文字サイズ: 標準

研究員レポート

バックナンバー

宗教情報

宗教情報センターの研究員の研究活動の成果や副産物の一部を、研究レポートの形で公開します。
不定期に掲載されます。


2012/07/11

テレビレビュー『NHKスペシャル/未解決事件file.02 オウム真理教』第1部・第2部

宗教情報

藤山みどり(宗教情報センター研究員)

  このテレビレビューは、2012年5月26日(土)と27日(日)に放送された『NHKスペシャル/未解決事件file.02 オウム真理教』3部構成のうち26日(土)に放送された「オウム真理教 17年目の真実」についてのものである。著者はNHKの解釈に全面的に賛成しているわけではなく、また紹介されるオウム真理教の教説に与するものではない。しかし、特別手配されていたオウム真理教事件の容疑者らの逮捕時期と符合して放映され、大きな反響を得た同番組の内容情報を共有することは継続的に宗教情報を追う当センターの理念にも合致し、番組を検証したレポートの理解にも資すると考えられるため、掲載するものである

◆◇◆オウム真理教 17年目の真実◆◇◆
 
  第1・2部は再現ドラマにドキュメンタリーを織り交ぜてオウム真理教の暴走理由を追及し、第3部では警察がオウム真理教の暴走を阻止できなかった要因を探っている。元死刑囚からの手紙と裁判記録の分析、初めて取材に応じた元古参幹部による100時間超の証言、独自入手した700本の極秘テープの解析、150人を超える捜査関係者への取材で、オウム真理教の暴走を許した背景に迫る。第1部と第2部は独立したものではないため、ここではまとめて掲載する。

 再現ドラマはNHK記者が元オウム真理教信者の夫妻に取材する形で進む。記者は『オウムはなぜ暴走したか』(※ぶんか社 1998年10月)を執筆した元信者の早坂武禮に接触。彼は教団で知り合った元信者の妻(主人公)と暮らしている。
 1986年、バブル期の入り口。主人公の女性はデザイナーとして働いていたが、周囲に違和感を覚えていた。そんなころ同僚に勧められた麻原彰晃の著書を読み、ヨガ教室「オウム神仙の会」(1984年発足)のセミナーに参加。「社会のしがらみを捨てて救済のために生きよう」と説く麻原の教えに惹かれていった。そして母親の反対を押し切り、1987年5月、全財産を布施して出家する。出家信者らは修行に励み、蟻をも殺さぬようにまた食事にも留意して共同生活を営んだ。

 「核戦争が起きる状態が来ている。止めることができるのはあなた方だけなんだ。あなた方は何をやればいいか。愛だよ。本当に隣人を愛することができれば、あなた方は救うことができる」(麻原の声)

 同会は1987年6月「オウム真理教」と改称し、宗教団体としての体裁を整え始める。バブル景気の浮かれた雰囲気への違和感、1999年に地球が滅亡するというノストラダムスの大予言、ハルマゲドン(世界最終戦争)の到来など世紀末を前にした終末思想の蔓延など、社会に漠然とした不安を抱く若者たちはオウム真理教に惹きつけられていった。
 主人公は4カ月にわたる独房修行に取り組む。暗闇のなかで自分の欠点と向き合い、それを乗り越えたとき、上から差し込む光を感じた。麻原は、「その光は救済の道を歩き始めた証だ」と救済者として成就したことを認め、彼女にホーリーネームとマントラを授けた。1988年7月のことだった。彼女はこの修行を終えたとき、方向音痴が直り、手放せなかったタバコも止められたという。
 1988年8月、オウム真理教は富士山総本部を開設する。だが、このころからオウム真理教は道を踏み外し始める。1988年9月下旬、修行中の男性信者が事故死。奇声を発する男性信者について、麻原から「頭がショートしておかしくなっている。冷やせば治る」と指示された信者が風呂場で男性信者の頭に水をかけていたところ、死亡したのだ。宗教法人としての認証申請中であったため、事件が明るみに出て救済が遅れると困るとして、遺体を護摩法で焼却して隠蔽する。これが逸脱のきっかけとなる。
 記者は「不祥事の隠蔽から暴走するのは企業犯罪と同じでは?」と問うが主人公は「宗教と企業犯罪をいっしょにされても」と口ごもる。
 1989年2月、この事件を知っている男性信者が脱会しようとしたため、麻原は側近たちに対処法を問いかけ、新実智光(死刑囚)ら側近が、この信者を殺害する。麻原は、動揺が収まらない新実に「ヴァジラヤーナの詩章」を毎日、唱えさせる。
 この殺人を「師(グル)が実現不能な課題を与えて乗り越えさせる修行の一環」と説明する主人公の夫に、記者は「人を殺すことが救済につながるのか? それは宗教なのか?」と食いさがる。

 「このAさんを殺したという事実をだよ、他の人たちが見たならば、人間界の人達が見たならばね、これは単なる殺人と。客観的に見るならば、これは殺生です。しかし、ヴァジラヤーナの考え方が背景にあるならば、これは立派なポアです。すべてを知っていて、生かしておくと悪業を積み、地獄へ落ちてしまう。そこで、例えば生命を絶たせた方がいいんだと考えてポアさせた。この人は、いったい何のカルマを積んだと思いますか。殺生ですか。それとも高い世界へ生まれ変わらせるための善行を積んだことになりますか?」(※1)

 これは信者殺害事件のすぐ後に富士山総本部で行われたという説法である。このあと麻原が、たとえ話を始める。

 「これは仏陀釈迦牟尼の前世の例でね。彼はある生で貿易商だった。その船は大変大きな船で貿易商人が200~300人乗っていた。荷物を積んでの帰り。その中の1人が大変悪い心を持っていて、全ての貿易商を殺して商品を自分のものにしようとした。仏陀釈迦牟尼はどうしたか?」(※2)

 信者殺害事件のころから、麻原は「救済のためならば人の命を奪ってもよい」という教えを繰り返し説くようになる。この「ヴァジラヤーナ」と「ポア」の教えが、殺人をためらう弟子たちに使われたのだ。
 「ポアは殺すという意味か」と確認する記者に、主人公は「ポアとは、相手の意識状態を引き上げること、その人の魂が本来行くべき世界よりも高い世界へグルが導くこと、とてもありがたいこと」と抗弁する。記者は上司に、「オウムが暴走したところになるとオウムの教理が出てきて弁護を始める。元信者は皆ピュア。純粋に何かを求めてはいってきたのに組織が勝手に暴走した」と嘆くと、上司は「オウムに寄り添い過ぎていないか? 遺族は肉親の命を奪われたときと、真実が何もわからないまま一連の裁判が終わったときの2度も地獄に突き落とされたんだぞ」と記者を諫める。
 1989年8月、宗教法人格を取得。11月には、「オウム真理教被害対策弁護団」を結成して活動していた坂本堤弁護士一家3人を殺害。これが社会に牙を向けた最初の事件となる。殺害実行を命じられた6人のうち4人は信者殺害事件にも関わっていた。
1990年2月、衆議院議員選挙に麻原ら25名が立候補するが、全員落選。

 「今回の選挙の結果は、はっきりって惨敗。なんで惨敗なのかというと、それは社会に負けたと。もっと別な言い方をすれば、国家に負けたと。だから、考えられることは選管がらみの大きなトリックがあったと。オウムは反社会、反国家である。どぶ川のなかで美しく咲く蓮華のようにあり続けるためには、反社会でなければならない。よって、国家、警察、マスコミこれすべてこれからも敵にまわってくる」

 この後、急速に凶悪化する。修行の名のもとに麻薬を投入し、武器やサリンの製造を行うようになる。1994年6月松本サリン事件が発生。主人公は教団脱出を試みるが、電気ショックで記憶を消す「ニューナルコ」を受けさせられ、そのころのことは覚えていない。そして1995年3月20日、教団への強制捜査が2日後に迫るなか、地下鉄サリン事件が実行される。
 暴走理由を主人公の夫は「弟子たちが麻原に認められたい一心で必要以上に麻原の言葉を忖度してしまった。そういう雰囲気を意図的に作ったのは麻原だと思うが」と振り返る。記者は「もともとは普通の人。誰しもその集団のなかにいると、同じことをする可能性がある。大事なのは集団が暴走したときにそれに抗うことができるか。抗えないまでも立ち止まって考えることができるか。そんなことを考えた」と自身に語りかける。
 麻原の命じるままに凶悪事件を実行した側近のうち、最高幹部の村井秀夫は1995年4月、マスコミの目の前で刺殺され、すべての殺人事件に関わった新実智光(死刑囚)は正当化をし続け、サリンを製造した土谷正実(死刑囚)は法廷では麻原を擁護し続けた。そしてすべてを知る麻原は、真相を一切語らぬまま、死刑が確定した。

 以降はドキュメンタリーが主となる。麻原の人となりは、麻原の盲学校時代の担任や先輩、ノンフィクション作家の髙山文彦が語る。担任は麻原を「模範的な生徒だった」と評する。だが寄宿舎で同室だった先輩は、弱者を挫いて強者に取り入る性格で、万能感を口にしていた麻原に、その後の片鱗を見出していた。髙山は、「金がなくてもなれるのは、宗教家だよ。悩みがあったり、どうにもならない気の弱い人間ばっかりが宗教には集まってくるんだから、そいつらを魚釣りのように釣ればいいじゃないか」(※3)と麻原に宗教家への道を勧めたという実業家に取材したことがある。
 説法テープの内容からは、オウム真理教は1990年の衆議院議員選挙で惨敗してから武装化路線へと進んだという定説(※4)を覆す事実が浮かび上がる。1988年1月ごろの幹部らとの会話を記録したテープから、麻原は一般信者には「核戦争の回避」を訴えていたが、側近には「今生で救済の成功は核戦争を起こさせないことではない。資本主義と社会主義をつぶして、宗教的な国を作ることが本当の意味で、この世をもう1回清算すべきだ」と武装化を迫っていたことが明らかになる。
 1988年11月には、麻原は元幹部の上祐史浩(現「ひかりの輪」代表)には、「今の人間が動物化した以上、それをコントロールするためには平和路線ではなく武装化路線が適している」と迫る。また村井秀夫には、「大量の死者を出した第2次世界大戦は、人間の一時的なカルマ(悪業)の清算だ」との見解を披瀝する。テープには、麻原が元幹部の遠藤誠一(死刑囚)に「政治が宗教をいっさい禁止して、力で従わせるようになる」と説き、「警察を本署ごと消せばよい」と畳みかけ、遠藤が驚いて聞き返す様子まで記録されていた。

 「この汚れきった世の中に対して、2つのアプローチが考えられる。国会に絶対的な多数を取って政治を徳の政治に変えてしまうということが1つ。もう1つはそうではなくて武力的に武装して今の日本をひっくり返し、そして真理でないものをつぶして救済するという方法が1つ。闘争するならば多くの人が死ぬぞと真に救済を意識するならば(武装化の)シチュエーションに立ち、救済をしなければならない」(1989年8月の説法)

 説法テープは、麻原が弟子に殺人の一線を越えさせた背景を探るためにも用いられた。

 「これは仏陀釈迦牟尼の前世の例でね。彼はある生で貿易商だった。その船は大変大きな船で貿易商人が200~300人乗っていた。荷物を積んでの帰り。その中の1人が大変悪い心を持っていて、全ての貿易商を殺して商品を自分のものにしようとした。仏陀釈迦牟尼はどうしたか? 聴こう」(※2)

 麻原は「悪人を殺す」という正答が出てもさらなる答えを要求し、最後に「真理に対する割り切りがない。自分の立場に傲慢さがある」と弟子たちを全否定して終わる。
会話分析を専門とする明治学院大学の西阪仰教授は、答えを出させたという形態を取ることで正解を理解させ、責任をもたせることができる「クラスルームインタラクション」の手法を用いていると指摘。自分は高く、弟子たちは低い位置にいることを実証するプロセスとなっていると分析する。番組は、「このような手法で自分を絶対化させ、弟子が自ら殺人を選んでいるように思い込ませ、犯行へと追い込んでいったのでは」と推察する。
 教義内容の分析は、カルト研究者でもある北海道大学櫻井義秀教授。

 「社会を維持することが善である、社会を破壊することが悪である、という考えにヒンドゥー教の教えは、どうやら『ノー』と答えているようだ。ではギリシャ神話を紐解いてみよう。おやおや、この地上の戦いのほとんどの原因は神々の思慮としてではないか。その暴力を肯定し、我々は精神的に強い生命体だったんだとサキャ神賢(釈迦)は説いている」

 櫻井教授は、「聖書を使ってみたり、仏典を使ってみたり、いろいろしながらやっているだけ。基本、荒唐無稽なんですね」との感想。櫻井教授は、麻原が繰り返し説いていたヴァジラヤーナの教えに注目。(この間、麻原の「このAさんを殺したという事実を他の人が見たならば、これは単なる殺人。しかし、ヴァジラヤーナの背景があるならば、立派なポア」(※1)と語る音声が流れる)。「そういう教説かどうかというと、これは違う。自分たちが他の人を攻撃することの正当化として使ったのでは」と指摘する。番組は、「ヴァジラヤーナは広い意味で密教を指すサンスクリット語、これを救済のためなら人を殺してもよいという意味にすり替えていた」と解説。櫻井教授は、「間違っている人たちを、これ以上悪いカルマをつませないために破壊してあげるのが善行だという非常に倒錯した論理」だと語る。
 6年前に死刑が確定し、巣鴨拘置所に収容されている麻原と面会した精神科医・作家の加賀乙彦は、麻原は自分で排泄ができない状態で話しかけても何の反応もなく、「地下鉄サリン事件の全容がはっきりつかめないままで終わってしまう」と危惧する。
番組は、「宗教の名の下に多くの弟子を巻き込んで大量殺人に突き進んだ麻原彰晃。見えてきたのは、当初から社会を破壊し、自らの帝国を作ろうとした姿だった。しかし、麻原自身、語らないまま闇は今も残されている」と締めくくった。

 「私は最後の救世主だ。間違いなく第3次世界大戦はやってくるだろうし、そしてそれまでの間に今のオウム真理教以上の宗教は現れないだろうし、救世主は現れないだろう。本当に人類を救済しようと、この地球を浄化し、魂を浄化したとしよう。オウム真理教に必要なのは救済だ」

 


※この番組についての検証はレポートを参照いただきたい。
※レポートの企画設定は執筆者個人によるものであり、内容も執筆者個人の見解です。
 

 参考文献ほか
  番組内で用いられた説法テープは、下記の書籍に同一あるいは類似のものが掲載されている。オウム真理教では、麻原彰晃の説法の忠実なテープ起こしを、出家者向け広報紙に掲載するなどしていた。また、説法を体系的にまとめたテキスト『基礎教学システム教本』『特別教学システム教本』『ヴァジラヤーナコース教学システム教本』には、説法テープもセットで付いていた。このため、オウム真理教関連本には、説法の内容が掲載されているものが多い。詳しくは各書籍を参照されたい。

  1. 説法日付は各書籍で異なるが原文ママである。
    ・降幡賢一『オウム裁判と日本人』平凡社2000年5月p110~111掲載、1989年9月24日『ヴァジラヤーナ・コース教学システム教本』第10話の説法。
    ・森達也『A3』集英社インターナショナル2010年10月p320~321に掲載、1988年9月24日の世田谷道場での説法。
     ・島田裕己『オウム――なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』トランスビュー2001年7月p166~167に掲載、教団出版物(『ヴァジラヤーナコース 教学システム教本』)に掲載された1989年9月24日の世田谷道場での説法。島田は著書で、「麻原が悪業を行っている人間をポアするという考え方をはじめて述べたのは、1989年4月7日の説法にお いてで、それは田口(著者注:1989年2月の信者殺害事件の被害者)の殺害の直後に行われている」と述べている。
  2. 宗教情報リサーチセンター編(井上順孝責任編集)『情報時代のオウム真理教』春秋社2011年7月p207。  「例えば、ね、大乗の仏典にはこう書かれているよね。釈迦牟尼がまだ菩薩だったころ、ね、貿易商のリーダーをなしていたと。そして、そこには500人の貿易商が乗っていて、その中の一部に悪党がいたと。で、その悪党がすべてを殺し、すべての貿易商を殺して、ね、利益を独占しようとしていたとき、仏陀釈迦牟尼はそれを殺したと。そして、そのカルマによって、地獄に行くんではなくて、仏陀として、ね、登場する時間を短縮すると」(『基礎教学システム教本』第3課3級B1988年9月12日の富士山総本部道場)。
    平野直子は、この説法の時期は「オウム真理教に最初の死者が出た時期(真島事件※著者注=9月下旬 に起きたとされる事故死した信者の遺体を損壊、遺棄した事件)が非常に近い」ことと、この説法の前日9月11日の説法終盤で唐突に殺人について言及し、殺した人数に応じた苦行で浄化されると説いていることを指摘。1988年8~9月にかけての説法のなかで、11日の説法以前に殺人に言及したものがないとも述べて おり、真島事件(遺体遺棄事件とされる)との関連に言及している。なお、番組では「信者殺害事件」のころから救済殺人を説き始めたと解説する。だが、信者殺害事件(1989年2月)よりも早い1988年9月の遺体遺棄事件のころからすでに救済殺人を説き始めている。
  3. 髙山文彦『麻原彰晃の誕生』文藝春秋2006年。番組内では実業家の名前が伏せられていたが、同書では実名が記載されている。
  4. 宗教情報リサーチセンター編(井上順孝責任編集)『情報時代のオウム真理教』春秋社2011年7月年表ⅶ、『週刊朝日』2012年6月22日など。