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寄稿コラム


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第2回 2010/08/24

自分探しの聖地、何もない聖地――宗教的であることの多様化

■世俗化社会の宗教

 現代ヨーロッパのキリスト教を考える上ではずせないのが「世俗化」の影響です。これは「近代化にともなって宗教が社会に与える影響力は低下する」という主張です。フランスでもっとも信者が多いカトリックでは、信者は毎週日曜日のミサに出席することが求められます。しかし、近年の統計では毎週出席しているのは10%未満に低下しています。また、数少ない出席者の多くは高齢者で、10~20代の若い世代の姿はほとんど教会では見かけなくなっています。こうした状況はイギリスや北欧などにも当てはまります。

 それでは現代社会には宗教が存在する余地は残されていないのでしょうか。人々はますます合理的になり、宗教は非合理として片付けられてしまうのでしょうか。実際、宗教は今後も衰退してゆくと主張する研究者もいますが、私は、宗教は「衰退」しているのではなく、社会の変化に合わせて「形を変えている」と考えています。そして、そうした宗教の変化が目立つ領域として聖地巡礼に注目しています。

 

■自分探しの聖地――サンティアゴ・デ・コンポステラ巡礼

 今、ヨーロッパで一番流行っている巡礼のひとつが聖ヤコブの遺骸が安置されるスペイン北西部の街サンティアゴ・デ・コンポステラの大聖堂を目指す巡礼です。サンティアゴ巡礼は、エルサレム、ローマに続くカトリック第三の聖地として中世に始まりました。ペストや戦争などの影響で中断し、19世紀にはほとんど巡礼者はいませんでしたが、教会に出席する人が減少するのと入れ替わるように1980年代後半から巡礼者が増加し始め、近年では毎年10~15万人の巡礼者がいます。教会では見かけなくなった20~30代を中心とする若い巡礼者が多いのも特徴です。


 聖地の巡礼者数としてはこの数字は決して多くないように感じるかもしれませんが、サンティアゴ巡礼は1日では終わりません(サンティアゴだけを訪れる人は600万人を超えます)。1993年に世界遺産にも指定された800キロ以上の巡礼路がスペイン北部を横切っており、そこを1ヶ月以上かけて歩く旅です。徒歩以外では自転車か馬しか認められません。巡礼者は10㎏以上の荷物を背負って、毎日20~30㎞歩き続けます。巡礼路には山道もあれば、メセタと呼ばれる不毛の地もあります。危険な車道を横切ることも頻繁にあります。巡礼路には命を落とした巡礼者の墓やモニュメントがいくつも作られています。とにかく毎日歩き続けるので、巡礼者は必ず足を痛めます。私の調査時にも、地面に点々と血がついていて、それをたどった先に怪我をした巡礼者がいたことがありました。サンティアゴ巡礼は、聖地巡礼の中でも肉体的にもっとも過酷なものだといえます。
 興味深いのは、サンティアゴ巡礼者たちが「敬虔なキリスト教徒」なのかというと、どうやらそうでもないことです。ある統計によれば、半数以上は特に信仰をもっていない人々ですし、他宗教の巡礼者も存在します。国籍を見てもスペイン人は半分以下で、最近では日本人の巡礼者も目立つようになってきました。極端な例を挙げれば、聖ヤコブのことをほとんど知らない巡礼者もいます。それでは、彼らはどうして「カト リックの聖地」であるサンティアゴを目指して歩き続けるのでしょうか。


 巡礼者にインタビューしたり巡礼記を読んだりすると、巡礼の過程での様々な人との出会いや別れについての話が目立ちます。1990年代以来、何度も巡礼しているある日本人巡礼者はやはりカトリック信徒ではありません。またスペイン語も十分にできず、「1ヶ月以上もひとりで歩くのは寂しいし不安だが、毎回素晴らしい出会いがあるのでやっぱりひとりで来てしまう」と語っていました。日本人に限らず多くの巡礼者は他の巡礼者や巡礼路に暮らす地元の人々との交流を大切にしています。彼らが語るのは、一緒に食事をしたとか、水を分けてくれたとか、医師が無料で治療してくれたとか、喧嘩をしたとか、一見は些細に思われる出来事です。しかし、こうした交流とそれを通じて起きた考え方や意識の変化は「サンティアゴへの到着」以上に大事なこととして語られます。
  聖地巡礼であるにもかかわらず、聖地への「到着(ゴール)」よりも、そこまでの「プロセス」の方が強調されているのです。良く使われる言い回しを使えば、「自分探し」としての巡礼だといえます。さらに、カトリック教会もこのような自分探しとしてのサンティアゴ巡礼を「黙認」しています。サンティアゴ巡礼では100㎞以上歩いて巡礼すれば「巡礼証明書」を貰えるのですが(自転車ならば200㎞以上)、証明書発行の際には巡礼動機を選びます。その選択肢は(1)宗教的動機、(2)宗教的あるいはスピリチュアルな動機、(3)それ以外の3つです。つまり、明らかにカトリックの信仰実践としての巡礼を意味する(1)以外も認められており、実際、半数以上は(2)を選んでいるのです。



 現代の巡礼者の多くはサンティアゴ巡礼路という伝統的な宗教巡礼を「材料」にして、それぞれが自分なりに巡礼の意味を引き出しています。従来のカトリックの教義や伝統に照らせば「宗教的」ではないのかもしれませんが、多くの巡礼者はサンティアゴ巡礼行を「スピリチュアル」だといい、カトリック信徒とは異なる意味を見出しています。こうしたサンティアゴ巡礼の現状は、単に宗教が「衰退」しているとか「復活」しているとかではなく、宗教のあり方の変化、つまり宗教的であること自体が多様化していることを示唆しているのではないでしょうか。



■何もない聖地――テゼ共同体の巡礼者たち

 現代の聖地巡礼を考える際にもう一つ興味深いのがテゼ共同体の例です。テゼ共同体はワイン産地として有名なフランスのブルゴーニュ地方南部にあります。テゼ共同体はプロテスタントの牧師ロジェ・シュッツによって設立されました。大きな特徴は「超教派(エキュメニズム)」を掲げる点にあります。現在では、キリスト教にはカトリック、プロテスタントをはじめとして様々な「教派」が存在します。教派ごとに儀礼や聖書解釈、教会の雰囲気などは非常に様々で、事実上、異なる宗教と言っても良いくらいに違う場合もあります。それに対してテゼ共同体は、教派の違いを超えて一緒に生活し祈ることを呼びかけています。1949年、ブラザー・ロジェと彼に共鳴する修道士の7人が誓願を立て、男子修道会としてテゼ共同体が発足し、これ以降、テゼ共同体は次第に参加者を増やしてゆきます。1969年にはカトリックの背景を持つベルギー出身の修道士が加わっており、現在では25ヶ国以上から集まった120名前後の修道士が共同生活を送っています。マザー・テレサやヨハネ=パウロ2世もテゼを訪れています。



 興味深いのは、やはり教会の出席率が低下してきた1960年代から、10~20代の若者が自然発生的にテゼ共同体を訪れるようになったことです。現在でも、夏季になれば毎週5000~8000人の巡礼者が訪れています。彼ら若者は普段教会へ行きません。教会へ一度も行ったことのない人もいますし、イスラームのような他宗教の信者もいます。それにもかかわらず、彼らはテゼ共同体の礼拝に参加し、しばしば涙を流す姿も見られます。なぜなのでしょうか。私は、テゼ共同体がこうした若い巡礼者を引きつける理由は、そこに「独特の祈りの空間」が準備されているからではないかと考えています。簡単にいえば、テゼ共同体は誰でも参加できる「新しい祈りの形」を作り出しているのです。
 テゼ共同体の礼拝が行われる「和解の教会」を訪れて驚くのはそのデザインです。フランスのあるジャーナリストはまるで「体育館か多目的ホール」のようだと書いています。赤とオレンジを基調に飾られていますが、どの教派のものともいえません。エジプトで展開したコプト教会のイコンが置かれている一方で、教会の屋根にはロシア正教会などで良く見かける八端十字架が用いられています。礼拝の仕方も変わっています。テゼ共同体では歌と沈黙が中心で、言葉での説教は行われません。歌は多言語で作られたシンプルなフレーズを繰り返します。そして、礼拝の真ん中くらいに10分程の沈黙の時間があります。教会の中は直接床に座るようになっていて、席も決まっていません。各人が思い思いの姿勢で礼拝に臨みます。礼拝中、一度も顔を上げずにうずくまったままの姿や、ほとんど寝そべっているような姿もあります。



 礼拝以外でも、テゼ共同体の巡礼者には規則やルールがほとんど存在しません。多くの巡礼者は1週間ほど滞在しますが、いくつかのプログラムが準備されています。ディスカッション・陶芸・歌など様々なものがあります。しかし、こうしたプログラムが巡礼者に「強制」されることはありません。近くの街へ出かけたり、ドミトリーで過ごしたり、散歩したりして、礼拝だけに参加する巡礼者も少なくありません。また、テゼで暮らす修道士と巡礼者が交わる機会もそれほどなく、何か固有の教えを巡礼者に学ばせようということもありません。
 私はこうした「特徴のなさ」「主張のなさ」こそがテゼ共同体の特徴であり、それが若い巡礼者を引きつけているのではないかと考えています。テゼ共同体への巡礼ツアーを企画した旅行社の方は、「テゼは何もない聖地だ。ただ行くだけでは意味がない」ということをおっしゃっていました。極端な話、テゼ共同体では1週間なにもせずに寝ていることも可能ですし、そうしていても怒られません。むしろ、誰も怒ってくれないといえます。テゼ共同体への巡礼を有意義にしようと思えば、自発的に礼拝やプログラムに参加することが必要になります(もちろん、なにもせずに寝ていることが必ずしも無意味なわけではありません)。



 「テゼ共同体は信仰と国を交換する場所です」、「たくさんの無神論者がいましたし、ヒンドゥー教徒や仏教徒もいましたが、テゼ共同体にはあらゆる人が祈るための環境がありました」といった巡礼者たちの言葉が示しているのは、テゼ共同体でもサンティアゴ巡礼と同じように、様々な人との出会いと別れを通じて、日常生活では得られない考え方や意識の変化が生じているということではないでしょうか。テゼ共同体の特徴のない祈りの空間は、あらゆる教派(時には他宗教)の巡礼者が集うことのできる聖地になります。礼拝も、シンプルな歌と沈黙という特定の教派に結びつかないものです。実際、少しでも積極的になれば、テゼ共同体では異なる国籍、異なる文化、異なる言語、異なる信仰をもった人々と簡単に出会うことができ、様々な体験ができます。そしてそうした体験を通じて、各人が、やはり自分なりにテゼ巡礼の意味を引き出しているのです。

■宗教的であることの多様化

 現代の聖地巡礼には、「巡礼者」という言葉の響きからは想像もできないような様々な人々が参加しており、それぞれが自分なりのやり方で聖地巡礼を行っています。こうした現象はヨーロッパだけでなく、四国遍路などにも当てはまります。彼らは従来の意味ではまったく宗教的でも敬虔でもありません。しかし、それは「聖地巡礼の非宗教化」ではなく、むしろ、「宗教的であることに様々なやり方が生まれつつある」こととして理解できるのではないでしょうか。
 巡礼での様々な人との出会いを通じて生きる意味についてあらためて考えたり、それまでと異なる価値観を手に入れたとしたら、その巡礼体験は十分に宗教的だといえるのではないでしょうか。さらに、宗教的であることの多様化は聖地巡礼だけに限られるものではありません。サッカーのサポーターの熱狂やネットを通じたつながりにも、これまでとは違ったやり方で宗教的であることが見出せるはずです。とりわけボランティアのような合理性だけでは簡単に説明できないような他者のための行動の中に、新しい宗教性とつながり方が隠れているのではないかと考えています。そうした、従来は宗教的とは考えられてこなかった領域における宗教的なものを発見してゆくことが、今後の宗教社会学の重要な課題のひとつになるのではないでしょうか。

+ Profile +

岡本亮輔先生

日本学術振興会特別研究員PD。1979年東京都生まれ。筑波大学大学院博士課程人文社会科学研究科修了(2007~2008年までフランス社会科学高等研究院に留学)。博士(文学)。主な論文に、「私事化論再考――個人主義モデルから文脈依存モデルへ」(『宗教研究』)、「聖地の零度――フランス・テゼ共同体の事例を中心に」(『宗教と社会』)、「聖地巡礼における〈つながり〉と〈まなざし〉――現代サンティアゴ巡礼者の利他性と〈弱い信仰者〉」(『宗教学・比較思想学論集』)。訳書に、メレディス・B・マクガイア『宗教社会学――宗教と社会のダイナミックス』(明石書店、山中弘・伊藤雅之と共訳)。