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宗教情報センターの研究員の研究活動の成果や副産物の一部を、研究レポートの形で公開します。
不定期に掲載されます。


2011/02/22

”タイガーマスク現象”報道のまとめ
~識者、新聞はどう捉えたか?

宗教情報

藤山みどり(宗教情報センター研究員)

※レポートの企画設定は執筆者個人によるものであり、内容も執筆者個人の見解です。

 

支援活動の実践者には懐疑的なタイガーマスク現象◆◆◆
 昨年のクリスマス、児童養護施設に漫画『タイガーマスク』の主人公「伊達直人」名でランドセルの贈り物が届いたことが報道されると、各地に同様の寄付が広がった。年末から1月までで同様の寄付は1000件を超えた。この現象に関して、新聞や週刊誌、宗教専門紙でどのような論調が展開されたか見てみよう。
 この「タイガーマスク現象」については、匿名への批判、贈り物の内容や継続性についての要望はあったものの、行為そのものは好意を持って受け取られていた。ただし、発展途上国への支援に長年携わっているカトリックで作家の曾野綾子は、「浮き上がった話に思える」「一度だけ思いついていいことをするのは、その人の一時の楽しみにすぎない」と批判的だった。(『産経新聞』2011年1月28日)。
 匿名への批判は、双方向性のなさ、継続性につながらないなどの理由からである。『朝日新聞』(2011年1月12日)社説は、ニーズに合ったものを贈るためにも、また、贈られた子どもたちにとっても顔が見えた方が良いと、児童養護施設関係者の言葉を借りて主張する。『東京新聞』(2011年2月9日)に投稿した児童養護施設の園長も同様に、「子どもにとっては一緒に遊んでくれたことの方がうれしかったはず」と、素顔、実名で関わってほしいという意見だ。園長は、顔見知りになれば、欲しいものを率直にお願いできるとも述べている。ボランティア活動を20年近く行っている女優の東ちづるも、「子どもたちが感謝の気持ちを伝える喜びを知る」から「名乗るか顔を見せて」と訴える(『東京新聞』2011年2月10日)。
 贈り物の内容については、贈られる側を熟知している人にはお金が好ましいとする意見が多いようだ。前述の東は、施設のニーズに合わせられるように「お金」を贈ってほしい、「何に使うかは信用してほしい」と書いた。自身が豪雨で被災した経験をもつ評論家の呉智英は、“義援金は誰からも喜ばれたが、古着類は引き取り手がなかった”と振り返り、「善意の輪がさらに広がると『不要品整理も兼ねたプレゼント』が出てこないとも限らない」と危惧する(『東京新聞』2011年1月21日)。こうしてみると、現場と密接な者には、今回の「タイガーマスク現象」はやや懐疑的に捉えられたようだ。

◆◆◆人々の社会貢献意欲を駆り立てたものは?◆◆
 次に、なぜ「タイガーマスク現象」が拡大したのかについて見てみよう。ここでは、人々の社会貢献意欲を駆り立てた要素として、先ほど批判に上がった「顔を見せない、実名を出さない」ことが重要なポイントとなっている。
 精神科医で立教大学教授の香山リカは、匿名でカッコよく人助けできることが、人を助けてみたいという誰もが持つ願望を叶えやすかったのではと分析している(『毎日新聞』2011年1月25日)。
 関西学院大学准教授(社会学)の鈴木謙介は、この現象は「メディアによって作られたブーム」と見ており、全国各地に拡大した最大の要因を「メディアの報道」という(『週刊朝日』2011年1月28日号)。さらに、匿名ではあるが全国に寄付行為が報道されるため、「名乗りを上げて寄付をする気にはなれないが、自分が何かの社会貢献をした証を得たいという欲求」を叶えるのに最適な現象だったからと、やはり香山と同様の見方をしている。「昭和のヒーロー」を名乗ることは、憧れの存在に近づけることでもある。完全な匿名である募金では貢献したという満足感が得られず、一方で実名を出して寄付をすると妬みを買う不安があるようだと、鈴木は日本人の心理を分析する。このような背景には、「日本の場合、寄付の文化がキリスト教圏に比べて薄く、また寄付が富裕層の義務であるという風潮もない」ことがあると見ている。そして、この現象が「日本の社会に広がる高い社会貢献意欲の存在と、それを表現する手段の不在を浮き彫りにした」ことが重要で、この善意をうまく拾い上げる仕組みを整備することが必要だと結論づけている。
 法政大学国際日本学研究所客員研究員の安井裕史は、実名による寄付ならばこれほど話題にならず、大きな展開がなかっただろうと見る(『朝日新聞』2011年2月8日)。そのうえで、さらに伊達直人という「マスク」が有効に働いたと考えている。安井は、「赤い羽根」運動と「日本ユニセフ協会」の募金運動を比較しながら、今回の現象を分析している。町内会が集金を担っていた「赤い羽根」は、顔の見える地域共同体が崩壊したため、1995年度に約266億円だった募金総額が2009年度には約201億円と下がった。これに対して、米国からのDM(ダイレクトメール)で寄付を募る「日本ユニセフ協会」は、1992年度に約25億円だった募金収入を2009年度には180億円超と伸ばしている。この要因を、ユニセフが戦後から60年代まで脱脂粉乳を学校給食に援助した歴史を説明したDMが、この恩恵を受けた団塊世代の良心にヒットしたからと推測している。そして、「タイガーマスク現象」では、報道がDMの役割を果たし、寄付者が伊達直人という「マスク」をかぶることで、「タイガーマスク」に反応する特定の世代の良心を喚起したのだろうと分析する。ここから、この現象の持続には、“短期的には匿名性と報道の継続が役立つが、持続するとニュース性が下がってしまう。そこで、長期的な持続を考えれば、特定の世代に訴える訴求と、顔が見える共同体の再生が必要だろう”と総括する。
 精神科医・斉藤環は、「匿名の善意」ではなく、むしろ「キャラの善意」と考えるべきではないかという(『毎日新聞』2011年1月23日)。「伊達直人」というキャラであれば、匿名と実名の間で自己同一性も保たれるから、報道された場合に「あれは自分だ」と分かるというのだ。
 鈴木、安井、斉藤とも、純然たる「匿名」でも実名でもないキャラクター名を使ったことと、そのために自分が行ったとわかる形で報道されたことが、一種の報酬となって、この現象を連鎖させたのだと見なしている。
 さらに、斉藤は、「タイガーマスク」現象が連鎖したのは「祭り」の要素があったからだと見ている。日本で継続的な慈善活動が定着しにくい原因として、寄付が有効活用されているかチェックができず、寄付の背景となる宗教的な基盤が弱いことを挙げる。だが、日本人は「祭り」としてのチャリティーには好んで参加する傾向があるという。年末年始という「祭り」にふさわしいタイミングと、報道で持ち上げたこともあって「祭り」化し、「コスプレ」のように「慈善キャラ」になりきりたいという欲望が「祭り」を連鎖させた最大の要因ではないかという考えだ。
 作家の橋本治も同じように「タイガーマスク現象」を「『慈善の世界にまでコスプレが進出して来たのか』と思った」と感想を述べている(『中央公論』2011年3月号)。
 皮肉な見方をするのは、先述の呉智英だ。「タイガーマスク現象」を「『善意の愉快犯』ではないか」と見ている。呉によれば、善意も一つの欲望であって、人間は「実は心の奥底には『善意という欲望』をたぎらせている」。そして、「おかしな新興宗教に入信し、それをあなたにも熱心に勧める友人の心の中にあるのは善意という欲望ではないだろうか」と疑問を投げかける。

◆◆◆宗教と寄付行為◆◆◆
 宗教専門紙の『中外日報』(2011年1月20日)社説は、宗教紙らしく、今回の匿名の寄付に絡めて、2010年にイオンの葬祭業進出で問題となった「布施」について論じている。ドイツでは、国が教会に代わって信者から源泉徴収する教会税の制度が残っている。このような“税金”と比較すれば、日本の宗教活動は壇信徒の布施によって支えられており、布施は「自由な意思に基づく寄付」であることが明確だという。結びには、この「布施=寄付」を望ましい形で宗教活動に用いることができているだろうかという問題提起も忘れてはいない。
 ただし、ドイツの教会税との対比では日本の布施は“寄付”に近いが、宗教団体への寄付に税額控除が認められるアメリカと比べれば、布施が“寄付”であるという認識は薄まるかもしれない。2011年度の税制改正では、NPO法人への寄付を促す市民公益税制が盛り込まれた。税額控除が認められる対象となる寄付先が拡大するが、宗教法人は対象外のままである。“寄付”が国家体制に取り込まれて制度化すればするほど、「布施=寄付」という認識が薄くなる懸念がある。なお、アメリカでは控除が認められている代わりに宗教活動に使われたどうかのチェックが入り、寄付金の使途の透明度は高い。だが、日本では布施は非課税でチェックが入らず、経理は不透明と言われる。政教分離の観点からは死守すべきこともあろうが、“寄付”を継続して受けるためには改めるべき点もあるだろう。
 引き続き『中外日報』(2011年2月1日)の社説では、「タイガーマスク現象」に関連して“日本には宗教的な寄付文化が根付いていない”という論評が散見されたことに対して、日本にも宗教的な寄付の伝統があると反論している。そして、宗教的な利他主義的実践が注目されていない理由を考察している。その理由として、1つには宗教集団の活動がよく知られず過小評価されていること、もう1つには利他主義の実践が内向きであることを挙げている。そして、利他主義が内向きになった要因を、“社会福祉は国家が整えるものだという理念が作用したから”だと推察する。
 この社会福祉の担い手にという論点については、『読売新聞』と『毎日新聞』の社説が好対照だった。ともに2011年1月12日の社説で、『読売新聞』は「国、行政には、一人一人の児童が安心して自立の道を歩み出せる環境整備を進めてもらいたい」とし、『毎日新聞』は「家族や地域だけでも公的福祉だけでもやっていける時代ではない」「新たな思いやりの文化や精神を社会に根付かせる機会と考えたい」という。
 全国に拡大した「タイガーマスク現象」とその報道は、厚生労働省が約30年ぶりに児童養護施設の見直しをする契機となった。これは望ましいことではあるが、国家だけに社会福祉を頼らず、家族や地域に寄付の文化を根付かせることは、宗教団体にとっても重要ではないだろうか。国家やNPO法人が社会福祉の担い手となり、NPO法人が寄付の受け手となった時、宗教団体は、その狭間に抜け落ちて存在意義を失っていきそうでもある。そうならないように、今回の「タイガーマスク現象」で学んだことを生かしていくことが大切であろう。

(宗教情報センター研究員 藤山みどり)
 


※レポートの企画設定は執筆者個人によるものであり、内容も執筆者個人の見解です。


※編集部註:2011年3月1日、NPO法人ファザーリング・ジャパン(安藤哲也代表理事)が1日、児童養護施設の子どもたちを支援する「タイガーマスク基金」を創設した。