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寄稿コラム


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第8回 2011/04/21

ムスリム同胞団―エジプト最大のイスラーム主義運動


はじめに

 読者の皆さんの中には、テレビや新聞などで、今年初めに始まった中東諸国での民主化革命に関する報道に触れられた方も多いでしょう。本稿執筆現在、リビアではカダフィー政権と反政府勢力との激しい戦闘が続いており、イエメンやシリアなどでは反政府デモが頻発しています。この中東諸国における民主化革命の波は、今年1月のチュニジアでの「ジャスミン革命」に端を発しています。しかし、この波がここまで広がった要因としては、中東の地域大国エジプトでムバーラク政権が崩壊したという出来事を無視することはできません。
 1981年から30年間にわたってエジプトで強権支配を行っていたムバーラク大統領は、民主化を求める国民の声の高まりに抗することができず、2月11日に大統領職を辞任しました。1月25日の大統領辞任要求デモから始まったこの民主化運動は「1月25日革命」と呼ばれ、その様子は逐一世界中へ配信されました。現在、全権を掌握した軍の統治下で、民政移管への動きが活発化しています。3月19日には憲法改正が国民投票で承認され、9月に実施予定の議会選挙へ向けた準備が進められるなど、エジプトは民主化へ向けて歩み始めました。エジプトの革命と民主化の試みは、他の中東諸国にとっての先例にもなりつつあります。
 インターネットのフェイスブックから始まり世界が注目した1月25日革命でしたが、それを戦略的に利用し、導いたのは、どんな人々だったのでしょうか。革命が進む中で、「イスラーム原理主義」が台頭するかもしれないという懸念が高まったことを覚えておられる方もいるかもしれません。イスラエルのネタニヤフ首相は、隣国エジプトでイスラーム主義勢力が台頭することに懸念を表明しました。米国の保守派勢力などからも、エジプトがイランのような「宗教国家」になるのではないかとの声が上がりました。こうした懸念の原因となっていたのは、エジプト最大のイスラーム主義運動であるムスリム同胞団でした。同胞団が反政府デモへ多数の支持者を動員するなど大きな役割を果たしていたため、エジプトがイスラーム原理主義化するかもしれないと、世界中がこの聞き慣れない組織に注目しました。その一方で、同胞団に関する情報が十分に行き渡っているかというと、必ずしもそうではありません。そこで、本稿では、同胞団の歴史、思想、活動について解説したいと思います。

1.ムスリム同胞団の歴史

 同胞団は、1928年に学校教師のハサン・バンナーが中心となり、スエズ運河に面したイスマーイーリーヤというエジプトの町で結成されました。彼が掲げた目標は、聖典クルアーンと預言者ムハンマドの言行録スンナから導き出されたイスラーム法(シャリーア)を施行し、それに基づくイスラーム国家を樹立することでした。同胞団は目標実現のために、一般民衆に対してイスラームの教えに従って生きることの必要性を訴えかけました。この民衆に対する訴えを「教宣(ダアワ)」といい、現在に至るまで同胞団活動の根幹となっています。
 当時のエジプト社会では、世俗主義や欧化主義の流入により脱イスラームの思想に傾倒する人々も多かったのですが、バンナーはイスラームの教えに立ち返ることを主張しました。当時のエジプトはイギリスの支配下に置かれていました。また、失業や物価高騰などの様々な社会問題が山積していました。こうした内憂外患を解決するためには、イスラームの教えに従った政治・経済・社会改革が必要であるとバンナーは民衆に訴えたのです。同胞団は民衆に対するダアワを積極的に進めた結果、結成から20年ほどでエジプト最大の社会・政治結社のひとつに成長しました。
 しかし、時の権力者たちは台頭する同胞団へ次第に警戒感を抱き、彼らとの緊張関係が強まりました。1952年にクーデターで実権を掌握したナセル率いる革命政権に対して、同胞団は当初は協調姿勢を取っていましたが、意見・政策の相違から両者の対立は次第に深まりました。1954年に同胞団メンバーが起こしたとされるナセル暗殺未遂事件を契機に、同胞団は非合法化されました。1950~60年代は、政権の厳しい弾圧にさらされる「冬の時代」を経験しました。
 1970年代、ナセルの後を継いだサーダート政権下で、同胞団は活動再開を黙認されました。その後の同胞団は、非暴力・合法活動路線を採用し、社会活動を中心とする組織再建に成功しました。しかし、政権側は同胞団が政治勢力として台頭することを恐れ、合法化の手続きだけはとろうとはしませんでした。ムバーラク政権下でも、同胞団は非合法組織でしたが、一定の活動の自由を黙認されていました。たとえば、1984年以降、同胞団は議会選挙へ参加し、実際に議席を獲得しました。一方で、非常事態令下のエジプトで非合法組織である同胞団はしばしば取り締まりの対象にもなりました。同胞団の台頭を抑えるべく、メンバーの逮捕・投獄、資産凍結も行われました。ムバーラク政権内では、潜在的脅威である同胞団を完全に活動禁止とすべきとの声もありましたが、同胞団の急進化を避けるため、あるいは社会における一定の「ガス抜き」として機能させるため、黙認の基本方針が取られました。
 こうした緊張関係の下、同胞団は政権との全面的対決の回避を基本方針に組織の維持を図りつつ活動していました。こうした中で起こったのが1月25日革命でした。

2.ムスリム同胞団の思想

 創設者バンナーの思想は、現在に至るまで同胞団の基本思想となっています。現最高指導者ムハンマド・バディーウの演説でも、しばしばバンナーの言葉が引用されています。バンナー思想は哲学的・思弁的なものではなく、むしろ行動のための実践的な指針とでもいうべきものです。その重要理念として、行動主義、段階主義、包括主義を挙げられます。
 イスラームの教えを正しく実践することによってのみ、内外の諸問題を克服できるとバンナーは唱えました。そして、彼は人々にイスラームの復興のために、実際に行動を取ることの必要を説いたのです。行動主義は、バンナー思想の重要理念の一つとなっています。たとえば、彼の論考「我々のダアワ」は、次のように述べています。
 我々〔同胞団〕のダアワを信じ、我々の言葉を確信し、我々の諸原則に感銘し、その中に善をみるような者に対して、急いで我々とともに行動することを呼びか ける。ジハードに励む者を増やし、ダアワを行う者の声を高らかにするためである。行動を伴わない信仰には、全く意味がない。また、いかなる信念も、信念を 持つ者をその実現に促し、自己犠牲を払わせなければ、有用ではない。
 では、イスラームの教えを実践するためには、どのように進めればよいのでしょうか。実力行使の奪権により同胞団の政府を打ち立てるのか、それとも自分たちの身の回りから改革を進めてゆくのか。バンナーは後者を選択しました。彼は、「個人から、家庭、社会へ」と段階的に、イスラーム復興を実現してゆくことを主張しました。ここでは、バンナー思想の重要理念である段階主義を指摘できるでしょう。イスラームが社会的な力を回復するためには、一人一人の民衆に対して、イスラーム復興の必要性をダアワによって訴えることから始めなければならないとバンナーは考えたのです。
 同胞団はしばしば政治組織として論じられますが、実際には、次節で紹介するように多様な活動を展開してきました。創設当初から、イスラームを社会全体で包括的に実践しようとする姿勢を取っていたのです。バンナーは、「イスラームはこの世の全ての諸相を対象とする包括的なシステムである」と述べ、イスラームの教えを社会全体に適用することの必要性を説きました。そこには、バンナー思想の重要理念である包括主義を見出せます。同胞団は様々な活動へと積極的に乗り出し、社会の至る所でイスラームの教えを実践しようと励みました。

3.ムスリム同胞団の活動

 同胞団の最大の特徴は、バンナー思想に基づき様々な社会活動を実施している点にあります。20世紀前半から、モスクの建設・運営といった我々が通常考える宗教的な活動だけでなく、教育活動、学生運動、政治活動、企業経営、労働運動、女性の組織化、医療奉仕活動、ボーイスカウト活動、スポーツクラブ経営など多種多様な活動を行い、民衆の心をとらえることに成功してきました。
 同胞団が現在行っている社会活動は、1970年代の復活以降に再開されたものがほとんどです。昨今のエジプトでは、外貨導入に依拠する自由主義的な経済開発が進むにつれ、エジプト国民の間に貧富の差が拡大するなど様々な社会問題が発生しました。政府の提供する公共サービスだけでは人々の要求を満たすことができず、同胞団の社会活動はしばしばその不足を補ってきました。相互扶助ネットワークの構築、行政・司法相談、無料医療サービス、スポーツクラブ運営など、同胞団は多様な社会福祉サービスの提供を行っています。
 そうした活動のひとつに、イスラーム医療協会という組織があります。この協会は、良質・廉価な医療サービス提供を目的に活動を続けており、基本的にボランティアの医師・事務員によって運営されています。筆者が訪れたファールーク病院でも、スタッフは近くにある本務先の病院から勤務の合間を縫ってボランティアに参加していました。この病院は同協会の中で最大・最新の病院であり、CTスキャン、ソナー・システム、人工透析機、新生児センターなどの医療設備を持ち、毎日数百人の患者が訪れていました。薬や診療費は通常有料ですが、患者の経済事情に応じて無料になる場合もあります。



【写真】イスラーム医療協会ファールーク病院


 イスラーム医療協会の運営委員会には同胞団メンバーもいますが、公式には別組織として活動しています。しかし、両者は指導部で重なっています。ここを訪れる患者の多くも同胞団の病院として認識しており、同胞団の社会的な支持基盤やネットワークの形成に一役買っています。実際に、筆者が会ったガマール・アブドゥッサラーム院長は、同胞団系候補として議会選挙に同胞団から立候補したこともあります。社会活動を通じて形成した支持基盤に立脚して政治活動を行うという同胞団の基本方針がうかがえるでしょう。ムバーラク政権下では、同胞団はこうして形成した支持基盤を背景に、民主化要求などの政治活動を行っていました。
 同胞団が1月25日革命で多数の支持者を動員できた理由には、このような社会活動の存在がありました。また、旧与党の国民民主党が凋落した現在、エジプト国内でこうした強固な社会ネットワークを有する組織は同胞団だけです。それゆえ、年内に実施予定の議会選挙では、同胞団の躍進が予想されています。これをイスラーム原理主義の台頭と考える国内外の勢力も多く、同胞団は民主主義堅持の姿勢を改めて表明するなど、イメージ改善に努めているようです。

おわりに

 同胞団は、しばしば言われるような急進的・教条主義的なイスラーム原理主義組織ではなく、むしろエジプト社会に根を張り、民衆から強い支持を受けている社会・政治組織といえるでしょう。人々に広く受け入れられているからこそ、ムバーラク政権崩壊後のエジプトで重要な役割を果たし、その存在感がクローズアップされているのです。無論、同胞団内部には教条主義的な主張を繰り返すメンバーも見られ、そのため同胞団への嫌悪感を抱くエジプト国民も多く存在します。同胞団内での意見対立も最近では報じられており、その解決には時間を要するともいわれています。その一方で、ムバーラク後の新たな変化の最中にあるエジプトにおいて、同胞団が重要なアクターであることには間違いありません。同胞団の動向がエジプトの将来を左右する要因になるといっても過言ではなく、彼らへの注視が今後も必要となることでしょう。



【写真】ガマール院長の執務室で筆者と

+ Profile +

横田貴之先生

 2000年に初めてエジプトを訪問して以来、ムスリム同胞団を中心にエジプト政治研究を続けています。最近では、政治過程論や社会運動論の観点から、イスラーム主義運動の政治参加に関心を抱いています。また、同胞団系組織ということで、パレスチナのハマースについても、主に思想面からの研究を進めています。
 2011年初めからの「中東革命」の影響で、ムスリム同胞団に関するコメントを求められることが急に増えました。私が研究を始めた頃から、同胞団は重要だと国内外で指摘されていましたが、最近まで研究蓄積はほとんどありませんでした。本稿でも触れましたように、ムバーラク政権下で同胞団は非合法組織として取り締まり対象になっていました。研究者が同胞団に関する調査を行うことは困難であり、それゆえ研究が少なかったのです。懇意にしていた同胞団系の書店がある日突然に政府当局の指示により閉鎖されたり、仲の良かった知人が逮捕されたりするなど、私も調査の困難さを実感しました。その一方で、下手なアラビア語を使う怪しい日本人研究者を快く受け入れてくれる同胞団関係者のホスピタリティーに感激することも度々ありました。掲載した写真はそうした機会に撮ったものです。
 1月25日革命を経て、同胞団関係者の境遇は大きく変わりました。変わりゆくエジプトで日々忙しく動き回っている彼らからメールをもらうと、つい研究をさぼりがちな私も頑張らなければといつも反省しています。同胞団はエジプトのみならず、多くの中東諸国に広がっている運動で、現代中東を考える上で必ず言及しなければならない存在です。読者の皆さんも、是非この運動に注目して中東情勢を考えてほしいと思います。
日本大学国際関係学部准教授。1971年、京都府宮津市生まれ。京都大学博士(地域研究)。早稲田大学政治経済学部政治学科卒(1995年)、北海道電力(株)勤務を経て、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了(2005年)。(財)日本国際問題研究所研究員を経て、2010年4月より現職。専門は、中東地域研究、現代エジプト政治研究。主な著書・論文に、『現代エジプトにおけるイスラームと大衆運動』(ナカニシヤ出版、2006年)、『中東諸国におけるイスラームと民主主義―ハマース2005年立法評議会選挙綱領を中心に』(日本国際問題研究所、2006年)、『原理主義の潮流―ムスリム同胞団』(山川出版社、2009年)、「1月25日革命とムスリム同胞団」(『現代思想』39巻4号、2011年)など。