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日本国内で刊行された宗教関連書籍のレビューです。
約一ヶ月、さまざまな分野の書籍からピックアップしてご紹介します。毎月25日頃に更新します。
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最新の書評  2012/01/28

『Japanese Philosophy: A Sourcebook(日本哲学資料集)』
James W. Heisig, Thomas P.Kasulis, John C. Maraldo, eds. University of Hawai'i Press, 2010.

 日本人が「哲学」というと、ソクラテス、プラトン、ニーチェといった人物の思想を解説する、高校の倫理(倫理社会)の授業や、大学の哲学の講義などを思い浮かべるだろうか。小難しくてあまり面白くない「暗い」イメージがあったが、現代風に「超訳」されたブッダの言葉やニーチェの言葉などが刊行された昨今は、「哲学」を読んでみたら共感できる、と感じた人も多かったのではないだろうか。
 さて、本書は、日本研究のプロジェクトから生まれた「日本哲学」……日本生まれのさまざまな日本的な思想……に触れるための一冊である。聖徳太子や空海から、もっとも若いところでは1958年生まれの森岡正博まで、日本の思想に広く深い影響をもたらした人物の文章を厳選し、英訳されたのだが、編者はいわゆるアンソロジー(撰文集)にはとどまらない、という。編者はいずれもすぐれた日本研究者で、日本語よりも英語に親しい読者が日本の哲学を捉えるために、ただそれを読むのではなく、西洋哲学の語彙や枠組みと対比しながら捉えるための道具を用意しているのである。ということは、「わび」「さび」「もののあわれ」「謙譲」といったことがよくわからなくなった日本人にとっても、それらを、人間と世界とのかかわり、倫理、美、などの観点から見直すてがかりとなる、ということでもある。一般書としては、たとえば斎藤孝の語るコシ・ハラ文化再興や、甲野善紀が古武道について語るような思想に関心をもつ人なら、彼らの語りの根拠となる文章や文脈に触れて、新しい発見があるはずだ。
 1300ページを超える厚い本書だが、ハードカバーで刊行された後に評判になり、すぐにペーパーバック版が刊行され、これもよく売れているという。一冊をまるまる読むというよりも、日本の哲学・思想に関心をもつ人が拾い読みしながら、上述の道具を使ってみることに意義がある。2011年のアメリカ宗教学会では、この一冊について編者を囲むセッションがもたれた。そこで今回は、そのセッションも踏まえて本書を紹介することに限定したい。

 目次から主内容を取り出すと以下のようになる。(評者による和訳)

枠組み
諸伝統
・前奏曲:聖徳太子の一七条憲法
・仏教伝統
 ・禅の伝統
 ・浄土思想の伝統
・儒教の伝統
・神道および日本古来の思想
・近代諸学の中の哲学
 ・はじまり、定義、議論
 ・京都学派
 ・二〇世紀の哲学

追加テーマ
・文化とアイデンティティ
・武士道
・女性の哲学者たち
・美学
・生命倫理
 
参照資料
 ・用語集
 ・文献集
 ・年代記
 ・テーマ索引
 ・事項・人名・地名・書名索引

 私たち日本人が「哲学」に含める狭い意味での思想だけを取り扱ったのでないことは、目次に武士道や女性の思想家・活動家、文学者などが含まれていることで感じられる。評者はこのうち、冒頭の「枠組み」と「テーマ索引」を紹介することとしよう。

【枠組み】
 日本の哲学・思想は、西洋における古代の哲学や神学的思索を踏まえた哲学伝統に比して、抽象的な概念の枠組みの作り方が異なっている。西洋哲学なら、身体、言語、というところを、日本の哲学では、腹、言霊といった、身体感覚と世界観を背景にもった表現で語るだろう。西洋哲学の視点から見れば、これらは哲学とは違うもの(たとえば「宗教」)と感じられるかも知れないが、編者は、日本の哲学が、哲学としか言い得ない深い問いや思索の伝統が確かにあり、それらを一冊の本で俯瞰できるようにしたい、という希望を述べ、訳語や索引の作り方を工夫している。なお、索引では日本語の漢字カタカナ、中国語、サンスクリットなどが併記されているが、本文では英文としての読みやすさを重視するためにこのような註記はできる限り省かれている。
 
【テーマ索引】
 参照資料はどれも手の込んだ作りになっていて、たとえば、事項・人名索引は、日本語、中国語、韓国語、サンスクリットで登場する語に対応している。年代記は、ふだん時代を意識せずに読むような著者たちの、誰と誰が同時代だったのかを発見するだろう。思想史研究では当然のことであるが、多くの日本人にとっては、この年代記だけ取り出しても新鮮である。文献集は、本書で登場する重要な文献と、その英訳が存在する場合には書誌情報がかかげられている。
 以上よりもさらに印象深いのは、テーマ索引である。西洋の視点から日本哲学を見るとさまざまな要素が見落とされてしまうのだが、それは、日本の哲学において、西洋哲学のような項目立てがなされていなかったからである。そのため、特定のテーマについて、日本の哲学・思想でも考えようとするときに、どのような概念、語彙や、テーマ名で調べたらよいかわからないということが、往々にして起こる。そうしたときの助けになると思われるのが、この、テーマ索引である。
 たとえば、reality(現実、真実、実在……)を、人間と世界にわけ、realityを表現するための言語や諸芸・芸術、いっぽうrealityを理解するための、学問や知、われわれが共同で生活する世界、社会、政治・経済、倫理、宗教・哲学、歴史、そして神道・仏教・儒教の諸伝統をどのように捉えるかが図示されている。
 
 
【図1】人間と世界とのかかわりを深く考察する哲学において日本の哲学の諸概念が、このテーマ索引の図ではどこに収まるか考えていく。1305頁。

 
 といっても、これではあまりに抽象的でよくわからないだろう。例として、武道がどのようにこのテーマ索引で扱われているかを調べてみよう。Martial Arts(空手)の項目が、Tea Ceremony(茶道)やFlower Arranging(生花)、Calligraphy(書道)、Nō Drama(能)と並んで、The Arts(技芸)のカテゴリーの中に入れられている。これらは、Language(言語)と一緒に、Expressing Reality(真理を表現する)という領域におさめられている。


【図2】リアリティを表現しようとする、日本哲学。言葉や身体を通してのリアリティ表現に関わる、武士道、型、幽玄、などという語彙はどのような技芸に関わり、それがどの頁で見出されるのかを大きく把握するためのテーマ索引。1308-1309頁に またがった図をもとに評者作図。

 
 日本語では武士道、粋、型、言霊、幽玄などという語がこのカテゴリーで使われていて、武道ということでは臨済宗の禅僧・沢庵宗彭(たくあんそうほう)の『不動智神妙録』が引用され、その前には一休宗純の「骸骨」、あとには現在の経営哲学にもつながる仏教思想を展開した鈴木正三の『盲安杖』が連なる。テーマ索引に沿って武道を探すと、おのずとこれに連なる禅仏教の基本的な文章を読み直すことになり、日本における身体的な求道がどんな意義を持つか、なにを目指すかを考えた文章に触れることになる。いっぽうで、武道は、技芸の文脈の中で、日本文化がどのような美を求めてきたか、それが武道における型が戦闘的な効率だけではなく美的な意義も求められていることが自然に伝わるようになっている。

 本書に登場する書き手たちには、現代の学校制度のようなものに乗らず、私塾や宗派といった場所で活躍した人も多いために、ともすると、それらはその宗派や私塾、流派の書物でしか読めないことも多い。法然は2012年に没後800年を迎えるが、本書では、浄土宗の宗祖「法然上人」としてではなく、日本哲学史に重要な足跡を残した「思想家法然」として、親鸞、清沢満之(きよざわまんし)や曽我量深(そがりょうじん)などの近代の思想家と連ねて論じられる。浄土宗や浄土真宗に属さない日本人にとっても、念仏の思想を、浄土宗・浄土真宗の文脈に距離をとりつつ、あらためて評価するてがかりとなるだろう。
 このような本が、縦横に読み込める工夫を満載して、大部ではあるが一冊にまとめられたことを、大いに歓迎したい。


 (宗教情報センター研究員 葛西 賢太)