研究員レポート
2026/03/19
古典インドの藁智慧 8本目: 動かない樹蔭、動いた枝 その6 |
エッセイ |
入山仰世(Takase Iriyama)
(その5からつづく)釈尊を師と仰いだバラモン。アシュヴァゴーシャ (Aśvaghoṣa 紀元後1-2世紀)。
彼が世に出たのは釈尊の死から五〇〇年ほどを経たころでした。遺した作品はサンスクリット詩文学の先駆けとして知られるようになります。
サンスクリットはその元を、祀りごとの場で唱える聖典 (ヴェーダ)語にたどります。自然をはじめ過酷な環境に、人力を超えるはたらきをみて神と畏れ、聞かれた御声。そして遷した言葉そのものが、brahman(梵。わたしたちを取り巻く一切の真性[1] )の力とも信じられるようになります。
このバラモン教の神力がアシュヴァゴーシャに謳わせたのは、釈尊の知行でした。その伝説的な詩行のなかに、釈尊が樹と一つとなった、またある日の場面がみつかります。
ナイランジャナ―川[2] の畔。菩提あかすことになる樹の下に座る前、釈尊は川で沐浴をしています。長く激しい苦行に痩せ衰えたその身が土手に上がろうとすると、
…・…・
स्नातो नैरञ्जनातीरादुत्ततार शनैः कृशः।
भक्त्त्यावनतशाखाग्रैर्दत्तहस्तस्तटद्रुमैः॥
やつれた御方は沐浴を了えるとナイランジャナーの水辺から上がった。よろよろと。
土手に立つ木々は恭しく枝先を 撓ませ手を差し伸べた。
『ブッダの所行』xii, 108.[3]
…・…・
brahmanのはたらき、そう言ってかまわない。
握らせたその手指は骨と皮だけ。いったい枝は自身と見分けがついたのかどうか。
一切の現象(ものごと、生きもの。その真性はbrahman。)に気息 (ātman)を合わせる。真に他とともに生かされたい、と励んで止まない (nitya)古来、現在そして未来の求道に恭礼。
(やっと完)
脚注
- 「その2」(註4)をご参照ください。↩
- 原語(サンスクリット)Nairañjanāの発音をそのまま漢字に写したのが“尼連禅”河。↩
- Buddhacarita.(底本:Aśvaghoṣa, Buddhacarita: or Acts of the Buddha, E. H. Johnston (ed. & tr.), 1984.)↩
