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2013/02/14

『看取り先生の遺言――がんで安らかな最期を迎えるために』奥野修司(著)
            文藝春秋社、2013年1月、1470円

 「看取り先生」とは、仙台で末期がんの患者たちに在宅医療を展開し、2012年9月にがんで逝去した医師の、岡部健のことである。岡部は、東日本大震災の後、仙台に超宗派(宗教・宗派間の壁を超える、という意味)の支援活動を行うための「心の相談室」を設置し、東北大学との協力で、その活動の担い手となる臨床宗教師養成講座の設置を推し進めた人物でもある。本書は、岡部自身が執筆したがん治療・がん看取りについての語りを、著者のレポートがつないでゆくかたちで構成されている。そのため、診察室で岡部医師が説明するのを、患者や家族として聞いているかのように読める。冒頭には、自身のがんについて、発症部位や転移の状況を見ながら岡部がどう考え、どう治療計画をどう立てたかも語られている。がんで死んだ医師のお涙頂戴の話ではなく、具体的な示唆をいっぱいに詰め込んだところが、岡部らしい。
 岡部自身が末期がんのケアの専門家であったから、その「看取られ」の過程も、彼自身がイニシアチブをとって進められた。本書の内容をそのまま理想として受け止めるのではなく、自分の場合はどうありたいか、そのためにはどのような専門家の力を得ればよいか、考えることが読者には求められるだろう。
 治療計画に関わるトピックは、本書が力を入れているところだ。転移の場合の患者の予後(余命)、抗がん剤の功罪とその評価、在宅ケアの長所とコスト、自然な死(いっぱんに大往生と呼ばれているもの)、そして、臨終の近づいた患者が体験するお迎え現象など、がん患者自身、また、それを看取る家族にとって喫緊の問題が、正面から語られる。たとえば、抗がん剤や疼痛を緩和する麻薬などの具体的なメカニズムが患者の状態とつきあわされて、使用する方法や使用の是非・得失をどう判断するか、岡部が説明する。あるいは、末期がんの在宅医療で重きをなすのは医師ではなく介護を担うヘルパーであることを確認し、残り三ヶ月の在宅ケアをすると仮定して、三交代24時間ヘルパーを雇用した場合には180万円かかると数字を挙げてみせる。たとえば岡部は、平均的な葬式費用の200万から300万と病院の無機質な環境での療養、ヘルパーのための180万と日常生活の刺激の多い在宅でのケア、患者にとってどちらが意味があるかを考えてみてはと問いかける。各患者が主治医と相談しながら治療計画を立てる上で参考になる(とはいえ、厳しい選択であることに変わりはない)岡部の助言は有用だ。
 彼が在宅ケアをするようになった経緯も、終末期の患者の生活の組みたて方を考えるヒントになる。宮城県立がんセンターの呼吸器外来に勤めながら、その患者の一部を在宅医療とし往診を行っていた経験から、岡部は、条件が整いさえすれば、在宅の医療で病院よりもよいケアを提供できると確信したという。その条件とは、(1)疼痛緩和などのQOL(生活の質)保持、(2)患者自身のニーズ、健常者基準ではなく(3)死に向かっている人の実際を基準とする医療モデルにたつこと、である。目標は治癒ではなく納得できる看取りである。岡部は実際に、肺がん末期の患者たちを往診して看取る経験を重ねたのち、在宅緩和ケアを専業とする名取市の岡部医院(医療法人爽秋会)として開業するにいたる。在宅医療のための基地として、古い美容院を改修して医院としたシンプルな場所で、最初は外来も受け入れつつ、じょじょに岡部たちの活動はスタートしたという。現在では年間300人を超える患者を看取り、医療者、ソーシャルワーカー、鍼灸師、チャプレンなど90人以上の幅広いスタッフが、医療法人爽秋会で活動している。
 本書で興味深いのは、「お迎え」をめぐる一章、そして、このような「真偽」が確定できない、信仰や信念に関わる事柄を、岡部が尊重する姿勢である。「お迎え」とは、臨終が近い患者が体験するという、死者の訪れ(と受け止められる)体験のことである。在宅医療で、岡部たちは数多くの「お迎え」に出会い、それを社会学・民俗学的に検証するよう、スタッフに託す。死にゆく患者たちの少なくとも4割は「お迎え」を体験しているというデータは、東京大学死生学プロジェクトの『死生学研究』9号に寄稿された論文「現代の看取りにおける〈お迎え〉体験の語り」などで見ることができる。「お迎え」は霊魂や死後世界の実在を示すという単純な主張には、この論文も岡部も組みしないが、さりとて、それらを「価値はあるせん妄状態」などとして切り捨てるわけでもない。彼は、宗教などのわたしたちの文化伝統に接続されるかたちでそれらを活かすことをすすめる。東日本大震災で同僚を失った悲しい経験も踏まえて、臨床宗教師の必要と可能性を力説するのである。 
 
 岡部医院での在宅ケアの運営は後継され、彼が去っても継続される基盤ができたが、介護保険制度を含めたわが国の医療の多くの課題は残されている。臨床宗教師養成講座はスタートし、宗教界との連携をひとつひとつ組みたてながら、現在進行中である。日本人の三人に一人ががんで死ぬ時代であるから、ここで語られている事例は他人事ではない。ユーザーとして行った選択が未来世代の死や看取りをつくっていくことをかんがえれば、重い責任をわたしたちも共有している。
 死の看取りは、1970年代に在宅から病院へと大きく切り替わり、それが今在宅へと戻されようとしているいま、複雑な医療制度をどう理解するかは急務である。本書は、緩和ケア専門医として、またユーザーとして、二つの立場から平易に親切に、多くの情報をルポルタージュの形式で読める好著である。ぜひ一読をおすすめしたい。
 
(宗教情報センター研究員 葛西賢太)