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宗教情報

宗教情報センターの研究員の研究活動の成果や副産物の一部を、研究レポートの形で公開します。
不定期に掲載されます。


2010/08/03

外国イメージとメディア --リビアに関して--(2)

宗教情報

藤山みどり(宗教情報センター研究員)

 < リビア=危険? 米国との対立の歴史>

 日本人がリビアについて「危険、怖い」というイメージを持つ背景には、これまでの報道の蓄積もあるだろう。
 リビアは1969年に陸軍将校カダフィ(カッザーフィー、当時28歳)が欧米の傀儡政権を無血革命で倒して樹立した社会主義国家で、今もカダフィ大佐が最高指導者として君臨する。カダフィ大佐の著書『緑の書※3』に基づき、全人民が直接政治に関わる「直接人民主義」体制が敷かれ、男女平等が進んでいる。だが、実際は独裁体制だと言われている。報道統制が敷かれており、秘密警察も存在するという※4。
 街のいたるところにカダフィ大佐の肖像画が掲げられているが、国民の本音は不明である。筆者がトリポリの空港内の店でカダフィ大佐のグッズを買っていたら、「ワンマンが好きなんだ」とセム系男性に声を掛けられた。だが、彼がリビア人かどうかまでは確認できなかった。
 カダフィ大佐は欧米からは「中東の暴れん坊」「砂漠の狂犬」と呼ばれ、その特異な言動がよく報じられる。遊牧民の伝統を重んじ、外国訪問時でもテントを張って宿泊する。2009年9月の国連総会では規定の15分を大幅に超過する96分間も演説し、安全保障理事会の常任理事国が拒否権を持ち続けていることなど国連の不平等さを批判した。
 カダフィ大佐は英国への留学経験はあるが、反欧米色が鮮明だ。これに対し米国は1979年に、リビアは世界各地の反政府組織を支援しているとして「テロ支援国家」に指定。1986年4月に起きたベルリンのディスコ爆破事件に関与したとして、その10日後にトリポリと第2の都市ベンガジを空爆した。米軍の狙いはカダフィ大佐の暗殺で、大佐の自宅も爆撃され、生後15カ月の養女が死亡、2人の息子が重傷、リビア側発表で市民を含めて37人が亡くなった。
 さらに1988年に英国で乗員・乗客と地上の住民270人が死亡した米パンナム機爆破事件(ロッカビー事件)にリビアが関わったとし、米国は英国とともに国連の対リビア制裁(1992年)を主導し、「ならず者国家(Rogue State)」と呼んだ。孤立したリビアが国際社会に復帰したのは、事件の容疑者を引き渡し(1999年)、遺族に補償金支払いを始めた2003年のことである。米国との国交が正常化したのは2006年で、圧力が奏功してリビアが核兵器を含む大量破壊兵器の廃棄を約束(2003年)した後のことである。
 米国の中東政策について、「リビア、シリアなどは『ならず者国家』として締め付けた一方、親米的なサウジアラビアやヨルダンなどについては、政府が民衆の自由を厳しく制限しているのに公然と批判はしない」(『朝日新聞』2002年9月4日)と2001年9月の米国同時多発テロ以降には否定的な報道もあるが、これ以前は西側諸国の一員として日本のメディアも米国追随型だったのではないだろうか。その意味では、リビアに「危険」というイメージを持つのも当然かもしれない。米国同時多発テロの影響でイスラム=テロというイメージが加わった影響もあるだろう。
※3『緑の書』ムアンマル・アル・カッザーフィ著、藤田進訳(第三書館)1993年
※4『リビアの小さな赤い実』ヒシャーム・マタール著、金原瑞人・野沢佳織訳(ポプラ社)

  父親が秘密警察に誘拐されて行方不明というリビア人作家の自伝的小説。


 < AMERICAN AGGRESSION(米国の侵略)>

  一方のリビアは、米国こそが危険なテロ国家である、と主張する。カダフィ大佐の反米思想は米国との国交が正常化した現在でも健在で、2009年12月に明治大学の学生と衛星回線で対話集会を行った際にも、「原爆を落とした米国に日本人がなぜ好意を持てるのか理解できない」「(日本は)自由な意思をもった国とは思えない。米軍が駐留し、植民地のよう。屈辱的なことで通常の国の在り方ではない」と語っている(『朝日新聞』『東京新聞』2009年12月16日)。

 

 


                                       ▼1996年発行の記念切手

 そのリビアで次のような切手を見付けた。2つの切手はいずれも余白に「AMERICAN AGGRESSION(米国の侵略)」と書いてある。1つは1996年発行で、1つは2001年発行であるが、ともにカダフィ大佐の暗殺を狙った1986年の米軍による空爆を記念するものである。ぬいぐるみを抱く少女が泣いている図柄は、空爆の悲惨さを感情に訴える。リビアはホログラムや金箔・銀箔を使用した切手を発行しており、切手収集家にとっては知られた国家だ。切手がホテルのロビーのショーケースに展示されていたり、みやげ物として販売されていたりして、一種のメディアの役割を果たしている。
  この米軍による空爆の意義は大きく、今でも毎年4月に記念集会が開催されている。1996年の10周年記念集会ではカダフィ大佐の息子の1人が「米国は臆病なテロリスト」と演説し(1996年4月17日『産経新聞』)、2001年の15周年記念集会では「米国の野蛮な侵略を許すな」と遺族関係者が訴え(2001年4月16日『朝日新聞』)、2006年の20周年追悼コンサートには米国の有名な歌手が招かれた。

 米国側がリビアを「テロ支援国家」として締めあげるのに1988年のパンナム機爆撃事件を用いたように、リビア側は1986年の米軍による空爆を大きく取り上げ、「米国=侵略国家、テロ国家」という図式を国際社会に訴えようとしている。


▼2001年発行の記念切手                                                  

 「テロ」という言葉の概念は不明確だ。どちらに立場を置くかによって異なる。「テロへの報復」が「テロ」になり、加害者にも被害者にもなり得る。言語学者として名を成しているうえに、米国の対外政策を批判する政治批評やメディア論をも多数発表しているノーム・チョムスキーは「テロを『他人が私たちにたいして行うテロ』と定義すればよい。この『私たち』は誰でもよい※5」と述べている。
 余談ではあるが、カダフィ大佐が難を逃れたのは、旧宗主国であるイタリアの当時の首相が米軍の攻撃計画をリビア側に漏らしたためということが2008年に明らかになっている。イタリアが旧宗主国としての影響力を維持したかったのだろう。国際社会では各国が自国の利害関係に基づいて動いているのだ。
※5『メディア・コントロール』ノーム・チョムスキー著、鈴木主税訳(集英社新書)


 


 < 利害関係で変動する国家の評価と報道>
 米英がそろってリビアを非難した1989年のパンナム機爆破事件だが、2009年8月、米英の歩調の乱れがあった。英スコットランド当局が、同事件で有罪判決を受けたリビア人元情報機関員の受刑者を釈放したのだ。末期ガンにかかっていた受刑者は、リビアへの帰国時に数千人の市民の歓迎を受けた。これに対し、米国のオバマ大統領や遺族らは猛反発した。
 英国が一転して釈放を決めた背景には、リビアの石油権益を狙う政府の意向が反映したという疑惑が当時からあった。英国側は否定しているが、カダフィ大佐の後継者と目される次男のセイフ氏が「英国の石油権益などと関連したものだ」という発言をしている(2009年8月22日『日本経済新聞』)。この疑惑は2010年4月にメキシコ湾原油流出事故を起こした英国の国際石油資本BPへの批判とともに蒸し返され、BPは「受刑者引き渡し協定」の実現を急ぐように2007年に英政府に働きかけたことを2010年7月15日に出した声明で認めた。
  リビアの石油埋蔵量はアフリカ大陸で最大とされ、経済開放が進む現在、各国の石油資本が資源獲得のためリビアへの進出を競い合っている。英国が受刑者を釈放した直後に、イタリアのベルルスコーニ首相がリビアを訪問したのも、原油資源獲得のためと見られている。
  2009年9月に行われたリビア革命40周年記念式典には、受刑者釈放に反発した主要国の首脳は出席しなかったものの、イタリアやフランスは閣僚級を派遣し、関係維持を図った。この直後の『日本経済新聞』(2009年9月7日)の社説は、「他の主要国と比べて遅れ気味の要人訪問がリビアへの対応で日本の課題になろう」と経済効果を踏まえたうえでリビアとの関係強化を促している。石油資源確保のために関係強化が進めば、「リビア=危険」という報道も少なくなるだろう。
  他国の位置付けは国家間の利害関係に基づいて変化し、メディアは自国のスタンスに基づいて報道する。メディアとは、そのような特性を持ったものであるということを認識しておく必要があるのだ。


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※レポートの企画設定は執筆者個人によるものであり、内容も執筆者個人の見解です。

 

(ふじやま みどり)