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エッセイを掲載します。更新は不定期です。


2025/11/19

インド古典を専門とする入山仰世 (淳子 慶應義塾大学非常勤講師) のコーナーです。お楽しみください。
 

古典インドの藁智慧 2本目:今さら役に立ちそうもない和平策

エッセイ

入山仰世(Takase Iriyama)

  世界各地で大きな戦争がつぎつぎと起きている。終わらせるには。あらたにも始めないでいられたら。
  今回もインド古典の中から、つかめそうな藁を探すことに。
 

कोषक्षयो न निद्रा च विलासेषु च स्पृहा ।
विग्रहासक्तचित्तानां न रतिः क्वापि जायते ॥१२८॥
戦闘に熱狂する心は、国庫を喪失させ、眠るいとまなく、
娯楽で気を晴らすどころか、愛欲に溺れる隙もない。 128

सामसिद्घानि कार्याणि विकृतिं यान्ति न क्व चित् ।
सज्जनानां मनांसीव भवन्ति प्रमुदे सदा ॥१३०॥
心和(なご)ませて成し得た行いは、悪いようにはなってゆかない。いかなる場合も。
あたかもよき人の心もちがいつでも、大きな歓喜という果を結ぶように。 130

शत्रोरुच्छेदनार्थाय न साम्नोऽस्त्यन्यदौषधम् ।
हेमन्ते हिमपातेन पद्मिनी किं न दह्यते ॥१३३॥
敵を根絶するには、心和ませる外(ほか)に効く薬はない。
冬に雪が降ったなら、群れなす蓮[1]はどうして萎(な)えないだろうか。 133

(『五巻の書』[2] 第三巻より)


  和ませるべき心とは。
  他ではない己れの心がしずまったとき、対峙(たいじ)していたはずの敵は消えている。
  “雪の降りたるは言ふべきにもあらず” [3]。その美しさを朝に限らせたくない。


 

脚注

  1. 蓮 (padma パドゥマ)は夏に花を咲かせる。冬は寒さに耐えられず、葉や茎を枯らす。ただ人目に隠れて地中の根は残り、暖かくなるとふたたび芽を出す。やはり。
     
  2. Pañcatantra (パンチャタントラ). サンスクリット説話集。本引用箇所は小本 (900-1100年頃)のボンベイ版から。本コーナー第1話「だれも窮められない資産」の註1に内容を紹介しています。
     
  3. 『枕草子』。“春はあけぼの”で知られる第一段より。“冬はつとめて”に始まる一節。季節の情景のなかで心打たれるのは、春なら東の空紅らむ夜明け待ち。明けては冬。とくには朝光雪片雑り、いまだ踏まれぬ円かな面(おもて)の煌き。