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寄稿コラム


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第12回 2011/12/18

人の匂い、この世の匂い――宗教と文学から生と聖について考える

奈良・春日大社 若宮おん祭1 遷幸(せんこう)の儀

 真っ暗闇の参道。
 遠くから楽の音と、低く唸るような警蹕(みさき)の声が聞こえてきます。ざわざわと何かがうごめき近づいてくる気配。木々はざわざわと騒ぎ、小川はせせらぎの音を奏で、神幸(しんこう)を待つ人びとがさざめき合います。頬を刺す凍てついた大気には、鹿の獣くささが混じっていました。
 やがてふたつの大きな松明が地を這い火の粉を散らせ、焦げた匂いが鼻をつきます。そして神官の持つ香炉から、ほのかに漂いきた香のかおり。
 振り返って仰ぎ見れば、目を開けることもできないほどに眩しい月の光が、私たちを照らしていました。半月より少しふっくらとしたお月さまです。月の光に目が眩んだのは、はじめての経験でした。


春日大社 若宮神社

「匂い」の研究

 私は、10世紀前後の日本における「匂い」について、宗教と文学の両側から考察することを研究のテーマとしています。10世紀前後といえば平安時代中期、『枕草子』や『源氏物語』が成立し、藤原道長・頼通親子らが活躍した時代です。
 このころの人びとは、いったいどんな匂いを嗅いでいたのでしょうか。
 「匂い」とはふつう、嗅覚によって存在を明かされるものです。世界のあらゆるものが人間の経験を通じてはじめて認識され、そこに「ある」とわかるように、匂いもまたそれじたい自律的に存在するものではありません。匂いが嗅ぐ人の嗅覚をもって存在し、知覚され、意味付けられるものであるとするなら、匂いの研究とは人間の身体感覚の研究でなくてはならない――そう私は考えています。
 「感性の歴史家」の異名をもつアナール学派の歴史学者アラン・コルバンに、匂いについて論じた著作があります(邦題『においの歴史――嗅覚と社会的想像力』2)。私がこの本をはじめて手にしたのは、平安文学の匂いについての卒業論文を準備していたころでしたが、それまで信じていた匂いの概念を根底から覆す内容に、とても大きな衝撃を受けました。この本と出会っていなければ、今日まで匂いに対する興味が持続することはなかったと思います。
 同書では、18世紀フランスにおける「嗅覚革命」が取り上げられます。コルバンは、そこにどんな匂いがあったのかではなく、人びとがどのように匂いを知覚していたのかを描きだし、匂いを嗅ぐ人びとの「感性の歴史」を明らかにしました。
 従来的な平安文学研究でいう「匂い」は、あらかじめ意味を持ち客体的に存在するものを指していました。たとえば「高級品の薫物はすなわち芳香を持ち、その芳香は持ち主の身分や教養の高さを示す表象である」というふうに固定的に捉えられていたのです。コルバンのような視座からテクストを見なければ、本当の意味で平安の匂いに近づくことはできないのではないかと考えるようになりました。
 私は、文学のもっとも重要な役割は人間をえがくことだと思っています。文学研究が匂いを自律的に存在するものと措定する限り、結局は文学の本質から乖離した成果しか得られないのではないでしょうか。身体経験としての匂いを論理的に考察するにはどうすればいいのか……。私が宗教や宗教学に目を向けるようになったのは、こうした動機からでした。


清浄なる芳香と不浄なる悪臭

 それにしても、そもそも「匂い」とはいったい何なのでしょう。一般にいうところの匂いは私たちが鼻で感じるものです。その鼻で感じる匂いと宗教とのかかわりを、まずは見ていくことにしたいと思います。
 匂いは、おおまかには「芳香」と「悪臭」のふたつに分けることができるでしょう3 。宗教的な言説において、しばしば聖なるもの・清浄なものからは芳香が漂い、悪なるものや不浄なるものは悪臭を放つと言われます。この図式は古今東西、多くの宗教に有効といえるでしょう。宗教的な文脈に限らず、芳香/悪臭という快/不快による分類が、その匂いの発生源となるものの意味や価値と不可分に結びついているのです。
 10世紀の日本では、阿弥陀聖(あみだひじり)と呼ばれる空也や、『往生要集』を編纂した源信らが登場し、浄土信仰が流行しました。『往生要集』によれば、仏菩薩は馥郁(ふくいく)とした香りを身にまとい、地獄には鼻の曲がるような臭気が充溢していると言います。『栄花物語』は、藤原道長が建立した法成寺の境内には素晴らしい香気が立ち込め、まるで極楽浄土のようであったと伝えています。そして浄土往生を願い達成した人びとの記録を集めた往生伝のようなテクストでは、死に際して漂った芳香こそが往生の証であるとされました。
 「芳香=聖・清浄・善/悪臭=穢・不浄・悪」というおおまかな図式は、このように具体的な記述となって残されています。
 

 

 
毎年5月14日に営まれる奈良・當麻寺の聖衆来迎練供養会式より。西方にある本堂から中将姫のいる東の娑婆堂まで架けられた橋を、僧や菩薩たちの列が往復する。中将姫を極楽浄土に連れてゆく来迎の様相を現前化した行事である。(写真左)僧のうち数名は手に香炉を捧げていた。(写真右)来迎の二十五菩薩の先頭を行く観音菩薩。行きは蓮台のみを手にしていたが、娑婆堂から戻る際にはこのように中将姫を乗せている。


匂いの混沌――聖なる空間の創出と身体感覚

 けれども周知のとおり、私たちの生きる現実はもっと雑多で奇妙で錯綜しています。宗教的な場でそれを感じた具体例を、昨年見学した春日大社の若宮「おん祭」をもとに考えてみたいと思います。
 おん祭では、毎年12月15日から18日にかけて主要な行事がとり行われます。とくに17日は、午前0時に若宮の神霊が社を出発し1キロほど離れた御旅所(おたびしょ)に向かう「遷幸の儀」にはじまり、神前でさまざまな供物・芸能の奉納が行われる「暁祭」、昼間の「お渡り式」、そして24時間以内に若宮の神霊をお戻しする「還幸(かんこう)の儀」まで、丸1日行事が続き、多くの参拝客が集まり賑わう日です。


おん祭のお渡り式の行列は、途中、興福寺南大門に居並ぶ衆徒(僧兵)たちの前を通過する。お渡り式の遺漏をあらためる交名(きょうみょう)の儀もここで行われる。

 冒頭に記した情景は、その長い長い1日が幕をあけたばかりの刻限のものです。取り囲む榊と警蹕の声に守られた若宮の御霊代(みたましろ)は、一度ぐにゃりと折れた参道を西に向かって進んでいきます。私が立っていたのはそのカーブと御旅所のちょうど中間くらいの位置でした。徐々に近づいてくる神を待ちながら、出来うるかぎり五感を研ぎ澄ませ、周囲を取り巻くさまざまな気配を感じ取ろうと努めました。
 光を完全にシャットアウトされた、闇のなかの音、温度、そして匂い。この上ない神聖な場として創出されたこの空間では、ありとあらゆるものが舞台装置のように機能しています。神の顕現をあらわすものとして漂ってきた香のかおりは、確かに神聖な何かを感じさせ、寒空の下、背筋のピンと伸びる思いがしました。それとともに、松明の焦げた匂い、鹿の獣くささ――通常ではどうしたって芳香とは呼ばれないであろう種類の匂いも、ノイズのように混ざり込んでいます。
 それでも、私の鼻腔はあのとき疑いなく「清浄な匂いを嗅いでいた」と思います。
 「匂い」が単に嗅覚表象だけに限定されない、むしろ「気配」だとか「雰囲気」だとか呼ぶのがふさわしいような何かであることを身をもって感じていました。私が嗅いだのは、神聖さや清浄感を表す「芳香という名の気配」だったのです。
 語義的な問題に立ち返ったなら、もともと「にほひ」や「かをり」は、今日のような嗅覚表象に限った表現ではありませんでした。これらの語彙の成立や語源については諸説があるのでここでは割愛しますが、いずれも嗅覚に限定された今日的なものではなく、視覚や気配といったものを含みこむ表現であったというのが共通の理解です。
 だとすれば、私がおん祭で嗅いだ気配としての「匂い」とは、まさにこうした古代的なる「匂い」そのものであったようにも思われます。匂いは、知覚する人びとの側に根ざし、意味や価値を見出されるものなのです。


匂いと宗教、そして文学――生と聖の把握のために

 現実としてのこの匂いの混沌は、宗教のテクストよりも文学においてより顕著にみられます。人間というすなわち「私」でもある存在やこの世というリアルな世界を把握しようというとき、そこに生じるブレが、匂いをキーワードとして読んでいると鮮明に浮き上がってくるのです。
 かの在原業平と並び称される平安時代の大変な色好み、平貞文(平中)という人物がいます。ここで、彼の匂いたつような滑稽譚を見てみることにします。

 

 あるとき平中は、さる邸に仕える侍従という女房に恋をします。けれどもちっとも相手にされません。恋に煩う平中は思いました。
「どうせ叶わぬ恋ならば、あの人の心疎く思えるものでも目にして、気持ちに区切りを付けてしまいたい」
 一計を案じ侍従の樋洗(ひすまし・「おまる」のこと)を盗み出すことにした平中なのですが、しかしその画策を察知した侍従は先手を打ち、丁字(ちょうじ)を煎じた汁と、香料を練り合わせた薫物の親指ほどの太さにしたものを2、3切れ入れておきました。盗んできた樋洗は芬馥としていたといいます。鼻を近づけ棒で突き刺し、さらには口に運びまでしてこれらが何であるかを確かめた平中は、侍従の機知に富んだ対処にますます思いを強くします。そしてついには、病を得て死んでしまいました4。 

 

 
 通常この物語は、恋に溺れた男の愚かな行動を笑い、それに毅然と対した賢い女に感心する話として理解されてきました。もちろんその読みに間違いはないでしょう。

 しかし、たとえばここで『往生要集』の「当に知るべし、この身は始終不浄なることを。愛する所の男女もまた皆かくの如し」5といった穢土としての人間道について述べた一節をふまえたなら、何ともいえない人間の悲哀のようなものが見えてこないでしょうか。源信は重ねてこう説きます。「外には端厳の相を施すといへども、内にはただもろもろの不浄を裹(つつ)むこと、猶し画ける瓶に糞穢を盛れるが如し。」いかに美しい人も所詮は内に汚い排泄物を宿す不浄な身でしかない、けれども人は、ときに命を失うほどに誰かを愛し執着してしまうのです。平中に死をもたらした恋の物語に、私はそうした人間の哀しさを感じずにはいられません。
 『落窪物語』には、新妻の元へ通う少将が土砂降りのなか、路上に落ちていた「屎」の上に尻もちをついてしまう場面があります。引き返そうという少将に、供の帯刀(たちはき)は次のように声をかけました。「こんな雨のなか来てくれたとなれば、あちらは麝香(じゃこう)の香りのようにお嗅ぎになることでしょう」
 こんな例を読むと、あばたもえくぼ、という諺を思い出します。想像を膨らませば、恋の気配に呑まれた平中が口に入れたものは、あるいは香料などではなかったということになるかもしれません。


 匂いを通じて宗教的な言説を読み、文学のテクストを読んでいると、両者を貫く感性が獏としつつも確かにあることを強く感じます。この感性に注意を向けると、一見宗教とは関係のない物語にも、当時の宗教的世界観を踏まえた読みの可能性が開かれるように思います。一方で、文学のえがく世界に宗教と日常の関わりを読むこともできるでしょう。
 人びとの経験や身体感覚に根差し、儚く柔らかな、だけど誰しもがきっと共感できる感性としての「匂い」が、私の研究の対象とするものです。宗教学と文学との境界領域で懊悩することの意義が、ここに見つかるのではないかと今は考えています。
 

奈良公園の鹿。鹿は春日大社の神の使いであるとされる。

 

 

春日大社ウェブサイトもぜひご参照下さい。

 

「匂い」という漢字表記は通常は芳香を指すことがほとんどだが、本稿では「良い/悪い」といった価値判断を含まないものと して使用する。本来ならひらがな・カタナカ表記すべきところであろうが、インターネットやデータベースの検索に対応するため、筆者はあえて「匂い」に統一 していることをご了承いただきたい。

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1 春日若宮のおん祭の様子は、NHKが取材したDVD『神が降り立った森で――春日大社・祈りの記録』(NHKエンタープライズ)で見ることができる。
2 山田登世子・鹿島茂訳、藤原書店。原題は、Le miasme et la jonquille: L'odorat et l'imaginaire social 18e-19e siecles.
3 拙稿「『身体が匂う』ということ」などでは、これらに加え「無臭」という匂いのありかたも考察の対象としてきた。「無臭であること」がわざわざ特筆されるとはどういうことなのか。悪からの救済を示唆する無臭、聖への転換を物語る無臭、聖への転換の失敗を暗示する無臭……。場面により、何が無臭なのかにより「無臭であること」の意味は変転し、単純化できない匂いの様相を顕にするものである。
4 非常に有名なこのエピソードは多くの作品に採られており、それぞれ内容に異同も多いが、ここでは『今昔物語集』巻三十の「平定文仮借本院侍従語第一」(日本古典文学大系)をもとに要旨をまとめた。
5 『往生要集』大文第一厭離穢土、第五人間道。岩波文庫の書き下し文による。

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吉村晶子先生

 鳥取市生まれ。学習院大学大学院博士後期課程単位取得退学。学習院大学非常勤講師。
 研究テーマは、10世紀前後の日本における「匂い」。匂いとは身体的な経験を通じてのみ知覚されるという観点から、当時の人びとがどんなふうに匂いを感じ生きていたのか、宗教的な場や日常の世界にどんな匂いが漂い、どのような意味付けがなされていたのか、といった問いに挑んでいる。「宗教」と「文学」とを中心に据えつつ、従来の学問領域にとらわれない多角的な研究をめざし模索中である。
 「聖性と移り香―転生する聖徳太子のイメージと匂い」(『文学』12巻1号、岩波書店)、「平安文化における薫物―その意味の多様性から」(河添房江編『王朝文学と隣接諸学9 王朝文学と服飾・容飾』竹林舎)、「『身体が匂う』ということ―薫の体香の再考へ向けて」(三田村雅子・河添房江編『薫りの源氏物語』翰林書房)