研究員レポート
2026/04/30
古典インドの藁智慧 9本目:無憂 ~見せる親心、見えない親心~ その1 |
エッセイ |
入山仰世(Takase Iriyama)
縄ばりを拡げてすべて自分のものにしたい。そこにいる人もすべて自分に服従させたい。そうなれば吾れにはいかなる憂いも無くなろう。
大国の主から身近な小集団の長にいたるまで、そんな気概にあふれる人をときどき見かける。
実際にその支配欲を満たした為政者がいる。昔むかしのインド、マガダ (Magadha) 国マウリヤ (Maurya) 朝に出た専制君主、無憂(Aśoka 紀元前268-前232年頃在位)である。
当時の北インドといえば土着と、千年以上を遡る頃より侵入しはじめた諸族とが、混ざり合いまた争いつづけた末にようやく、大きくまとまろうとしていた。まとまる。つまり戦闘による全世界支配である。
このうちアーリヤ(ārya "敬うに足る")と自尊してはばからないのは新参の側。右文尚武を分けて、祭を智と重んずるのがバラモン(祭僧階級)ならと。クシャトリヤ(武士階級)の祭は戦、その理想は戦死と勢いづかせ、新天地を占めていった。
आहवेषु च ये शूराः स्वाम्यर्थे त्यतजीविताः ।
भर्तृभक्ताः कृतज्ञाश्च ते नराः स्वर्गगिमनः ॥
यत्र यत्र हतः शूरः शत्रुभिः परिवेष्टितः ।
अक्षयाँल्लभते लोकान्यदि क्लैभ्यं न गच्छति ॥
そして戦場にあって主君のために命を棄て
忠誠を尽くし恩を知る者たちは、天界へ赴く。
どこであれ敵たちに取り囲まれて殺された勇士は
不衰の境を手に入れる。臆病者になりさがらなければ。
(『ためになる教え』3.148,149)[1])
戦場こそはわが祀りの場、と戦火に我が身を焼べ、光り昇る戦士たち。待ちうけるのは、(やはりマストはこれでしょうか)負けずと目映い天女との遊戯。そして享楽には引き換えが求められる。
文字通り自他に必死と積み上げた徳も夢と尽きるころ、なつかしい煤けた己が風貌に、呆れるまもなくどこか下の界へと落ちてゆく。
二度と死に落ちない境界を手に入れる勇士もいるという。ただ先の詩節をよく見ると、昇天の勇士は複数形(śūrāḥ)、不死のそれには単数形(śūraḥ)をとらせている。一人とは、天下人をいうのか。
しかし数えきれぬ戦死者を出して天下を取ると、憂いに沈み込んでゆく英雄たちもいる。そんな姿を描くのは、編纂初期がアショーカの治世に重なる大叙事詩、『マハーバーラタ (Mahābhārata)』[2]である。
帝王アショーカはそこになにを重ね見ていたのだろう。無憂の境に浸っていなかったのか。
(その2へつづく)
脚注
- 底本:Hitopadeśa of Nārāyaṇa, M. Kale (ed.), Delhi,1989 (rep. of 6th ed. 1967,)
- Mahābhārata. 紀元前4世紀頃から五〇〇年以上をかけてまとめられたか。聖仙ヴィヤーサ (Vyāsa)に帰せられる全十八巻の約九万余詩節(補遺を併せる)から成る。サンスクリット原典からの邦訳(~第七巻)には、上村勝彦『マハーバーラタ』(ちくま学芸文庫)があり、最近 (2025.11~)法藏館より順次復刻されている。↩
