文字サイズ: 標準

研究員レポート

バックナンバー

こころと社会

宗教情報センターの研究活動の成果や副産物の一部を、研究レポートの形で公開します。
不定期に掲載されます。


2011/05/01

国際文化祭の参加者としてみたサウジアラビア

こころと社会

葛西賢太(宗教情報センター研究員)

 1.遠いサウジ、近いサウジ

 日本でムスリム(イスラーム教徒)が、日本の文化や社会と共存するためにどれだけ努力を払っているかに感銘を受けた私は、縁あってその話をチュニジアでさせていただき、また別の縁あってその話をサウジアラビアの本の一章に寄稿した。中村覚『サウジアラビアについて知る65章』(明石書店)によれば、イスラームの聖地マッカ(メッカ)とマディナ(メディナ)を擁すイスラームの宗主国たるサウジ国民は、日本でのムスリムのありかたに敬意と関心を払っているらしい。そのサウジアラビアから、「ジャナドリーヤという国際文化祭でシンポジウムを行うので、そこで話してほしい」という、アラビア語の招待状が届いた。そのご招待にお答えする形で、4月中旬を首都リヤドで過ごすことになった。国家警備隊の警護を受けながら、滞在中はほぼ国賓としての扱いを受けた。

 サウジアラビア王国と日本とのもっとも強い関係は原油だろう。第二に、イスラームの聖地を二つ守護する、異教徒には滅多にビザを出さない、閉じた国というイメージがあるだろう。第三に、2001年の米国同時多発テロ事件の首謀者であると目されたオサマ・ビンラディンは、サウジ出身者(事件の前には国外追放処分を受けていた)であった。ワッハーブ派という厳格なイスラームを規とする国であり、女性は自動車を運転できず、夫以外の男性に顔や体型がわからないように黒い布(アバーア)で被う。サウジからのエビを日本も輸入することになったし、有名な「おたふくソース」の原料のひとつはサウジのナツメヤシだという。

 

2.二つのシンポジウム

 シンポジウムの原稿準備中の3月11日、東日本大震災が起こり、私たちが心身ともに大きな衝撃を受けたことは、まだ忘れられるものではない。世界中からお見舞いの言葉が寄せられたが、サウジ国民も震災にたいへん衝撃を受けて心を痛めていた。それで、当初予定していた日サ関係を語るシンポジウムの他、もう一つ、日本の震災についてのシンポジウムを行うことになった。宗教学者として、宗教界のボランティアの経験を紹介することにした。

110501-01-248x392.jpg  震災シンポジウムは、4月17日、プリンススルタン大学で行われた。お話をされたのは、駐日サウジ大使館のトルキスターニ大使、高知県立大学の辻上奈美江准教授、葛西、東京新聞前編集委員でエネルギー問題ジャーナリストとして経験豊かな最首公司先生というかたちだった。大使は大震災という出来事を、ご自身が直面した経験も含めてわかりやすく説明された。辻上先生は神戸で阪神大震災を被災し、また、在サウジ大使館専門調査員のほか、神戸で国際的な防災に関わるお仕事をなさっていた。ご自身の被災経験からお話をされ、共感したサウジの聴衆たちに、日本のためになにができるかと語りかけた。先生のお話は、英語の流暢さもさることながら、聞き手の反応を確かめながら噛んで含めるようなやりとりがすばらしかった。

 私は、まず、日本人が震災に常に備えており、しかし、今回はその予想を大きく超えたものであったことを確認したあと、宗教ボランティアの経験から学ぶというテーマで、大塚や愛知のモスクに集う人々がボランティアを行った事例、また、経験豊かな仏教系ボランティアSeRVがどのようなノウハウをもっているかをお話しさせていただいた。最首先生は、特別にNHKに手配された津波の映像を聴衆に見せて、被害の大きさをあらためて確認したあと、福島原発の問題の深刻さを説明され、エネルギー提供国家サウジアラビアの重要性を示された。このシンポジウムには200人近い聴衆が集まって熱心に耳を傾けた。     110501-02-235x289.jpg
                   110501-03-365x275.jpg 
110501-04-317x305.jpg   日サ関係シンポジウムでは、私・葛西は、井筒俊彦の『コーランを読む』『イスラーム文化』などの著作を引用して、日本でよく読まれているこれらの著作が コーランの世界をどのように日本人に伝えたかをお話しした。これらが文庫本などの形態で手軽に読めること、それゆえ日本人のイスラーム理解への影響は大き いと考えられること、コーランを通して日本人に自らをふりかえらせるような井筒の書き方、それが結果的に仏教的な世界観と重ねながら受け止められたのでは ないかとお話しした。井筒俊彦は国際的に知られている学者だが、彼のイスラーム論は内面志向的であるために、同様の志向を持つイラン人には愛され、著作は すべてイラン語に訳されているという。一方、サウジアラビアやその他の国のムスリムたちは井筒の仕事について触れたことがなかったようで、終了後わたしの ところによってきて感想を熱心に伝えてくれた。わたしがアラビア語を解さず、これらを聞き取れなかったのがまことに残念である。
 辻上先生はサウジのジェンダーを研究した自身の博士論文の内容を紹介されて、両国のサウジ理解のためにはステレオタイプ(先入観)を超えることが大切と示された。

 日本ムスリム協会会長の徳増公明先生は、イスラームの重要文献の邦訳など、日本でどのようにイスラームが受け容れられているかをお話しされた。

 日本エネルギー経済研究所の保坂修司先生は、日本とサウジアラビアとの関わりの、鎌倉時代に遡る交渉史を紡がれ、現在へとつなげられた。

 イランのMassoud Daher先生は、戦後復興を成し遂げた日本の価値観について、司会も兼ねたサウジのMohamed Al Rabee先生は、サウジからの日本への歩み寄りの歴史をお話しされた。

 シンポジウムの内容はワタン紙、オカーズ紙に紹介されている。(右の写真)
110501-05-361x427.jpg

3.国語、国際語、占領

 今回の訪問で痛感されたことのひとつは、上述したように、イスラームが実に多様であることだ。多くのイスラーム国から宗教界の要人が招待されて一堂に会した。たとえばイランのムスリムとサウジのムスリムとは対照な志向を持つ。サウジをはじめとする湾岸諸国のムスリムと、それ以外の国とでは、服装も異なる。
 もう一つ、今回の訪問でわたしが考えさせられたのは、国語と国際語と占領の関係である。
 イスラーム世界の国々が集まると、最優先の言語はアラビア語である。国際語としてのアラビア語の存在感を見せつけられた。英語は世界全体としては国際語なのであるが、地中海やアフリカでフランスが多くの国を植民地化した敬意から、イスラーム世界ではフランス語も国際語である。このことは複雑な意味をもっている。
 日本の国語を英語にした方が国際社会で活躍できると論じる人たちがあり、それは一面ではあたっている。日本語で書かれたものが、内容がすぐれていても、海外で読まれない(読まれにくい)のはまことに残念なことだ。英語で自由にコミュニケーションができずに苦しんだ人は少なくない。だが同時に日本語という言語で構成されるアイデンティティは捨てがたいことを、インドの大学の先生がわたしに語ってくれたことがある。イギリスの占領下にあったインドでは、現地の言葉は急速に失われ、公的な言語としての英語が広がっている。自分の内面を語るための言葉が外来の言葉であるということは、苦しいことなのだと。
 同じくアメリカの占領下にありながら、日本は英語を国語として受容しなかった。イスラーム国のチュニジアを植民地化したフランスは、アラビア語とフランス語がともに通用する国家をなさしめた。一方、さまざまな危機に直面しながらも列強の占領を受けなかったサウジアラビアは、アラビア語という国語を維持している。
 国語がつくり出す世界の網目を細やかに読み込んでいくことは、井筒が『コーラン』にたいして取り組んでいたことでもある。

 たくさん語りたいことがあるのだが、まずは、国際語としてのアラビア語の重要さをあらためてわたしは思い知らされたということで、締めの言葉としたい。

参考文献
中村覚『サウジアラビアを知るための65章』明石書店、2007年。
保坂修司『サウジアラビア--変わりゆく石油王国』岩波新書、2005年。
辻上奈美江『現代サウディアラビアのジェンダーと権力--フーコーの権力論に基づく言説分析』福村出版、2011年。

【追記】
5月9日の朝日新聞国際面「風」コラムで、朝日新聞中東アフリカ総局長の石合力氏が、ジャナドリヤ祭で日本がゲスト国になった事情について、サウジ側の切なる思い、国王の真摯な姿勢について語られていて、感銘を受けた。
残念ながらこのコラムはオンラインでは読めないようである。
また、辻上先生がジャナドリヤ祭の意義について評価された記事が、朝日新聞社のオンライン中東マガジンでお読みいただける。
「サウジアラビア ジャナドリーヤ祭:ゲスト国に選ばれた日本のアピール度は?」Asahi中東マガジン (有料だが、多くの著者の興味深い記事も読めるので、是非購読をお進めする)



宗教情報センター 葛西賢太