研究員レポート
2026/03/09
古典インドの藁智慧 5本目:動かない樹蔭、動いた枝 その3 |
エッセイ |
入山仰世(Takase Iriyama)
(その2からつづく)真に生きたい。
そのとき仰ぐのがヴェーダ(バラモン教の聖典)であれ釈尊であれ、求め歩む者の思いはつながりそうです。
ヴェーダの伝統に立つ哲人シャンカラも、仏教との係わりを指摘されていました[1] 。
個の真性(ātman)は、求め歩むところに実現する (nitya)[2]。そう唱える直前シャンカラが仰いだ先達のなかに、釈尊のお姿が念われていたとすれば。
シャンカラが世に生を受けたときにはすでに、釈尊の死から一千年を越える時が流れ、さらに一千三百年を経ようとする今もなお、少なからぬひとに師と敬われつづける釈尊、その存在感とは。
今生での最期のご様子[3]に、手掛かりを探してみようと思います。(みつかりますように。)
聖典語(パーリ)によって伝えられるMahāparinibbāna-suttanta(大般涅槃経)[4] は、釈尊が最期をお迎えになった場所について、それはマッラ族の都クシナーラーであったと云います。先んじてもう一つの都、東方のパーヴァーで供せられたキノコ料理が障り体力失うなか、通りがかりの叢林でとうとう、弟子に衣を拡げさせ臥してしまったと。
臨終の床のようで、面に死相は窺えない。そう語る大乗の漢訳『仏説大般泥洹経』[5]につづきを追ってみます。
…・…・
齢八十を数えた釈尊はこのとき、天地草木と一つに。その笑みは陽のごとく十方へ光り放たれ[6] 、いまだ寝む天神鬼人等を誘いはじめます。漸く目覚まされて天上そして地底の果てからサーラ樹下へと急ぐ影。
「最期となるこの供養をどうかお納めください。」献げられる飲食のどれにも、釈尊は受けとる気色を見せない。「逝かないで。」抑えられない嗚咽に打たれつづける地と空を、早暁の気が澄ませてゆく。
そんななかをあのパーヴァーから、同業者らを導き参じた鍛冶工のチュンダ (Cunda)が進み出ます。「どうしても逝かなくてはならないなら、せめて。これを召し上がってあと少し、元気でいらしてください。あなたに棄てられて孤児となる皆が飢え死にしないよう、永遠になくならない食べものを作り置いてからに。[7]」
「ではそうしよう。」
摂れば自身が果てるころになる飲食供養。釈尊はそれをチュンダから受けることにします。「ただそれで私がいなくなったからといって哀しんではいけない。[8] 私が遺す永遠の食は、”いつも楽しく、なにもかもが有り難い”が栄養分だから。[9] 」
師とのお別れも有り難がる。そんな食を置いてゆかれても、消化できない。チュンダが覚悟決められないでいると。こちらも智慧第一のはずの弟子マンジュシュリー(Mañjuśrī 文殊)が、まさかの観念上滑ってのお諭し。「師もまたあらゆる存在に同じ。その本体は”空”っぽで、その身も”常”にあるわけでは”無”いのだから。」
「師のご真体はこれからだっていつも一緒にいてくださいます。わかっていなかったのですか。」
「そのとおり。いいぞ、チュンダ。」煽るかの釈尊。
ただ、これまた老病死晒す師に、いくら褒められたところでと。チュンダも会衆に埋もれ、磨いてきた慧眼をあっけなく情涙に滲ませてゆく。
いよいよと師は笑みを向けると。
やはり頼りのマンジュシュリー。ハッと気づいてチュンダを促します。「時は今・・・」
…・…・
師弟のギリギリのやりとりを、しばらく経文(サンスクリットの原文)に直接、聴いてゆこうと思います。
(その4へつづく)
脚注
- 「動かない樹陰、動いた枝 その1」に引用した詩節より。 ↩
- 前田惠學「宗教改革者シャンカラ」『インド入門Ⅱ ドラヴィダの世界』東京大学出版会, 1994, pp.29-40.↩
- 釈尊の最期については、いくつもの経がその状況を伝え論じている。ここではそのなかから経題が“Mahā-pari-nirvāṇa-sūtra(大いなる・全き・往生・経)"(サンスクリットに表した場合)である二系統の経を取り上げた。そのうちパーリ伝の釈尊は、すでに病んでいたところにチュンダ供する料理が追い討ちをかけ、とうとう死の床へ。大乗の伝はこの事実を読み替えて、”無常”から”常”へ転換させる(常に移り変わるこの世に身を生かしながら、常に仏/己の真体を求め生かされる)。そのための釈尊と己れ両れもの、身体としての存在を超えさせる布施。これを全うする役がチュンダに託されたとする。 ↩
- Mahā Parinibbāna Suttanta, The Dīgha Nikāya, XVI, T. W. Rhys Daivds and J. Estlin Carpenter (eds.), vol. II, Pali Text Society, London, 1903, pp. 72-168.↩
- 『仏説大般泥洹経』, Buddhabhadra(仏陀跋陀羅・覚賢)/ 法顕共訳, 大正新修大蔵経 12,853a-861c. ↩
- 釈尊は少年のころ、樹と一つに独り瞑想してその蔭を明らめ、無常の世を越えはじめている(前回「その2」)。 ↩
- チュンダのこの願いを受けて、大乗「大般涅槃経」は経中そして増広後の経末にも重ねて、余すことなく生類それぞれに道を拓いた旨、釈尊に語らせている。↩
- チュンダによる供養が自身の死の直接原因であることについて、釈尊はそれが後に、チュンダへの自他による責めとならないよう思いやる。その様子はパーリまた大乗両系の伝承が語っているから、チュンダによる布施成就の真意がいかに理解されにくいかが知れる。↩
- 修行者の心持ちと行いについては、その浄さ、正しさを真理実現の前提とするなら、求道の場として出世間が優位となる。しかしここで釈尊はチュンダに、俗世の一心一行を即目的、すなわち真理顕発そのものと為すよう迫っている。
(その4へつづく)
