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  • 【書評】里村生英『ミュージック・サナトロジー やわらかなスピリチュアルケア』春秋社
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日本国内で刊行された宗教関連書籍のレビューです。
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最新の書評  2021/08/26

里村生英『ミュージック・サナトロジー やわらかなスピリチュアルケア』春秋社、2021年、3000円+税。


 

 ミュージック・サナトロジーとは、1970年代半ばにアメリカの高齢者施設で働いていたシュローダー・シーカーが自身の看取りの経験から創設した運動で、日本には2003年に「音楽による看取り」としてもたらされた。音楽を死に逝く人のためのケア手法として用いたもので、治癒を目的とするミュージック・セラピィとは異なる。終末期の人のベッドの傍らでハープと歌声を響かせる「ハープ訪問」とも称されるが、専門用語でいえば「音楽経験を通したスピリチュアルケア」である。 
 スピリチュアルケアという言葉はよく目にするが、まだ確固とした定義はない。また、ミュージック・サナトロジーのケア方法を論じた学術的研究は少ない。実践者(ミュージック・サナトロジスト)でもある著者が、この未開拓の研究分野に挑み、実践検証と文献研究から多角的に探って、音楽によるスピリチュアルケアのあり方を明らかにした意義は大きい。
 研究内容は、大きく3つに分けられる。1つ目は、著者が実践した「ハープ訪問」に同席した家族や看護師などの感想と、アメリカでの先行研究における医療スタッフ(チャプレンを含む)の評価から抽出したケアの特質。患者本人の感想があまり得られていないが、もはや会話ができない終末期ゆえ仕方ないのだろう。逆に、それゆえに、このケア方法論ではケア提供者と患者本人だけでなく、家族、医療スタッフを含めた関係性に焦点があたっている。抽出されたミュージック・サナトロジーのケアの特質は、まさに「スピリチュアル」である。「『共にある』という関係性」など感覚的で言語を超えたものであるため「スピリチュアルケア」の定義が難しいこともよくわかる。模範的な回答が得られたのは、ケアを評価した医療スタッフに高い宗教性が備わっていたためでもあろう。ハープは旧約聖書の詩編詠唱に用いられた楽器で、そのためかミュージック・サナトロジーを導入しているのは、キリスト教系とくにカトリック系施設が多い。とはいえ、ミュージック・サナトロジーは特定の宗教の教義に則ったものではない。
 2つ目は、ミュージック・サナトロジーの言語表現などの根拠となった、11世紀フランスにあったクリュニー修道院の看取りの儀式にみられる死に逝く人のケアのあり方。そのケアの理念を当時の文献から紐解いた著者は、音楽が看取りの儀式に活用されたのは、祈りの言葉や詠唱のひびきがその場を聖化し、死に逝く人、共同体と神の三者を「つなぐ」スピリチュアルな力に修道士たちが気づいていたからだと指摘する。
 最後に著者は創設者シュローダー・シーカーの言説に立ち返って、これまでに抽出されたキーワードを用いつつ、ミュージック・サナトロジーのケア方法の意味内容を明らかにする。「死に逝く人のための音楽によるケア方法」の本義は、創設者の言説に集約されていると言っても過言でない。
 もっとも感銘したのは、「なぜミュージック・サナトロジーは有効なケア足り得るのか」という疑問に答えるような言説である。シュローダー・シーカーは、ミュージック・サナトロジーは「観想的修練の臨床的適用」だと述べている。ミュージック・サナトロジーでは、実践者が死に逝く人の呼吸数や心拍数などを注意深く観察し、それに呼応してハープや歌声を調整する。呼吸の質などが改善され、死に逝く人がゆるしや和解などの内面的なワークに取り掛かれるようにするためである。音のひびかせ方にマニュアルはなく、観想的修練によって鍛錬された自らのありようが反映されるという。
 このためミュージック・サナトロジストの養成教育の基盤にあるのは、「観想的修練」である。無自覚に身に付けた考え方を剥ぎ取ってハートと魂を純化する、自我意識を張りすぎずかつ気持ちを後ずさりさせない状態にする、日々の生活でその日の出来事を意識的に手放す「小さな死の訓練」をして自分を透明にする、思考と感情が統合された状態で「今ここに」集中……。このような修練によって、傍らに「共に居る」だけでケアになり、全人格的につながることができ、その紡ぎ出すひびきは神聖なものとつながる助けになるのである。
 観想的修練は、クリュニー修道院におけるような宗教的修練ではなく、呼吸法や瞑想法でもないという、だが、仏教や神道で説かれる内容のようでもあり、まるで宗教者になるための訓練のようである。死に逝く人のケアはテクニックではなく、ケア提供者の人間性(この言葉が適切かどうかはわからないが)にあるという点と、そのあり方に首肯する。これは、あらゆるスピリチュアルケアにも通じるものであろう。
 もはや会話ができない臨死期の人に、患者の言葉に耳を傾ける「傾聴」を基本とするケアは通用しない、最期まで残る感覚である聴覚に音楽で訴えかけるミュージック・サナトロジーのほうが有効ではないか、と読み進めていた。だが、死に逝く人に傾聴は無効であっても、ケア提供者によっては「傍らに居る」だけでも、ケアになっている可能性があるのではないか、そう思えてきた。人間は存在自体が「ひびき」でもある。また、音がもつ効果を考えると、著者が残された課題として挙げているように、仏教における枕経などの臨終儀式と比較してみるのもおもしろいのではないだろうか。ミュージック・サナトロジーという音楽を用いた新しいケアの方法論には、いろいろな着想が得られるようである。

 
(宗教情報センター研究員 藤山みどり