文字サイズ: 標準

日本国内で刊行された宗教関連書籍のレビューです。
約一ヶ月、さまざまな分野の書籍からピックアップしてご紹介します。毎月25日頃に更新します。
興味深い本を見逃さないよう、ぜひとも、毎月チェックしてみてください。
メールでの更新通知を希望される方は、letter@circam.jpまでご連絡ください。

最新の書評  2011/02/22

『ルポ 仏教、貧困・自殺に挑む』
磯村健太郎(著) 岩波書店 2011年2月 1900円(税別)

 これまで、本欄で紹介してきたのは専門的な学術書が多かったが、この本は違う。歯切れよい語り口で読みやすく、頭を悩ます講釈はない。著者は『朝日新聞』の記者で、新聞に掲載された記事に大幅に加筆したのが本書である。困窮者の救済や自殺防止活動を実践している僧侶たちの現場を取材し、紆余曲折の過程や具体的な活動詳細、仏教者としての彼らの信念を伝えている。

  
 登場する僧侶たちは宗教専門誌などでもよく取り上げられている面々だ。行く当てのない人々を黙って受け入れる行持院(宮城県)の眞壁太隆さん、路上生活者向けにシャワー室と診療所を設けた一心寺(大阪府)の高口恭行さん、日雇い労働者の相談に乗る南溟寺阿倍野支院(大阪府)の川浪剛さん、行き場のない人が暮らす寮を運営し、身寄りのない人の葬儀を営むNPO「ぽたらか」(東京都)の平尾弘衆さん、インターネットを使って若者の心を救う大禅寺(岐阜県)の根本紹徹さんなど。このほか、炊き出しを行う「ひとさじの会」、「自殺対策に取り組む僧侶の会」、「京都自死・自殺相談センター」を立ち上げた浄土真宗本願寺派の「教学伝道研究センター」などが紹介されている。
 正直言えば、事例集だろうと期待はしなかった。だが、良い意味で期待は裏切られた。確かに、具体的な活動内容は事例として参考になるだろう。しかし、それ以上に宗教観や生き方に気付きを与えてくれる内容なのだ。僧侶たちが活動を始めるまでの葛藤や転機、活動に当たっての信念、仏教観など胸の内が生の言葉で淡々と描かれているためであろう。
 立派な活動をしている彼らであっても、そこにあるのは人間くさい姿であり、真の宗教家となる修行過程でもある。住職の一人娘と結婚した建築家の高口恭行さんは、いやいやながら住職になったが「坊主は社会のために何かやらんといかん」と考えに考えた末にシャワー室というアイデアに行き着いた。サラリーマンの息子だった根本紹徹さんは、僧侶になったものの生活費を稼ぐためハンバーガー店でアルバイトした経験が、現在の活動のきっかけとなった。活動の方向性に悩んだ根本さんが、昨春、師僧に相談に行ったあとの振り返りは、悟りへの道程に重なる。
 彼らは身をもって仏教のあるべき姿を示しながら、仏教を狭い枠では捉えていない。貧乏暮らしから僧侶兼企業経営者になり、布施行を実践している眞壁太隆さんは「宗教というのは教えだけで意味があるんじゃない。結局、祈りなんです。人を思いやるにはね、祈りしかないでしょ」と語る。反原発運動を問題視されたため本山に僧籍を返上した尼僧・平尾弘衆さんは「お経はね、満足に覚えていないんです」と大笑いし、葬儀では「その人のことを思って、送ってあげるというのが一番じゃないですか」と開き直る。また、日雇い労働者の息子として生まれ、僧侶になった川浪剛さんは、“自分よりも、普通の暮らしの中で自殺するほど苦しむ人を助けてくれ”というホームレスの言葉に経典の言葉を思い起こし、彼の中に菩薩を見る。彼らの姿からは、仏教というものの本質が伝わってくる。日常生活をより良く生きるための知恵としての仏教を感じられそうだ。逆に言えば、暮らしのなかのちょっとした思いやりが、彼らのような活動をする原動力になり得るということに気付かされるだろう。タイガーマスク現象で見られた一般の人々の善意、それはこのようなものなのかもしれない。
 この本では、僧侶の息子として生まれ、社会活動を実践している僧侶たちをも取り上げているのだが、印象深い例として挙げたのは、なぜか一般家庭から出家した僧侶ばかりになってしまった。社会に疎いと言われる仏教界の枠を破るのは、既成概念にとらわれない外部からの参入者ということなのだろうか。

 (宗教情報センター研究員 藤山 みどり)