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日本国内で刊行された宗教関連書籍のレビューです。
約一ヶ月、さまざまな分野の書籍からピックアップしてご紹介します。毎月25日頃に更新します。
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最新の書評  2021/05/04

森田亜紀『極上の別れの条件』文芸社、2021年、1400円+税。


 ほとんどの患者さんは死ぬときは苦しんで死にたくないという。それも大切だけれど、ボクはそれ以外に家族がどんな思いで見送ることができるかだと思っているんだ。患者さんの死がどのようなものかによって、遺族はその事実と一生付き合っていくことになる。(ハワイの緩和ケア医の言葉)
*   *   *

 人が世を去るとき、大切な人を送らなければならないとき、どうすればよいか。
 死には近寄らず、関わらないという方針もある。実際に現代日本人の多くはそのような選択をすることが可能だし、そのような選択をさせられ、他人の死に触れる機会が減っている。だが、最後には私たち自身の死がやってくるし、他人の最後のお世話をすることになる人もたくさんある。他人の死、大切な人の最期に積極的に関わるのなら、どのようにするか。後悔がまったく残らないやり方などないだろう。それでも、これはぜひやっておいたら、ということはある。本書は、著者自身の病、彼女の両親の看取り、ハワイでの多くの看取りの経験と遺族の世話の経験に基づいて書かれた、人生最後の旅の案内を志した一冊である。著者は「極上の別れの条件」を九つあげる。

1.    生きることをやめない
2.    「縁起が悪い」は捨てる
3.    自分勝手になってみる
4.    大切な人のためにできることを考える
5.    終末医療について知る
6.    別れのカタチに触れる
7.    いのちと対話をする
8.    感謝の思いを持つ
9.    新しい命のカタチをつなぐ

 ただ、この「極上の別れの条件」は明確なハウツーではない。「心と身体と魂のレベルでの準備が整って旅立つこと」であると彼女はいうが、そのための方法はあえて限定しない。彼女が紹介する具体的なエピソードを通して、こういうやり方がありますが、あなたの場合はなにがだいじですか?とたずねてくるのだ。
 著者である森田亜紀は、米国の大学で心理学の博士号を取得したのち、ハワイのホスピスでカウンセラーとして活動を続けてきた。現在は日本で、本書のタイトルの通り「極上の別れ」を提案するために講演や啓発活動をしている。
 私たちはしばしば「日本では…、外国では」と、欧米に比べて劣っており遅れている日本、というような語り方をする。人生最期の過ごし方について、それは当たってもおり、はずれてもいる。ハワイであっても日本であっても、一つのことにこだわって「別れ」の時を味わいそこねる例は尽きない。いっぽう、先祖供養など日本的な死者との関わりは、患者にとっても残されるものにとっても、謝罪や許しや感謝という感情のやりとりを含んだとても大切な伝統といえることを著者は示す。表紙が流れゆく灯籠になっているのは、そのような死者との関わりをてばなしかかっている日本人に、それをもう一度味わって確かめてはどうか、という著者からの提案であろう。
 九つの「条件」で挙げられるのは、感傷的な別れ方のススメではなく、実は理論的な考察に支えられた提案である。現在の緩和医療で取り入れられようとしている終末医療についての意思確認…「人生会議」(英語ではAdvance Care Planning)などの意義をしめしつつも、それをそのままに受け入れるのではなく、どのようにそれに関わっていくか、私たちに尋ねてくる。その支えになるのは、21世紀になって生じた心理学の変革、病理ではなく人間の健康や幸福を心理学の研究対象としようという、ポジティブ心理学の20年ほどの成果である。
 厚生労働省の調査によると、自分の病気が重くなったとき日本人がもっとも心配するのは、第一に家族の負担、第二に心身の苦痛、第三に経済的負担だという。この三つからは、患者も家族も、言いたいこと・言うべきことがなかなかいえない、という状況もうかがわれる。時間に限りがあるから、さらに言うことが難しくなる。たとえば、電話でお別れをしなければならない状況にあるとき、どうするか。ちょっとしたガイドがあれば、これだけは伝えておこう、あのことだけは言っておこう、と思い出せるかもしれない。あるいは、死ぬまでにやっておきたいことリストを作ってみる。うまくカタチにできないこともあるだろうが、その試みが、予想外の味わい深い時間を作ってくれるかもしれない。
 現在の緩和医療の中で、どのような最期を迎えるか、についての書籍はいろいろある。本書の特徴は、特定のアプローチを強く奨めるのではない点にあると、評者には感じられた。患者の視点、家族の視点の両方を行き来しながら、最善と思うこと、必要と思うことをやってみることを提案する。一章、一章をゆっくり読みながら、考えていただくのがよい。

 著者自身の邦訳である「電話でお別れを言うためのスクリプト」のほか、本書中に言及されている日本語の資料が有用である。
(上智大学グリーフケア研究所特任准教授 宗教情報センター研究員 葛西賢太)