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エッセイを掲載します。更新は不定期です。


2025/10/20

インド古典を専門とする入山仰世 (淳子 慶應義塾大学非常勤講師)コーナーを連載を開始します。お楽しみください。
 

古典インドの(わら)智慧:はじめるにあたって

エッセイ

入山仰世(Takase Iriyama)

  (わら)をもつかむ思い (Help !)。 
  そんなとき皆さまはどうしてこられたでしょうか。 
  よい藁、いや智慧はないかと、まずは自分の脳をフル回転。つぎには眼を血走らせて周りをギョロギョロ。いまは瞬時に古今東西までたずねて導いてくれるAI(人工知能)もある。「もう十分そろっている」(という御声が聞こえてくるよう。)ですがこのコーナーはあえて逆行して・・・  
  数千年にわたりインドのひとびとが尊び伝えてきた古典から、「いま行くよ (I'm coming !)」と言ってくれそうな、現代でもまだまだ助けになる短いことばをご紹介してゆこうと思います。 

  藁というと、もう根をもたないので当てにならない。でもここに流れてくる藁はつかんだら、善悪を超えた思いがけないどこかに流れつけるかもしれない。ということで智慧にかけて、智慧(そもそもの悪意はないものの、つかんだところで当てになるのかどうか。)としてみました。真意は一本目のお話で明かしています。 

  このコーナーにおける文責の一切は筆者個人にあります。ただインド古典の万年入門者ゆえ、御専門の碩学諸氏には笑止必至、またインドの文化に馴染みをもたれない諸兄諸姉には、独特の概念や感覚に接点を持たれにくい回もあるかもしれません。そんな藁が流れてきたときはどうかつかまず、お読み流しください。絶体絶命の 最中(さなか)に抜け道が現れた、元気だけはなぜか出てきた、ぐらいをまずは目指そうと思っています。 

  毎回の引用文(筆者による拙訳)の上にある文字(デーヴァナーガリーなど。出典に拠るため同一回内でも統一していません。)は、インドの空気を感じたり、また原文だけでよい方のために付しています。引用文の書誌的背景などは註に収めるようにしました。 
  初めの四話は、インド古典によく取り沙汰される学道、世事、求道をとりあげ、これからつづく浮世(離れ)話の展望役ともしています。 

  本コーナーは原典の語り手はもとより、伝承にかかわる数知れぬ方々、従来の諸研究、そして掲載場所をご提供くださる宗教情報センターにかかわるみなさま、とりわけ堀玲子氏(DBアーキテクト)、藤山みどり氏(新聞学)、荒木亮氏(文化人類学)による草稿段階からの伴走を得て、毎回漸く書き進めることができています。ここに記し深く感謝申し上げます。 
  一本でも藁智慧となるよう報謝精進してまいります。 

入山 (たか)() (淳子 慶應義塾大学非常勤講師)