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コスモロジーと出会うよろこび【編集部から】

本連載エッセイでは、人類共通の記憶の宝庫ともいうべきコスモロジー(=世界観・宇宙観)の豊かさを武澤秀一先生が探究します。
建築家である先生は、ご著書『空海 塔のコスモロジー』『マンダラの謎を解く』『神社霊場ルーツをめぐる』に見られるように、3次元の存在である建築を歴史・宗教・文化の位相のなかに捉え、塔やマンダラや神社霊場が聖なる力を帯びていく様相を明らかにされてきました。そして今年3月に刊行された新著『伊勢神宮の謎を解く』は、とくに日本の特性を浮かび上がらせていて注目されます。本連載エッセイにあわせて、ぜひごらんください。これからの連載でも、日本列島において育まれてきたわたしたちのこころの特性に、さまざまな場面で気づかせてくれることでしょう。
さあ、コスモロジーに出会う旅に出発することにいたしましょう。わたしたちが無意識の底に置き去りにしてきた大切なものに、今、再び出会うために——。

建築家 武澤秀一の連載エッセイ 時空を超えて コスモロジーと出会う

 

第9回 再びの旅立ち

これまで8回にわたって連載してきました「世界遺産を巡る 時空を超えて」では、タイトルそのままに、世界遺産を巡ってきました。同時にそれは、建造物という3次元の具体物に体現されているコスモロジーを浮かび上がらせ、これを皆さんに伝える試みでもありました。

ここであらためて問い返してみたい。
はて、コスモロジーとは何だろうか?



これまでの連載を想い起してみましょう。
コスモロジーとは、わたしたち1人ひとりのこころのなかで培われた世界のイメージ、あるいはその成り立ちの物語…といったらいいでしょうか。コスモロジーという語はすでに立派に日本語になっていると思われますが、漢字で表現するなら、〈世界観〉〈宇宙観〉ということになります。

わたしの学生時代――今から40年ほど前になります――では、世界観というと、唯物論とか唯物史観とか、とかく政治的イデオロギー色を帯びたことばであり、つねに無意識のうちにも政治闘争と結びついていました。ところが今ではイデオロギー色は脱色され、

「この新曲の世界観は…」
「この広告の世界観は…」

などと、デザインや企画、はたまた楽曲のコンセプトであったりします。いまや、イメージされた世界といった意味合いで、ごく軽く使われるようになっているようです。まさに隔世の感があります。またアメリカなどでは、個人の日常生活圏のことをコスモロジーといったりします。

もちろん、科学的な宇宙像や世界像という意味でもコスモロジーという語はもちいられます。

ただし、これはわたしの個人的な印象かもしれませんが、科学的コスモロジーが究められれば究められるほど、つまり宇宙の姿や成りたちが客観的に明確になればなるほど、わたしという存在――あるいは現象――がとてつもなく、ちっぽけに見えてきます。世界の片隅に打ち捨てられたような孤独な感覚にも襲われ、寄る辺(べ)ない疎外感すら覚えるのです。

この世界、この宇宙の中で、わたしはどう位置づけられるのか?
わたしと世界はどういう関係にあるのだろうか?

コスモロジーにかかわるこのようなテーマは古来、宗教が担ってきたのでした。

宗教というと、日本の戦後社会ではとかく特別の事のように受け止めがちですが、なんのことはない、暦にかかわる民俗行事とか生活風習の多くは、じつはコスモロジーにかかわっているのです。

初詣、豊作祈願、桃の節句・端午の節句…。
七夕、お月見(中秋の名月)、はたまた秋の収穫祭や感謝祭にしても……。
それらの背景には必ずといっていいほど宗教的コスモロジーがあるのでした。

これらの行事によって1年という時間のサイクルに節目があたえられ、日々の意味づけがなされ、わたしたちの生活――とくに精神生活――がささえられてきたのです。それらは生活と世界をつなぎ、世界のなかに自分たちを位置づける営みです。

あらためて、宗教が培ってきたコスモロジーの豊饒さを探究してみたいと思います。この連載でテーマとするコスモロジーは、生活慣習の背景に隠れているコスモロジーというよりは古来、積極的に主張され具体的に表現されてきた、宗教にバックボーンをもつコスモロジーです。

さて、これまでの連載を振りかえってみますと、タイトルに銘打たずとも、内容的にはコスモロジーと深く関わっていたのでした。たとえば、

サーンチーの塔とその中心をつらぬく柱(第2回)
パンテオンのドーム空間に射し込む光、そして雨(第3回)
アジャンターの石窟の奥深くに立つ塔とブッダ像(第5回)
ヒンドゥー教寺院の暗闇に立つ、ヨーニと結合されたリンガ(第6回)
………

これらのそれぞれは世界の中心に立っています。いいかえれば、それがあるところが世界の中心になるのでした。〈世界の中心〉はみな強力な磁力を発揮して磁場、つまり、コスモロジーを形成しています。
そこで、つぎのように考えました。

「世界遺産」にこだわることなく、「コスモロジー」そのものに関心の重点をシフトさせてみたらどうだろうか。そうすれば、もっとゆたかな世界を繰りひろげることができるのではないか。このような考えから今回より、

「コスモロジーに出会う」

という新しいタイトルのもとに、再スタートを切ることとしました。
もちろん「世界遺産」も対象に含まれますが、しかしそこにとどまらず、文字(神話、史書、経典、文学)や図像(絵図、彫刻)などによって表現されたものにも対象をひろげたいと思います。「時空を超えて」の第2段階へ、進化をとげることを期して。
今日風にいえば、リニューアル・オープンといったところでしょうか。よろしくおつき合いください。




ここまでの連載において見てきたことは、「コスモロジー」とどのようにかかわっていたのか。再スタートを切るにあたり、あらためて、たどって来た道のりを振りかえってみましょう。そこからキーワードのいくつかを抽出し、これからの展開に資したいと思います。



 

〈天と地〉


世界は天と地から成り立っていました。

ローマのパンテオンに見るように、天窮(てんきゅう)は巨大なドームをなしていました。その頂点に開けられた大きな円形の穴は天に至る道であり、かつ天を象徴していました。
そして、そこから太陽の光も、そして雨も、降りそそぐのでした(第3回)。

アジャンターの第19窟では、奥に鎮座するブッダと一体となったストゥーパの上部に、ストゥーパと中心を共有して半球体ドームが被っていました(正確には、その2分の1。第5回【写真A―10】)。
大地に穿たれた石窟のドーム天井は天窮を表しているのでした。そこは地中の〈小宇宙〉です。



 



〈世界の中心〉は垂直に立つ

サーンチーのストゥーパの中心を垂直につらぬいて、ヤシュティ‐ユーパと呼ばれる柱が立っています。その下には聖者の舎利(=遺骨)が納められ、仏教が理想とする涅槃(ねはん)の境地を象徴しています。祭儀の場に立てられた木の柱に起源をもつユーパは、天と地をつなぐ垂直軸なのでした(第2回)。

アジャンターの第19窟ではストゥーパを垂直につらぬく中心軸(=ユーパ‐ヤシュティ)が分厚い傘(=チャットラ)をともなってグングンと背を伸ばし、ほとんど窟の天井に接触しているかのようでした。ブッダと一体となったストゥーパが垂直の軸を形成し、天と地をつないでいるのです(第5回【写真A―6】)。

ヒンドゥー教寺院でも同様です。そこでも塔は山であり、山(=塔)はシヴァ神を象徴する最大のリンガでもあります。この 《山=塔=リンガ》 は直下に《洞窟=子宮》をもちます。そして洞窟内でも、ヨーニと結合したリンガが屹立しています。そこは2重の意味で世界の中心軸なのでした(第6回【写真E―4】 【写真E―6】)。

仏教のストゥーパ(=塔)も、ヒンドゥー教のヴィマーナ(=塔)も、そしてヴィマーナ直下の洞窟に屹立するリンガも、インドのコスモロジーにおいて、それらが立つところはすべて〈世界の中心〉なのでした。
同時にそれは世界の中心に立って天と地をつなぐ垂直の軸なのです。

そしてそのまわりをひとが回ります。古来、インドに伝わる礼拝作法です。それはひとと世界がひとつになることだったのです(第2回)。


ローマのパンテオンでは天窮ドームの真ん中(=頂点)に開けられた大きな穴から太陽の光や雨が降りそそぎます。ドーム頂部の穴をとおって天に至る道は実体をもたず、そこに世界の中心をつらぬく〈虚〉の垂直軸が立ち上るのでした(第3回)。


そしてここでは、天から降りそそぐ光の束が時々刻々と角度を変え、ドーム天井、円筒の壁、そして床面へと、照射面を移動させます。ひとが回るのではなく、天が、その象徴である太陽が音もなく回りつづけます…。


〈東・西・南・北〉

〈世界の中心〉のまわりを回りつづけるひと、そして天。その時、あなたは世界とひとつになり、忘我の境地にいたることでしょう。世界とひとつになるとは、世界に溶けこむことでした。


忘我の境地から日常の空間にもどった時、あなたをささえるのは東・西・南・北という4つの方位です。


サーンチーのストゥーパには東・西・南・北の4方位にのって入口(=出口)がありました(第2回)。


ローマのパンテオンでも、北にある入口(=出口)と神々を安置する南・東・西にある3つの座、そして北東・南東・南西・北西という中間方位に4つの座(神々の座は計7つ=7曜神)がありました(第2回)。 


〈中心〉は東・西・南・北によって規定されて、はじめて〈世界の中心〉となるのです。そして世界は〈中心〉と〈東・西・南・北〉によって確定されるのでした。



 

 

〈光と闇〉


天頂から神々(こうごう)しい光が射しこむローマのパンテオンは、厚い壁体に包まれた閉ざされた空間です。それは暗闇の支配する「人工の洞窟」であり、かつ、洞窟内にひろがる宇宙空間でもありました。ドーム天井は現在、煉瓦の褐色がむき出しですが、かつては青く彩色され、一面に金色の星が散りばめられていました(第3回)。まさに漆黒の宇宙が現出していたのです。そこに射し込む光であるからこそ、神々しい…。 

インドはエローラの第16窟・カイラーサ寺院は周囲を支配する暗黒を払いのけ、地中から現れ出たのでした(第8回)。最古のバラモン聖典「リグ‐ヴェーダ」がいうように、世界が創成される前、混沌とした暗黒がすべてを支配していたのです。

 

カイラーサ寺院の最奥にあるガルバ‐グリハとよばれる小さな空間は、灯火でのみ明るさが確保される、光の射さない暗黒の世界です。中央には、ヨーニをつらぬいて屹立するリンガがまつられています。
それは生命の誕生であると同時に、世界の生成をも象徴するのでした。

 

ガルバ‐グリハの中に入りますと、ヨーニに挿入されたリンガを子宮の中から目撃することになります。それは厳粛かつ至福の時……。
リンガの亀頭にはマリーゴールドの黄色い花輪が掛けられ、サリーを身にまとったうら若い乙女たちがつぎつぎと手を合わせ、敬虔な祈りを捧げます(第6回)。


「人工の洞窟」であるパンテオンは、宇宙を内包する至高の洞窟。サーンチーのストゥーパが外部に開かれた〈昼〉の世界だとしたら、この人工の洞窟は〈夜〉の世界といえます(第3回)。


そこに光が射しこみます。光があってはじめて存在が露わになります。光がなければ、知覚も認識も不可能であり、つまり、世界は存在しないに等しい……。

光は天からの恩寵であり、知性のみなもとです。



〈生と死〉、そして〈性〉


天と地、垂直と水平、中心、そして東・西・南・北…

古来、わたしたちの世界は以上のような環境を規定する基準をもっています。それは客観的な確かさをもたらします。しかしそれはけっして無味乾燥なものではなく、〈生と死〉、そして〈性〉のドラマに彩られてきました。

その総体こそがコスモロジーであるといえるのです。

世界の中心に立ち、天と地をつなぐストゥーパは、涅槃の境地を伝えています。涅槃とは欲望を滅却した状態であり、生きているうちにこれに到達するのが理想です。しかし、とても厳しい教えです。
それが無理なら、せめて死後の世界で……、と願うのが煩悩のなかに生きる者の願いといえましょう(第7回)。死によって涅槃が達成できるのなら、死は怖いものではなくなります。

一方、世界の中心に立ち、世界の生成を告げるリンガは、性のエネルギーの偉大さ、そして男女の交歓を表現しています。打ち震える性本能がくりひろげる世界を礼讃し、生命を謳歌しているのです。強靭な生命力が凝縮した性のエネルギーこそが暗黒を払いのけ、世界を出現させるのでした(第8回)。

そのようにして生まれたのですから、世界は当然、エロスにみちているのです。

***


次回からは、大地の精華であり、天空の光でもあるハスに注目し、それが体現しているコスモロジーを追いたいと思います。



武澤 秀一(たけざわしゅういち)

1947年群馬県生まれ。建築家/博士(工学・東京大学)。東京大学工学部建築学科卒業。同大学院を中退し、同大学助手をへて建築家として独立。設計活動の傍ら、東京大学、法政大学などで設計教育指導に当たった。20代、30代はヨーロッパ志向がつよかったが、40代に入りインド行脚をはじめる。50代以降は中国、韓国および日本列島各地のフィールドワークを重ねている。著者に、『マンダラの謎を解く』(講談社現代新書)、『空海 塔のコスモロジー』(春秋社)、『法隆寺の謎を解く』(ちくま新書)、『神社霊場 ルーツをめぐる』(光文社新書)、『伊勢神宮の謎を解く——アマテラスと天皇の「発明」』(ちくま新書)などがある。