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日本国内で刊行された宗教関連書籍のレビューです。
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最新の書評  2016/01/13


『霊性の哲学』 若松英輔 著  角川学芸出版
 

 



 
2015年 3月 1800円 +税

■精神史の展開としての「霊性史」の可能性

 本書で若松が試みているのは、大いなるものとつながり及び「宗派的差異の彼方で超越者を希求すること、あるいはその態度」(p.12)としての「霊性」の発露について、主な人物の言葉を通して語り直すという作業である。取りあげられているのは、山崎弁栄(1859-1920)、鈴木大拙(1870-1966)、柳宗悦(1889-1961)、吉満義彦(1904-1945)、井筒俊彦(1914-1993)、谺雄二(1932-2014)の6人。鈴木大拙をのぞいては、宗教学・哲学領域で霊性に関して何か語られる際、これまではほとんど言及されることがなかった人たちだ。
 
 宗教の文字が用いられなくても人間に信仰があるのと同じく、霊性という表現を伴わなくても、霊性の実践は古くから行なわれてきました。ですから霊性の表現は、必ずしも言語によって行なわれるとは限らない。(p.12)
 
 若松はこのように述べ、宗教や哲学の領域に限定されてきた「霊性」についてのこれまでの議論を、芸術、文学、科学の領域を含むものへと開こうとする。より正確に言えば、人間の様々な営みの中に「霊性」を見出す視点を若松自身が示そうとしている。本書はまず、こうした点をふまえて向き合う作品だろう。
 
 「はじめに」で若松は、日本の「精神史」に言及した丸山真男の論考「歴史意識の「古層」」の中の、「歴史的認識は(中略)、永遠と時間との交わりを通じて自覚化される」という一文を引いている。そして、精神史としての「霊性史」について語る時には、精神史においてそうであるように、永遠と時間、超越と人間、宇宙と個といった関係の中での人間の「精神のはたらき」に目を向けなければならないと教示する。さらに若松は、ドイツの哲学・解釈学者・ディルタイよるシュライアーマッハー論を手引きとして、「世界の諸事物の見えざる連関」を把握することが魂の働きであり、それが「霊性」であるとの見通しを立てる。そして、隔たったものであるかのように見える歴史的な個々の時間と個々の空間とのあいだに何らかの関係を見出す精神の働きを、「霊性」と再定義する。
 
 こうした「霊性」の観点からは、宗教や哲学はもちろん、芸術、文学、科学ほか、市井の人びとの日常生活の中にも、深く豊かな「霊性」を見出すことができるだろう。ただし若松は、「世界に広がるみんなの霊性」というようなことを言っているわけではない。先に述べた精神の働きあるところに、霊性が見出せるということである。したがって、「霊性」は失われ、忘れられもする。しかし「それは今、霊性という言葉を用いない者によって「いのち」という表現となってよみがえってきつつある」(p.21)という。若松はその表現者として、精神科医・神谷美恵子、作家・石牟礼道子、染織家・志村ふくみ、料理研究家・辰巳芳子らの名を挙げている。そして、「いのち」「光」「生命」といった言葉が鍵だと指摘する。
 
 これまでの霊性論、霊性研究で、彼女たちに言及したものは数えるほどしかない。本書の課題を若松は、「霊性という言葉、あるいはその意味自体を包含した表現を自覚的に用いた人々による「霊性の近代史」の可能性を探ってみること」(p.21)としている。扱っているのは先に述べた6人だが、そのほかにも多くの「霊性」の体現者・表現者らがいるということも、想像してみなければなるまい。
 

■霊性史につらなる人々
 
 各章では、近現代日本における霊性の表現者たちが掘り下げられている。最初に取りあげられているのは、山崎弁栄(べんねい)である。曰く「山崎弁栄ほど、霊あるいは霊性という術語を積極的かつ多様に用い、霊の形而上学とよぶべき構造をもって語り得た人物はいない」(p.23)と。信心に篤い父の影響を受け、21歳で出家し浄土宗の僧となった弁栄。53歳で「光明主義」という一派を樹てたが、宗門からは異端者として見られ、批判も浴びた。弁栄は、肉体の奥底には仏性という霊性が宿っており、それを開発すれば自己と宇宙(弁栄の文脈では「無限の絶対者」の意)は合致すると説いた。また、弥陀とキリストの神は同じものの異なる名前だとも説いたという。
 
 浄土宗の高僧でもあった弁栄のこうした教説は当時、相当に飛んだ言葉として周囲を驚かせただろう。今ならば、「宗教間対話」や仏教とキリスト教とのイディオム上の比較論としてむしろ好意をもって了解され得るかもしれないが、弁栄は大正時代にこうした見解を語ったのである。本書が注目するのは、ギリシャや西洋の哲学思想、キリスト教の教説を引き受けつつ解釈し、それを「霊性」という視座から自身の言葉として表現したこうした弁栄のダイナミックさだ。人間は如来の愛を受けた子であり、偏在する絶対なる如来が人間を救うためにその一個人の霊性の中に溶け入ってこようとしている―ということも弁栄は述べている(pp.49-54)。弁栄は「如来の使者」を自認していたというが、本書はこの点に「霊性」の発露をみている。
 
 第2章に登場するのは鈴木大拙である。大拙の著書『日本的霊性』で示されている霊性とは、「人生の困難に立ち会い、苦しみ、因果の世界にあって永遠を求めずにはいられない生の衝動」(p.55)だという。自身が禅の実践者として生きた大拙にとり、概念として霊性を語ることよりも「形而上学的超越とつながる、いのちの根源的働き」(p.58)を示すことが重要だった。また大拙は「個々の人間における霊性の目覚め」(p.59)を非常に重視していたという。大拙の霊性論を読む意味とは何か。本書はそれを、「彼の霊性の経験をその言葉の奥に見ることであって、学説の正しさを評価することではありません」(p.62)と述べている。
 
 興味深いのは、大拙とは面識はないものの、井筒俊彦には「大拙の後継者であるという強い自覚」(p.68)があったという指摘だ。思想や学説の歴史を、人脈や子弟関係の有無で繋いでいくのが、いわば一般的な系譜学である。しかし本書は、それとは異なる点から日本の思想史における霊性の系譜を手繰ろうとする。霊性の思想家として大拙と井筒には、時代における大きな課題と向き合ったふたりとして、深い関係があるという。
 
 二人の間に横たわる、近代を悩ませ続けている問題、それは東洋と西洋に分断された霊性の再構築、あるいは「脱構築」といえるかもしれません。(p.68)
 
 この言葉にあるように、東西の精神文化を繋ぐ可能性をもった宗教や霊性の働きが弱まり、「諸宗教の対話」という大小の試みとは裏腹に、宗教や主義主張の違いから起こる紛争が増えてきているのが今日の情況である。こうした中で、世界を舞台に対話を続け、英語で著述してきた大拙の偉業は注目し直されるべきだろう。特に、東西の学際的会議「エラノス会議」(1933-1982)に、大拙は日本人として初めて参加している。大拙を継いで日本からの出席者となるのが、井筒俊彦である。このふたりの中に本書は、思想的な「対話」の極意を見る。
 
 大拙は、仏教を生きることに切実だった。それは、『無心ということ』という著作にも明らかだという。「頭だけで考えるのではなく、思い込みで判断するのでもなく、いわば裸のこころで感じること」(p.77)が、大拙の言う「無心」。大拙はこれを「仏教思想の中心で、また、東洋精神文化の枢軸をなしているもの」(p.78)と捉えている。これが東洋的霊性の根幹にあると大拙は述べ、そして実践したといえよう。ここを理解してこそ、鈴木大拙が語る「霊性」に触れることができる。本書は、そう述べている。
 
 第3章は、柳宗悦を取り上げている。「民藝」という言葉とその文化運動で知られる柳だが、本章は「平和と美の形而上学を生きた実践的思想家」(p.99)として、柳を紹介している。同時代を生きた岡倉天心とともに柳は、宗教や藝術や哲学が平和の実現において根源的な役割を担った人物である。本書はここで、「平和」とは何かということを根源的に考えなければならないと強調する。平和は「日々それが不可欠であることを新たに認識することでしか守ることができない」(p.101)。その不断の実践の姿を、焼き物づくりを続ける生活者の中に見取ったのが柳宗悦なのである。
 
 時は、「日韓併合」の時代。その時期に柳は、美をもって平和を実現しようとした。「朝鮮の友に贈る書」という文章では柳は、当該の地の磁器を眺めていると無数の人々が流したであろう見えない涙が感じられたと述べている。また「藝術の美はいつも国境を越える」と語り、韓国と日本に民藝館を建てた柳の実践に、本書は平和の思想の結実を見ている。民藝運動の根底に、民衆の、そして他国の人々の声にならない声を聞こうとし、物を眺めることで美に触れ、それによって平和が実現されると説いた柳宗悦。その柳に、「霊性」をみることができるというわけである。
 
 第4章では近代日本を代表する哲学者として吉満義彦が取りあげられている。吉満は「近代日本を代表する哲学者」であるという(p.130)。しかし本書では、吉満のことを「今日では忘れられた哲学者だといってよい」(p.131)とも述べている。吉満の『哲学者の神』という著作にふれながら、本書は、近代ヨーロッパにおけるいわゆる「神の死」について振り返る。また、文学者こそ神の喪失という深刻な事態を語ったとの吉満の指摘に、あらためて注目している。
 
  神をもたぬ人間は幽霊のごとく影がないということをもっとも深刻に描いて見せたのが他ならぬドストエフスキー の五大ロマンであったのだ。哲学者などは問題を逃げてばかりいた。それ故近代では文学者が神学者の代わりをつと めねばならなかったということにもなろう。(p.133)
 
  哲学者・吉満義彦の自省的なことばとして、また現代における文学の可能性を問うことばとして、若松はこの文章を引用してくる。吉満は、詩人・リルケの卓越した読み手だった。以下は、リルケについて述べた吉満の言葉である。
 
  詩人は真の神の詩人となるときまことに予言者となるでしょう。それは霊の眼によって世紀の魂を透視し、使徒た ちの心を燃やす苦悩を美しく照らし出すところの星々の輝きとなるでありましょう。(「リルケにおける詩人の悲劇 性」) (p.137)
 
 ここでは、吉満の言う「霊の眼」がキーワードである。若松はこの「霊の眼」を、不可視な実在をとらえる人間の力として解釈している。その力、眼力を持っているのが詩人というわけだ。リルケはキリスト教に批判的な詩人で、作品群もその色が濃い。そのリルケに畏敬の念を抱く吉満もまた、カトリック信者でありながらキリスト教という枠に縛られずに「霊性」を感じ、それを生きたのではないか。第4章のページは、こうした問いをめぐって進む。
 
 「霊の眼」の次に若松が吉満のキーワードとして注目するのは、「民衆」という言葉だ。吉満は「日頃、自ら語ることをしない民衆のなかにこそ、私たちを叡知に導く扉が潜んでいると信じて疑わなかった」(p.143)という。また、著作『哲学者の神』の中で吉満は、「民衆には魂の実体がある」と述べ、それぞれの地域で暮らす人たち(=民衆)にはそれぞれ固有の文化があり、そこにそれぞれ「固有の霊性がある」と考えていた(pp.142-143)。
 
 さらに吉満の人生を紐解く中で若松が重視するのは、「死者の経験」だ。9歳の時に吉満の弟と妹が亡くなり、10歳で母、14歳で父が逝く。28歳で結婚するが、妻は病死してしまう。
 
  私は自ら親しき者を失って、この者が永久に消去されたとはいかにしても考え得られなかった。否な、その者ひと たび見えざる世界にうつされて以来、私には見えざる世界の実在がいよいよ具体的に確証されたごとく感ずる。  
 
(p.154)
 
 これは、吉満が「実在するもの」という文章の中で述べていることだという。死ぬことによって、その死者がより近く存在するよう感じられる。これは本書の著者・若松英輔が自身の経験としても度々語ってきたことだ。若松はまた、吉満の「文学とロゴス」という文章から一文を引用する。「死者を最もよく葬る道は死者の霊を生けるこの自らの胸に抱くことである」(p.152)。この、死者を胸に生きるということもまた、「霊性」のはたらきとして了解すべきことである。本書は、そう訴えている。
 
 第5章では、井筒俊彦をとりあげている。興味深いのは、著者・若松が井筒を「詩人哲学者」と評している点だ。日本で最初に『コーラン』の原典訳を刊行し、東洋思想研究者、神秘主義哲学者、言語学者としても知られた井筒俊彦だが、その全集の編集に携わった若松は、井筒におけるテクストの「読み」の創造性を強調する。キーワードは、井筒が使った「コトバ」というカタカナの言葉だ。
 
  コトバと井筒が書くとき、それは必ずしも言語を意味しない。言語とは、カタカナで書くコトバの一つの姿に過ぎ ないと彼はいいます。コトバは言語的な姿を超えた意味そのものだといってよい。(中略)だから、井筒の著作を読 むときも、言葉の奥にあるコトバを感じながら読まなくてはならない。(pp.171-172)
 
 井筒を通して若松は、先人たちの言葉を「読む」ことの創造性と、「読むこと」において働く「霊性」に言及している。言葉で語り尽くせない「実在」をめがけて「読み」が行なわれるとき、「書物は必ず私たちに何かを教えてくれます」(p.184)と若松は述べる。若松が謐かに強調するのは、例えば井筒の『神秘哲学』を読むことを通して、「自分の目の前から消えて見えないはずのプラトン、アリストテレスと出会うことができる」(p.189)ということだ。井筒の主著とされる『意識と本質』との付き合い方も、若松は「優れた本は人間と同じように付き合わなければならない」(p.196)、「これが最後の本だと思って読む、するとおのずと態度は実存的になる」(p.197)などと述べている。井筒の語りから言葉以上の何かを受け取ることができるのは、いわば詩的感受性によるものだが、その言葉以上のコトバを現出する表現者として、若松は井筒を「詩人哲学者」と評しているわけである。
 
 4章で言及されている吉満義彦と同じく井筒も詩人リルケを論じ、またマラルメに言及しつつ、聞く者の世界を一変させるコトバの力を強調する。「人間という存在の内部には、言葉を深化し、コトバに変貌させる力が宿っている」(p.195)という。学術・評論の世界では、詩人が表現する言葉を「詩的言語」として了解する。ここで若松が強調するのは、それらの詩人の言葉を深く読むことで、詩人が表現するコトバの深みに読み手が触れることができるという点だ。これがすなわち、読みを通した「霊性」の体験というわけである。
 
 第6章では、ハンセン病の社会活動家で詩人でもある谺雄二を紹介している。詩文集『死ぬふりだけでやめとけや』(みずず書房)でも知られる谺。彼は、ハンセン病患者を隔離することを定めた「らい予防法」を違法だとし、国を相手どり人間の尊厳を回復するための裁判を起こす。人間の尊厳を谺は、「いのちの証」と呼んだ。
 
 谺のいくつかの詩を紹介しながら若松は、「生ける死者」との関係を感じながら詩作をする谺の中に「霊性」を見てとる。自身も苦しみや悲しみを抱える谺は、「朝へ」と題する詩の中で谺は、ハンセン病で逝った人々に次のよう呼びかけている。
 
   愛よ、炎々と燃えさかるぼくらの火柱で
   日本の天をも焦がせ。病友よ  
(p.204)
 
 胸を打つ言葉だが、こうした言葉にふれても「私たちは一気に谺雄二にはなれない。ですからせめて彼の詩を読んで、彼の火花を魂に受け継ぐしかありません」と、若松は付言する。ここで注意したいのは、「魂に受け継ぐ」という文言である。「読むこと」、「読み継ぐこと」の創造性を強調する若松は、詩人の真似をして詩を書かなくても、「私たちの行動のなかに、その詩のこころを顕現させればよいのです。日々、料理を作るなかに、洗濯をするなかに、子育てをするなかに、また会社などで働くなかに、「いのち」を顕現させることはできる」(p.217)と述べている。これは、日々の暮らしのなかでも私たちは「霊性」を実践することができるということを示唆したものだ。
 
 若松はまた、「人は、真剣に生きさえすれば、いつでもどこでも叡知を体現できる。その道は誰にでも開かれています」(p.218)と述べる。「霊性」とは、行為に現れる叡知でもあるのである。谺の鍵言語は「愛」だという。「父はえらい人だった」という谺の文章の中に、「父はハンセン病になった母や子どもを手放そうとはしなかった。(中略)私が生きて闘いつづけてこれたのは、この父が育んだ家族愛のおかげなんだね」(p.223)という言葉がある。この言葉から若松は、谺雄二の名前を覚えておくことの意味は、「彼の父親、母親のような人が確かにいたということを忘れないためです」(p.224)と述べている。一個の人間の肉体的・思想的背後には、その人間に情愛を注いだ誰か、その人間の精神・思考を導いた誰かが居る。そのことに思いを馳せ、あるいはその存在を感受して生きることが、「霊性」ある生だということであろう。              
 
 
■読むことと「霊性」 

 本書の各章は、「霊性」を感じつつ文字に向き合うという態度で臨むと、じつに濃密な読みの経験をもたしてくれる。あたかも、山崎弁栄の後に、鈴木大拙に会い、柳宗悦から芸術についての語りを聴き、その後で吉満義彦から哲学と文学の関わりを聴くというように。もちろん傍らには、導き手としての若松英輔がいる。巻末には各章で言及されている本のブックガイドもあり、255頁とは思えない充実した内容である。本書を通して心身の奥に届いたものは、読後にゆっくり時間をかけながら溶けて、再び心身全体へと広がっていく。現代におけるすぐれた「霊性論」を読むことは、時間の中での自己の意味や自分が立つ処の見え方を深めてくれるに違いない。
 
                                        (宗教情報センター研究員 佐藤壮広)