文字サイズ: 標準

コスモロジーと出会うよろこび【編集部から】

本連載エッセイでは、人類共通の記憶の宝庫ともいうべきコスモロジー(=世界観・宇宙観)の豊かさを武澤秀一先生が探究します。
建築家である先生は、ご著書『空海 塔のコスモロジー』『マンダラの謎を解く』『神社霊場ルーツをめぐる』に見られるように、3次元の存在である建築を歴史・宗教・文化の位相のなかに捉え、塔やマンダラや神社霊場が聖なる力を帯びていく様相を明らかにされてきました。そして今年3月に刊行された新著『伊勢神宮の謎を解く』は、とくに日本の特性を浮かび上がらせていて注目されます。本連載エッセイにあわせて、ぜひごらんください。これからの連載でも、日本列島において育まれてきたわたしたちのこころの特性に、さまざまな場面で気づかせてくれることでしょう。
さあ、コスモロジーに出会う旅に出発することにいたしましょう。わたしたちが無意識の底に置き去りにしてきた大切なものに、今、再び出会うために——。

建築家 武澤秀一のフォトエッセイ 世界遺産を巡る ― 時空を超えて

 

第6回 アジャンターの仏教窟 vs. エローラのヒンドゥー教窟(上・その2)

前回は石窟寺院とはどういうものか、仏教窟とヒンドゥー教窟の違い、そしてアジャンター後期を代表する第19窟を見ました。これにつづいて今回は、エローラのヒンドゥー教窟を代表する第16窟を具体的に見てゆきましょう。われわれ日本人からすると、驚くべきことが聖なる寺院の奥深くで展開されています。

 

男根で示される最高神

エロ-ラの第16窟はカイラーサ寺院という名をもちます。カイラーサとは、ヒンドゥー教のコスモロジーにおいてシヴァ神の住み処とされる山です。別名カイラーサナ―タ寺院ともいいますが、カイラーサナ―タとはカイラーサ山の主、つまりシヴァ神を指します。カイラーサ寺院は、ヒンドゥー教の勢力をヴィシュヌ神と二分する神、シヴァをまつります。

カイラーサ山は《世界の中心》に聳えるメール山の南に位置し、インドから見て北にあたるとされます。これに比定されているのがヒマラヤ山系の西寄り、西チべットに屹立するカイラース山です。つまり、イマジナリーな世界だけでなく、地理的な現実に対応しているのです。

カイラース山は標高6,656メートルの異形の独立峰で、宗教的な理由から現在も登攀が禁じられている聖山です。今もなおヒンドゥー教やチベット仏教、そしてチベット土着のボン教にとって至高の聖山でありつづけています。熱心な信者たちはカイラース山の外周を巡礼して回ります。

このような「宇宙的な山」(=「世界山」)を日本でさがすなら、さしずめ富士山ということになるでしょう――未踏峰ではありませんが。それは人びとの心の宇宙の中心に聳える山であり、同時に、現実に存在する山でもあります。

ヒンドゥー教徒は聖山カイラーサ(=カイラース)の山容を、シヴァ神を象徴する最大級のリンガ(男根)と見立てます。

シヴァはヴィシュヌとともにヒンドゥー教の勢力を二分する神ですが、これにブラフマー神をくわえて、ヒンドゥー教の3主神とされます。よく、 《創造・維持・破壊》 の3つのはたらきを 《ブラフマー・ヴィシュヌ・シヴァ》 の3神にあてはめますが、インド各地を訪れますと、それほど予定調和的とは思えません。それぞれが勢力を競っている感じがします。
ブラフマー神はメール山の頂きにいるとされ、教義上、高い地位があたえられているものの、じっさいには、庶民の信仰において大分勢力を落としています。

ここエロ-ラ石窟群ではヴィシュヌ神も、また僅かながらブラフマー神も見られますが、シヴァ神が優勢といえます。

インド神話にはヴィシュヌを中心としたものが沢山ありますが、ここでは、シヴァがそのリンガによってブラフマーとヴィシュヌを包みこんでしまう話を見ておきましょう(『インド・アート――神話と象徴』ハインリッヒ・ツィンマー著、宮元啓一訳を要約)。

  宇宙のはじまりのとき‥‥‥
  無限の海。
  一切の可能性の種子はまどろみの状態にあった。

  生命的流動体の化身であるヴィシュヌ神はみずからの上に、つまり生命の海の上に横たわっている。
  そこにブラフマー神が現われ、こう宣言した。
  「われは生類(しょうるい)の最初の先祖である」
  これを聞いてヴィシュヌ神はこう反駁した。
  「失礼ながらそれは違う。われこそが宇宙の創造者であり破壊者である」
  時間のない空間のなかで、2神は口論し、あい譲らなかった。
 
  やがて2神は炎を冠(かんむり)にしたリンガが海から立ち上がるのを見た。
  リンガは無限の空間へと伸びてゆき、その高さも深さも測ることはできなかった。
  ブラフマー神はヴィシュヌ神に言った。
  「なんじは潜れ、われは飛ぼう、リンガの両端を見きわめよう」
  ブラフマー神は鴨になって天に飛び、ヴィシュヌ神は猪となって深みに飛び込んだ。
  しかし、どちらも見届けることはできなかった。

  ついに巨大なリンガの側面が裂け、宇宙の至高の力であるシヴァ神が現われた。
  ブラフマー神とヴィシュヌ神はシヴァ神に敬礼(きょうらい)する。
  シヴァ神はこう宣言した。
  「われこそがブラフマーとヴィシュヌの起源である」
  シヴァ神はリンガのなかで増大し、高められ、一切をそのうちに包含する存在となった。

  こうして至高神シヴァは創造神ブラフマー、維持神ヴィシュヌ、破壊神シヴァをみずからのうちに包含するにいたった…… 

この神話を伝える彫刻がエロ-ラ第16窟・カイラーサ寺院にあります【写真E-3】。シヴァを含め、ヒンドゥー教の神々はそれぞれ神像をもちますが、リンガで表現されるのはシヴァ神のみです。それだけ精力が旺盛なのでしょう。
【写真E-3】 エローラ第16窟・カイサーラ寺院の壁面に彫られた、リンガから現れたシヴァ神。向かって左にヴィシュヌ神、右にブラフマー神が見える。ともにシヴァ神にたいして敬礼している(海に潜るヴィシュヌ神も表現されている)
(出典:定方 晟『インド宇宙誌』春秋社 p195:図16)

 


暗闇に屹立するリンガ――《アクシス・ムンディ》 (その2)

カイラーサ寺院の最奥にガルバ‐グリハとよばれる比較的小さい正方形の空間があります。ガルバとは第3回で述べたように子宮、グリハは祠堂を意味します。ここは灯火でのみ明るさが確保される、暗黒の世界。中央には、ヨーニ (=女陰)をつらぬいて屹立するリンガがまつられています【写真E-4】

【写真E-4】 光の射さない最奥の空間、ガルバ・グリハの中央に屹立するシヴァ・リンガとこれを包み込むヨーニ。エローラ第16窟・カイラーサ寺院


リンガはシヴァ神の男根。したがって、これを包み込むヨーニはその妻であるパールヴァティということになります。
(シヴァ神には多くの妻がいますが、カイラーサ山にいるのはシヴァ神の正妻というべきパールヴァティ)

詩聖と謳われた4~5世紀ころの詩人カーリダーサが、シヴァとパールヴァティの結婚をつぎのように描いています(上村勝彦訳)。

  彼女の臍のところに置かれたシヴァの手を
  彼女はふるえながら遮るのだが、
  その着物の帯の結び目はおのずから
  すべて解けてしまうのだった。
       …………
  数日後、シヴァはようやく
  妻に快感を味わわせた。
  愛のよろこびを知った妻は次第に
  快楽に対する警戒心を捨てていった。

  シヴァはひめやかに愛戯を教え、
  弟子の彼女は、その若さにふさわしい
  巧みさで教えにこたえ、
  師への謝礼をはらうのだった。

ガルバ‐グリハの中に入りますと、パールヴァティのヨーニに挿入されたシヴァ・リンガをパールヴァティの子宮の中から目にすることになります。それは厳粛かつ至福の時……

リンガの頂部つまり亀頭に当たるところにはマリーゴールドの黄色い花輪が掛けられ、サリーを身にまとったうら若い乙女たちがつぎつぎと手を合わせ、敬虔な祈りを捧げています。

さて、ガルバ‐グリハの手前にはマンダパとよばれる多数の角柱が立つ広い空間があります。これに面してガルバ‐グリハがあるわけです。御神体をまつる本殿がガルバ‐グリハとすれば、人びとが参集して祈る拝殿がマンダパということになります【図E-2】【写真E-5】

【図E-2】 エローラ第16窟・カイラーサ寺院平面図

【写真E-5】 柱が林立するマンダパの空間。掘り出された岩塊の中がさらにくり抜かれている。神社でいえば、ここが拝殿にあたり、その奥(写真では柱の右奥)に本殿としてのガルバ・グリハがある。エローラ第16窟・カイラーサ寺院

マンダパの間口はガルバ‐グリハより広く、ガルバ‐グリハの両側にはマンダパから外への出入口があります。人は左の出口から外へ出てガルバ‐グリハの外周を右回りに巡って、右の入口から再びマンダパに戻ります(前掲【図E-2】)。

ガルバ‐グリハの直上はタワー状になっていて、じつはこれがシヴァ神の住み処である聖山カイラーサを象徴しています。塔は山であり、ガルバ‐グリハは山頂直下にある洞窟というわけです【写真E-6】

【写真E-6】 ガルバ・グリハを内側にはらんで高く聳える高塔ヴィマ―ナ。階段状に立ち上がるこのタイプの塔は南インドに多い。エローラは西インドだが、南インドの文化がここまで及んでいたことがわかる。インドのコスモロジーにおいてガルバ・グリハは《洞窟》であり、ヴィマ―ナは《山》でもある。エローラ第16窟・カイラーサ寺院

さきに述べたように、この山(=塔)はシヴァ神を象徴する最大のリンガでもあります。直下に《洞窟=子宮》をもつこの 《山=塔=リンガ》 は世界の中心軸、まぎれもなく 《アクシス・ムンディ》 なのです。
なお階段状に上昇する、このタイプの塔は南インドによく見られるもので、ヴィマーナと呼ばれます。


***

仏教のストゥーパもヒンドゥー教のヴィマーナも、そしてヴィマーナ直下の洞窟に屹立するリンガも、インドのコスモロジーにおいて天と地をむすぶ世界の中心軸 《アクシス・ムンディ》です。そしてそのまわりを回るのは古来、インドに共通する礼拝作法なのです。

逆にいえば、ストゥーパにしろリンガにしろ、それらが立つところはすべて世界の中心なのであり、そこで祈る時、わたしたちの想念のなかに、いつも 《アクシス・ムンディ》 が立ちあがるのです。

しかし、聖者の遺骨が納められたストゥーパと性本能を象徴するリンガでは、同じ 《アクシス・ムンディ》 でも、意味する世界がだいぶ違うのではないか……?
                                                                      
                                                                             (つづく)

                              

武澤 秀一(たけざわしゅういち)

1947年群馬県生まれ。建築家/博士(工学・東京大学)。東京大学工学部建築学科卒業。同大学院を中退し、同大学助手をへて建築家として独立。設計活動の傍ら、東京大学、法政大学などで設計教育指導に当たった。20代、30代はヨーロッパ志向がつよかったが、40代に入りインド行脚をはじめる。50代以降は中国、韓国および日本列島各地のフィールドワークを重ねている。著者に、『マンダラの謎を解く』(講談社現代新書)、『空海 塔のコスモロジー』(春秋社)、『法隆寺の謎を解く』(ちくま新書)、『神社霊場 ルーツをめぐる』(光文社新書)、『伊勢神宮の謎を解く——アマテラスと天皇の「発明」』(ちくま新書)などがある。