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コスモロジーと出会うよろこび【編集部から】

本連載エッセイでは、人類共通の記憶の宝庫ともいうべきコスモロジー(=世界観・宇宙観)の豊かさを武澤秀一先生が探究します。
建築家である先生は、ご著書『空海 塔のコスモロジー』『マンダラの謎を解く』『神社霊場ルーツをめぐる』に見られるように、3次元の存在である建築を歴史・宗教・文化の位相のなかに捉え、塔やマンダラや神社霊場が聖なる力を帯びていく様相を明らかにされてきました。そして今年3月に刊行された新著『伊勢神宮の謎を解く』は、とくに日本の特性を浮かび上がらせていて注目されます。本連載エッセイにあわせて、ぜひごらんください。これからの連載でも、日本列島において育まれてきたわたしたちのこころの特性に、さまざまな場面で気づかせてくれることでしょう。
さあ、コスモロジーに出会う旅に出発することにいたしましょう。わたしたちが無意識の底に置き去りにしてきた大切なものに、今、再び出会うために——。

建築家 武澤秀一のフォトエッセイ 世界遺産を巡る ― 時空を超えて

 

第7回 アジャンターの仏教窟 vs. エローラのヒンドゥー教窟(下・その1)

今回はストゥーパとリンガに象徴される、仏教とヒンドゥー教の人生観の相違に注目しましょう。

涅槃と性

前回見たように、カイラーサ寺院においては、カイラーサ山の直下にシヴァ神の妻パールヴァティの子宮がまさに洞窟としてあり、そここそがシヴァ神の永遠の住み処となっていました。
ガルバ‐グリハの外周を回る時、人は聖山カイラーサを一巡したことになります。同時にそれは、男神と女神の結婚を寿(ことほ)ぐことを意味していました。

サーンチーのストゥーパでもまわりを回りました(第2回を参照)。アジャンター第19窟でもストゥーパのまわりを回ります(第5回を参照)。

しかし、ここでは前面にブッダ像が彫りだされるなど正面性をつよめており、じっさいに身体を動かして回るというよりは、ブッダ像の前に座し、じっと静かに瞑想するなかでストゥーパのまわりを回るようになったのではないかと思われます(拙著『マンダラの謎を解く』を参照、第5回【写真A-6】)。

アジャンターの仏教窟では礼拝の対象物としてストゥーパが、エローラのカイラーサ寺院ではリンガがまつられています。ともにそれぞれにおいて中心的な位置を占め、礼拝するにはそのまわりを回るのも共通しています。

ところが、ストゥーパとリンガでは、意味するものがだいぶ違います。

ストゥーパは涅槃(ねはん)の境地を伝えています。涅槃とは欲望を滅却した状態であり、生きているうちにこれに到達するのが理想です。
それが無理なら、せめて死後の世界で……、と願うのが煩悩のなかに生きる者の願いといえましょう。本当は初期仏典『ミリンダ王の問い』が教えるように――そこではギリシャの王と仏教僧の対話が繰りひろげられています――、涅槃は色や形で表せるものではないのですが。

一方、リンガは性のエネルギーの偉大さ、そして男女の交歓を表現しています。打ち震える性本能がくりひろげる世界を礼讃し、生命を謳歌しているのです。

もっともサーンチーのストゥーパを見ますと、豊満な美女が入口で迎えてくれたりしていて、あたかも楽園が待っているかのようです【写真S-10】。そこにはヒンドゥー教とも共通するインド特有の感性があります。ストゥーパを寄進した在俗信者たちのもとめるところでもあったのでしょう。
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【写真S-10】 :伸びやかに若い肢体を誇示して招き入れる豊饒の女神ヤクシニー。ここは楽園への入口か? サーンチーのストゥーパ/東門


しかし、だからといって、仏教とヒンドゥー教を同等視するのは無理があります。やはり、本質的な違いを見失ってはならないと思われるのです。
もちろん、生と死はつながっており、どちらか一方を無視することなどできません。しかし、どちらをもとめて生きてゆくのか? 
それにより人生はかなり違う様相を示すのではないでしょうか。

理想の人生

バラモン教を核としつつ、インド土着の習俗を積極的に吸収して成立したのがヒンドゥー教です。かれらヒンドゥー教徒にとって理想の人生とは、四住期(しじゅうき)をたどるものでした。

(1)学生期(がくしょうき):ヴェーダの学問を身につけるよう励む
(2)家住期(かじゅうき):妻をめとり、子をもうけて家庭を営む
(3)林住期(りんじゅうき):孫ができるに伴い、社会から距離をもって夫婦で暮らす
(4)遊行期(ゆぎょうき):家と家族を捨て諸国を行脚する

(林住期、遊行期では社会の第一線から退くものの、第5回で述べましたように、出家ではありません。修行者だけで共同生活を営むのが出家です。仏教はなるべく早い時期での出家を勧めました)

こうした人生の過ごし方はヒンドゥー教の聖典『マヌ法典』にも具体的に説かれ、現在でも理想の生き方としてインドの社会に根づよく残っています。
同時にヒンドゥー社会では、人生には目標とすべき三つの価値があるとされます。

(a)ダルマ(=法) :法、道徳への帰依と実践
(b)アルタ(=富) :富、財産、実利またこれにかかわる知識
(c)カーマ(=性愛):行為の実践と子孫の繁栄

性愛指南の書として知られる4~5世紀ころの経典『カーマ・ス―トラ』は、

ダルマ、アルタ、カーマに礼し奉る――

という一文から始まっています(『完訳カーマ・ス―トラ』岩本 裕訳)。そしてこの3つの目的(価値)と人生の諸段階の関係をつぎのように述べています(要約)。

人はまこと百歳の寿命を享受して、時期を区分して人生の三つの目的を、順次に継続して、しかも相互に阻害することなく遂行すべきである。
少年時代においては知識の習得などの諸々のアルタを修め、次に青年時代にはカーマに、さらに老年にあってはダルマと解脱とに専念すべきである。

学生期はアルタに、家住期はカーマに、林住期と遊行期はダルマの習得に励むように勧めています。学生期についてはピンとこないものを感じますが、『カーマ・スートラ』ではアルタを生きていくうえで必要な実用的な知識と、広い範囲でとらえているのでしょう。本音はカーマ礼讃にあったようです。

19世紀、東インドのベンガル地方に生き、詩人タゴールらと親交を結び、ヒンドゥー教徒のみならずイスラム教徒からも、そしてロマン・ロランをはじめとする欧米人たちからも広く敬愛されたラーマクリシュナは以下のような問答を遺しています(『大聖ラーマクリシュナ 不滅の言葉』田中嫺玉・奈良毅訳を要約)。

「俗世の生活は捨てた方がいいのでしょうか?」
「人によりけりだ。どの人にとっても俗世を離れることがいいというわけではないよ。
苦楽の経験をみんな終えてしまった人たちでないと、世間の生活はなかなか捨てられない。盃に半杯の酒で酔えるかい?」

「苦楽が終るとは、どのようなことでしょうか?」
「女と金の経験のことさ。金、名声、五感の歓び――こういう経験をひと通り終えた後でなけりゃ、つまり、苦楽の経験を卒業しなければ――たいていの人は神さまのことに熱中できない」
  
アルタ(富と名声)そしてカーマ(性愛)をひと通り経験して、はじめてダルマ(法)へと至りうることをざっくばらんに語っています。この辺がわれわれにとってリアリティがあるところではないでしょうか。

これは4つの段階の流れにだいたい沿っています。家住期においてアルタとカーマに励み、林住期以降、ダルマへの道を巡る――むしろ、林住期や遊行期に先立って、家住期の務めを十分に果たすことが要求されているわけです。

ベナレス(ヴァーラーナシー)やマトゥラーなどの聖地でよく見かける行者たちは遊行期を実践していることになりますが、見方を変えればホームレスが制度化された姿ともいえます。 

カ―マが分岐点

これに対し、仏教は人生の全体を苦ととらえます。その中身をなすのは、

……生――老――病――死……

でした。この4つの要素は、生まれて、老いて、病いをえて、死ぬ……というものであり、自然の生命現象を冷静に見つめています。そこにもとめられたのは欲望をもたぬこと、執着を捨て去ることであり、それこそが涅槃にいたる道でした。その達成に向けて、一人ひとりの努力の持続が生涯にわたってもとめられる厳しい教えでした。

同じ大地に育ちながら、とくにカーマ(=性愛)をめぐり、仏教とヒンドゥー教は大きく立場を分けていました。

のちにインドで仏教は、勢力を伸ばすヒンドゥー教に押されるようになり、やがて性の要素を受け入れる動きが生まれます。アジャンター、エローラ探訪の基点となるアウランガーバードにも仏教窟があり、その彫像は官能的なことで知られています。それは、悟りにいたる方便として性を位置づける密教の登場でした。
(エローラの仏教窟も密教的段階にあったといわれています)

禁欲の果てに到達されるとされた涅槃が、密教の登場により、生命を横溢させることにより到達する涅槃に転換されたとわたしは理解しています(拙著『空海 塔のコスモロジー』を参照)。

インド的土壌に培われたヒンドゥー教と仏教は、感性を共有するものの教義において対立していましたが、密教において両者は融合したといえましょう。

***

次回は 《アジャンターの仏教窟 vs. エローラのヒンドゥー教窟》 のフィナーレを飾るべく、エローラを代表する第16窟、ヒンドゥー教のカイラーサ寺院が体現するインド古来のコスモロジーの掘り起こしに取りかかります。
         
                                                                          (つづく)


武澤 秀一(たけざわしゅういち)

1947年群馬県生まれ。建築家/博士(工学・東京大学)。東京大学工学部建築学科卒業。同大学院を中退し、同大学助手をへて建築家として独立。設計活動の傍ら、東京大学、法政大学などで設計教育指導に当たった。20代、30代はヨーロッパ志向がつよかったが、40代に入りインド行脚をはじめる。50代以降は中国、韓国および日本列島各地のフィールドワークを重ねている。著者に、『マンダラの謎を解く』(講談社現代新書)、『空海 塔のコスモロジー』(春秋社)、『法隆寺の謎を解く』(ちくま新書)、『神社霊場 ルーツをめぐる』(光文社新書)、『伊勢神宮の謎を解く——アマテラスと天皇の「発明」』(ちくま新書)などがある。