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2023/03/07

井川裕覚著『近代日本の仏教と福祉 公共性と社会倫理の視点から』法藏館、2023年、5000円+税。


 

 近年、宗教が「公共性」という観点から論じられることが多い。宗教の社会的な有用性を「公共性」と名づけ、アピールしているようにも見受けられる。宗教の「公共性」を体現した存在として、「臨床宗教師」という心のケアに携わる超宗教の宗教者がいる。臨床宗教師には、営利活動や布教を禁じる倫理綱領がある。このため、被災地の避難所など「政教分離の原則」を守らなければならない「公共空間」での活動が認められやすい。臨床宗教師は、日本臨床宗教師会が認定する資格である。資格更新のためには、「公共空間」において一定の活動を行う必要がある。住職ならば、悩める人々に自分のお寺に来てもらい、話を聴くのが良いと思われるが、それは認められない。寺院は一般の人に開かれた「公共空間」ではないというのだ。布教の場と一線を画すことが活動に不可欠とはいえ、歯がゆさを感じる。古くから地域に定着していた宗教施設は、信者のための私的な場であり、地域の人々が集う公共の場でもあるのではないか。東日本大震災以降、寺社など宗教施設を災害時の避難場所にする災害協定を結ぶ自治体が増えている。
 宗教と「公共」との線引きはどうすればよいのか、また、宗教が公共的な役割を果たす際の資金はいかに賄うべきか。課題は尽きない。
 本書は上智大学大学院実践宗教学研究科博士課程の学位請求論文に加筆されたものだが、著者は臨床宗教師として活躍する高野山真言宗の僧侶でもある。仏教福祉の実践者ならではの問題意識が研究成果に表れている。これまで考察されることがなかった、幕末から大正期にかけての仏教社会福祉事業が果たした公共的な役割と、事業背景にある仏教倫理を追究したものである。
 分析対象は、超宗派の仏教関係者と協力して育児保護事業(現・社会福祉法人福島愛育園)を立ち上げた瓜生イワの事業と思想、各宗派の高僧たちが仏教の「福田思想」の実践としてキリスト教に先駆けて設立した育児保護施設・福田会育児院(現・社会福祉法人福田会)、真宗大谷派の大草慧実が設立した出獄人保護所(のちの自立会、現・更生保護法人川崎自立会)や困窮者のための無料宿泊所、現実社会に浄土の実現を目指した「浄土宗社会派」の渡辺海旭が設立した労働者自立支援事業・浄土宗労働共済会と「共済」思想、渡辺の門下生である長谷川良信が展開した近隣住民を支援するセツルメント活動やマハヤナ学園(現・社会福祉法人マハヤナ学園)などである。加えて、仏教者たちが影響を受け、また影響を与えた、キリスト教者による監獄改良事業や孤児院についても言及している。
 興味深いのは、宗教者らが果敢に政府と折衝している点である。瓜生イワは全国に育児院を設立するため第1回帝国議会に女性として初めて請願書を提出し、集団への説法が中心だった監獄教誨はキリスト教徒や仏教者と政府との折衝で大幅な改善が図られ、大草慧実が設立した無料宿泊所は警察署と地域の出資者との連携で運営されていた。公共の福祉も「信教の自由」も確立途上だったからとも言えるが、より良い社会を創り上げていこうという彼らの気概を感じる。
 また、運営資金調達と支援対象者の自立が一度に叶う、食糧自給策や労働方法の伝え方も注目に値する。成功例だけでなく、彼らの失敗例にも学ぶところがある。支援するものと支援されるものに上下関係が伴う慈善や、上から目線の教育は長続きしない。それは、社会事業の根拠となった、仏教に基づく「報恩思想」、とくに個々の存在を認め、他者との関係性を重視する「衆生恩思想」の実践が理に叶ったものであったことを示すかのようである。ここで取り上げられた近代日本で興った仏教社会福祉事業は、現在も存続しているところが多い。これも、彼らの事業の根拠となった仏教倫理が、時代を超えた公共性をもっていた証左と思われる。
 近代日本で仏教社会福祉事業が盛んになったのは、寺請制度が廃止され、キリスト教が参入し、神道の国教化が進むなか、危機感をもった仏教関係者が社会福祉事業に活路を見出そうとしたからでもある。その状況は、宗教全般に厳しい視線が向けられている現代と通じるものがあるようだ。その意味で、宗教関係者にとって本書は、今後の宗教の在り方についての有益な示唆に富んでいると言えるだろう。

 

(宗教情報センター研究員 藤山みどり