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第7回 2011/03/25

イスラームと医療倫理――医療機関における異性間身体接触の是非をめぐって


  もう10年以上も前になります。大学院でおこなう調査のフィールドとしてイラン・イスラーム共和国を選んだ私は、首都テヘランで語学学校に通っていました。私はもともと看護師で、臨床経験を経てから大学院に進みましたので、その時、すでに30歳を過ぎていました。そんな私にとって、イランで生活しペルシャ語を学ぶ毎日は、困難の連続でした。最初の3ヶ月間は、周囲の人が何を言っているのかまったくわからず、緊張と混乱の中で、必死にもがいていました。
 そんなある日、日本で知り合ったイラン人女性の友人が、テヘランの一般的な病院に連れて行ってくれました。おかしな話ですが、いくつかの病院で働いていた当時の私にとって、「病院」は他のどこの場所よりも、馴染み深い、リラックスできる場所でした。病棟に入ると、言葉はよく理解できないのに、病院スタッフが何をやっているのかが手に取るようにわかります。異国の地で、はじめて手ごたえをもって「理解できる」状況があることに気づき、心から安堵したことを覚えています。


【写真】エマーム・ホメイニー病院

 落ち着いた気持ちになって、周囲を観察してみると、いくつか日本の病院との違いに目がとまりました。その一つが、病棟の分類法でした。日本の病院では、病棟が診療科別になっていて、病棟内の各病室が男女別に振り分けられていることが多いと思います。しかし、その病院では「男性内科病棟」「女性内科病棟」と病棟自体が男女別になっていて、各病室が「呼吸器内科」「消化器内科」などの診療科で区別されていたのです。
 友人に聞くと、イスラームを信仰する人々が多数を占めるイランでは、イスラーム的見地から、入院治療を受ける病院においても男女の接触を避けることが重要視されており、そのために病棟が男女別になっているということでした。イランでは、女性は顔と手首から先、足首から先を除いた部分を隠すことになっています。これは、女性が親族以外の男性から投げかけられる視線と接触を避けるための服装です。男性も、ノースリーブや半ズボンなど、露出の多い服を着用することはマナー違反です。同様に、異性の身体を見、それに触れるということは、たとえで病院内であっても、性的な意味合いを持ちかねない行為だとみなされ、宗教的罪であると考える人が、少なからず存在しているのだというのです。
 医療を提供する場所でも、イスラームを信仰する者として、男女間の接触を避けなければならないのだとしたら、医師や看護師たちはどうやって日常的な業務を遂行しているのでしょうか。医師や看護師の仕事は、患者の身体に直接関わることばかりです。注射や脈拍の測定をおこなうには、患者の皮膚に触れる必要があります。傷口の消毒や手術後の抜糸の際には、身体の一部を露出しなければなりません。乳がんの診察では医師が乳房を触りますし、婦人科の診察では、内診が必要となります。そのような時、患者や医療従事者は、一体、どう対処するのでしょうか。
 これは、私が臨床経験を持つ看護師として抱いた、非常に素朴な疑問でした。そして、この疑問が、その後、イスラームという宗教と医療・看護・介護の倫理との関わりについて研究を続ける、大きなきっかけとなりました。なぜなら、病院内において男女間の接触をどのように避けるかという問題は、イランにおいて医療倫理のトピックスとして長く議論されてきた論点だったからです。
 イランでは、1990年代ころから医療倫理、生命倫理に関する議論が活発におこなわれてきました。テーマとしては、臓器移植や延命治療、安楽死や脳死、人工妊娠中絶、性転換、近年ではクローン技術なども取り上げられています。こうした議論の中に、病院内における男女間の接触に関する問題が含まれているのです。信者はその宗教的是非を問うために、イスラーム法学者たち(ウラマー)に質問し、それぞれの見解(ファトワー)を仰いでいます。
 イスラームでは、人間の行動を次の五つの範疇に分けています。(1)イスラーム を信仰するものとして、やらなければならない「義務行為」、(2)したほうがいい「推奨行為」、(3)してもしなくてもよい行為、(4)できれば避けたほうがよい「忌避行為」、(5)してはいけない「禁止行為」。たとえば、よく知られたところでは、日々の礼拝は(1)の「義務行為」に、また、豚肉を食べることは(5)の「禁止行為」に相当します。この分類は、日常生活の全域にわたって適用され、さまざまな場面において、人々の倫理的判断の基準になっています。
 イランでは、親族以外の異性、すなわち結婚が許されている異性のことを「ナー・マフラム」と呼びます。そして、「ナー・マフラム」である異性の前で身体を露出すること、あるいはその身体を見ること、そして「ナー・マフラム」の身体と接触することは、基本的にすべて(5)の「禁止行為」に相当し、それをおこなうことは宗教的罪だとみなされます。人間の身体は性的な欲望を起させるものだから、親族以外の異性の前では隠さなければならないのです。そしてそれは、医療機関の中でも適用されます。
 この問題に対しては、ウラマーが、それぞれのファトワーをまとめ、合意的見解を示しています。ウラマーによってイスラーム法の規範に反すると認識されている行為は、大きく分けて次の8つになります。
 (1)男性が女性を見ること。(2)女性が自らの身体を男性の前で露出すること。(3)女性が男性の身体を見ること。(4)男性が女性の前でその身体を露出すること。(5)男性が女性の身体に直接触れること。(6)女性がその身体に男性からの直接的接触を受けること。(7)女性が男性の身体に直接触れること。(8)男性がその身体に女性からの直接的接触を受けること。
 しかし、医療の領域で上記の行為を避けるために、患者の治療や看護をすべて同性の医療従事者がおこなうことは、現実的に考えて不可能です。イランでは、医学部の学生の約半数が女性ですが、それでも今はまだ、男性の臨床医が多い状況があります。また、看護師は逆に女性が多く、男性は約3割にとどまっています。そのため、病院や診療所では、女性患者が男性医師の診察を受けること、あるいは男性患者が女性看護師の看護を受けることが必然的に起こってきます。
 医療従事者の中には、人間の生命を扱う医療という領域に「ナー・マフラム」との接触の禁止という宗教的禁忌の概念を持ち込むことのほうが、医療倫理に反すると感じている人もおり、さまざまな批判点を挙げています。たとえば、イランには無医村が多く、保健センターに男性医師が一人しかいないという状況がめずらしくありません。それにもかかわらず、医療における異性間接触も「禁止行為」であるとウラマーが公的に規定してしまえば、農村部で女性が医療を受けられないという状況をつくりだしてしまうと危惧する声があります。
 逆に、テヘランなどの大都市に居住する女性の中には、「ナー・マフラム」の問題を重要視せず、女性の医師よりは、腕がいいと評判の男性医師の診察を受けたいと望む人もいます。このような女性にとって、女性が男性医師の診察を受けることを制限することは、よりよい医療を選択する患者の権利を侵害するものとして受け止められる可能性があります。
 「ナー・マフラム」の身体を見たり、それに触れたりすることは宗教的罪です。これはすなわち、医療や看護を目的として「ナー・マフラム」の身体に介入することが、患者にとって罪となるばかりでなく、医療従事者側にとっても宗教的罪悪となることを意味しています。したがって、医療従事者が異性患者の身体に触れなければならない事態に陥った時、患者の生命よりも「ナー・マフラム」に触れることの問題を重視し、医療行為・看護行為をおこなわないといった状況が起こってしまう可能性も否定できません。
 一方で、患者の中には、「ナー・マフラム」の医師や看護師の前で身体を露出し、直接的な接触を受けることを重大な罪だと考える人もいます。男性の医師に診察されることを恐れて、婦人科の病気の発見が遅れてしまった例や、妊婦が男性医師の診察を拒否したために、胎児が死んでしまったという事例もあったようです。
 ウラマーは、こうした状況に柔軟に対応するため、別の法見解を示しています。つまり、上記の8つの行為は、それが「十分な緊急性をもって」、「患者の治療と看護を目的として」為される時は、「禁止行為」ではないとする見解です。また、たとえば、薄い衣服の上から、あるいは手袋を着用して異性患者の身体に触れ、診察をおこなったり、脈拍を測定したりすることは「禁止行為」ではないとしています。
 さらに、患者と同性の医師が同席している時に、医師が異性患者の身体を見たり、それに触れたりすることは「禁止行為」ですが、同性の医師がいない時に、それをおこなうのは「禁止行為」ではないとします。もちろん、医療は患者の生命を救うことを目的としておこなわれるのですから、どんな場面でも、人命の救助が最優先されなければなりません。
 しかし、臨床の場面では、条件付で「禁止行為」ではないとする上記のファトワーを遵守することさえ、非常に困難です。信者は自分が従う高位のウラマーのファトワーを遵守することになっていますが、ファトワーに拘束力はありません。そして、厳密なルールが設けられているこの状況を別の側面から見ると、人々がファトワーをきっちり遵守しない場面も多々ある現実がわかってきます。(詳しくは、『イスラーム世界研究』掲載の拙稿をご参照いただければと存じます。)
http://www.asafas.kyoto-u.ac.jp/kias/contents/pdf/kb2_1/10hosoya.pdf
 男女の性規範が医療の領域まで適用されることを知って、驚かれた方もいるかと存じます。中には、「そこまで意識しなくても…」と違和感をもたれた方や、反対に「患者のためには配慮が必要だ」と共感された方もいらっしゃるでしょう。この議論は、宗教や文化によって重視する倫理的指針が異なることを示してくれます。逆を返すと、もしかすると私たちが「常識」だと思っている価値観が、他の人たちにとっては「非常識」かもしれないのです。イスラームのように、あまり身近ではない宗教と関わる議論を知ることは、自分自身を振り返るきっかけにもなると考えています。

+ Profile +

細谷幸子先生

東邦大学医学部看護学科在宅看護学助教。
1968年生まれ。群馬県出身。看護師・保健師。日本女子大学人間社会学部現代社会学科卒、東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程修了。博士(学術)。これまで、医療・看護・介護の倫理とイスラームの信仰との関係について、イランをフィールドに調査・研究をおこなってきました。現在は、他者を世話すること、他者に世話されることをめぐる状況を、さまざまな角度からとらえたいと考えています。2008年からは、イランの脊髄損傷者の在宅生活を支援する活動にも従事しており、NPO法人イランせきそん交流支援会理事長でもあります。
主な論文に「現代イランにおける看護とイスラーム~女性看護師が男性患者のボディ・ケアをおこなう場面から~」
(イスラーム世界研究,
2(1):92-162,
2008)、著書に『イスラームと慈善活動~イランにおける入浴介助ボランティアの語りから~』(ナカニシヤ出版,京都,2011)があります。