文字サイズ: 標準

研究員レポート

バックナンバー

こころと社会

宗教情報センターの研究活動の成果や副産物の一部を、研究レポートの形で公開します。
不定期に掲載されます。


2011/12/20

 私たちの同僚、蔵人さんは、機会あってインドネシアに留学しました。彼はイスラームの専門家ではありませんが、文化人類学の視点から、インドネシアでのイスラームの姿の一例として、犠牲祭のフィールドワークを報告してくれました。若き人類学者が見たインドネシアの犠牲祭、ぜひご覧下さい。

インドネシア・ムスリムの犠牲祭の楽しみ方【後篇】
― 肉という恵みを分かち合う社会構造 ―

こころと社会

蔵人

*【後篇】への導入
  【前篇】では、インドネシア・バンドゥンのあるご家庭で行われた「犠牲祭の一日」を中心に報告を行った。そのご家庭は、犠牲祭には毎年ヒツジを一匹供出するというインドネシアでは比較的裕福な層に位置づけられる。インドネシアのムスリムにあって、裕福な家庭では毎年ヒツジやウシが供出される。ちなみに今年一番高いウシを供出したのは現在インドネシア大統領のユドヨノ氏であったらしいが、犠牲祭における動物の供出とはムスリムとしての義務として、そして同時に一層高価な動物を供出することで自らの威信を他に示すという趣もあるようだ。他方、供犠に捧げられる動物について「毎年ヒツジ一匹で一家族分、ウシ一頭で七家族分」と言われるとおり、多くのインドネシアのムスリム家庭にとって動物の供出は経済的にも大変困難なことである。そこで【後篇】では、毎年は動物を供出できない家庭の取り組み、その一方で裕福な家庭によって供出された動物の肉の「三分の二」のゆくえについて報告を行い、そこからインドネシアの犠牲祭において貧富に関わらずどのように皆がこの日を祝うのかについて考察を展開したい。そして最後に、インドネシアにおける「犠牲祭という日の意義」について明らかにしたいと考える。

 

 

2.供物の共有 ― 「分け合うこと、貧しい人々に分け与えること」 ―

 まず「犠牲祭における動物の供出」についてもう一度整理したい。【前篇】の舞台となったインドネシアでも比較的、経済的に豊かなアフマド君(仮名)宅では、毎年この犠牲祭でヒツジを一匹、家族誰かの名前で供出していた。しかしながらインドネシアのすべての家庭がヒツジをはじめとした供犠する動物を毎年準備できるわけではない。例えばもっとも安価なヒツジでさえインドネシアの大卒者初月給の半分くらいの値段がつけられることから、実際に多くの家庭では、経済的な理由から数年に一度くらいしか犠牲祭の日に動物を供出することはできないのだ。
 そこで以下では、はじめに「犠牲祭におけるインドネシアの一般的な家庭の供出」について紹介し、次に「犠牲祭に動物を供出できない家に与えられる、いわゆる先ほどの供出された動物の肉の“三分の二”の分配方法」について紹介したい。

 

 

*犠牲祭における一般的な家庭の取り組み

 大卒者初月給が2万円程度、また就職先として良いとされている公務員、その大半を占める一般(下級)公務員の人々の月給は2.5万円程度である。最低限の家族を養う為に掛かる諸費用がインドネシアではだいたい月々1.5 万円と考えると、その必要分を除いた月々の余剰が1万円程度で、ちょうど安価なヒツジ一匹分(相場が1~1.5万円)に相当する。そうなると、良いとされる職業の公務員、ましてや定職になかなか就くことができない多くの一般的なインドネシアの人々にとっては、犠牲祭における動物の供出は大変困難である。
 そこで、公務員や安定的な職についている一般的な家庭の人々は仲の良い家庭や親戚同士で互いに協力しながら「少なくとも一生に一度、自分の名前で犠牲祭に動物を供出できるように工夫している」ようである。例えば、犠牲祭に参加するにあたっては、近くに住む親戚が集まりそのうちの一つの家族が動物を供出する、職場の同僚ないしは友人同士が講を組むようなかたちで皆がお金を出し合い動物を提供し毎年順次誰かの名前で供出する、あるいは近所の住人家族が集まって同じようにそのうち一つの家族が動物を供出する、といったこともあるようだ。よって人々は相互扶助、お互いの助け合いによって毎年とは言わないけれども動物を犠牲祭の日に供出しているようである。ちなみにこのように仲間内で集まって何かを購入するためにお金を出し合う行為、日本でいう「頼母子講(たのもしこう)」のような関係をインドネシアではイウラン(iuran)と呼ぶ。
 しかしながら、こうした「仲間内の輪」に入れる人がどのくらいインドネシアにはいるのか。いいかえれば、収入が不安定と言わざるを得ない多くのインドネシアのムスリム家族は、どのようにこの犠牲祭を過ごしているのか。おそらくインドネシアの実情としては「誰かが供出した肉を分け与えてもらう側の人びとの方が圧倒的に多い」というように筆者には思われる。この点について、具体的な分配量を検討してみよう。

 

 

*肉の分配について ― 「供犠をモスクで行ったケース」と「家庭でのケース」 ―

 それでは、このインドネシアにおいてどのように「貧しい人」あるいは「裕福ではない、または動物を供出できない家庭の人々」に肉が分配されるのだろうか。ここではまず、「一般的に動物の供犠が行われるモスクでの肉の分配方法」について紹介し、次に【前篇】で紹介したように新居に引っ越しが近いアフマド君家族が「自宅(新居)で行った供犠の際の近隣の方々への肉の分配方法」について紹介したい。

 

◆モスクで供犠を行った場合の分配方法

 まずモスクで供犠を行う場合、動物を供出する者が犠牲祭の数日前までにその旨をモスクに伝えておく。そして犠牲祭当日、供出する者はお祈りを終えて少し経った後に家の庭から、あるいは数日前から動物を繋いでおいたモスク近くの広場から、自身が供出する動物を連れてモスクを訪れる。そしてある者は自らの手で、またある者はモスクに待機している地域住民とともに、動物の供犠を行う。他方モスクでは、事前に把握している供出予定の動物の数からどれほど肉が採れるかをおおまかに予測し、そのうえで数日前ないしは当日のお祈り以降に、モスク周辺の住人に対して供犠を終えた動物を解体した後の肉を分配する際に引き換える「クーポン」を配る。各モスクのクーポンは、一つの家族に対して一枚渡されることになっている。よって犠牲祭において動物を供出していない住民たちは、まずクーポンを取りに行き、その後解体を終えた頃を見計らって再びモスクへと足を運びクーポンと引き換えにヒツジやウシの肉を手にするのである。
 クーポンと引き換えに各家庭が持ち帰る肉の量はおおよそ1~2Kgと言われている。しかし、モスクのクーポンからだけではなく、たまたまご縁のある家庭あるいは遠縁にあたる親戚で自ら供出を行ったといった裕福な家族に、別口で肉を貰うということも多々ある。加えて、「家庭によっては、当日のお祈りの後に家族それぞれが手分けして近くのモスクへと足を運び、各々がそれぞれのモスクからクーポンをもらってくる」といったような少しゴシップに似た話も筆者は耳にした。
 なお、仲間内で集まって動物を供出した場合に分配される肉の分量は、「三分の一」であり、ヒツジ一頭からとれる肉を60Kgと仮定した際に供出者には多くとも20Kgの肉が与えられる。たとえば5家族か6家族でお金を出し合った場合、各家族に肉を分配すると、一家族当たり多くて3~4Kgとなるであろう。
 結局この日は、貧富の差に関わらずひと家族あたり合計すると3~4Kg近くのヒツジやウシの肉を手にすることになる、と筆者は聞いた。

 

◆自宅で供犠を行った場合の分配方法

 


【写真9:各家族に分ける肉の分量をきっちりと測る様子】
 それでは、次に供犠がモスクではなく自宅で行われたアフマド君宅の分配について紹介したい。分配方法としてはモスクと共通する点が多いが、異なるところは、分配を担う主体がモスクではなく「町内会(RT)」であったという点である。まずインドネシアでは、日本の町内会制度に由来するRTと呼ばれる行政の末端組織があり、各RTはそれぞれ約20~40軒の家族から成り立っている。そして日本と同じように町内会長という役職が存在し、(日本では住民のあいだで持ち回りのあまり引き受けたくない仕事であるが)インドネシアではどうやらその町の有力者が務める末端の名誉職という位置付けであるようだ。そこでその土地の新参者でもあるアフマド君宅は事前にその場所の有力者である町内会長(RT長)に「犠牲祭当日、供犠をこの町で行う」という旨を伝えておき、そして犠牲祭の当日は前町内会長(前RT長)のおじさん及び地域の住人数人とともに供犠を行った。

 

 また「三分の二」の肉の分配方法については、アフマド君宅は前町内会長さんに全てをお任せしたということであった。そこで筆者は「前町内会長さんに肉の分配方法」についてインタビューを行ったところ「当町内会(RT)は40軒の家族がある。そこで私たちがまずお肉を40等分して、それから住民にここに取りに来てもらうつもりである。またクーポンは用意していない。なぜなら40軒の各家族を私は全て把握しているから」といった答えが返ってきた。肉を40等分に分ける光景も筆者は近くで確認させて頂いたが、写真にも挙げたように毎回秤にかけるなどかなりきっちりとしている印象を受けた。

 


【写真10:RT40軒分に分けられたヒツジの肉】
 ちなみに、アフマド君家族は前町内会長及び地域の住人とともに供犠を行ったが、実際にヒツジの首を落としたり、またヒツジの解体を行ったりしたのは地域の住人であった。この点についてアフマド君に「どうして自分たちが供出した動物なのに自ら行わないのか」と質問すると「供出者としての名前だけ動物に付けてもらえば自分で首を切る必要はないし、なにせ動物を殺すと血も付着するし少しにおいも臭いから見ているだけでいい」という答えが返ってきた。また筆者はさらに「ヒツジの首を落とし解体することを委託することに対して、お金などを払っているのか」と確認したところ、アフマド君のお父さんが「その分、解体後のお肉をたくさん渡しているから大丈夫だよ」と答えてくれた。 
 

 

 

 

*RT組織が分配に関与する事例が多い

 犠牲祭における動物の供犠及び肉の分配方法について「モスクと自宅」とがいつも大きく異なるということでもないようである。
 モスクでの動物を供犠する活動、ならびにその肉の分配についても、RTの組織が深く関わっているようである。先ほどの「モスクで供犠を行った場合の分配方法」は、肉の引き換えにクーポンを用いる事例であった。しかしながら、モスクで供犠する場合でも、RT組織が地域住民の各家庭を訪問し、肉を配るという例もあるようだ。とりわけ地域と関係の深いモスクでは、動物の供犠から解体といった作業をもRT組織が取り仕切り行っている、ということである。
 加えて、犠牲祭の日に供出する動物について、上述したイウランという頼母子講のようなとりまとめがRT組織を基盤に行われることもあるようだ。具体的には、個々の家庭から動物を供出することは経済的に厳しいから、同じRT(町内会)内に住む住民からお金を集め、そして一つのRTとしてヒツジやウシといった動物を供出する、といったことである。また場合によっては、同じRT内に住む裕福な家庭から、犠牲祭の日に供出する動物を購入する「お金のみ」をRTに渡され、そこでRT組織がそのお金をもとに供出する動物の購入から供犠、動物の解体から肉の分配まで一切を執り行うという事例もあるようだ。

 いずれにせよ家計の経済状況に関わらずインドネシアの人々皆がヒツジやウシの肉を手に入れたならば、さきほどのアフマド君ご家庭のようにサテ式のバーベキューを行い、また一部の肉はスープなどに使うなどして、とにかく普段は口にする機会が少ないヒツジやウシの肉を家族皆でお腹いっぱい食べるのである。これがインドネシアにおける犠牲祭の饗食であるのだ。


3.インドネシアにおける犠牲祭(Idul Adah)の意義
― 犠牲祭(Idul Adah)とレバラン(Idul Fitri)との比較から伺えること ― 
 イスラーム世界において今回報告した「犠牲祭」と前回報告した断食明けの祭(インドネシアでは「レバラン」)とは、一年のなかでの二大イベントといわれる大変重要な日である。そこで本報告の最後として、以下では、まずインドネシアにおける双方の違いについて整理し、そのうえで改めて現地インドネシアにおける「犠牲祭の意義」について紹介したい。


*犠牲祭(Idul Adah)と前回のレバラン(Idul Fitri)との比較
 まず前回のレバランにおけるインドネシア・ムスリムにとって最も重要な点とは「自らが犯した罪を懺悔すること。そして赦されたなら、生まれ変わった気持ちになって新しくスタートすること」であった。そして「生まれ変わる」という新しいスタートを切るにあたって、多くのムスリムは自分のルーツを辿るべく多くは故郷へと戻り、そこでは懺悔と赦しを請う主たる対象となる両親や家族、親戚と「挨拶」を交わした。そしてそのために休日は日本のお正月のように一週間前後と長く、また多くの者は家族や親戚と会うべく渋滞に阻まれながらも故郷を目指した。
 一方、【前篇】を振り返って頂けば明らかなように、犠牲祭における前夜(タクビラン:Takbiran)から当日の朝のお祈りにかけての現地の様子は、先の「レバラン(Idul Fitri)」との違いはあまり明確でないように思われた。しかしながら犠牲祭の場合、今年が西暦の暦で日曜日に重なったこともあってか、特別な休日がこの日前後に人々に与えられたわけでもなく、また道路混雑も普段通りとあまり大きな変化もなく、そして翌11月7日の月曜日には社会は通常通り動いていた。上述したように肉を共有するという点から、加えて普段から親戚通しのつながりが強いインドネシアにあって、親しい親戚が集まってこの日を祝うことは多く見られた。しかしながら、けっして遠くから家族がやってくること、また遠くへと出向いていくこともなかった。さらにはお墓参りに行くこともなかったし、お祈りの後に、家族や親戚、近隣住人と特別な「挨拶」を交わすこともなかった。


*インドネシアにおける犠牲祭の意義
 それではインドネシアのムスリムにとって「犠牲祭」とは、どのような意味が込められているのか。以下では、まず「犠牲祭において動物を供出した家族」の方のお話を紹介し、次に「動物を供出できない家族」の方のお話を紹介し、そして最後に「インドネシアにおける犠牲祭の意義」について考えてみたい。

◆動物を供出した者にとっての犠牲祭
 はじめに、筆者がお邪魔したアフマド君のお父さんが、犠牲祭の前夜(タクビランの夜)に次のように語ってくれた。
 「あしたの犠牲祭には、例年通り私の家からも一匹ヒツジを供出する。たしかにお金はかかるけれど、犠牲祭の日に動物を捧げることとは、“お金をとるのか、それともヒツジなどを買って供出することを選ぶのか?”という私たちムスリムが神(アッラー)から試されていることなのだ。」
 自分にとってどれだけ大切なものを神様に捧げることができるのか?貨幣経済の浸透によってインドネシアにあってもお金は生きていくうえで必要不可欠なものである。したがって「お金を自分のために使うのか、それともこの犠牲祭という日に動物を購入して神様に供出するのか」、いいかえるならば神様あるいはアッラーへの自身の信仰の篤さがいかなるものか、その点が試される問いと言えよう。
 また家族の一人がこの度の犠牲祭でウシ一頭を捧げた者は、犠牲祭について次のように述べてくれた。
「私が、私のものではなく、神様のものであること。それを確認するためにも、私たちは多少高額であれども出来る範囲で、動物を神様に捧げるのです。」
 この家族もアフマド君宅同様にこの度の犠牲祭ではモスクではなく自宅の庭で供犠を行ったのであるが、彼は続けて以下のように語ってくれた。
「私たちのRT(町内会)みんなが、同じ肉を食べる。動物を供出できない人にも、お肉をあげて、喜んでもらえる。みんなが喜んで、そしておいしいものを食べる。それはとても嬉しいことですね。」
 したがって犠牲祭の日に動物を供出する者にとって、動物を捧げるという行為には次のような「二重の意義」が与えられていると考えられる。つまり一方では、自分という存在をどれだけ神様に差し出すことができるのかということを問い試す機会、他方では、普段はなかなかヒツジやウシの肉を口にできないましてや犠牲祭に動物を供出することなど難しいような人々に対して肉を分け与え喜びを共有する機会として位置づけられているのだ。

◆なかなか動物を供出できない、または動物の肉を受け取る者にとっての犠牲祭
 筆者の住むアパートの近くによろず屋のような小さなお店(ワルン:warung)を構えるおじさんは、犠牲祭における動物の供出について次のように話してくれた。ちなみにこのおじさんの自宅は「二階建てで居間に一台テレビがあり、また20代後半の一人息子がバイクを一台所有している」というインドネシアにおいては経済的にいわゆる「一般的(多くを占める)な家庭」と考えられる。
「動物を捧げることは“義務”だけれど、私の家族が(犠牲祭の日に)ヒツジを供出したのは、ずいぶん前の話だよ。毎年なんて、高くってまったくムリだよ。」
 加えて、私が話を聞いているところに、同じく近所に住むお店のおじさんの従兄弟がやってきて、次のような話をつけ加えてくれた。
「ゆっくりお金を貯めて、もし貯まったら、動物を供出すればいい。でも一生に一回は、少なくとも自分の名前で動物を供出できたらいいね。」
 そこで筆者はおじさんたちに対して、「では、おじさんたちにとって犠牲祭とはどんな日ですか?」という質問を投げかけてみた。すると、二人のおじさんは次のように語ってくれた。
「毎日、私たちが口にしているお肉はトリだけれど、でも犠牲祭の日はウシやヒツジの肉をお腹いっぱい食べられる。ふだんは高いからなかなか買えないウシや ヒツジの肉を食べられること、そしてなにより、家族と集まってみんなでバーベキューをして食べること、それはとても嬉しいことだね。」
 インドネシアの一般的な家庭において、安価で手に入り易いトリ肉は様々な形で毎日のように食卓に並ぶ。一方で、インドネシア国内経済の発展、加えて欧米文化の影響とともに、豚肉こそ宗教的なタブーとして口にすることはないけれど、裕福な家庭を中心に牛肉は益々インドネシアの食生活にも浸透してきている。したがって犠牲祭の日とは、普段は口にしないヒツジや、ある種の憧れを纏ったウシの肉を家族皆で食べる機会として、彼らにとっても非常に嬉しい一時なのだ。
 最後におじさんたちは犠牲祭の日の意義について、次のように語ってくれた。
「だから犠牲祭は、お金持ちの人の為にあるんじゃないんだよ。ふだんウシやヒツジの肉を口にできない人にとって、食べる機会を与えてくれる日なのだよ。」

【写真11:ワルンと呼ばれる現地のよろず屋の軒先で】

◆インドネシアにおける犠牲祭の意義
 犠牲祭という日、動物を供出した者は自らの一部の富を放棄することによって、あるいは神様に動物というかたちで自らを捧げることによって、自分自身の存在というものが神様によって生かされている事を確認する。一方、肉を分配された者は、それらを神様から与えられたものとして、家族皆で喜びのなかに受け取る。
 そしてこの日、インドネシアのムスリム皆が、それぞれの想いを胸に七輪を囲んでヒツジやウシのサテを食べる。その瞬間にあっては、動物を供出した者、そうでない者、裕福な者も貧乏な者も関係なく、ムスリム皆で、この犠牲祭という日に神様、アッラーに捧げられた動物の肉を食べるのである。

 最後に、「貧富の差に関係なく、インドネシアのムスリム皆が同じ肉を食べること」、この点について筆者の友人がイスラームの教義を踏まえて次のように語ってくれた。
「本来的には、神様(アッラー)の目から見れば、ムスリムの人々は皆同じ、平等な存在なのです。犠牲祭の日には、お金持ちの人も貧乏な人も関係なく、皆が平等に、同じ肉を食べますね。そうすることで、お金持ちの人も貧乏の人も、みな同じ、平等な存在と思えるのです。」
 動物を神様に捧げること、そして皆がその捧げられた動物の肉を食べること。この供犠から饗食という犠牲祭における一連の流れについて見つめていくなかで、「金持ちも貧乏人もムスリム教徒にあってアッラーの前では皆同じ平等な存在である、ともすれば人間という存在自体の尊さや平等性を人々に思い起こさせてくれる」そのようなメッセージが犠牲祭の日には込められているように筆者の目には映った。

(蔵人)