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日本国内で刊行された宗教関連書籍のレビューです。
約一ヶ月、さまざまな分野の書籍からピックアップしてご紹介します。毎月25日頃に更新します。
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最新の書評  2014/01/22

『「臨床仏教」入門』全国青少年教化協議会・臨床仏教研究所編 白馬社

 
2013年11月 2500円+税
 
 東日本大震災後に東北大学に設置された「臨床宗教師」養成講座は、宗教界の新しい挑戦としてマスメディアでよく取り上げられた。その名称とよく似た「臨床仏教師」の資格プログラムが全青協((財)全国青少年教化協議会)と、その付属機関である臨床仏教研究所によって開始され、2013年5月から7月まで第一期の講義が行われた。開講記念シンポジウムを含む全10回の講義録が収められたのが本書である。
 「臨床仏教」とは、「個の霊的な領域および人間の生老病死にまつわるさまざまな社会環境における苦悩に向き合い、あるいは寄り添う仏教ないしは仏教者の様態であり、在り方である」と神仁・全青協主幹は定義する。「臨床仏教師」と認定されるには、講義を聴き、30時間のワークショップで対人関係の技法を習得し、介護施設などで100時間の実践研修を積むことが必要である。キリスト教では、同じような役割を果たすチャプレンが一定のカリキュラムで養成されているが、僧侶に関しては、一般に広く認められている資格や講座はまだないと言ってもよい。15年前から始まった台湾における「臨床仏教宗教師」の育成プログラムが、唯一のモデルケースかもしれない(本書で、神仁が詳しく紹介している)。
 その意味では、今回「臨床仏教」の実践者として講師を務めた僧侶たちは、「不登校の子どもたちとの共同生活」(和田重良)、「路上生活者への食糧支援」(吉水岳彦)、「ターミナルケア」(大河原大博)、「被災地での足湯・傾聴」(辻雅榮)、「自殺予防」(袴田俊英)、「教誡」(深井三洋子)、「脱カルト運動」(楠山泰道、以上敬称略)などの現場で、自ら道を切り開いたパイオニアである。すでに多くのメディアで情報発信している人々がほとんどであるが、ここでは同じ志をもつ仏教者を対象に語っている分、一般書とは語りの方向性と深さが違う。彼らが実践するうえで学んだ、道徳と宗教の違い、宗教や「行」の大切さ、仏教者である利点、利他行の実践における「空」の境地などが開示されている。成功体験だけでなく、学ぶところの多い失敗談も率直に語られている。また、仏教者が社会活動をする意味、超宗教か否か、超宗教であることの意味、宗教間の連携の理想像、宗教の本来の目的など、仏教者が社会活動をするうえで批判されたり、自問自答したりするような点についても、彼らが彼らなりに導き出した結論を述べている。
 苦悩する人々と対峙している彼らが指摘する現代人の問題と処方箋には共通項があり、興味深かった。近代化の過程でコミュニティがなくなり、家庭でも個室に人が閉じこもるようになり、人が孤立したことが問題の根源にあり、そして、人とのつながりの大切さを実感させることが、問題解決につながるようである。
 それぞれの分野で、すぐに使えそうな技術までもが惜しげもなく明かされているが、彼らはまた異口同音に、「あらかじめ用意したようなマニュアルや借りてきた言葉は通用しない」「方法はその場で出てくるものであって、はじめから与えられるものではない」と語っている。試行錯誤で現場をくぐり抜けてきた彼らの言葉には、説得力がある。
さらに本書の親切なところは、受講生からの質問と、それに対する講師の回答が掲載されているところである。質問は、具体性に富んだものから理念の問題まで幅広く、答えも社会活動の実践に即、役立つ内容から示唆に富むものまで多様である。
「僧侶が『臨床』しないのは、なぜだと思うか。・・・・・・(僧侶の)業界全体が変わるためにはどうしたらよいか」という質問に、楠山泰道・日本脱カルト協会常任理事が、「参考までに」と提示した、ある研究所発行のアンケート結果は、後者の好例であろう。結果のうち「檀信徒から寺へ(住職・僧侶へ)のクレーム」の一部を紹介すると、「1、約束を守らない 2、マナーが悪い 3、スキャンダルが多い 4、贅沢な生活 5、常識外の布施を請求する・・・・・・」となっている。
楠山常任理事は、これらの要望に少しでも応えていければ変わっていくはずと答えるが、足を引っ張っている仏教者たちが、仏教者という以前に人間として疑問符が付くレベルであるのに唖然とする。「仏教者」を育成・認定する段階で何かが間違っている感さえする。
 正直なところ、「臨床宗教師」の養成講座が東北大学で始まり、「臨床宗教師」が超宗教の試みとして社会に受け入れられるようになったあとに、個別宗教の枠に戻るような「臨床仏教師」の資格設定には、疑問を持っていたのだが、2つの意味で「臨床仏教師」に納得した。1つは、超宗教として活動するに当たっての前提として、自身の信仰で基盤を固めることが必要であるということ。もう1つは、皮肉めいて聞こえるかもしれないが、仏教者の場合は特に、社会活動を得手とする他の宗教者とは異なり、基礎的な訓練がもっと必要だからではないかということ。臨床仏教師の活動成果が現れるのは数年後だが、そのころ、仏教界がどう変わっていくのか楽しみだ。
 なお、簡潔な講義内容と、質問と回答は、ともに臨床仏教研究所のブログでも読むことができる。だが、できれば、ブログを見るだけで済まさず、本書を手に取って読んでほしい。「臨床仏教」に興味がなかったとしても、何かしらの悩みを抱えている人にとっては、そのときの問題意識によって、心に響くフレーズが異なってくるような書物だからである。
 
(宗教情報センター研究員 藤山みどり)