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宗教情報センターの研究員の研究活動の成果や副産物の一部を、研究レポートの形で公開します。
不定期に掲載されます。


2012/06/01

「臨床宗教師」の可能性を社会のニーズから探る
~「臨床宗教師」をめぐる考察 前編~

宗教情報

藤山みどり(宗教情報センター研究員)

 東北大学に2012年4月から3年間の予定で「実践宗教学寄付講座」が開設された。
死に関係した宗教的な心のケアを専門的に
▲最新情報や事例を盛り込んだ
『臨床宗教師』高文研2020年刊
も併せてご覧ください。
扱う講座は国立大では初めてで、講座では将来的に、宗教者らが宗教の違いを超えて、死期が迫った患者や遺族への心のケアを行う「臨床宗教師(仮称)」資格制度の創設を目指すという(※1、2)。そこで「臨床宗教師」の可能性を展望するにあたって、現状を踏まえたうえで、まずは社会のニーズから探ってみたい。
 
Ⅰ.被災地から生まれた「臨床宗教師」構想
 実践宗教学寄付講座は、一般財団法人「東北ディアコニア」からの寄付金により開設された(※2)。同財団は、東日本大震災の被災者支援に際して、仙台圏を中心としたカトリックとプロテスタントの諸教会が結成した「仙台キリスト教連合被災支援ネットワーク(東北ヘルプ)」の事務局機能と民生支援を担うため、震災後の2011年に設立された団体である。

 (1)超宗派の被災者ケア活動が開講の機縁に
 講座が東北大に設置された経緯は、東日本大震災にさかのぼる。犠牲者の火葬が行われた仙台市の葛岡斎場では、宮城県下2050の宗教法人が加盟する宮城県宗教法人連絡協議会(斎藤軍記会長・天理教多賀城分教会長)が主体となり、仙台仏教会と仙台キリスト教連合が協力して、宗教関係者がボランティアで遺族のケアや相談にのる「心の相談室」を設けた(※3)。
 この「心の相談室」が発展解消し、2011年5月からは遺族支援のための新生「心の相談室」が誕生した。宗教者やカウンセラー有志による専用電話相談窓口「心の相談室」を設置したほか、宗教者たちが傾聴や弔いを行う移動喫茶“Café de Monk”の開催、被災地向けメッセージのラジオ放送など多岐にわたるプログラムを行った。室長には、岡部健・医療法人社団爽秋会理事長が、室長補佐には川上直哉・日本基督教団仙台市民教会主任担任牧師、その他の理事には曹洞宗住職や浄土真宗本願寺派僧侶、日本バプテスト連盟牧師、など様々な宗教・宗派の宗教者が就任した。
 宗派を超えた被災者支援のための「心の相談室」には、医療や心のケア、宗教の各界著名人29名が賛同者となった(井上ウィマラ・高野山大学文学部准教授、大河内大博・上智大学グリーフケア研究所人材養成講座講師、大下大圓・飛騨千光寺住職、柏木哲夫・淀川キリスト教病院名誉ホスピス長、鎌田東二・京都大学こころの未来研究センター教授、鎌田實・諏訪中央病院名誉院長、ワルデマール・キッペス臨床パストラル教育研究センター理事長、小西達也・上智大学グリーフケア研究所主任研究員、島薗進・東京大学大学院教授、高橋卓志・臨済宗神宮寺住職、日野原重明・聖路加国際病院理事長など。※「心の相談室」公式サイト参照)。
 超宗派による「心の相談室」の事務局は、宗教的な中立を図るため東北大・宗教学研究室に置かれた(※1)。
 この縁で、東北大に講座が開講されることになったのである。講座の立案者の1人である鈴木岩弓・東北大教授(宗教学)は、「心の相談室」の活動を鑑みて、「一瞬にして親しい人を失ったり自己の死を見つめさせられた人々に対して、充分な救済の光を提示できるのは、あの世のメッセンジャーとしての宗教者をおいてはあり得ない」と寄稿し、宗教者の役割を高く評価している(※4)。「宗教・宗教者に救いを求める被災者を目のあたりにして、講座開設の必要性を痛感した」という(※5)。
 今回はキリスト教団体からの寄付によるものだが、鈴木教授は、「キリスト教、仏教、神道、新宗教など、なるべく宗教的な偏りの無いように寄付を募り運営していく」と、宗教的な中立性を意識している(※5)。
 
 (2)「臨床宗教師」講習会は未定
 実践宗教学寄付講座運営委員会の委員長は(財)東北ディアコニア理事長の川上直哉牧師、委員は岡部健医師など「心の相談室」関係者が多く、宗教者の背景もキリスト教、仏教、神道と多くの宗教にまたがる。
 講座では、「死期が迫った患者や遺族の方々の話を聴く傾聴の方法論や、地域における宗教や信仰のあり方を踏まえた接し方などを学ぶ講習会を宗教者を対象として開催し、患者と遺族の悩みに答える「臨床宗教師」(仮称)を育てます」とのことである(※注1)。4月から、文学部の大学生、大学院生を対象に「スピリチュアルケアと宗教心理学」など週3コマの講義が開かれ、約130人が受講している。授業は鈴木教授を中心に、学外から招かれた谷山洋三准教授、高橋原准教授の2人が担当している。谷山准教授は真宗大谷派僧侶でもあり、長岡西病院(新潟県)でビハーラ僧として勤務した経験がある。高橋准教授は、東京大学宗教学研究室助教などを経て着任した。講座では、岡部健医師の往診に同行し、終末期の患者ケアに触れる実習を行う計画もある。
 鈴木教授は、「宗教の違いを超えた形で宗教者が関わる心のケアのあり方を模索したい」(※1)、「欧米には、宗教者が大学で専門教育を受け、軍人や治る見込みのない患者に向き合う『チャプレン』という仕組みが定着している。この日本版のようになれば」(※5)と「臨床宗教師」の構想を語っている。宗教者には、より実践に即した講習会を開催するというが、開講はまだ先になる予定だという(※5)。


Ⅱ.臨床に携わる宗教者へのニーズ
 想定される「臨床宗教師」の活動分野では、すでに宗教者の取り組みが行われている。ここでは、終末期の患者へのケアと、遺族へのケアの2分野に絞って、宗教者へのニーズと問題点を見てみよう。

 (1)宗教者へのニーズが低い終末期の患者
 終末期の患者への心のケア(ターミナルケア)は、欧米では盛んである。キリスト教に起源をもつターミナルケア施設であるホスピスでは、チャプレン(病院付き聖職者)が終末期患者のケアにあたっている。イタリアの病院では、100床に1人の割合でスピリチュアルケアワーカーを配置することが義務付けられている。スピリチュアルケアワーカーの資格を得るには、哲学を2年間、神学を4年間、さらに医療司牧を2年間勉強してスピリチュアルケアワーカーの資格を得るという(※6)。欧米で宗教者が病院で活躍しているのは、文化背景に宗教が根ざしているからである。
 これに比べると日本における宗教環境は厳しい。平安時代の僧侶・源信が著した『往生要集』(985年)には、臨終の病人を看取る作法などが「臨終行儀」としてまとめられている。江戸時代もまた昭和に入っても第二次世界大戦前ぐらいまで、自宅で死ぬのが当たり前で寺檀関係が密だったころは、住職が臨終で看取りにかかわっていたという(※7、8)。だが、葬式仏教と揶揄された時代を過ぎ、いまや葬式にすら僧侶が呼ばれないこともある時代に突入している。

<緩和ケア病棟で活躍する宗教者は約60人>
 日本では1981年に最初のホスピスが聖隷三方原病院(静岡県)に誕生し、1984年に第2号が淀川キリスト教病院(大阪府)に完成した。いずれもキリスト教を背景とする病院である。1985年には田宮仁氏が「仏教を背景としたターミナルケア施設の呼称」として「ビハーラ」を提唱し、1992年には長岡西病院(新潟県)がビハーラ病棟を開設し、チャプレンの代わりとなる「ビハーラ僧」を配した。だが、仏教を背景にもつ病院が少ないせいか、ビハーラが浄土真宗本願寺派の宗派活動という印象が強いためか、ビハーラ病棟をもつ病院は少ない。
 ターミナルケア施設は1990年に緩和ケア病棟が正式に制度化されてから増加し、1990年度に5施設(117床)だった緩和ケア病棟(入院料届出受理施設)が2011年度には225施設(4473床)にまで増加した(※9)。NPO法人日本ホスピス緩和ケア協会の正会員である緩和ケア病棟(同)施設の概要(2011年4月1日現在)を見ると、情報公開を許諾した201施設(3987床)のうち、ケアスタッフのなかにカウンセラーあるいは臨床心理士(非常勤を含む)がいる施設は73施設(1970床)で、カウンセラーは83人、臨床心理士は9人である。一方、宗教者(非常勤を含む)がいる施設は37施設(792床)だけで、宗教者数は60人だった。内訳は、専従8人、専任3人、兼務24人、非常勤25人である。宗教を背景とすることが明らかな病院が28施設と多いが、国立病院機構浜田医療センターのように非常勤宗教者が3名もいる公的な病院もあった。
 緩和ケア施設ではないが、天理教に基づく天理よろづ相談所病院(奈良県・1001床)では、天理教の信仰に基づいて患者の心身の苦悩の解決を目指す、チャプレンとも呼べる天理教教師が100人も活躍している(※10)。これは天理教信者が入院患者の約15%、医師の約14~15%、看護師の約90%と多い特殊性もあろう(※11)。

<死に際したときに宗教者への期待が低い日本人>
 緩和ケア病棟のケアスタッフに宗教者が少ないのは、宗教者への期待が低いことの現われでもある。2004年にビハーラ病棟を設立した立正佼成会附属佼成病院では、立正佼成会員がスピリチュアルケアワーカーとして活躍しており、患者の要望に応じて宗教者を招くこともできるが、2008年までの4年間で宗教者が呼ばれたのは1度だけで、スピリチュアルワーカーにもほとんど相談がない状況が続いたという(※12)。
 公益財団法人「日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団」が3年ごとに実施している「ホスピス・緩和ケアに関する調査」の調査(2005年実施)で「死に直面したときに心の支えになる人」の回答は、選択肢のなかで「配偶者」が約7割、「子供」が約6割と上位に並ぶのに対し、「医師」が約2割で、「宗教者」は4.2%に過ぎなかった。そもそも「信仰しており、よくお参りや礼拝・読経をしたり、会合に参加したりする」が6.8%、「信仰しているが、ふだんお参りや礼拝・読経はあまりしない」が14.1%と信仰者が少ないのだから、仕方がないのかもしれない。震災後の調査(2011年実施)で「信仰する宗教があることが、死に直面したときに心の支えになるか」と尋ねたところ、「なると思う」が3年前の39.8%から54.8%へ増加した。震災時の宗教者の貢献が寄与したとも考えられるが、「宗教」への肯定観が「宗教者」への肯定観とつながるかというと否定的にならざるを得ない
 臨床仏教研究所が2009年に行った調査でも、「信仰する宗教があることは死に直面したときにこころの支えになると思うか」という問いでは、「そう思う」(26.3%)と「まあそう思う」(44.3%)は約7割と高かったが、「死に直面したらお坊さんが心の支えになってくれるか」という問いでは、「そう思う」(6.0%)と「まあそう思う」(18.4%)を併せて2割半ばと低かった。(※13)。
 両者の質問項目に多少の違いはあるが、「宗教」には肯定的でも「教団宗教」や「宗教者」には否定的という日本人の宗教観が伺えるようでもある。上田紀行・東京工業大学教授(文化人類学)は、2009年に立命館大学で講義したとき受講生に尋ねたところ、「仏教」に良いイメージを持っている人が9割、「日本仏教」に限定したら6割5分、「日本のお寺さん」に限定したら2割5分、「日本のお坊さん」では1割になったという(※14)。
 信仰者が少ないうえに、死に直面したときに宗教者が頼りになるとは思われていないのでは、終末期の患者からのニーズは低いだろう。

<宗教者が関われるケア領域は>
 では、宗教者が関わるとすれば、どのような領域だろうか。菊井和子・関西福祉大学教授(当時)の2002年調査によると、全国の緩和ケア施設86施設において、4つの代表的なスピリチュアルペイン(①死への恐怖、②人生が無意味だったと悩む、③愛する人の死を間近にして苦しむ、④患者の死後、喪失に苦しむ)の主たるケア提供者は看護師、主治医だったが、宗教的背景がある19施設では「①死への恐怖」については宗教家が最も多くケアに関わっており、宗教的背景がない施設でも他に比べて宗教家が多く関わっていた(※15)。これは、「死への恐怖」へのケアは宗教家への期待が大きい、あるいは効果があると見なされているともいえる。
 『朝日新聞』2010年9~10月実施の世論調査「日本人の死生観」では、「死が怖いですか」との問いに、55%が「怖い」と答えている。年齢別に見ると、40代と50代では60%、60代では48%、70歳以上では37%と、死期に近い年齢になるほど「怖い」の比率は下がる。だが、ここに宗教者が関わる余地があるかもしれない。

<医療者側からの宗教者への期待>
 一方で、医療界からは期待の声もある。終末医療に関する情報交換組織「かごしま緩和ケア・ネットワーク」の医師も「医療従事者は、どんな風に死ぬか、といった話は絶対にできない。末期患者やその家族らに対して、残された時間の過ごし方や、より良いみとり方を示すなど、宗教者が担うべき役割は、確かにある」と期待を寄せる(※16)。
 終末期がん患者の在宅緩和ケアに携わってきた「心の相談室」室長の岡部健医師は、患者の必要に応じて臨床心理士などとも連携してきたが、「でも死は扱えない。死後の世界とある程度つながっていないと、人は死に切れないし、大切な人の死を受け止めきれない」と宗教者の役割を評価する(※17)。そして、宗教者を交えて2003年にタナトロジー(死生学)研究会を発足させた。在宅で患者の看取りを行った遺族に調査したところ、366件の回答のうち42.3%で、「他人には見えない人の存在や風景」について患者が語っていたという。見えたらしいものは、「すでに亡くなっている家族や知り合い」が半数だった。いわゆる「お迎え」体験である(※18)。このような話は、医師に言えば幻聴として治療対象になる内容で、在宅で看取られている患者だからこそ口にできたのだと岡部医師は考えている。(※19)。

 <期待と現実の乖離>
 ただし、終末期の患者が気にすることとして、死生観の問題は意外と多くはない。「死期が近い場合の不安や心配ごと」を尋ねた調査では、「病気が悪化にするにつれ、痛みや苦しみがあるのではないかと思うこと」が6~7割と高く、「自分が死ぬと、自分はどうなるのか、どこへ行くのかということ」(2005年28.6%→2008年31.9%→2011年26.4%)は2~3割と低い(※20)。
 医療者の側からは、病院内で布教活動をするのではないかという危惧や不信感もあるようだ。また、2002年と古い調査ではあるが、沼野尚美・六甲病院緩和ケア病棟チャプレン(当時)によると、医師、看護師が望むチャプレン像は、チャプレン側が描くチャプレン像とは異なる(※21)。チャプレンは自身の働きとして、「宗教的援助」を評価しているのに対して、医師・看護師は「話をよく聴いてくれる人」「宗教を押し付けずに心のケア全般にかかわってくれる人」「スタッフのよき相談相手となり、スタッフの心のケアのできる人」であることなどをチャプレンに望んでいる。このため「医療者が宗教者を必要としている」といっても、宗教者側が果たしたい役割とは齟齬がある可能性が大きい。チャプレンの役割については、「終末期の患者の心に寄り添う」というイメージが強いが、外国でチャプレンの研修を受けた人が「患者に対しては3割で、あとの7割は医師や看護師などの医療現場で働く人たちのメンタルケア」と語ったという話(※22)もあり、宗教者側の描く役割とは異なるのかもしれない。

<僧侶へのニーズが少ない医療現場>
 ただし、キリスト教聖職者はともかく僧侶に関しては、医療現場では特に「縁起でもない」と敬遠されがちである。ビハーラの先駆的な存在である長岡西病院でも、開設当初は僧侶が出入りすることに対して「縁起が悪い」「不吉だ」と思われていた(※23)。東日本大震災では、被災地の東北では寺院と地域の結びつきが強く、「衣を着ているだけで僧侶を受け入れてくれる」という利点もあったが、病院内では袈裟を着た僧侶は拒否されるのだろう。また、がん患者でもある僧侶からは、「実は患者からの病院を訪れる僧侶の評判はよくない。それは説法の内容が独りよがりで自己満足のきらいがあるから」(※24)という厳しい指摘もあった。「お坊さんは話すのは得意だけれども、聞くのが苦手なことが多い」(※25)とはよく言われることだ。
 いまや「ビハーラ」が示す意味は、仏教者による「高齢者介護」「苦悩を抱えた人への支援」などに広がっているが、その理由を「仏教者が(終末期ケアにおいて)期待されたほどの成果を挙げられなかったから」と考えるビハーラ活動従事者もいる(※26)。
 浄土真宗本願寺派では、1987年からビハーラ活動従事者の育成を行っており、2008年には実践の場として京都府城陽市に特別養護老人ホーム「ビハーラ本願寺」と、有床診療所「あそかビハーラクリニック」を開設した。診療所にはビハーラ僧が常駐し、特養にも出向いて勤行や法話会を開催する。僧侶・寺族・信徒を含めた教区ビハーラ活動者(2008年度活動者)は6440名と非常に多いが、その活動場所は特別養護老人ホームがほとんどである(※27)。
 2011年には、臨済宗佛通寺派管長から医師に転身し、“僧医”を名乗る対本宗訓医師が提唱する「臨床僧の会・サーラ」が発足した。一般の病院で宗教者として臨床の場に関わるのは難しいという判断から、ホームヘルパーなどの資格を取って「臨床僧」として医療や介護の現場での心のケアを目指そうという活動だ。僧侶ら約20人が集まり、2011年12月には5人がホームヘルパー2級の資格を取得した。ところが、緩和医療を実施する病院など数カ所に患者との対話を申し出たが、「病院内の合意が取れない」「時期尚早」などの理由で断られたという(※28)。宗教者は医療との歩み寄りを図ろうとするが、受け入れ先となる医療機関は多くないようだ。

(2)高まるグリーフケアへのニーズ
 では、「グリーフケア(悲嘆ケア)」についてはどうか。1970年代から日本で「死への準備教育」に取り組んできたアルフォンス・デーケン神父は、そのなかでもグリーフ(悲嘆)教育、グリーフケアが重要だと語る。米国では、亡くなった患者の遺族に1年以上グリーフケアを提供しなければ、ホスピスを名乗ってはならないというルールがあるという(※29)。だが、日本でグリーフケアが浸透し始めたのは、ごく最近のことである。

 <共同体の崩壊でグリーフケアが伸長か>
 「グリーフケア」という言葉は、2000年代に入ってから、急速に広まった。特にJR福知山線脱線事故の後、2007年にJR西日本の寄付により聖トマス大学(兵庫県)で「悲嘆(グリーフ)」について学ぶ公開講座が始まってから、「グリーフケア」という言葉が浸透したようだ。
 グリーフケアが広まった背景として、社会の変化を指摘する声が多い。新谷尚紀・国立歴史民俗博物館教授は、日本人にとって死が遠のいているからだと指摘する。かつては死者が出ると村人たちが手伝って自分たちで葬儀を出していたが、今は葬儀には葬儀社が介在して死人を見て触れる機会は少ない。そして、「死者を気遣う他者愛から自己愛へ、追善供養からグリーフケア(悲嘆回復)へ、という変化」が起きているという(※30)。坂口幸弘・関西学院大学教授(悲嘆学)は、「核家族化や都市化が進む社会において、家族・親族や近隣の支え合いの力が弱くなりつつある中、身近な人以外からのグリーフケアは今後ますます必要」になると見ている(※31)。
 しかも日本の年間死亡者数は、2010年には119万7000人だったが、2060年に166万9000人のピークを迎えるまで増加すると推計されている(※32)。家族や友人の絆が弱まっているとはいえ、その死を嘆き悲しむ人は、死者の数以上であるので、グリーフケアの対象者は増加すると見込まれる。さらにグリーフの対象は、故人に限らずペットや大切なものなど範囲が広いため、やはりグリーフケアを提供する機会は今後も増えると考えられる。

 <広がるグリーフケア>
 2008年にはグリーフケアを行う人材を養成する日本グリーフケア協会(会長・宮林幸江・宮城大学教授(当時))が発足し、2009年には日本初のグリーフケア研究所が聖トマス大学(※2010年から上智大学に移管)に設立され、グリーフケアはますます注目されている(※33)。2012年からは国が大規模災害で初めてグリーフケアに取り組む。東日本大震災で親を亡くした子供が岩手、宮城、福島の3件で1500人以上に上ることから、2011年12月に厚生労働省は、2012年から子供にグリーフケアを行う方針を決定した(※34)。
 悲しむ人へのグリーフケアは誰もが担い手になれる。だがグリーフを消化しきれない人には専門家が必要になる。グリーフケアは、医療機関や上智大学グリーフケア研究所などの研究機関のほか、遺族同士の分かち合いの会などでも受けられる。直葬の比率が東京都内で3~4割(※35)とも言われるなかで、葬祭業者もグリーフケアに高い関心を示している。経済産業省の調査(2010~2011年実施)で、「遺族の心のケア」にすでに取り組んでいる葬祭業者は24.7%だが、今後「取り組みたい」と答えた比率は36.7%と他のサービスに比べて多かった(※36)。
 2012年の調査では、全国の30歳以上男女に「両親と死別した場合、家族以外で悩みなどを相談するであろう人、頼るであろう人」を複数回答で聞いたところ、「葬祭業者、葬祭関連サービス業者」が23.8%と最も多く、やはり業者側のねらいは的を射ている。ただし、「相談したい人、頼りたい人はいない」も17.6%と多い。このほか、「医療関係者」や「行政機関」、「弁護士・司法書士、行政書士など」が約1割で並ぶ。「宗教関係者」は5.7%で、「介護関係者」(5.5%)とほぼ同程度だが、「臨床心理士、カウンセラーなど」(1.3%)よりは期待されている(※37)。

<宗教者がグリーフケアに関わる可能性>
 仏教の初七日、四十九日、一周忌、三回忌などの法要は、グリーフケアの効果を持っていたともいう。しかし、形骸化した法要も多い、との批判もある。檀家とのつながりが希薄になったためか、「遺族にどう声をかけたらいいのか」と漏らす僧侶も多いという。このため大阪市仏教会では、グリーフケアの第一人者である高木慶子・聖トマス大学客員教授(現・上智大学グリーフケア研究所所長・教授)にケアを学んだ真宗大谷派の僧侶を講師として、グリーフケア研修会を開催した(※38)。カトリックの修道女でもある高木教授は、人の家に堂々と入り、祈りを捧げることができる僧侶こそグリーフケアを一番やりやすいのではないかと仏教者に期待する(※39)。
 葬儀離れが加速する昨今だが、東日本大震災では葬儀や読経のグリーフケアとしての役割が見直された側面もあった。グリーフケアの重要性への認識が高まるなかで、宗教者は葬儀や法要をグリーフケアの場として捉えなおし、その意義を再認識させる必要がありそうだ。

<宗教者の優位性は「あの世」の話が語れること?>
 東日本大震災では、宗教者相手ならではの相談も被災者から寄せられた。「お化けや幽霊が見える」という悩みである。幽霊が見えるのは「生き残った人々の罪悪感ゆえ」と精神科医は分析するが、僧侶の「供養」で解決した例もあるようだ。このような悩みは行政機関や親族には話しづらく、宗教者が相談にのるしかないという(※40)。唐突に死が訪れた震災犠牲者の遺族のケアに関しては、「心の相談室」室長の岡部健医師も「あの世のことを語れる人でないとだめだと痛感しました」と、宗教者の効用を語っている(※17)。
 実践宗教学寄付講座の発案者の1人である鈴木岩弓教授は「死後や霊魂の話ができることが、宗教者と医師の最大の違い」「死がすべての終わりではない、という価値観を語れる宗教者にしか担えない役割がある」と語っている(※41)。医療者や介護者にない宗教者の優位点は、人知を超えた話ができる(と思われている)ことのようでもある。岡部医師が報告した終末期患者の「お迎え」体験なども、医者には語れなくても宗教者にならば語りやすいだろう。また、「死後の世界」について聞かれた場合、カウンセリングでは通常、相手が心に潜ませている答えをカウンセラーが引き出すだけである。だが、宗教者ならば、押し付けがましくない程度に自分の意見を語っても差し支えないだろう。開祖は死後の世界について語っていない、教義は霊魂を否定しているという宗教者もいるであろうが、宗教者は臨床現場に赴く前に、まずは死後の世界や霊魂についての自らの見解を振り返っておくのも良いかもしれない。
 
                                                                                            
                                                           * * *

 以上、ニーズという観点から「臨床宗教師」の可能性を見てきた。
  「臨床宗教師」が目指す「死期が迫った患者への心のケア」は、患者はともかく医療界からの要望は無きにしもあらずである。医療界からの要望があるというのは、患者への対応に医療界が手をこまねいているということでもあろう。現時点で患者から宗教者へのニーズは少なくても、医療者が仲介して患者を宗教者へとつなぐことができれば、そして、患者の不安が宗教者によって和らぐならば、患者と医療界ともに宗教者への評価も高まるだろう。いったん好循環が回り始めれば、宗教者が医療施設である病院内の活動に関わるのも容易になってくるだろう。幸い、「実践宗教学寄付講座」運営委員会の学外委員には在宅でのターミナルケアに長年携わってきた岡部健医師が加わっており、講座と関連の深い「心の相談室」の賛同者には終末期医療の著名人が名を連ねている。医療と宗教の連携がうまく機能すれば、可能性が広がってくるだろう。
 もう1つの活躍場面と想定される「グリーフケア」に関して言えば、もっと入り込む余地はありそうである。直葬が増えているとはいえ、宗教者は葬儀や法要・追悼に関わる機会が多い。宗教者は葬儀などの場面をグリーフケアの場として捉え直してみる必要があるだろう。グリーフケアを必要としている人々は多く、今後も増えると予想されている。
 東日本大震災を機に芽生えた宗教の違いを超えた宗教界の結びつき、そして医療界と宗教界の連携の働きが、大きな果実を結ぶかどうかは、宗教界側の今後の動きにかかっていると言えるだろう。臨床の場で活躍することを目指す宗教者が、一人でも多く名乗り出ることを期待したい。


※追記 「臨床宗教師」制度の進行状況等については、2012年6月22日の高橋原・東北大学実践宗教学寄付講座准教授による講演について記載したCIR活動報告もご覧ください。


 >>「臨床宗教師」資格制度の可能性を探る ~「臨床宗教師」をめぐる考察 後編~ 

※レポートの企画設定は執筆者個人によるものであり、内容も執筆者個人の見解です。

 

※注1「心の相談室」公式サイトの「実践宗教学寄付講座」の説明参照。5月時点では「実践宗教学寄付講座」サイトではこの記述はなくなっているが、今回の記事は「臨床宗教師」の活動分野を、4月以前の同サイト記述通り「ターミナルケア」と「グリーフケア」の2分野と想定して記述している


参考資料:
※1『読売新聞』2012年4月5日
※2『毎日新聞』2012年3月27日
※3『河北新報』2011年4月28日、「心の相談室」公式サイト
※4『仏教タイムス』2012年1月12日
※5『中外日報』2012年5月3日
※6田中雅博「認知症終末期におけるスピリチュアルケア」『老年精神医学雑誌』第22巻第12号 2011年12月
※7『朝日新聞』2001年4月9日夕刊、『京都新聞』1992年12月7日夕刊
※8田宮仁『「ビハーラ」の提唱と展開』学文社2007年3月
※9NPO法人 日本ホスピス緩和ケア協会 公式サイト
※10「公益財団法人天理よろづ相談所」公式サイト
※11石井賀代子「現代医療と宗教のかかわり-宗教的背景の異なる医療施設の事例から-」『比較人文学研究年報』2007
※12『仏教タイムス』2008年1月31日
※13神仁「僧侶は死に直面したとき心の支えになってくれると思うか」『寺門興隆』2010年4月号
※14大谷光真・上田紀行『今、ここに生きる仏教』平凡社(2010年11月)
※15柳田邦男・静慈圓責任編集『「生と死」の21世紀宣言Part2』21世紀高野山医療フォーラム(青海社)2009年11月
※16『読売新聞』大阪版夕刊2012年2月2日
※17『朝日新聞』2012年3月5日夕
※18諸岡了介・相澤出・田代志門・岡部健「現代の看取りにおける<お迎え>体験の語り」『死生学研究』第9号(2008年3月)
※19『毎日新聞』2011年5月31日
※20公益財団法人日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団「ホスピス・緩和ケアに関する意識調査」
※21沼野尚美「ホスピスチャプレンとしてのスピリチュアルケアのあり方に関する研究」2002年度笹川医学医療研究財団研究報告書
※22田畑正久「医療と仏教の協力」『その人を憶ひて』龍谷大学宗教部2010年10月
※23森田敬史「ビハーラ僧の実際」『人間福祉学研究』第3巻第1号2010.11
※24『中外日報』2004年5月11日
※25『仏教タイムス』2004年9月23日
※26『仏教タイムス』2008年1月1日
※27「ビハーラ20年総括書」浄土真宗本願寺派社会部社会事業担当2010年2月
※28『読売新聞』大阪版夕刊2012年2月2日
※29『週刊朝日』2011年2月4日
※30『山口新聞』2009年3月29日
※31『朝日新聞』大阪版2008年5月5日
※32国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口」平成24年1月推計 出生中位(死亡中位)推計
※33『西日本新聞』2008年10月7日
※34『東京新聞』2011年12月11日
※35『東京新聞』2011年12月27日
※36経済産業省商務情報政策局サービス産業室「安心と信頼のある『ライフエンディング・ステージ』の創出に向けて」2011年8月
※37経済産業省商務情報制作局サービス産業室「安心と信頼のある『ライフエンディング・ステージ』の創出に向けた普及啓発に関する研究会報告書」2012年4月
※38『読売新聞』2008年6月30日、『毎日新聞』2007年2月8日、『神戸新聞』2008年3月19日
※39『仏教タイムス』2011年12月1日
※40『産経新聞』2012年1月18日、『週刊新潮』2012年3月8日
※41『日本経済新聞』2012年4月28日