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宗教情報センターの研究員の研究活動の成果や副産物の一部を、研究レポートの形で公開します。
不定期に掲載されます。


2012/07/11

『NHKスペシャル/未解決事件file.02 オウム真理教』を検証する

宗教情報

藤山みどり(宗教情報センター研究員)

    オウム真理教に関する事件で特別手配され、17年間も逃亡を続けていた菊地直子容疑者が、続いて高橋克也容疑者が6月に逮捕されたことで、オウム真理教への関心が高まっている。特に5月26、27日に2夜連続で放映された『NHKスペシャル/未解決事件 file.02 オウム真理教』(3部構成)は反響を呼んだ。第1・2部「オウム真理教 17年目の真実」は再現ドラマにドキュメンタリーを織り交ぜてオウム真理教の暴走理由を追及し、第3部「オウムVS警察 知られざる攻防」では警察がオウム真理教の暴走を阻止できなかった要因を探った。死刑判決を受けた元幹部からの手紙と裁判記録の分析、初めて取材に応じた元古参幹部による100時間超の証言、独自入手した700本の極秘テープの解析、150人を超える捜査関係者への取材と、NHKならではの潤沢な予算で制作された番組だった。 
 『東京新聞』に寄せられた視聴者の反応は、「(再現ドラマで登場したNHK取材記者の考えと)自らの考えと比較することができました」「ドキュメント部分では初めて知る事実が多くありました」など概ね好意的だった(※1)。しかし、事件に詳しい識者からは、厳しい意見が目立った。ここでは、第1・2部への評価を見ながら番組を検証し、オウム真理教事件を考えたい。

◆◇◆制作姿勢には一定の評価◆◇◆

 はじめに第1部と第2部の内容を簡潔にまとめておこう。

  • 麻原彰晃こと松本智津夫(死刑囚)が始めたヨガ教室から発展したオウム真理教は、1980年代後半から1990年代にかけてバブル期の高揚観や終末思想が漂う社会に違和感を抱く普通の若者たちを惹き付けた。
  • オウム真理教が暴走するきっかけは、1988年9月、修行中の信者が死亡した事件。宗教法人の申請中だったため隠蔽を図った。
  • 1989年2月、この事件を知っている信者が脱会しようとしたため、麻原の指示で側近らが殺害を実施。このころから「悪人がこれ以上悪業(カルマ)を積まないために殺すことは善行」「救済のためならば人を殺してもよい」と説くようになる。
  • 1990年2月、衆院選で惨敗。この後、急速に凶悪化し、武装化を始める。
  • オウム真理教を設立して間もない1988年1月、麻原は側近にすでに武装化を迫っており、衆院選惨敗後に武装化が始まったという定説は誤り。
  • 麻原は、支配者として君臨することを目指して宗教家の道を選んだ。
  • 麻原は、弟子たちに答えを出させ、回答の責任を持たせる「クラスルームインタラクション」の手法をとっていた。この手法で麻原は自分を絶対化し、弟子たちを自ら選んだ殺人へと追い込んだ。
  • 麻原が説いた「ヴァジラヤーナ」の教えは本来の教えとは異なるもので、自分たちが殺人を正当化する教えしてすり替えていた。
  • 麻原は6年前に死刑が確定したが、事件の背景を裁判でも語らず、現在は会話も不能で、全容は解明できないままである。
    ※番組を見逃した方は、テレビレビューを参照いただきたい。


 『しんぶん赤旗』元社会部記者でジャーナリストの柿田睦夫は、再現ドラマという制約のためか「オウム問題を『未解決』と位置づけて迫力ある映像を作るという意欲は十分に伝わったけれど、事件の全体像がよく見えない」うえに、「放映されたテープは、すでに公知の内容だった」と手厳しい(※2)。カルトからの脱会カウンセリングも行う滝本太郎弁護士はブログに問題点を列挙したが、評価すべき点として「1990年選挙敗北までの変化は突然ではなく、もともと教祖が描いていたことだったことの説明があり良かった」「オウム真理教事件と実態を知らない人には、3か月(著者注:原文ママ)の独房修行とか、ニューナルコのこと(略)も描かれていて、よかった」「普通のどちらかといえば真面目な人が入っていったんだ、ということは分かりやすかったかも」なども並べた(※3)。
 評論家・宮崎哲哉は「なかなか見応えがあった」と賞讃する。そして「教義が直接テロの引き金になったことを必ずしも意味しない」が、当初は文字通り「虫をも殺さぬ」信徒たちに無差別殺戮を実行させたのは宗教的なドグマであるという考えに基づき、オウム真理教の暴走原因を探るのに欠かせない教義分析を意識して事件に切り込んだ取材班の姿勢を評価した(※4)。オウム真理教事件を追及してきたジャーナリストの藤田庄市も「批判は多々ある」が、「NHKスペシャルは、マスメディアでは事件から17年目にしておそらく初めて、麻原彰晃と信者の内在的論理を明らかにしようとする姿勢を示した番組だった」(※5)と意義を認めた。
 
◆◇◆暴走の原動力となった「宗教」に迫れただろうか◆◇◆
 
 だが、藤田庄市は「結論から言えば、核心である麻原(彰晃)とヴァジラヤーナ部隊信者の信仰・修行の内実と、それによる救済殺人への『情熱』を白日の下に曝すことはできなかった」(※5)と斬り捨てた。例として、1989年2月の信者殺害事件を挙げている。事件の前提に、“麻原には人々のカルマを背負い、高い世界へ転生させる(=ポア)力がある”という信仰がある。信者が遺体損壊事件を明るみに出すと教団の救済事業を止めるという悪業を犯すことになる。そこで、「悪業を積ませないために麻原にポアしてもらう好機だ」という宗教的確信から、信者殺害が即行された。単なる口封じではない。だが「この救済殺人の中核思想を描き切れていなかったのではないか」と問いている。番組では、殺害後の新実智光(死刑囚)が動揺し、それを解消させるために麻原が「ヴァジラヤーナの詞章」を毎日、唱えさせたことが描かれていた。だが、動揺の背景である新実が信者の首の骨を折って殺害したことと、そこまで動揺した新実が朗唱の成果で坂本弁護士一家殺人事件のときには「全くためらいがなかった」と言い切るまでに変容していたことが省略されていたことも糾問している。
 教団外の人間を初めて殺害した坂本弁護士一家殺害事件は「救済殺人の社会的展開への第一歩」と位置付けられるが、これがほとんど描かれなかったことも残念だったという。
 藤田は、「オウム真理教事件の宗教的核心を日本社会は無視した。NHK番組の不徹底さもそこに遠因がある。それは宗教界も同様だったといえよう」と述べ、「主体的日常的な信心決定の問い返しをする必要があるだろう」と宗教者に課題を投げかける。
 
◆◇◆教義分析は暴走要因を明らかにできたのか◆◇◆
 
 では、教義分析はどうだったのだろうか。番組内では、説法テープの教義分析は、カルトに詳しい北海道大学の櫻井義秀教授(宗教社会学)に委ねられた。宮崎哲哉は、この麻原彰晃が殺人を忌避する価値観の箍(たが)を外していった要因分析について、「(略)学問的手法の限界なのか、分析に鋭さがみられない。とくに宗教社会学的レヴェルが低く、例えば仏教の教義を『救済のためならば人を殺してもよい』という殺人肯定論に摩り替えたなどという。この解説近代的良識の罠に陥っている。仏教にはそういう教えが厳存する」(※4)と辛辣だ。
 例として挙げるのが、麻原の説法の一節、「数百人の貿易商の殺害を阻止するため、前世のブッダが、商人になりすました盗賊を船上で殺した」。この挿話は経典(部派文献の『根本有部律・薬事』や大乗経典の『大乗方便経』など)に基づくと指摘し、こうした記述を受けてダライ・ラマ14世が「599人が殺されることを防げるなら、その命を救うため、599人を殺す者が積む悪しきカルマを避けるため、1人を殺すことが絶対に悪だとは言い切れない」と述べていることも典拠(『ダライ・ラマ「死の謎」を説く』角川ソフィア文庫)を挙げて紹介している。
 オウム真理教については、NHK出身の池上彰が週刊誌に「仏典の勝手な曲解が悲劇に」との小見出しで、「邪悪な人間は悪行(※著者注:原文ママ)を積み重ね、来世で地獄に落ちることになるから、悪行を積み重ねる前に、あの世に送ってやろう。それがその人のためになる」という「ポア」の理屈を考え出し、信者たちにポアの名の下に殺人を命じたと書いている(※6)。小見出しは編集者が付けたのだろうが、オウム真理教の教義を「勝手な曲解」と封じ込めるのは、番組の教義分析と通じるものがある。
 宮崎は、社会よりも広い存在である宗教には「社会を成り立たせている法や倫理や道徳を超え出た教説が不可避的に含まれる」ので、「宗教を近代的良識に合わせて切り詰め、『超え出た』部分を闇に葬ってしまったとき」に、闇のなかで「真実の教え」を僭称する狂信、オウムのような存在が台頭するのだろうと結論している(※4)。
 だが過去には、宗教が社会(国家権力)に擦り寄ったときに、倫理や道徳を超えた教説が唱えられた例がある。森達也は、「オウム真理教の一連の事件は『弟子の暴走』で麻原は首謀者ではないと論じた」(※7)とオウム真理教問題に取り組んできた弁護士らから抗議を受けたノンフィクション『A3』 (※8)のなかで、浄土真宗本願寺派の第2次世界大戦時の布告を提示し、オウム真理教におけるポアの思想と重複することを指摘している。
 罪悪人を膺懲(ようちょう)し、救済せんがためには、殺生 も亦(また)、時にその方法として採用せらるべき(『仏教と戦争』昭和12年8月、本願寺計画課発行)
 社会に受容されている教団であっても問題を孕んでいることは櫻井教授も認識している。「近年、正統な宗教組織であっても『カルト』的性格を帯びる可能性が指摘されている」(※9)。また、著書(※9)では「教祖や指導者に従うことを倫理的価値とする教説はほとんどの宗教に認められる」とし、オウム真理教では教説を信じた者がやみくもに暴力をふるったわけではなく、麻原によって暴力の対象とその発現の仕方が完璧にコントロールされていたことに着目し、「世界観や教説が直接的に暴力を生み出すという議論は、それほど妥当なものではない」と宗教と暴力の関係性を探ることについての宗教学的な推論の限界にも言及している。番組がおそらく櫻井の発言のごく一部を編集して紹介し、「教説をすり替えた」とナレーションを加えたのは残念だ。
 
◆◇◆宗教の捉え方は◆◇◆
 
 宗教に詳しい識者たちは、オウム真理教が暴走した宗教的背景を描き切れていなかったと指弾する。元オウム真理教幹部でAleph(アレフ=オウム真理教の後継団体)元代表の野田成人は「信仰が怖いのは、どこかツボにはまると鬼のように突き進んでいきますから」(※10)と語っているが、宗教のもつ推進力は信仰者にしか理解できないかもしれない。万が一、番組が宗教に詳しい識者たちを納得させるだけの背景を描き切れていたならば、信仰者が少ない日本では逆に、大多数の視聴者への説得力に欠けた内容となったのではないか。
 宗教がもつ力や「近代的良識を超え出た」教義については、宗教者が語れば的を射た解説ができたのではないだろうかと思う人もいるかもしれない。だが、現実には期待薄だ。事件後、『産経新聞』が各宗教団体に行ったアンケートでは、「宗教に名を借りた凶器の集団」「仏教と似ても似つかない集団が仏教徒を名乗り、大変迷惑している」「オウム真理教は仏教の一派であるかのごとく吹聴しているが、仏教をねじ曲げることはなはだしい」「殺人予備罪ないし殺人罪が成立すれば、宗教とは認められないし、解散もやむをえない」「果たして宗教団体といえるのか疑問を感じる」等々、オウム真理教を「宗教」ではないと切り捨てる声ばかりだった(※11)。自らに火の粉が降りかかるのを恐れてか、オウム真理教の宗教性を否定し、事件について触れずに過ごそうとしたことで、宗教界は後の宗教離れを助長したようにも見受けられる。
 2005年3月12日付けの『中外日報』社説は、2004年2月に麻原彰晃に死刑判決が出された際の社説(※12)で「宗教界はこの事件を、特殊な人間が起こした特別な事件であるとして、宗教とは無関係であると対岸視することを戒め、これを機会に本来の信仰とは何かを、示すことが必要であると論じた」が、「1年たっても事態はいっこうに改善された兆しは見えてこない」と嘆いた。
番組の再現ドラマでは、NHK記者が「人を殺すことが救済につながるのか? それが宗教なのか?」と元信者に問い詰め、「オウムが暴走したところになると、オウムの教理を出して弁護を始める」と上司にこぼした。
 事件後、よく発せられた「オウム真理教は宗教と言えるのか?」という問いの背後にある心性を井上順孝・國學院大學教授は2つに集約する。1つは「このような団体を宗教とみなすことで、宗教に対する否定的な見方が広まるのではないかということへの危惧」、もう1つは、「人を救ったり、社会の平和に貢献するのが宗教のはずであるから、テロを起こすような団体は宗教とは呼べないのでは」という「宗教史にはあまり詳しくない人」が抱くような宗教観(※13)。「歴史を繙けば、宗教同士の争いや殺し合いは珍しくないし、強い宗教的信念に基づく暴力行為、テロ行為も数多くあった」のだが。
 番組では、事件の背景を後者のような宗教観から問い詰める記者と、あくまでも宗教的側面から解説する元信者のすれ違いの構図が描かれていたものの、番組制作者側が記者寄りだったため宗教的な掘り下げが浅かったのではないだろうか。
 
◆◇◆欠落していたマスメディアの問題◆◇◆
 この他、オウム真理教の描写に関して端折られた点が多いことを滝本太郎が批判し、例として、薬物を投与してのイニシエーションのことと、それがあったうえでの松本サリン事件があったことの説明不足を挙げている(※3)。テレビは、動画と音声による情報量は多いが、時間当たりの文字言語情報量は意外と少ない。必然的にストーリーは単純化されてしまう。番組を約2時間半に収めるためには取捨選択が不可欠であったにせよ、事件を知らない人が増えている現在だからこそ、落とせない情報があるはずだ。
 マスメディアの責任が番組内で全く言及されなかったことを批判する声は多い。『中外日報』社説(※14)は、真相解明に決定的に欠けていたものとして、「事件前のオウム真理教についてのマスコミ報道、とりわけテレビ局の報道姿勢に対する反省」を挙げた。柿田睦夫も、オウム真理教を「持ち上げ、あおり、増長させた学者や文化人、メディアの存在」にも目を向けてほしかったと要望する(※2)。
 オウム真理教は1989年に『サンデー毎日』の特集(1989年10月15日号から11月26号までの計7回)で糾弾されたが、テレビは1991年には時代を代表する新宗教として討論番組やバラエティー番組に登場させた。地下鉄サリン事件後も、教団幹部らを出演させ、教団側の主張をそのまま放映した(※13)。この問題は過去のものではないようだ。警察とオウムの攻防を描いた第3部では、偽証罪で懲役3年の刑に服した元幹部の上祐史浩を画面に大きく登場させ、武装化の実態を語らせた。これについて滝本は、「上祐をあんな形で出すとはなにごとだ。-真実脱会したならば、宗教を伝える立場ましてオウムでの人的関係を使って団体なぞ作れる立場でないことは当然のこと。(後略)」と憤る(※3)。
 上祐が代表を務める「ひかりの輪」はオウム真理教から派生した団体だが、麻原彰晃とは距離を置く方針を打ち出している。だが、「麻原のイニシエーション(秘儀伝授)を少し変化させた儀式を実施するなど、麻原の影響から解き放たれたとは言い難い」との見方もある(※15)。オウム真理教事件が再び注目されるなか、上祐はNHKだけでなく、6~7月にかけて週刊誌(※16)に立て続けに登場している。地下鉄サリン事件の遺族からは、「破産手続きが終わって経済的なタガが外れた途端、(略)年間800万円払う努力義務を無視して、最低支払い義務の300万円ぎりぎりしか支払わず、さらに減額を申し出るなど不誠実な態度を取り始めた。こうした卑劣さは事件当時の体質そのまま」(※17)と「ひかりの輪」に対する憤りの声も上がっている。マスメディア各社は、過去の轍を踏んでいるのではないだろうか。
 
◆◇◆「闇」に押し込めようとするマスメディア◆◇◆
 マスメディア特有の問題は他にもある。第2部は、「見えてきたのは、当初から社会を破壊し、自ら(麻原彰晃)の帝国を作ろうとした姿だった。麻原自身、語らないまま闇は今も残されている」というナレーションで閉じる。「未解決事件」として取り上げた以上、この結びにしたいのもわかるが、マスメディアは理解を超える事件が起きるたびに真相解明の努力を怠り、一般受けしやすい「闇」という言葉で蓋をしがちだ。「今のメディアが『心の闇』といって片付けてしまう事件を起こすに至る過程や、その予兆と取れる行動などを社会の側が理解し、次の不幸な事件を回避するための(略)方策を考える糸口は、本当はいくつも明らかにされている」と批評家の大塚英志は、ある猟奇事件に寄せて苦言を呈している(※18)。森達也は「17年前も今も、オウム報道には『闇』や『謎』などの語彙が必ずのように付随する」が、実行犯たちの証言により「裁判でほぼ明らかになっている。もはや闇や謎はないはずだ」と疑問視する。ただ、主犯の麻原が動機を語っていないから「不安」が消えないだけという(※19)。
 一連の裁判では、弟子たちが、麻原に指示を受け、犯行に手を染めた詳細を語った。信者の脱会引き留め役だったなどとする事実無根の報道がもとで大学教授の職を追われた島田裕巳(※島田は報じた新聞社を名誉毀損で訴えて全面勝訴した)(※20)をはじめとする宗教学者やジャーナリストらが、暴走理由の解明に、さまざまな形で取り組んだ。「麻原自身、語らないまま闇は残されている」は「麻原自身は、自らの言葉では私たちに納得できる犯行動機を語らなかった」の文学的表現だとしても、多くの視聴者に影響を与えるテレビにおいては安易であろう。
 このエンディングには、別な形の批判もある。滝本太郎は「教祖が『何も語らず』死刑が確定していった」という描き方に、「『何も語らず』というような偽り、が国民の認識になってしまっては困る」と憤慨する(※3)。
 麻原自身は第34回公判(1997年4月24日)で、起訴された17事件のすべての事件について教団の関与を認めたが、「(地下鉄サリン事件は)弟子たちが起こした。自分はストップを命令し、結局、負けた形」(※21)と発言し、1件(水野昇さんVX襲撃事件)だけ指示したことを認めた(※22)。この事実から滝本は、「17件の事件自体は実質認めしかし自分は関与していない、止めようとしたというような言い方をしている、と紹介しないと」と主張する(※3、23)。
 
◆◇◆「闇」に封じ込められた別な要因◆◇◆
 裁判の傍聴を続けてきた作家の佐木隆三は、麻原の1995年10月1日付の検察官面前調書に「真実を話す決心をしました」と書かれていることや、1995年10月8日ごろ当時の弁護人だった横山昭二弁護士に宛てた書簡で、自らの死への覚悟を述べ、弟子たちの修行の場を守るよう訴えたことを紹介している(※24)。そんな麻原が初公判から判決までの7年10カ月の間に変容した過程を佐木は、「被告人自身は、法廷で発言を求めても弁護人に阻止され、接見を拒否することが増えて、結果的に法廷でだんまりを決め込んだ」と説明する。死刑確定を先送りするために裁判の引き延ばしを図った弁護団が麻原の証言を妨げたと見ているようだ。
 麻原の裁判は、異例なことに1審だけで死刑が確定した。このことも麻原の動機解明を困難にした。麻原について、2審の弁護士らは「心神喪失状態で訴訟能力はない」とする医師の見解を提出して公判停止を求め、「被告と意思疎通が図れず書けない」と控訴趣意書の提出を拒否した。対する東京高裁は「麻原は偽痴呆性の無言状態で訴訟能力はある」との裁判所側の精神鑑定に基づき、弁護団が期限内に控訴趣意書を提出しなかったとして、控訴を棄却した(※25)。「麻原は病気」と主張する二女と三女らは、控訴棄却を違法として国などに損害賠償を求めた訴訟(2008年9月敗訴確定※26)や治療を怠ったとして国などに損害賠償を求めた訴訟(2009年9月東京地裁、請求棄却※27)を起こしたが、四女は「詐病」と判断している。佐木も四女と同じく「詐病」と捉え、早期の死刑執行を望んでいる(※24)。
 だが、松本サリン事件で当初は犯人と疑われた被害者の河野義行は、麻原は「意思疎通ができないままとされるが、全力で治癒させて証言させようという気持ちは誰にもないのか。裁判所の精神鑑定と弁護側が控訴趣意書を提出しなかったことが事件の肝心な『なぜ』を消し去ってしまった。事件がどうして起きたのか、どうすれば防げるかというところまでいかないと、本当の解決にならない」と訴える(※28)。森達也も麻原の「動機を知るためには語らせるしかない」が、「一審途中で、彼が精神的に崩壊していた可能性は高い」と見る。そして、「『早く極悪人を処刑せよ』との民意に、司法やメディアは従属」し、「治療して語らせることを選択しなかった」と非難する(※19)。
 
◆◇◆オウム真理教事件を自らの問題に◆◇◆
 
 特別手配されていた元信者らが逮捕されたことで、麻原彰晃の死刑執行は遅れるとの公算が大きくなった(※29)。刑事訴訟法第475条では「判決確定から6カ月以内に法務大臣が死刑執行を命じなければならない」と定めているが、「共犯者の判決確定までの期間は、その6カ月の期間に算入しない」としている。法務省は共犯者が公判中の場合は、原則として死刑執行していない(※29)。だが、オウム真理教事件を初期から追い続けてきたジャーナリストの江川紹子は「教祖が彼(高橋克也)に直接指示したわけではないので、(略)執行を遅らせる必要はない」と考えている(※30)。
 麻原については、死刑執行への圧力が強い。2011年11月21日、オウム真理教に関する一連の事件の裁判が終結したとき、被害対策弁護団など3団体が「事件の再発防止につながる証言をさせるべきだ」と死刑執行の回避を求める声明を出したが、これは麻原以外の元幹部12人についてであり、“首謀者”である麻原は対象外である。(※31)。しかし「事件の再発防止につながる証言をさせるべき」なのは、麻原も同様ではないだろうか。
 北海道大学准教授の中島岳志は、弟子暴走論を説いたと批判された森達也の『A3』(※8)を「森は麻原を免罪しているのではない。麻原に罪を還元することで、オウムを他者化してしまうことを恐れるのだ。オウムは日本社会の戯画である。だから、われわれは『あの事件』から目をそむける。裁判の過程で麻原は理性に破綻をきたし、まともな会話能力を失っているにもかかわらず、異例のスピードで判決が出た。事件の要因を究明するよりも、オウムを葬り去ることを優先する社会に、森は強い警告を発する」のだと解釈する(※32)。
 オウム真理教事件を振り返るコメントには、「バブルが終わり、不景気だった当時と同じような不安がいまの社会にある。オウムのようなものに吸い寄せられる素地はある」(警察幹部)との憂慮が散見される(※33)。江川は「オウム取材で感じたカルトの特徴の一部が、一般社会にもある気がする。自分たちは正しくて善であり、それを批判する人間は悪であると決め付ける風潮。原発問題を巡って『脱原発』『推進派』の二元論の発想でレッテルを貼る。経済、災害、少子高齢化などで社会に行き詰まり感が渦巻いていると、カルト的な発想が浸透する心配がある」といまの社会にオウム真理教との共通項を見出す(※30)。
 オウム真理教の後継団体であるAleph(アレフ)は、2012年に入ってからも約80人の新規信者を獲得するなど着実に信者を増やしており、現在の信者数は約1300人だという。事件を知らない大学生を構内で勧誘したり、インターネットのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を用いて勧誘したりするという(※34)。「日本脱カルト協会」代表理事の西田公昭・立正大学教授は、「今でも、誰でも、オウムの一員になりうる危険性がある」と警告する(※35)。
 オウム真理教をいびつな形で巨大化させたのが社会であり、「オウム真理教は日本社会の戯画」(中島岳志)であるならば、社会を構成するひとり1人がオウム真理教事件を招いたとの極論も言えそうだ。日ごろ、オウム真理教事件に内包されていたような問題に直面する機会は多い。事件の再来を予兆させるような現在の社会で、オウム真理教を知っている世代は特に、オウム真理教事件を他人ごとではなく自分ごととして考えることが必要だろう。二元論に陥って自分と意見が違う他者を全否定していないか。疑問を呑み込み、権威に盲従していないか。マスメディアの論調を鵜呑みにしていないか。自己を振り返る局面は多々あるだろう。宗教者ならば、オウム真理教は宗教ではないと切り捨てる前に、そして宗教離れを嘆く前に、オウム真理教が相当数の若者を惹き付けていたことを省みるべきだろう。自分たちは不安を抱える若者たちを救えているのか。救いを求めている人々に広く手を差し伸べているのか。自分たちの宗教の力の使い方は正しいか。誤解されかねない教義(ある場合)をどう説くのか。番組視聴者のなかには「記者の『組織が暴走を始めた時、個人はどうするか?』といった思いを、原発問題などと向き合う今の私たちと重ねて考えました」(※1)などと、オウム真理教事件を自分の問題として捉え直した人もいた。
 『NHKスペシャル/未解決事件 file.02 オウム真理教』には批判すべきところも多々あったが、宗教と事件について改めて考えさせる機会を提供した点で高く評価したい。


 (文中敬称略)
 
※番組内容を記したテレビレビューを別途掲示した。必要に応じて参照いただきたい。

※レポートの企画設定は執筆者個人によるものであり、内容も執筆者個人の見解です。

 参考資料:

  1.  『東京新聞』2012年6月4日
  2. 『しんぶん赤旗』2012年6月14日
  3. 滝本太郎弁護士のブログ『日常生活を愛する人は?』-某弁護士日記2012年5月28日
  4. 『週刊文春』2012年6月14日
  5. 『仏教タイムス』2012年6月14日
  6. 『週刊文春』2012年7月5日
  7. 『朝日新聞』2011年9月3日
  8. 森達也『A3』集英社インターナショナル(2010年11月)
  9. 櫻井義秀『「カルト」を問い直す』中央公論新社(2006年1月)
  10. 『週刊金曜日』2012年7月6日
  11. 『産経新聞』1995年4月28日夕刊、各回答をした教団名はあえて外している
  12. 『中外日報』2004年3月2日付け社説。ただし、この内容をまとめた引用部分は、『中外日報』2005年3月12日付け社説より。
  13. 宗教情報リサーチセンター編(井上順孝責任編集)『情報時代のオウム真理教』春秋社2011年7月
  14. 『中外日報』2012年6月30日
  15. 『産経新聞』2012年6月18日
  16. 『SPA!』2012年6月26日号、『週刊朝日』2012年6月29日号(同誌緊急増刊2012年7月15号に再掲)、『サンデー毎日』2012年7月1日号、『FRIDAY』2012年7月6日号、『プレイボーイ』2012年7月16号・23日号
  17. 『週刊朝日』緊急増刊2012年7月15日号
  18. 『毎日新聞』2006年1月14日
  19. 『朝日新聞』2012年6月26日夕刊
  20. 『東京新聞』1998年12月1日、『朝日新聞』2001年8月5日
  21. 『日本経済新聞』2006年9月16日
  22. 毎日新聞社会部編『オウム『教祖』法廷全記録2 私は無罪だ!!』現代書館1997年7月
  23. 江川紹子『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』中央公論新社2000年8月、『オウム事件はなぜ起きたか 魂の虜囚 下巻』新風舎2006年8月にも「捜査段階、そして公判に入ってからも当初は、弟子たちに責任を押しつけようとした。坂本弁護士一家も地下鉄サリン事件も、すべて弟子たちの暴走であって、自分はむしろやめさせようとしていた、というのがその筋書きである」と記されている。
  24. 佐木隆三『わたしが出会った殺人者たち』新潮社2012年2月
  25. 『日本経済新聞』2006年2月21日、『産経新聞』2006年3月28日
  26. 『産経新聞』2008年9月10日
  27. 『朝日新聞』2009年9月27日
  28. 『東京新聞』2012年6月26日夕刊
  29. 『読売新聞』2012年6月4日
  30. 『サンデー毎日』2012年7月1日
  31. 『朝日新聞』2011年11月22日
  32. 『朝日新聞』2012年7月1日
  33. 『朝日新聞』2012年6月16日
  34. 『毎日新聞』2012年6月24日
  35. 『朝日新聞』2012年7月7日