどり 第一生命経済研究所(ライフデザイン研究本部)・主任研究員 岩波書店 (2000/03)
・『宗教と現代がわかる本』(シリーズ) 平凡社
 2007「葬式の変化と墓の革命」 碑文谷創(pp 222-225)
 2008「「千の風になって」の大ヒットと葬儀観の変化」 村上興匡(pp 212-215)
  2009「寺請葬儀」 安井昭雄(pp 220-223)
・『「お墓」の誕生―死者祭祀の民俗誌 』 岩田重則 岩波書店 (2006/11)
・『死の民俗学―日本人の死生観と葬送儀礼』 山折哲雄 岩波書店 (2002/04)
・『葬送の自由と自然葬―うみ・やま・そらへ還る旅』 山折哲雄 凱風社 (2000/03)
・『論座 2006年11月号』 「葬送と墓の変質」 碑文谷創(2006 pp.216-221)

また、本報告で紹介した葬儀に関する情報のいくつかは、宗教情報センターwebサイト上のコンテンツでも確認できる。具体的には、「報道レビュー」や「イベントガイド・レビュー」で葬儀に関連する記事やイベントの紹介、また「レポート」ではペット葬に触れた拙者の報告:「現代のとむらい――ペット葬儀考」も掲載している。参考にしていただければ、幸いである。