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  • 『人はいかにして神と出会うか』 ジョン・ヒック(著)、間瀬 啓允・稲田実(訳)
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日本国内で刊行された宗教関連書籍のレビューです。
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最新の書評  2011/06/16

『人はいかにして神と出会うか』
ジョン・ヒック(著)/間瀬 啓允・稲田 実(共訳) 法蔵館 2011年3月 2800円(税別)

  
 著者は、宗教的な多様性を認めようという「宗教多元主義」の提唱者である。キリスト教に基づく神学者だったが、イエスの処女降誕説などに懐疑的であったため長老派内で問題を引き起こしたことや、少数民族のための宗教教育に関わった経験などが、その後の彼の主張の形成に大きく寄与したようだ(※)。ひと口に宗教多元主義と言っても、「多面的多元主義(宗教は多面的な超越的実在の1つの側面を基本とする)」や「多極的多元主義(諸宗教は別個で、それぞれが独自の究極者に向かう)」など諸説あるが、彼は独自のスタンスを保っている。彼によれば、「宗教とは、超越的実在者に対する、さまざまに文化的に形成された、人間の側からする応答のこと」であり、「自我を打ち砕き、心を開くこと」で超越者を認識することである。ヒンドゥー教や仏教は多元主義的で他宗教に寛容な側面をもつと彼が指摘しているように、仏教に馴染んできた日本人に彼の主張は受け入れられやすいだろう。宗教間対話が叫ばれる昨今、宗教多元主義をめぐる問題を丁寧に分析する彼の著書は、諸宗教との融和を図ろうとする世界の宗教者の間ではバイブル的な存在となっている。
 その彼が、本書では脳科学からの問いに挑戦する。宗教と相容れない脳科学の諸理論に反駁を加え、そのうえで宗教多元論を展開する。脳科学者たちは、薬物による認識作用、てんかん発作による幻覚、瞑想しているチベット僧の脳の状態などから、心は脳の支配下にあり、「神と出会う」宗教体験は脳の反応であって妄想に過ぎないという結論を導く。これに対して著者は、現代の自然主義科学で一般的な心脳同一論(意識は脳の電気化学作用とする理論)、随伴現象説(意識は脳活動の一時的で非物理的なものとする説)などの諸理論に真正面から切り込む。具体的な事例を検証し、科学的な“感覚体験”と宗教体験の違いを明らかにし、宗教体験は妄想ではなく超越者の実在を認識することである、と証明していく。この辺りの理論の展開は、脳科学の観点から宗教体験に懐疑を抱く人への答えになりそうだ。
 さらにキリスト教やユダヤ教、イスラームそしてヒンドゥー教や仏教など、グローバルな視点で見ると多様な宗教体験が存在することを論拠に、「宗教多元主義」の理論へと導く。議論は自然主義科学から認識論へ、そして宗教哲学や霊性へと展開し、著者の守備範囲の広さに敬服させられる。ただし、科学を扱った前半は論旨の展開が非常に緻密であるのに対して、後半の宗教多元主義論や「死後はどうなるか」についての試論は、やや詰めが甘く感じられた。これは抄訳のためであろうか。
 後半で興味深かったのは、イスラームが多元主義を受容できるかどうかを考察した一節である。彼は、宗教多元主義に好意的な若いイスラーム学者が増えており、イスラーム諸国の大衆も追随しようとしていると言う。だが、西洋諸国の失策によって、ほとんどのイスラームの国では新しい考えを広める機会が妨げられていた。そこで彼は、「イスラームには新たなルネサンスが起きなくてはならないが、その兆しはまだ見えてこない」と述べている。この原著は2010年4月に出版されたが、この直後の2010年末から2011年にかけてチュニジアでジャスミン革命が起こり、革命はエジプトへ、さらに中東各地へと飛び火した。イエメンやリビア、シリアなどは現在も混沌とした状態で、混乱は続くと予測されている。しかし、もしこれらの革命が彼の言う「新たなルネサンス」の兆しであれば、混乱が収束した暁には、イスラームと諸宗教の融和も進みそうだ。宗教間対話が始まる際にはまた、彼の著作が脚光を浴びることになるだろう。今のうちに一読しておきたい一冊だ。



※『宗教多元主義』ジョン・ヒック著 間瀬 啓允訳 法蔵館 1990年


 (宗教情報センター研究員 藤山 みどり)