研究員レポート
2025/12/21
インド古典を専門とする入山仰世 (淳子 慶應義塾大学非常勤講師) のコーナーです。お楽しみください。
古典インドの藁智慧 3本目:動かない樹蔭、動いた枝 その1 |
エッセイ |
入山仰世(Takase Iriyama)
この夏は暑い日がつづいていました。通りを歩いて樹や建物を過ぎるとき、このまま蔭もいっしょに歩いてくれたらと。切実に願いながら、そこだけ歩幅を狭めて、すぐ炎天下へ。
動かない蔭、炎天といって思い浮かぶのは、遡ること二千五百年。ヒマーラヤの山裾に栄えた小国のことです。
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真に生きる、とは。答えを探して城を出たシャーキャ(釈迦)族の太子は、師を求め、苦行者に混じり六年を過ごします。“心や体のいずれかに偏る修行は、窮めたところで求める答えへ導かない。”そう悟ったときに思い起こされたのは、少年のころ父王と参じた種まき祭の日。
“あのとき父は鍬入れの儀へ向かい、独りのこった吾はジャンブ樹の下に座ると、目を閉じて心の奥底へ。どのくらい、時が過ぎたか ……
陽は空を進み樹々は蔭を遠くへ伸ばしてゆく。ジャンブが根元に落とした蔭はしかし、円いまま、動かない。そこに戻ってきた父は目の当たり、樹蔭に庇われ光放つ吾が子を見るや、伏して礼拝したという。“[1]
“樹と吾はひとつだった。あの瞑想が答えへ導いてくれる。“
かつての太子は今、一本のアシュワッタ樹を択んで坐ります。
kāmaṃ taco ca nahāru ca aṭṭhi ca avasussatu, upasussatu sarīre maṃsalohitaṃ,
na tv-eva sammāsambodhiṃ appatvā imaṃ pallaṃkaṃ bhindissāmīti"
「かまわぬ、皮や筋、骨が乾涸らびようと、からだ中の血肉が干上がろうと。
正覚を取らぬうちに、吾がこの組んだ足を解くことは決してない。」
(『因縁物語』より)[2]
瞑った目に見えてきたのは、 大きな御蔭の下にある自分。明いた心なのか光なのか。あの日よりもっと、遙かに拡がってゆく。
しばらくすると、起ち上がった人の蔭がひとつ、樹から分かれて歩き出します。
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こうした樹下禅定の姿に重なるわけもなく。よい思いつきが天から降ってきますようにと机の前でじっと瞑想、迷走中のわたし(筆者)に現れたのは、インド哲学史上、最勝と今なお仰がれる哲人のことばでした。“すこし歩くといい。”
आत्मलाभात्परो नान्यो लाभः कश्चन विद्यते ।
यदर्था वेदाश्च स्मार्ताश्चापि तु याः क्रियाः॥४॥
個(“わたし”)の真性(ātman)に気づく。これに勝る気づきなど他になにもない。
聖仙が受けた霊示も著した言葉も、神を祀る行いもこれを求めている。(4)
आत्मार्थोऽपि हि यो लाभः सुखायेष्टो विपर्ययः ।
आत्मलाभः परः प्रोक्तो नित्यत्वाद्ब्रह्मवेदिभि ॥५॥
ただ個の真性を求めようとも、善き果を期待する気づきなら見当ちがい。
「個の真性に気づけるのは究極。」そう宣するのは、個をとりまく一切の真性(brahman)を覚る者たちである。(個の真性は)求め歩むところに実現する(nitya)ものだから。(5)
(『千(詩節)から成る教え』詩節篇17より)[2])
喝破したのはシャンカラ (Śaṅkara)、8世紀ごろ南インドに生まれ宿命か、三十代で夭逝した鬼才のバラモンです。シャンカラは身体をもっての個の真性と、とりまく一切の真性のどちらもを、ātmanともしています。
(釈尊、シャンカラ。大風呂敷を広げたままここで逃亡です。その2へつづく)
脚注
- Nidānakathā . 仏(Buddha “目覚めた者“)の伝記文学。パーリ語によるジャータカ(民話を取り込み釈尊の前生譚として仕立てた547話)の前書き部分として伝わる。紀元後5世紀のBuddhaghosaによる注釈ともいわれるが不詳。過去仏との出会いにはじまり、今生に成仏して布教、僧苑の寄進を受けるまでを謳う。幾生にもわたる釈尊の確固不抜の信行描写からは、語り手聞き手が抱いていたであろう、仏(釈尊)の出生と、めぐり会えた有難さが伝わってくる。ひとは仏に見(まみ)えたとき、心身の奥底から懐かしい喜びが湧き上がるというから、奇縁が因を求めて過去世を遡らせたのだろうか。 底本:The Jātaka, Vol.1, Pali Text Society, 1877, p.57.)
- The Jātaka, Vol.1, 前註1, p.71.
- Upadeśasāhasrī. 前田專學先生の『ウパデーシャ・サーハスリー ―真実の自己の探求―』(岩波文庫, 1988)は全訳に解説をともなう必携の書。(底本:Swāmi Jagadānanda, Upadeśasāhasrī of Śrī Śaṅkarāchāya - A Thousand Teachings, Madras, 1949.)↩
