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寄稿コラム


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第25回 「宗教」的観点から見た「イスラーム国」とは?

 2015年1月20日、「イスラーム国」が日本人2人を人質に2億ドルを要求する事件が発生し、2月1日までに2人とも殺害されるという最悪の結果になりました。この件につきましては、謹んで哀悼の意を表明いたします。今回のコラムは、この事件が起きる前に、イスラーム研究が専門で、シリアとサウジアラビアでの調査経験もおありの高尾賢一郎先生にお聞きしていたものです。
 「イスラーム国」については、中東の一部地域を実効支配する過激主義集団という報道が多く見られます。「イスラーム国」が「国家」、あるいは「イスラーム」という宗教の典型と受け取られないように、「ISIL(イラクとレバントのイスラーム国)」と呼ぶ動きも出ています。その残虐な行動を「イスラーム」と同一視してはいけないとの判断から、ともすれば宗教集団としての「イスラーム国」の側面が見落とされがちかもしれません。そこで、過激主義集団としての側面ではなく、宗教的観点から「イスラーム国」の性格に注目してみました。
 今回の人質事件の展開に、私たちは強い衝撃を受け、悲しみ、公開を見合わせることも考えました。しかし「イスラーム国」を多面的に知ることも、今後のために欠かせないと思われます。このような点をご了承のうえ、お読みいただけると幸いです。

第25回 2015/02/21

第25回 「宗教」的観点から見た「イスラーム国」とは?

「イスラーム国」とは・・・・・・イラクとシャームのイスラーム国(ISIS)、別称イラクとレバントのイスラーム国(ISIL)。アル=カーイダをはじめとする様々な武装集団に起源を持ち(※1)、2014 年6 月にイラク北部の都市モースルを陥落させたスンナ派の武装集団「イラクとシャーム(※2)のイスラーム国(ISIS)」が、その名前を改めたもの。現在、イラク・シリア両北部を支配下に置き、神(アッラー)の地上における代理人にして預言者ムハンマドの政治・社会的指導者としての後継人である「カリフ(ハリーファ)」による指導の下、イスラームに則った社会統治を行う。石油転売や人質の身代金などによるとされる豊富な資金と、欧米出身者を含めた大量の人員を擁し、欧米及び周辺諸国が各々の思惑で介入を試みてきたシリア・イラクの勢力図を一変させた。

地図:「イスラーム国」の勢力範囲

「イスラーム国」の活動範囲
※『毎日新聞』2015年1月21日を参考に作成

Q1 「イスラーム国」と、イスラームの権威、双方の主張を聞いていて、どちらが正しいのか混乱します。
A1 現在、世界には、「イスラーム協力機構(OIC)」や「国際ムスリム学者連盟(IUMS)」といった一部諸国・学者からなる組織、またエジプトが誇るスンナ派最高学府「アズハル機構(アズハル大学)」や、サウジアラビアが管理する聖地メッカ・メディナといった、様々なイスラームの権威が存在します。しかしながら、総本山や公会議のような、教義についての審議決定や世界中に広がる信徒の統一、管理のための制度は存在しません。このため、イスラームのものとされる現象や考えに対して「正統」や「異端」といった評価を下すことには、実は、慎重さが求められます。
 上述の権威の中にあって、ほぼ全てのムスリムが無謬(あやまりのないこと)と見なす、少なくとも無謬性を否定するのが困難なのが、聖典クルアーンを根拠とし、預言者ムハンマドの言行スンナ(※3)に倣うという姿勢です。「イスラーム国」は自らを、正統なるイスラームのあり方だと訴えていますが、これは彼らが、カリフの名の下で、クルアーンとスンナに基づいた社会作りを目指していることを大義としているからです。
 クルアーンとスンナを根拠とする、という姿勢は、これらに明確な根拠づけができない、あるいは初期の正統カリフ時代(ムハンマド没後から第四代カリフであるアリーが死んだ661年)以降に生まれたシーア派や聖者信仰などを、「異端」として厳しく罰する姿勢をも意味します。この点において重要なのは、「イスラーム国」の主たる攻撃対象が、欧米諸国ではなく(欧米諸国に対する攻撃、挑発は、欧米諸国が「イスラーム国」を空爆、あるいは内偵していることの報復行為という性格が強い)、支配地域のシーア派勢力や世俗主義勢力、また欧米諸国に肩入れして「イスラーム国」を批判・攻撃する同じムスリム諸国の現体制だということです。
Q2 同じイスラーム同志だからといって、諸国で見解が一致するわけではない、このあたりまえのことをまず再認識しました。イスラーム世界のなかで、「イスラーム国」はどのような位置づけをされうるのでしょうか?
A2 カリフ制(ヒラーファ)、つまり唯一のカリフによる、クルアーンとスンナに基づいたイスラーム世界の統治を宣言したことにより、「イスラーム国」は、自らがムスリムにとって、一武装集団とは異なる存在であることを訴えました。イスラームの政治理論において、カリフ制は、預言者ムハンマド没後の地上世界における、イスラームに則った唯一絶対の統治制度とされ、全てのムスリムに対して、その統治下への移住(ヒジュラ)と、その統治への忠誠を求めるものだからです。この点、「イスラーム国」の指導者であるアブー・バクル・アル=バグダーディーが、初代カリフであるアブー・バクル(634年没)や、預言者ムハンマドと同じクライシュ族であると名乗っていることは、きわめて戦略的です(※4)。
 オスマン帝国で1924年に廃止されて以降、カリフ制は一部のイスラーム思想家、活動家、組織によって、あるべきイスラーム世界の秩序体系として提唱され続けてきましたが、これまで実現することはなく、ある種の普遍的理想として掲げられるに留まっていました。「イスラーム国」は、この理想の実現に踏み切ることで、現在のイスラーム世界、また自身のあり方及びこれを取り巻く環境に対して不安や不満があるムスリムに対して、自らへの共鳴を呼びかけています。
 もっとも、各国の立場や個々人の人道的観点を踏まえ、ムスリムが実際に「イスラーム国」の存在を正しいと評価するかどうか、またアル=バグダーディーをカリフと見なすかどうかは別の話です。特に中東地域のムスリムは、西洋の植民地主義の産物であるサイクス=ピコ協定(※5)を廃絶する、という「イスラーム国」の考え発想自体には一定の共感を持つこともありましょうが、一般のムスリムの生活を破壊する、また一部のムスリム諸国を攻撃対象に加える、といった行動には、むしろ禍々しさを覚えているでしょう。
Q3 たしかに、多くのイスラーム教徒にとって「イスラーム国」の言行は受け入れがたいことだと思います。世界のイスラーム法学者が「イスラーム国」を批判している論点を確認させてください。
A3 イスラーム法学は、クルアーンやスンナといったムスリムの規範から導き出される解釈と言いうるものです。つまりイスラーム法学者は、日本人一般が考える統一された、体系的な法律の専門家ではなく、クルアーンやスンナに通暁し、これらの観点から見解、判断を述べるイスラーム学者となります。
 その上で、より重要なのは、エジプト・アズハル機構の総長、またサウジアラビアの宗教界の頂点に立つ最高ムフティー※6)といった各国の公的宗教界の長による「イスラーム国」批判(「「イスラーム国」はイスラームの最たる敵である」など)は、「イスラーム国」と敵対する自国の政治的立場を反映もしているということです。加えて、彼らは自国の宗教的立場を本来の、正統なイスラームの姿であると伝える役割を負っています。武装集団を批判するイスラーム学者は、しばしば「穏健派」や「中道(庸)派」を自負、あるいはそう評価されますが、現代イスラーム世界のイデオローグの多くが、地域情勢や国際関係を考慮した自国の内外戦略に基づく宗教言説の担い手であることにも注意を払う必要があるでしょう。
 世界のイスラーム法学者らによる「イスラーム国」への批判は、ムスリムではない人々にとっては、平和を愛するイスラームのあり方を示すものとして傾聴に値するものとなるでしょう。また、「イスラーム国」を批判・攻撃する側にとっては、イスラームの権威によってその行動の正当性を保証する、意味あるものとなるでしょう。しかしながら、部外者にとってイスラームの権威と映る彼らの「イスラーム国」批判は、「イスラーム国」が自らを疑う機会には残念ながらならないと考えられます。彼らにとって、エジプトやサウジアラビアの法学者からの批判は、「それら諸国が欧米諸国に肩入れしている証拠」であり、「彼らから批判されることは、むしろ自分たち、つまり「イスラーム国」の正統性を傍証するものだ」と映るであろうからです。実際のところ、法学者らは、「イスラーム国」が領土内で行っている統治を教義的観点から否定することより、「イスラーム国」が自国の治安を含めた地域の安全保障環境を脅かすことの警告に重きを置いています。
Q4 「良識」から考えると、「イスラーム国」への批判は当然と思われます。ところが、教義の大原則の上では「イスラーム国」の権威は一定の手続きを踏んでいるといわざるをえない面もあるのですね。そこで、あらためてうかがいます。「イスラーム国」は、なぜある種の人々を惹きつけるのでしょうか?
A4 「イスラーム国」は、近代西洋が生んだ国民国家を否定しつつ、特定の範囲を統治する「領域」です。現在彼らは、自らが訴える教義上の正統性に加え、世界各国のメディアで最大・最強のイスラーム系武装集団とも報じられており、過激な考えに基づいて、信仰に殉じる、神の道に生きる、なおかつこれらを具体的、効果的に実践することを望む、一部の若いムスリムを惹きつけるに足る条件は備えていると考えられます。もちろん、同じ目的の下、寄付のような慈善行為を通して既存の社会に貢献することを選ぶムスリムがむしろ大多数です。
 他方、「イスラーム国」に加わる人の全てが宗教心のみを動機とするわけではないと推測されます。例えば戦闘員は、現地平均の数倍以上の給与(※7)が支給、配偶者も紹介されると言われており、社会生活を送ることを目的に加わった人もいると考えられます。加えて、欧米諸国から渡航し、参加した海外のムスリム(移民やその子孫)の若者の中には(※8)、多少の思想的共鳴は持ちえたとしても、「イスラーム国」という「領域」を「仮想空間」のように捉える者もいます。戦闘員になれると思ったのに雑用ばかりやらされる、現地の様子をSNSに投稿するのが楽しかったがタブレット端末が壊れて退屈だ、などと不満をもらす彼らは、物見遊山の時が過ぎれば、国民国家という自分たちの「現実空間」に戻りたいと考えるでしょう。しかし一部の欧米、ムスリム諸国は、治安上の観点から、「イスラーム国」に参加した自国民を厳罰に処すことを決定しています。安易な気持ちで参加した人は、帰国後、「イスラーム国」が「仮想空間」などではなかったと痛感することになります。
Q5 参加している人々の多様性、背景の複雑さがあらためて実感されます。そこで最後の質問ですが、「イスラーム国」をめぐる報道を、私たちはどのような点に注意して受け止めればよいでしょうか?
A5「イスラーム国」をめぐっては、斬首刑といった残虐性、宗教警察による取り締まりといった独特な社会統治、広大な支配地や大量の人員、また豊富な財政といったサイズ面に多くの注目が集まっています。他方、斬首刑や宗教警察のような機関は、「イスラーム国」以外の武装集団、またムスリム諸国の一部にも見られます。また、各サイズ面においても、詳細は明らかにされていません。にもかかわらず、上記の要素でもって、「イスラーム国」を「空前のテロ組織」のように捉えることは、その脅威の本質を見誤ることにもつながりかねません。
 また、外国語やインターネットを操り、巧みな人員勧誘や破壊活動教唆を行う近代的な組織として「イスラーム国」を脅威視する背景には、そもそも中東の武装集団を「未開」な人々とする見方が強い印象を受けます。世界の使用人口2億5千万以上と言われるアラビア語を母語とし、周辺諸国に親類縁者のネットワークを持ち、学問や商売などの目的で頻繁、容易に国境を越えているアラブ人は、日本人の平均よりもはるかに携帯電話やコンピューターなどの通信機器を使いこなしているのが実情です。
 「アラブの春」以降に中東地域で誕生、あるいは活性化した武装勢力の多くは、その実態がつまびらかにされていません。また、SNSアカウントを使って多くの情報が発信されていますが、その中にはプロパガンダを目的としたものや「偽アカウント」も多く、全貌を把握するのは不可能と言えます。現在私たちに求められるのは、早急な結論への欲求に耐え、情報源を増やしつつ評価に対して慎重な姿勢を維持することだと考えます。

 

シリアの首都ダマスカス郊外でカリフへの忠誠を誓う子供

「イスラーム国」広報部門は、インターネットなどで世界に発信している。
画像出典:https://www.alplatformmedia.com/vb/showthread.php?t=71527

(2015年1月19日脱稿)
※1.
「イスラーム国」の組織としての変遷については、高岡豊「「イスラーム国」とシリア紛争」、保坂修司「「イスラーム国」とアルカーイダ」(いずれも『「イスラーム国」の脅威とイラク』(吉岡明子・山尾大編、岩波書店、2014年)所収)参照。
※2.
元来、「シャーム」はアラビア語で「左」を意味し(メッカ周辺で東を向いた位置を基準とした左側)、現在のシリア、レバノン、ヨルダン、パレスチナ一帯を指す(英語の「レバント」に相応)。
※3.
「スンナ派」の元となる語。スンナをまとめたものをハディースと呼び、10世紀には「六書」と呼ばれるスンナ派の権威ある6つの真正ハディース集が完成した。このうち、『ブハーリーの真正集』(『ハディース イスラーム伝承集成』牧野信也訳、中央公論社、1993~1994年)と『ムスリム・イブン・ハッジャージュの真正集』(『日訳サヒーフ・ムスリム』磯崎定基・飯森嘉助・小笠原良治訳、日本ムスリム協会、1987年)は日本語訳がある。
※4.
名字を持たないアラブ人のフルネームは、名前、尊称、家系、あだ名、出身地、所属から構成され、自身あるいは周囲によって定められるのが一般的である。クライシュ族であることは、中世スンナ派のカリフ論においては、カリフの要件の一つとされている。
※5.
1916年にイギリスとフランスがオスマン帝国の領土分割を決めた秘密協定。現在のイラクとシリア、ヨルダンなどの国境線の一部の原型となった。
※6.
サウジアラビアの宗教界及び最高ムフティーについては第17回コラム参照。
※7.
シリアでは、月額400ドルに家族手当を加えて支給されるとも報じられた(「シリア:「イスラーム国」の戦闘員の待遇」(『中東かわら版』No.119、2014年8 月25日、中東調査会
http://www.meij.or.jp/members/kawaraban/20140825172156000000.pdf)。
※8.
2015年1月には、EUの警察連合組織「ユーロポール」が、EUから「イスラーム国」に渡った者が、最大で5,000人(フランスから1000人、英国から500人)に上ると明らかにした(『毎日新聞』2015年1月15日)。また、ドイツの内相によると、これまでにドイツから600人が戦闘目的でシリアに渡航した(『東京新聞』2015年1月17日)。

+ Profile +

高尾賢一郎先生

1978年生、同志社大学大学院神学研究科博士後期課程単位取得退学、博士(神学)。専門は宗教学、イスラーム地域研究。上智大学アジア文化研究所共同研究所員、中東調査会協力研究員、放送大学非常勤講師他。

 大学院では、主に現代シリアの宗教史について、イスラーム指導者や、彼らが所属する神秘主義(スーフィズム)教団の思想・活動を通して研究しました。今日、「シリアにかかわる研究」と聞くと、物騒な印象を持たれるかもしれません。しかし当時のシリアは、治安の良さや物価の安さ、またイスラーム、キリスト教、ユダヤ教という3つのセム系一神教の伝統をはじめとするいくつもの文明の中心都市として、多くの人々を魅了する土地でした。しかしながら、2010年末、中東・北アフリカ地域において、市民による民主化要求運動「アラブの春」が始まって以降、シリアは「今世紀最悪の人道危機」(UNHCR)と呼ばれる、いたましい戦争状態の下にあります。
 ちょうどその頃、2011年から2013年まで、私は在サウジアラビア日本大使館専門調査員として、サウジアラビアの首都リヤドに2年間在住しました。サウジアラビアは、社会における「真のイスラーム」の実践を掲げ、18世紀に興った国家であり、刑事分野における宗教法の採用や、宗教警察(「勧善懲悪委員会」)による市民の風紀取り締まりといった、公的な宗教性を特徴とする国家です。リヤド在住時は、これらの政府系宗教機関の活動について調査しました。
 7世紀以来、他の文明と共存しながらイスラームの思想やあり方を培ってきたシリアと、18世紀以来、純真なイスラームのあり方を目指してきたサウジアラビアとの間には多くの異なる点があり、現在は、こうした多様性の中で「正統」と主張される諸々の「イスラーム」のあり方に関心を持っています。