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日本国内で刊行された宗教関連書籍のレビューです。
約一ヶ月、さまざまな分野の書籍からピックアップしてご紹介します。毎月25日頃に更新します。
興味深い本を見逃さないよう、ぜひとも、毎月チェックしてみてください。
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最新の書評  2011/06/24

『教科書の中の宗教』
藤原聖子(著) 岩波新書 2011年 800円(税別)

  
 日本の公立学校の授業は学習指導要領に基づいて行われ、文部科学省の検定を経た教科書が用いられる。この段階で、政教分離の原則は確保されているように思える。だが藤原によれば、教科書の実際の内容において、また検定の過程において、政教分離や宗教の中立的理解は、自覚されないまま、踏み外されているといい、具体的に事例があげられる。
 仏教は慈悲の宗教、キリスト教は愛の宗教、という説明は、日本の多くの世界史・日本史や倫理の教科書で見られるものであり、日本人は(内容を覚えていれば)「自分もそう習ってきた」と感じるだろう。しかし実際の信仰の現場から見れば、仏教は縁の宗教と呼ばれるべき面を持ち、また、キリスト教は救済すべき人を選びそれ以外を裁くという側面も中核にある。ところが、執筆をする知識人の視点が、宗教から古典的な智慧としての良い面を取り出そうとして、知的普遍的な価値を強調するあまり、民俗的あるいは排他的な部分は抜け落ちてしまうというのだ。
 このように藤原が述べるのは、世界の宗教教科書を収集し比較する研究プロジェクトを推進し、宗教の説明の仕方が国によってかなり異なる(工夫されている)ことを実感したこと、そして、高校倫理の教科書の改定作業に実際にかかわった経験からである。たとえば、9-11事件後、イスラームに対するさまざまな嫌がらせや批判(イスラモフォビア=イスラーム恐怖症)が問題になっており、米国の宗教教科書はそれを考慮したものになっている。ところが、イスラームを理解しようという姿勢は、イスラームと紛争することとなったユダヤ教などへの否定的な記述につながっていると批判されてもいるという。一方、政教分離の原則を徹底され、諸宗教についての文章による説明をほとんど行わず、たくさんの写真等の資料と、イスラームを信仰する子供が他宗教の友達に説明する場面を設定して、教室で話し合わせるように作られたドイツのテキストなども取り上げられる。また藤原は日本独自の事情として、諸宗教の特徴を(わかりにくい部分や見落とされがちな部分を詳述したものよりは)端的に述べる教科書のほうが、センター試験対策のため、教員から好まれる現状があるとみる。さらには、道徳教育を推進するために宗教教育を利用しようとする動きにも触れる。
 藤原は、日本のそのような事情を批判するだけで終わりにはしない。諸国の事例や経験を踏まえながら、諸宗教を教育するための国連のフォーラムを紹介したり、英国での他者尊重を考えさせる英国の取り組みを吟味するなどして、具体的な改革案を提示する。だが、彼女が考えるのは、中立的・客観的な立場をゴールにするのではなく、それがあり得ない現実を直視して、教科書一つ一つの価値観を意識すること、言い換えれば、教科書というメディアを吟味して読む能力(メディア・リテラシー)であるという。
 藤原自身は、教科書の「中立性」ということについて、以下のように示唆する。
 
 少なくとも必要なのは、公教育は宗教に対して中立であるべきだというとき、それはさまざまな立場の”真ん中の地点”という意味での「中立」ではないと認識することであろう。…特定の教科書や教育実践に対して、「それは中立的ではない」「偏っている」と批判することはできるし、それは必要なことでもある。しかし、中間点自体は一つの虚構である。……重要なのは、教科書の一つ一つの記述が、どのような価値観に基づいているのかを意識することである。意識すればそこから距離を取り、自由になることも可能になる。逆に、より自覚的に、説明責任を果たしつつその価値を実現することも可能になる。現在の教科書の宗教記述の中途半端さは、このような意識--価値中立ではなく価値自由と呼ばれてきたもの--の欠如によるのである。(222頁)

 新書というコンパクトな形に、共同研究の成果を生かしつつ、現代の要望に応える形で、宗教学を生かした好著である。本書の提案が建設的に日本の宗教教育に生かされることを期待したい。なお、ほぼ同時に刊行された『世界の教科書で読む〈宗教〉』(ちくまプリマーブックス)も併読をお勧めする。


 (研究員 葛西賢太)