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研究員レポート

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こころと社会

宗教情報センターの研究活動の成果や副産物の一部を、研究レポートの形で公開します。
不定期に掲載されます。


2010/09/25

 宗教情報センターでは、専門の研究者の方にエッセイやコラムを寄稿いただき、また研究員がレポートを執筆していますが、今回は趣向を変えて、インタビューです。
「フランスで神学・哲学を探究する」というテーマで、今回は研究者の卵としてパリで奮闘中である山田智正さんに、話を聞かせていただきたいと思います。
 若い方にお聞きするのは、(1)留学を含めた「海外で学ぶ」ことへの誘い、(2)学ぶ側から見た最新情報、(3)研究の最先端にあこがれながら学ぶ 熱気や感性、これら三つに触れたいからです。経験豊かな研究者とはまた違ったみずみずしさに触発されて、他のことを学ばれている方・他の分野で努力されている方にも刺激になればと思います。
 語り手の山田智正さんは、哲学者でありキリスト教徒であるポール・リクール (1913-2005)の思想を研究するために渡仏しました。リクールは二十世紀のフランスを代表する哲学者の一人といえるでしょう。悲しみや苦しみの中に沈むとき、言葉の力にそれらを乗り越える働きがあり、とりわけ、「物語」の形では自己自身の新たな側面を発見させてくれるということが重要だということは、昨今広く知られるように注目されるようになりましたが、たとえば、リクールは物語という形が用いられてきた歴史をたどった研究で広く知られています。彼の仕事は非常に広範囲にわたるので、後ほど山田さんの関心に絞って紹介してもらいましょう。

フランス留学の体験から

こころと社会

山田智正(聞き手:葛西賢太)

 【リクールとの出会い】


――さて、最初の質問ですが、山田さんは現在年齢は28才でしたよね。ご出身大学は上智大の哲学科で、そこで学部と修士を終え渡仏し、その後はパリ・カトリック学院修士課程を経て、現在はパリ・プロテスタント神学院の博士課程に在籍中です。リクールについて研究するためにパリに渡られたのですよね。リクールのどこにどう惹かれて、パリに行こうと思ったのでしょうか。ひとことで言えば?

○山田
 そうですね、まずひとことで言いますと、「生きた言葉とは生きた実存を語るものである」というこの一説に魅了されたのがきっかけです。といいますのも、彼の著作を読み進めるうちに、我々が日常使う言葉の内には簡単には他の言葉に翻訳する事ができない深い文化的、歴史的な背景がある。そのような厚みのある言葉は我々の習慣や生活の中に根ざしており、時にはその言葉によって、自身の今まで気づかなかった日常の風景なり、共感を引き起こさせてくれる。このリクールの一説がきっかけとなって学部の卒業論文のテーマに選ぶ事を決めたわけです。勿論、学部生の時は熱心に彼の著作を読み込んだというのではなく、大学の部活帰りにパラパラと読んでいる状態でした。その中でのもとりわけこの一説が印象に残ったという訳です。

 また、彼の魅力というのは他の隣接領域など膨大な文献を渉猟しつつも、最終的には自身の主張へとつなげていくという方法をとる反面、その膨大な引用を追えば追うほど、リクールの著作を通じて知識は増えるが、彼自身の謂わんとする主張がますます見えにくくなってしまうのです。この何とも言えないアンバランスさも勿論あるのですが、しかしながら更に読みすすめると、彼の言わんとする事は端的に語られる事はないが、様々な引用なり、他の著作の考察を通して迂回しながらも語られていく訳です。そういう彼の著述スタイルなり、主張の見えないアンバランスさについて考えているうちに、パリに行けば、その国の中に身を置いて見ると、違った角度からリクールが読めるのではないかという期待を抱くようになりました。

――なるほど、「その国の中に身を置いて見る」というのは、とても大切な点ですね。同じ食べ物を食べて、一緒に泣き笑いすることによってしかわからないものもある。

【フランスへの留学とは】

――まず、フランスに留学するために必要なことについて、お伺いしたいのです。たとえばアメリカの大学に留学するには、TOFELという試験、また大学院の場合はそれにあわせてGREやGMAT等々の試験を日本で受けなければなりません。ドイツなどはDAADという政府奨学金があったりしますね。フランスの場合はどういうシステムになっていますか。留学のための情報をどこで得られるかということも含めて聞かせてください。


【パリの北、モンマルトルからのパリ市内の景色】
○山田
 はい、フランスの場合ですが、特に私は大学院から入学したので、大学院留学の場合に限らせていただきます。自身の語学レベルを証明するもの、例えば DELF・DALFといった語学試験の証明書、自身の研究計画書、そしてこれまでの成績表なり単位取得表、入学希望する課程を書類で提出し、志望する大学での学科会議にかけてもらうことで、入学年次、課程が決まります。もちろん指導していただく担当教官との事前のコンタクトが求められます。また、語学の成績が一定のレベルに達していないからといって不合格になるようなことはありません。その分、併設の語学学校なり、留学生用の語学の授業にも通常の授業と一緒に出席する事が要求されます。
 
 ここで注意しなければならないのは、入学はできても卒業にはそれなりの年数を要する事です。私の話ですが、パリ・カトリック学院の修士在籍時代には語学のレベルが一定以上足りず、留年ということがありました。フランスの場合は成績が一定以上足りない場合は、留年して次の年に進級するのに十分な成績を取る事で上の学年にあげるというのはよくある話です。

 また留学の為の情報はもっぱら、在日フランス大使館や東京日仏学院の主催する留学セミナーなどで情報収集に努めました。大学教授やフランスにいる研究者の情報は、海外の学会誌や日本の学会、また他大学で行われる読書会に参加し、留学経験者の方から情報を得るようにはしていました。 
 その他には、日本での院生時代に長期の休みを利用して大学付属の語学学校に通う事で、語学のレベルを上げ、住居、入学の為の必要書類の準備を留学の2年前から行っていました。

【語学の勉強は】

――語学の勉強はいろいろ工夫されたと思うのですが、どうやってされましたか?

○山田
 そうですね、先ほど申しました通り、長期の休みにフランスの語学学校に通う事もしていたのですが、それだけでは不十分でした。そのため、フランス語学科、フランス文学科、一般外国語のフランス語の聴講をお願いして出させてもらっておりました。その他には東京日仏学院のフランス語講座に出るなど、なるべく、お金のかからない方法を模索しました。その他には定期的にフランス語でリクール文献を読む読書会を開くなり、フランス語を習っている同じ学科の学部生を集めてはフランス語勉強会を催したりもしました。

――熱心ですね。フランス語につかるだけでなく、リクールをフランス語で考えるという訓練ですね。
習得の工夫、という所でもう一つ。壁にぶつかって、こういう工夫をして突破した、というのがありますか?音読とか?暗唱とか?
○山田
 工夫ということでいいますと、フランスの新聞記事の暗唱などもしましたが、効果的だったのが、フランスのラジオ放送のシャドウイングとディクテーションでしょうか。RF1という放送局がインターネット上にその日の朝のニュースの原稿を載せておりますので、ラジオを聞きながら、それにあわせて聞きとった内容をそのまま同時にフランス語で話していく訳です。影のように沿う、というトレーニングですね。ディクテーションの場合は、今度は聞き取ったフランス語を書き取っていく作業です。その際、短い一段落を時間をかけて語彙を調べ、何回もそらんじてから書き取ると文章理解と書き取りの練習になりました。
【パリ・プロテスタント神学院の校舎】
――哲学の本や論文を読んだりする勉強と、しゃべるフランス語の勉強とはちょっと違うところもあると思うのですが。
 
○山田
 確かにその通りだと思います。日常話すフランス語の勉強と違って、哲学の文章を読むにはそれなりの訓練が必要とされます。日本語でもそうですが、哲学独特の言い回しなり、前提となる哲学史の知識も要求されます。哲学文献を読む際には、一つの言葉にどのような価値なり、意味合いを込めて使っているのかを文脈中から厳密に規定し判断するだけでなく、その言葉が今後どのように著者の文献の中で展開されていくのかを見据え、著者の主張を自分の言葉で置き換え、思考する作業が要求されるからです。ですので、哲学の文献を読むのと、日常の話すフランス語はある程度線引きをして、割り切って学習する事が大事かと思います。どういう事かと言いますと、哲学の文献は読めるようになったが、日常語が聞き取れない、理解できない、もしくはその逆ですね。そうなってもあまり落ち込む必要はないという事ですね。これはパリに行っても常につきまとう事です。今もそうですが(笑)。

 【リクールについて】

――リクールの研究のどんなところに興味を持っているか、最初にも語ってもらいましたが、もう少し詳しく。そのテーマがどのようにおもしろく、どのような意義があるのか。

○山田
 はい、まず最初にリクール研究を志したその端緒について触れました。もう少し詳細にここで述べていきたいのですが、リクール自身の主張と彼の方法論の間とのアンバランスさに惹かれた私は、今現在、彼における哲学と信仰との関わりについて研究しております。
 著述のスタイルが哲学史のみならず他の隣接領域、例えば言語学、歴史学といった分野を渉猟し、その膨大な知識を駆使して論じていく博覧強記のさま。リクールの眼鏡を通して哲学史の地図を埋め、現代の一般諸科学の理論を俯瞰するのに良い導きの糸となり、得たものは大きかったように思います。そのような茫漠とした引用なり参照したものの中から、哲学史において過去の哲学者が言い得なかった事、論じ得なかった事を読み解いて行く、「偉大な読み手」としてのリクールに魅了されるということがまずあります。その一方で、暗闇の中である時は輝き、ある時は消える灯台のように、彼自身の主張が突如として、見えにくくなってしまう事がありますのですが、それが、茫漠たる引用の織物の中で突如として輝きだす事があります。
 それはリクールとは何を主張しているのかが、突如として現れてくるのであり、膨大な引用が、かえって、どこからでもリクール哲学の入り口となることを示しています。その時々の興味や気分によってリクールを読み進めていくと、彼の主張とは別に、異なる哲学領域や一般諸科学同士の間の関連についても教えてもらえる良い機会となることがたびたびありました。そのようなリクール哲学の解釈の多様性に魅せられる中で、彼自身の問いや方法論の中に確固たる信とでも言いましょうか、信仰に裏付けらた学問的な信念のようなものがあるのではないかと考えるようになりました。

【畑になったシャンゼリゼ通り】
 つまりは、何の為に哲学をするのか、誰の為に学問を為していくのか。そこにはリクールの著作を読み、引用を追うだけでは知る事ができない、リクール像があり、それは信仰と学問的な信念に裏打ちされているのではないかと。
 そのような経緯から哲学と信仰という問題を扱う事に決めたのですが、それはフランスに来て2年目の事でした。2年目に今の指導教授と頻繁に面談を取り、質問を持参し、リクールとの思い出話を聞かされているうちに、彼自身の研究に対する真摯な態度と信仰の関係は切っても切れないものだと考えるようになりました。自分の担当教官は大学時代以来、リクールの指導を受け、幼少期よりパリ郊外のプロテスタント教会でリクールを知っている、数少ない生き証人の一人です。もちろんリクールは自身の信仰なり宗教的な思想を直接に哲学の分野に持ち込む事をはしません。哲学と神学という分野を明確に峻別します。
 リクールの学問観なり信仰に対する態度は彼の著作とは別に、遺稿集の中にも言及されています。遺稿集の研究は既存のリクール研究と違い、同時代の哲学者なりリクールの起こした論争を晩年になってフォローしたものですから、彼自身の根幹にあるものが垣間みられるのではないかと思った訳です。
 自分の研究は、既存のリクール研究の捉え直しに寄与する事ではないかと期待しています。このような作業は文献を読む愉しみもあるのですが、何より文献を発掘していく作業のようにも思えますので、何か見つけられるのではないかという期待と、今までのリクールの著作には出てこない言葉なり文献がありますとわくわくするわけです。

 【「世の中の役に立つ」研究】

――それは、思想研究の醍醐味といえますが、リクールの場合は、膨大な知識と引用の海の中で、その豊かさと、リクール自身の思想とを、両方味わえるということですね。
ところで、思想研究というのは、まず専門用語に戸惑う壁を越えなければなりません。よく、子供が、先生に「これが何の意味があるのか」「円周率なんて社会に出ても役立たないじゃないか」といって困らせたりします。医学やナノテクノロジーのように「すぐに」役に立たない学問であっても、意味があるものもあると私は考えていますが、リクールの研究というのは、「世の中の役に立つ」のでしょうか。また、どんな意味があるでしょうか。こう問われたら、どのようにお答えされますか?

○山田
 はい、難しい質問ですね。この質問に関しては控えめな解答をしたいと思います。つまり、すぐには直接的な仕方で「世の中の役に立つ」ものではないと申しておきます。
 というのも、その質問はよく自分もパリに来てから考えてきた問いと重なるのですが、この質問に関して一つ私から質問したいのですが、では学問はすべてすぐに役に立つものであるのでしょうか。「役に立つ」といっても、様々な意味があります。社会的に還元できるもの、功利主義的な観点から利益になるもの、はたまた明日の天気予報や宝くじの予想、株価の値動きのように当て物や早わかりといった類いの意味まで多岐にわたるレベルがあると思います。

 ご質問を私なりに解釈いたしますと、すぐに役立つのかという事が主眼におかれているように思います。勿論、哲学だけでなく、人文科学や自然科学に於ける基礎学問と世間一般の中や企業での利益優先の考え方では「世の中に役立つ」、すなわち、世の中に寄与していく在り方の定義が根本から異なるというのは重々承知してはおります。そうしますと哲学というのは利益なり功利優先の考え方と比較してもすぐには役に立たないものであるということが自明の理であると言えると思います。

 むしろ、敢えて言うなれば、すぐには役に立たないからこそ意味があるのではないかとも言えます。といいますのも利益や効率優先なり、すぐに結果がわかるような早わかり的な学問や回答では次に新しく「役に立つ」ものが出てきたときに簡単に見捨てられてしまうのではないかと考えるからです。そのように簡単に物と同じように消費されるモノは学問といえるのでしょうか。すぐには消費されず、即座に役立つのかという早わかり的な回答を与えてくれないところが哲学の魅力であり、その事態を指して、リクール哲学の研究が「役に立つ」といいうるところのものであると思うのです。
 つまり、哲学という学問はその時代の流行や時代にすぐには消費されず、その都度の文化的、時代的コンテクストの中で絶えず思惟し、吟味され、常に解釈し直されるものであると思っています。そのような絶え間ない解釈の厚みや営みがあるからこそ、学問として続いてきたのであり、哲学に限らず、特に古典と呼ばれる文学作品が残ってきたのだとも言えると思います。例えば仏典や聖書にしてもそうですが、そんなに簡単にわかって、すぐに役立ったら先人たちが信仰を求め、長い年月をかけて導きだした問答や苦行というものは必要とはされなくなってしまうように思うのです。そのような解釈の厚みがなければ、世間一般で言われている「役にたつ」学問は根無し草になってしまうか、もしくは時代的な風潮のみの中に消費される浅薄なものとなってしまう危険もあります。
 そうなると、「役にたつ」研究なり学問は自らのうちに矛盾を抱えていることになります。一方ではすぐに結果をだす、もしくは利潤追求に寄与するものは「役に立つ」ものとして賞賛されるが、次に新しく「役に立つ」ものが出てくれば消費されて役に立たなくなるわけです。そうすると永続的に「役に立つ」ものって何かということになります。こんな事を言い出すと、山田は何が言いたいのか、もしくは意味があることそれ自体が無意味だと言いたいのか、はたまた禅問答でもやってるのかと言われそうですが(笑)。。。

【シャンゼリゼ通りのクリスマスイルミネーション
 勿論、社会的な風潮は利潤追求なり、利益優先の傾向にあることを無視しないわけにはいきません。とりわけ大学院で博士論文を執筆するからにはそれなりの研究成果が求められるのも確かです。ここで言いたかったのは、リクールの研究は何らかの仕方で役に立つであろうが、それには時間がかかるということです。博士論文もそうですが、哲学の研究に限定して言うなれば、すぐに役立つ、または即効性のある結果をだすことはそうそう簡単にはできない。というのも簡単にこれが「役に立つ」・「役に立たない」研究だという二分法の中に分けられないもの、つまり長い時間をかけて思惟し、吟味が必要なものもある。もし簡単に選べたらそれは学問でもなんでもない、単なる流行り、廃りに乗っかった浅学であり、自分自身が社会に消費されるものに堕してしまう可能性もあるという事です。

 この点に関連して、脱線してしまうかもしれないのですが、フランスでの人文科学についての研究状況等について触れてもいいでしょうか。

 日本の人文諸科学もそうですし、フランスでも言える事ですが即座に結果ないしは成果が求められる風潮があるのは言うまでもありません。ただし、日本との違いを雑観として申し上げますと、パリに来て殆どの学会は登録なしに聴講することもできますし、他大学の先生同士で授業を行う事もあります。自分が以前参加していたゼミは月一回の集中講義でしたがベルギー、イタリアから先生を呼んでフランス語で行いました。ゼミにもよるのですがここで発表された内容は書籍になる場合も多いです。国をまたいでのゼミ以外に、エラスムスプログラムというヨーロッパ圏内での給付型奨学金のある交換留学制度などが充実しております。ですので、学部生のうちに留学する事も容易ですし、院生レベルでは他の国の研究者との意見交換も自由にできます。こういった背景があって、相互の大学間での共同研究が後押しされていることは言うまでもありません。
 もちろん、フランスの大学の制度、カリキュラムにもよるところも大きいのではないかとも言えます。どういう事かと言いますと、フランスの大学は日本と違い8割から9割型が国立大学ですし、日本で言うところのサークルやクラブ活動はないところが殆どです。一般教養科目というのは特にはない場合があるので、学生は専門の授業に集中し、他学科にも同時に登録する事ができます。ですので、日本の大学教員のように授業コマ数以外に一般教養の授業準備や学生の生徒獲得のPR活動といった付帯業務があるとたいへんですが、フランスの大学教員はそれが少ない分、研究活動に専念できるということはいえるとおもいます。

【フランスでの生活について】

――「役に立つか?」というのは失礼な問いでもあると思うのですが、ある種の挑発へのお答えを聞かせていただいて、哲学の意義、ということとともに、フランスの人文研究の意義や強みというものをとても感じました。ありがとうございます。
学費はどのくらいかかっていますか?生活費も教えていただけますか。留学を考えている人たちに、イメージを持ってもらいたいので。
学費などはどうされているのですか? 私費? あるいは奨学金など?

○山田
 学費は今の大学院では年間500ユーロほどです。日本円で約5万円前後でしょうか。もちろんこの額はフランスでの社会保険費を含んだ額になっています。生活費は月に約5万から6万ほどで暮らしております。フランスの学生は外国人であっても家賃の3分の1程度、フランス政府から住宅手当が支給されます。そのため今述べた額で全て賄っていくことも可能と言えば可能です。奨学金は今現在はもらってないので、私費での留学です。そのため生活水準は落とさなければなりませんが(笑)。

――年500ユーロ!学費は比較的安いですね。ドイツの大学もそうですが、学問の重要性に対する国家の見識が見えますね。その大学にあって、基準を満たさなければ卒業できないわけだ。しかし、私費ということは、古い言葉ですが、「苦学」されているんだなあ、と思います。アルバイトなり住まいについてももう少し詳しくお聞かせください。

○山田
 勿論、こちらに来てから日本語の家庭教師、画家さんのアトリエバイトなり旅行会社でのアテンドのバイトもしました。学生ですと週20時間まで働く事ができます。日本と違うところはアルバイトであっても年金の加入義務があるんです。その分、給料から差し引かれてしまうのが痛いところです(苦笑)。
 また、住まいはパリの郊外の修道院に間借りをして住んでいます。ちなみにトイレ、シャワー共同です。

――屋根裏部屋、っておっしゃっていたことがありましたね。食事はそうすると自炊ですか?

○山田
 そうですね、キッチンがないので、自分の部屋にカセットコンロをおいて、料理を作っています。得意料理は鶏肉のオレンジ煮とリンゴの赤ワイン煮です。

――料理の名前だけ聞くと、フランス料理らしい雰囲気もあって、苦心されている中にも楽しもうと努力されているのが伝わってきます。
学生としては、楽しみや流行していることなど、ありますでしょうか?
【鶏肉のオレンジ煮】

○山田
 そうですね、最近の流行には疎いので何と答えてよいものか。。。。
 こちらの学生さんは授業の合間、終わったあとによくカフェで議論していたりします。             
 自分の事になりますと、もっぱらパリ市内なり郊外を散歩したり、美術館巡りしたりでしょうか。パリは築100年超の建物も多いですから。その他には郊外の森まで走ったり、地元のスポーツクラブで卓球をしています。中学からずっと続けているものですから。
【雪のオペラ座】

【パリの宗教地図】

――話題を変えて、現代のフランス、特にパリの宗教状況についてお聞きします。よかったら、最新の統計データで、フランスではどんな宗教が何パーセントぐらいの比率で信じられているのか、教えてください。フランスでは、「無宗教」(神の存在を明確に否定する「無神論」とは違う立場)の人たちもけっこういるのですよね。

○山田
 そうですね、最新のデータ等については詳しく調べた事がないものですから、何とも言えませんが、フランスでは約7割がカトリックの信者さんであると言われております。しかしながら、実際に信仰しているのはそのうちの2割にも満たないといわれております。プロテスタント系の割合に関してはフランス全人口の1パーセント程だとも言われております。
 フランスでは葛西さんの述べた通り、「無宗教」を標榜する方も多いです。アルジェリアなどの北アフリカ系移民の第二世代の方の例をとれば、両親の世代までが厳格なムスリムではあるが、自身はそうではないという方も多く見受けられます。
 もちろんイスラム教を信仰しているマグレブ系移民2世の中にはブルカをかぶりもしくは挨拶のビズをしないという厳格なイスラム教徒もいます。

――パリは、アルジェリアなどの旧植民地からの移民が増えていて、ムスリム(イスラーム教徒)もけっこういらっしゃると聞きます。この人たちは特定の地域に住み、どうやって共存しているのですか。

○山田
 そうですね、パリといってもそれは、様々な宗派、人種のるつぼとなっていますので、ユダヤ教徒なりイスラム教徒の多いセーヌ川右岸のマレ地区そのような地区に行けば礼拝所のモスク以外にイスラエル料理、アルジェリア、チュニジア、モロッコなど北アフリカ系移民の多い地区になればアラブ食材屋から、クスクスなりハマムと言ったサウナもあります。またパリ郊外の団地にも北アフリカなり、中央アフリカ系の移民が多く住む団地もあります。

 彼らの中にはフランス人と同じような生活形態をとる者もいますので、一言で語れないほど非常に複雑であると思います。ただ一つ言えるのは現在のフランスにおいては移民の価値観が無視できないものになっているのは事実であり、その多様性がフランスという国を形成しているのも確かであると思います。

【神学校について】

――その神学校を出た人たちは、どんな進路に進み、どんな人生を送っていくのですか?

○山田
 9割型神学校を出た方は牧師さんになります。他にも熱心なクリスチャンの方も聴講しております。牧師さんにもよるのですが、自分の故郷に帰るものもいれば、赴任地として海外を選び教会の活動に従事するなり、大学で教鞭を取るものもいます。残りは自分のように研究目的で来て、研究職志望のものもいます。しかしながら、キリスト教系の学術機関は聖職者養成の意味合いが強いものですから、国立の学術機関が発行する公けの場で通じるディプロム(学位)とは異なって、私立大学独自のディプロムという位置づけになります。そのため、一般的には国立の大学にも登録してダブル・ディグリー制(二つの学位を同時に取れる制度)を設けるところもあります。この制度は主に研究者志望の方がよく利用します。

 【リクール研究の最新テーマ】

 ――やや難しいトピックになりますが、現在、リクールの研究では、どういう動きが 注目されているのでしょうか。

○山田
  今現在は、彼の思想全体の発展的、統合的理解から、現代の哲学史の中にどのように位置づけるのか、同時代の哲学者との比較や影響関係、または他の隣接領域との比較検討へと向かう方向へとシフトしてきています。また今年の12月から、パリのリクール財団・及びリクール文庫が本格的に始動します。その中で今まで公開されなかった資料も出てくるやも知れません。その為、これからもう一度その全体像を解釈し直す流れも出てくる事も予想されます。それ以外には日本以外にもアメリカ、ドイツといった国々では彼に思想の受容の仕方が異なっています。どういう事かというと、日本の場合ですと主に物語論、聖書解釈学、美学といった側面が強調され、それらの分野に力点をおいて受容されてきた経緯があるからです。各国ごとのリクール受容をリクール思想の発展的展開とすることで、その可能性を模索することも可能であると思います。

――なるほど、日本でリクールを訳された久米博先生のお仕事は、まさにその、日本で力点が置かれている分野ですね。
それに対して、山田さんが学ぼう、開拓しようと思っているテーマ、方向は?
 


【セーヌ川に架かる芸術橋からシテ島を臨む】
○山田
 はい、あくまで展望ということも含めてなのですが、彼の哲学と信仰という問題を他のキリスト教徒である哲学者との関連から浮き彫りにしてみたいというのが中心テーマです。彼の著述のスタイルなり、影響を与えた哲学者、同時代人は多いとは思いますが、その中にリクールと同じプロテスタントである哲学者なり同時代人との論争や影響関係といった思想の系譜を論じると同時に、同時代人の中には埋もれていった哲学者もいますので、その辺も明らかにできればとも思います。
 

――「信仰と哲学」ですね。宗教情報センターでも、制度としての宗教だけでなく、個人の信仰に注目しての他者理解ということを大事にしたいと思っていますので、今日のお話は興味深く、また力づけられました。長い時間、お話を聞かせてくださり、ありがとうございました。

聞き手:宗教情報センター 葛西賢太



◆プロフィール
山田智正(やまだともあき) 神奈川県 川崎市出身。1982年生まれ
 関心領域など : 現代フランス哲学、解釈学。主要テーマはポール・リクールに於ける哲学と信仰の問題をフランス現代哲学の中に位置づける事。
 最近は自身の専門以外に近代日本における哲学の受容史をキリスト教と仏教との関わりを通じて模索。
 論文「隠喩と想像力 -ポール・リクール 『生きた隠喩』を巡って-」、『上智哲学誌』、2005年など。