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寄稿コラム


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第20回 2012/10/07

2012年アメリカ大統領選挙を目前に

 4年ごとに行われるアメリカ合衆国の大統領選挙が11月6日に迫っている。今回は挑戦する立場の共和党が置かれた状況を、主に宗教の観点から分析し、この選挙の行方を占ってみたい。
 

WASPのいない大統領選挙

 
 今回の選挙は非常におもしろい特徴を持っている。8月29日、ポール・ライアンが共和党副大統領候補の指名受諾演説を行い、これで民主・共和両党の大統領候補、および副大統領候補が決定したが、この4人の中にいわゆるWASPが一人もいないのだ。
 WASPとはWhite Anglo-Saxon Protestant (白人、アングロサクソン系、プロテスタント)の頭文字からなる略語で、アメリカ社会で最も支配的な力を持つ(と考えられてきた)エスニック集団を表すことばである。ただし厳密な定義は不可能で、特に 「アングロサクソン」に関しては「自分は純粋にアングロサクソン系である」と主張できる人はまれだろう。1871年以来合衆国憲法が「アメリカ国内で生まれた人だけが合衆国大統領になれる」と定めているので、サクソニー(ザクセン)地方出身の大統領がそれ以後いるわけがない、というのは冗談として、一般的に父系の血統をたどって「~系」と称することが多いようだが、母系を通じて様々な血統が入り交じっているのが実際である。よって、その容姿や姓名、あるいは話し言葉によほど明確な(それもアメリカでマイノリティ扱いの)民族的特徴が現れていない限り、肌が白い人は「白人でアングロサクソン」に数えてもらえると考えてよいだろう。たとえば第40代大統領だったR.レーガン(1981-88)の父方の祖先はアイルランド系だが、彼がWASPではない、という意見はあまり聞いたことがない。ついでに申し添えておくと、レーガン氏の父親はカソリックだったが、レーガン氏自身はスコットランド系の母親に従い、プロテスタントとして育てられた。
 この広義のWASPを採用したとすると、現在のB. オバマ大統領(第44代、2009-)が出現する以前に「WASPではない大統領及び副大統領」はJ. F. ケネディ大統領(第35代、1961-63)だけだった。彼はレーガンと同じくアイルランド系だったが、カソリックだったからである。1960年にこのカソリックの大統領が民主党から登場したことを嫌って、南部の、そして宗教的にはかなり厳格なプロテスタントの民主党員がごっそりと共和党に鞍替えした。これが後に「新キリスト教右派」、そして「宗教右派」の核となっていくのだが、それは10年以上先の話である。
 ことほどさようにWASPの壁は大統領候補たちの前に厳然と立ちはだかってきたのだが、2008年にオバマの出現が再びこの壁に打撃を与えたのは周知の通りである。白人の母をもつオバマを「黒人」とのみ記しては「血の一滴主義 one-drop rule」 (「黒人の血が一滴でも混じっていたら、つまり祖先に黒人が一人でもいたら、その人は黒人」という考え方)を思い出させてしまうが、ここはあくまで容姿の問題と考えていただきたい。明らかに白人ではない人がついに大統領になったのである。
 
 そして本題の2012年である。民主党の大統領・副大統領候補はそれぞれ現職のオバマとJ.バイデンが再出馬し、対する共和党からはM.ロムニーとライアンが立候補した。実はこの中にプロテスタントはただ一人、組合派に近いユナイテッド・チャーチ・オヴ・クライストに所属するオバマしかいない。ロムニーは末日聖徒(通称モルモン教徒)、そしてふたりの副大統領候補はともにカソリックである。ケネディのおかげであまり目立たなかったが、2008年にオバマの副大統領となったバイデンは、合衆国史上初のカソリックの副大統領である。
 2008年以前にも非プロテスタントの大統領や副大統領が出現する可能性はあった。1984年の選挙で民主党の副大統領候補だったG.フェラーロはカソリックで、しかも初の女性候補だった。1988年の選挙で民主党の大統領候補だったM. デュカキスはギリシア正教徒だった。2000年の選挙で民主党のA. ゴアが副大統領候補に選んだJ. リーバーマンはユダヤ教徒だった。2004年の選挙で民主党の大統領候補だったJ. ケリーはカソリックだった。しかしフェラーロを選んだモンデールはレーガンに、デュカキスは父ブッシュに、ゴアとケリーは息子ブッシュに敗れ、非プロテスタントが当選することはなかった。
 ところが今や、共和党が非プロテスタントの候補をそろえてきたのである。中でも注目されるのは末日聖徒のロムニーだろう。通常の聖書(旧約と新約)に加えて彼ら独自の聖典『モルモン書』を奉じる末日聖徒イエス・キリスト教会(通称モルモン教会、以下「末日聖徒教会」と略記)は、熱心なクリスチャン、それもエヴァンジェリカルやファンダメンタリストを自称するようなクリスチャンからは異端、ないしはカルト扱いされることが多い。保守的なクリスチャンの立場からすれば、もしもロムニーが大統領に選出されたら、非プロテスタントどころか非クリスチャンの大統領が登場することになる。
 ただ、保守的なクリスチャンのサークルの外では、ロムニーの信仰はあまり話題になっていない。今年の7月26日にピュー・リサーチ・センターが発表した調査結果によると、7月の時点でロムニーがイエスキリスト末日聖徒教会に所属している、と正しく答えた人は6割、その中でロムニーの信仰を不快と感じる人は19%だった。彼の信仰を正しく答えられなかった人は9%いたが、そうした人々の中で不快感があると答えたのは22%なので、ロムニーの信仰はこの調査に影響を与えていないと言っていいだろう (“Little Voter Discomfort with Romney’s Mormon Religion”)。時代の変化を感じざるを得ない。尤も、ロムニーは2002年のソルト・レーク冬季オリンピックを大会委員長として成功させて以来、マサチューセッツ州知事を4年務めるなど、公職にあった時期が長い。上記の調査結果はロムニー個人に対する承認であって、教会全体に対するものではないかも知れない。
 
 さて、順序が逆になったが、末日聖徒教会とはどのような教会だろうか。また、共和党の大統領候補としてロムニーが当選する可能性はどれくらいあるのだろうか。以下の文章では、宗教右派やティーパーティ運動との関係で、ロムニーの選挙結果を占いたい。
 

末日聖徒イエス・キリスト教会とは

 
 1830年、ニューヨーク州の片田舎でジョゼフ・スミス2世が興した「キリストの教会 the Church of Christ」が現在の末日聖徒教会の原点である。迫害に追われたこともあり、1847年以後現在に至るまで、教会の本拠地はユタ州ソルト・レーク市にある。現在では合衆国内在住の末日聖徒は600万人弱、世界全体の信者を合計すると1400万人を超えるという大教団に成長した。この半世紀の間、合衆国内の信者数は微増ペースだが、世界全体で見るとおおよそ10年で1.5倍という急速な成長を示している。少なくとも数の上ではユダヤ教会と同程度の規模を誇るようになった。
 人数だけでなく、末日聖徒教会は経済的にも潤沢であると考えられる。末日聖徒たちは全体に教育熱心であることもあり、ビジネス界で成功する人が多い。夫婦2人合わせた年収が1370万ドル(約10億円)というロムニー夫妻を始め、今年1月16日に撤退はしたものの、ロムニーと同じく共和党の大統領候補指名を争ったJ.ハンツマン元駐中国大使、格安航空会社ジェット・ブルーを創業したD.ニールマンなどが著名な例かと思うが、彼らの年収の10%が教会に入ることになっている。ユダヤ教会や中世のカトリック教会のように、末日聖徒教会はその信者に十分の一税を課しているのだ。かつて末日聖徒の知人に聞いたところ、「年収の10%」なのか「手取りの10%」なのか、その解釈は信者自身の熱心さによって左右されると語っていた(彼自身がどちらの解釈を採用しているのかは教えてくれなかった)。また、教会自身が「信者数が増えても敬虔な信仰を持つものは少ない」と嘆いているところを見ると、実際に献金をしてくれる信者は1400万人よりもずっと少ないと考えるべきだろう。それに末日聖徒が現在急速に増えている地域はアフリカや中南米なので、通貨価値の違いから教会財政に貢献するところは小さいのかもしれない。それでもこの教会が強力な集金システムを持っていることは間違いない。
 そのほかにも末日聖徒は様々な義務を教会に対して負っている。異端視されることが多い末日聖徒教会だが、「聖書のみ」というプロテスタンティズムの伝統には忠実で、聖職者制度を持っていない。そのために毎週日曜日の礼拝は信者同士が回り持ちで運営することになっている。雪の多いユタでは雪かき作業も「ワード部」(「教区」のようなもの)ごとに割り当てられる。アルコール・カフェイン・ニコチンの摂取はすべて禁じられており(厳格な末日聖徒はカフェイン入りの通常のコカコーラすら飲まない)、毎月最初の日曜日には「断食」(多くの教徒は朝・昼食を抜くそうだ)が求められている。おそらくはこれらの理由で末日聖徒の心疾患発症率は全国平均より低く、しばしば医学論文で参照グループに使われるほどである。
 末日聖徒の人生で教会に対する最大の義務は宣教活動かもしれない。すべての信者が若いうちに2年間宣教に従事することが求められているので、多くの末日聖徒は大学時代に2年間休学して、教会から指示された任地へと向かう。出発前にはモルモン教学の総本山、ブリガム・ヤング大学の言語トレーニングセンターで2ヶ月の特訓を受ける。1980年代後半からしばしばテレビ番組に登場していたケント・ギルバートやケント・デリカットたちの日本語能力はこうして鍛えられたものである。そしてこの宣教期間中の費用はすべて自弁なので、教徒たちは幼い頃から宣教資金を積み立てている。
 この宣教経験がその後の人生で大きな意味を持つことがある。前述のハンツマンは台湾で宣教を行ったが、そこで培った中国語能力がその後のキャリアにつながったのは疑いないだろう。大統領候補になったときもその外交政策として中国の重視を挙げている。ロムニーはフランスで宣教していたが、その影響はまだ明らかではない。 
 

共和党を支持するのは?

 
 2008年の選挙の際に非常に顕著だったのが、共和党内の分裂である。オバマ人気が高かったのは紛れもない事実だが、それに加えて共和党内の不協和音がJ.マケイン候補の足をすくった側面が否めない。ロムニーは共和党支持勢力をまとめ上げることができるのだろうか。
 おおざっぱに言って共和党支持勢力は3つに分かれている。まず第1に、イラク戦争の際の国防長官D.ラムズフェルドに代表される「ネオコン」である。強大な軍事力を前提に、世界秩序を守るためには単独行動も辞さない人々である。8月28日、ロムニーが共和党の大統領候補に正式に指名された際に出された政策綱領には国際問題に対する独自政策の堅持と軍事力の維持が謳われているが、これらはネオコン勢力に対する配慮と思われる。
 
 第2は宗教右派と呼んでいいだろうか、社会的保守主義を唱えるグループである。人工妊娠中絶の禁止、ポルノグラフィーの禁止、同性婚の禁止など、宗教的価値観を政治の世界に反映させようとする人々である。G.W.ブッシュ大統領の次席補佐官だったC.ローヴが宗教右派とのつながりを活用して政権を支えたのは有名で、司法長官として「愛国者法」(9.11テロを受けて立案された、国民に対する諜報活動をより容易ならしめるための法律)を推進したJ.アシュクロフトが宗教右派に配慮した人事の好例である。マサチューセッツ州知事だったロムニーは当時、人工妊娠中絶や同性婚に対して寛容な態度をとっていたが、大統領候補になってからは方針を180度転換したのもこの勢力への配慮だろう*。男女間の婚姻、そして出産に教義上の重要性を見いだしている末日聖徒教会は、人工妊娠中絶や同性婚に対して反対の態度をとっており、上記のようなロムニーの方針転換は教会の方針にも沿うものである。

* 同性婚に関してロムニーは知事時代から方針転換をしていないとも言える。通常の夫婦が享受する権利をすべて同性婚者にも認めるシヴィル・ユニオン civil unionは支持したものの、同性「婚」 same-sex “marriage”という言葉は慎重に避けていた。
 


 そして最後に挙げられるのが経済的自由主義者、すなわち政府は小さく、税金は少なく、社会保障も少なく、環境保護もいらず、ひたすら経済活動の自由度を高めようというグループで、ロムニー自身もここによく当てはまる。このグループを最後に挙げたが、実は1854年の結党以来、このグループこそが共和党の本質にして主流である。資本家の利益を代表する彼らは、個人や企業の経済活動を最大限に行わせたい一方で政府の機能を最小限にとどめたいので、宗教的価値観に基づく方針を政策として行う必然性を感じていない。G.W.ブッシュ政権で訟務長官を務めたT.オルソンが、同性婚を禁じたカリフォルニア州の住民投票に違憲訴訟で対抗しようとしているのは「保守的な共和党」という一般的なイメージにそぐわないかも知れないが、これは経済的自由主義者の側面なのである。(「保守本流*の弁護士たる私が同性婚の権利を守るために戦う理由」 『ニューズウィーク』2010.02.03. pp.46-48)
 

* 日本やヨーロッパと異なり、封建制度や貴族制度がなかったアメリカでは自由な(リベラル)経済活動を支持することが原点であり、リベラルでいることが保守なのである。オルソンが「保守」を名乗るのもそのためだ。しかしそれでは日欧での言葉の使い方と食い違ってしまうので、本稿では上記の第3グループの考え方をリバタリアン、修正資本主義的な考え方をリベラルと書き分けることにする。

 
 一般的にG.W.ブッシュ大統領は宗教右派と親密な関係を保ったと考えられているが、実際には彼の施策で宗教右派の要求を具体化したものはあまりない。「共和党のキングメーカー」とも呼ばれたドクターJ.ドブソン(フォーカス・オン・ザ・ファミリーの主催者)も政権末期のブッシュに対して失望の念を伝えていたという。G.W.ブッシュもやはり資本家の家系の人間なのだろう。
 2008年の選挙の際に共和党の候補だったマケインは第3グループに属し、宗教右派に対する嫌悪の念をしばしば公式の場で表していたため、そのままでは第2グループからの支持を期待できなかった。そこでマケインが採った懐柔策が、宗教右派に近いS.ペイリンを副大統領候補にすることだったが、彼女の突飛な発言がマケイン陣営をさらに苦しめることになった。第2と第3のグループの間の隙間を埋めるのは容易ではないようだ。
 
 この分裂をさらに複雑にし始めているのがティーパーティ(茶会)と呼ばれる運動である。この運動と名前が広がったきっかけは、2009年2月19日、サブプライム住宅ローンで過重な債務を背負った人への救済案をオバマ政権が打ち出したことである。このニュースを報じたレポーターが「シカゴ・ティーパーティをしよう」と放送中に発言したことが予想外の反響を呼んだ。語源になった「ボストン・ティーパーティ」は1773年12月16日、つまりアメリカ独立前夜に起きた事件である。七年戦争(フレンチ・アンド・インディアン戦争)が残した膨大な財政赤字を補填するために、英国政府は英国を経由せずにアメリカに輸入された紅茶に新たな課税をした。これに怒った植民地人が英国経由で入荷された紅茶を船からボストン港に投げ込んだ事件である。GMやAIGなどの巨大企業を救済するために国家予算を次々に注入する政府に対して異議申し立てをする人々には恰好のネーミングであった。
 2010年の中間選挙で民主党の議席を大いに脅かしたティーパーティの活動や主張は多岐にわたり、基本はリバタリアンの立場、すなわち小さな政府と減税を求める運動である。しかしここに宗教右派の社会的保守主義の主張――人工妊娠中絶や同性婚への反対など――が混じるかと思えば、銃規制への反対、移民規制の推進など、オバマと民主党が掲げるリベラルな政策を全面的に否定するような主張が目白押しである。宗教右派に近いジャーナリスト、D.ブロディが今年上梓した『ザ・ティーヴァンジェリカルズ』によると、ティーパーティ参加者の半数近くは「自分は宗教右派だ」という認識をしており、つまりティーパーティ運動において経済的自由主義と社会的保守主義が奇妙な野合を遂げているのである。
 すでに述べたように、経済的自由主義と社会的保守主義では主張や目標、そして実行手段に矛盾する点が多い。移民規制を例に挙げると、低賃金労働市場で競合することになる低所得者層は移民規制に賛成するが、資本家は低廉な労働力として移民を歓迎したい。このような齟齬がある限り、彼らが共和党を糾合して有力な大統領候補を推挙することはなさそうだが、矛盾を承知でこの運動に賛同する国民も多数いる事実は無視できない。
 

共和党候補としてのロムニー

 
 さて、末日聖徒であるロムニーがこのような環境で大統領選挙を戦う際に、どのような恩恵を、あるいは不利益を被ることになるだろうか。
 末日聖徒教会がいまだに異端視されがちなのはその独自の聖典のためばかりではない。かつてこの教会は多妻婚を奨励していた。教義の根幹に関わることだったため、教会は連邦軍と戦争をしてまでこの制度を守ろうとしたが、1869年に最初の大陸横断鉄道が完成し、ユタに教会員以外の人口が急速に流入するに従い事態が悪化した。ついに1890年、大管長W.ウッドラフがカナダに亡命する騒ぎとなり、彼は亡命先にて多妻婚を停止する声明を出した。ここにおいて末日聖徒のほとんどが新規の多妻婚を行わなくなったが、中には「モルモン・ファンダメンタリスト」と称して多妻婚の復活を目指す人もいる。こうした末日聖徒はしばしば幼児虐待や重婚の罪に問われてゴシップとなっているが、そうした事件が末日聖徒教会全体のイメージを損ねているのは想像に難くない。
 もう一つ、教義の点から末日聖徒教会の政治力を損ねていると考えられるものがある。1978年に至るまで、この教会は「ニグロ・ドクトリン」と称して黒人を正式会員として認めていなかった。方針変更以後はアフリカや中南米での布教活動は順調に行われているが、それでもドクトリンの痕跡は明らかである。2010年の国勢調査によれば、自らを「アフリカ系アメリカ人」と規定する人は全人口の約15%いるはずだが、合衆国内の末日聖徒に黒人が占める割合は3%に過ぎない(世界全体では5%)。教会の公式サイトに登場する大管長および側近たち数十名の顔写真にも黒人が登場しない。ロムニー自身の人種観は不明だが、彼の宗教的バックグラウンドは黒人票を獲得する上で不利に働くことはあっても、その逆はないだろう。7月11日には全米黒人地位向上教会 NAACPでの講演会でオバマの新しい医療保険制度(通称オバマケア)を批判してブーイングを浴びる――大統領候補になってからはオバマケア廃止がロムニーの公約なので、主張が一貫しているのはいいのだが――など、やや場所をわきまえない発言があったので、やはり黒人票は期待できないだろう。
 
 多妻婚を放棄した後の末日聖徒教会は伝統的に共和党を支持してきた。ビジネスの世界と親和性が高い一方で、伝統的な家族のあり方を重視し、死刑制度に賛同すること、自助努力を重んじることなどで宗教右派のグループとも主張が重なり合う。しかし合意が得られるのはここまでで、独自の聖典をもつ末日聖徒教会は、なかなかエヴァンジェリカルなどから同信者としての信頼感を勝ち取ることができない。また、末日聖徒教会は聖書の字義通りの解釈をあまり強調しないので、天地創造説を奉じるエヴァンジェリカルやファンダメンタリストとはそこでも食い違ってしまう。
 ロムニーの政治的立場がすべて教会の方針に左右されているとは思えないが、伝統的家族を重視する点などで教会の方針と一致しつつあることはすでに見た。しかしマサチューセッツ州知事時代の施策を見ると、「人工妊娠中絶や同性婚に関して穏健」「移民の市民権獲得に積極的」「銃規制法案に賛成」「医療保険改革を推進」といった具合に、民主党の候補であっても全く違和感のない実績が並んでいる。大統領候補になってからこれらの争点に関してロムニーは急激な方向転換をしたことになるが、それは今さら教会の方針に忠実になったわけではなく、宗教右派、あるいはティーパーティの勢力におもねったと見られても不思議はない。一貫性 integrityというものを非常に重視するアメリカで、この日和見主義が彼に対する信頼感を醸成することはできないだろう。
 
 ここしばらくアメリカの大統領選挙や宗教界の動向を見てきた者として、私自身、末日聖徒教会から非WASPの大統領候補が登場したことに野次馬的な関心を持ってきた。末日聖徒教会はアメリカで生まれ、聖典のことさえ気にしなければ、今や多少保守寄りのアメリカ的価値観を体現すると言ってもよい教会である。そろそろ全面的な社会的承認を得てもよいのではないか、と思わないでもないが、少なくとも今回は残念な結果に終わりそうである。いや、女性やユダヤ教徒よりも先に大統領候補を出すことができたというだけでも十分に画期的だ。かつてロムニーの父、ジョージ・ロムニーも共和党の大統領候補を目指し、その夢はR.ニクソンによって破られた。父を越えたロムニー自身にとっても大いなる前進であるに違いない。



編集部註

2012年10月3日に、両大統領候補のテレビ討論会が行われました。その折りのロムニー候補の弁が評判を呼びました。ロイター通信の調査によれば、支持率で2ポイントオバマ候補に接近、とのことです。なおオバマ圧勝という評は強いものの、この選挙の動向、予断を許しませんね。

+ Profile +

平井康大先生

 成城大学社会イノベーション学部教授。専門はアメリカ宗教史。共著に久保文明・有賀夏紀編著『シリーズ・アメリカ研究の越境 個人と国家のあいだ<家族・団体・運動>』(ミネルヴァ書房、2007年発行)など。東京大学総合文化研究科(地域研究専攻)博士課程単位取得退学。
 学部学生時代に末日聖徒イエス・キリスト教会の神学を知りました。完璧な末日聖徒としての人生を全うした男性はついには神になり、自分の宇宙を持ち、そこに自分の子どもたちを産み落とし、その子どもたちが(自らがそうであったように)救済を求めて悪と戦い、善を求める、という彼らの歴史観を知ったときには驚倒しました。パラレル・ワールドが次々に誕生するなんて、まるでSFではありませんか。荒唐無稽と言ってしまえばそれまでですが、フロンティアが西漸し、合衆国が文字通り膨張していた時代にそういう教えが誕生し、教えを守るために連邦軍とも戦い、ついには信者が世界で1,400万人を越えんとする事実に感動を覚えるのです。
 私自身は無信心者ですが、こういう教えを、それも私の常識からかけ離れた教えを命に換えてまで信じる人を見ると、つい、「何がそんなに大事なの?」と調べたくなってしまうのです。それはもちろん絶対的な他者に対する好奇心ですが、それと同時に自分の輪郭を知るための行為でもあります。「自分でないもの」と「己の領域」とが密かにつながっている領域を手でまさぐり、己を確かめる行為。彼らが信じる神が私にはいないとしたら、それなら私は何を、そしてどのような宇宙を信じているのだろうか?
 かつてアメリカ史を学ぶために3年ほど留学をしたことがあります。世にブラウザーなるものが登場する前夜、今とは比較にならないくらい日本からの情報が遮断された所で異文化研究をしていたのですが、そのときにふと思ったのです。「お前はアメリカ文化がわからないと言っているが、そもそも日本の文化を知っているのか?」と。帰国して茶道を習ってみたりしたのはそのせいです。異文化研究をしていても、その興味関心は常に日本に帰ってきます。それと同様、過去のことを学ぶのも、宗教という現象を学ぶのも、最終的には己を知り、これからに活かすためにあるのだな、と思っています。