文字サイズ: 標準

宗教情報PickUp

バックナンバー

書評 バックナンバー

2021/03/07

『東日本大震災 3・11生と死のはざまで』金田諦應(著)春秋社
『東日本大震災 陸前高田 五百羅漢の記録』佐藤文子ほか(監修)星和書店
           

  東日本大震災から10年。原発事故で増え続ける汚染水、2037年まで続く復興特別所得税の使途など、問題は残っている。だが、メディアは涙を誘うエピソードが好きだ。海などを背景に、津波に奪われた家族への思いを被災者に語らせる。キャスターは「忘れてはいけません」というが、あのときに被災者を押し戻す演出は、もう終わりにできないのか。神道の言葉「中今(なかいま)」のように、彼らには「いま」の瞬間を大切に生きてほしい。
 そんな思いを抱える昨今だが、東日本大震災に関する書を2冊紹介したい。共通するのは、被災者のために自分に何ができるかを考え、ゼロから偉業を成し遂げた話であること。被災者支援に限らず、夢を叶えたいすべての人に参考になるだろう。
 


2021年 1月 1800円 +税
 1冊目は、『東日本大震災 3・11 生と死のはざまで』(春秋社)。宮城県栗原市にある曹洞宗通大寺の金田諦應(かねた・たいおう)住職が綴った約10年間に及ぶ彼自身の物語である。金田師は、宗教者による傾聴移動喫茶「カフェ・デ・モンク」を発案・主宰したことで名高い。多くの被災者が苦しい胸の内を彼に語ることによって、生きる力を取り戻した。彼の活動は、被災地や看取りの場で傾聴する「臨床宗教師」のモデルとなった。メディアによく登場したので、インド独立の父であるガンジー然とした風貌に見覚えのある方もいるだろう。
 彼の活躍の原点は、父の後を継いで住職となって8年、2010年に始めた自殺防止活動にある。地元で自死者の葬儀が続くなか、自死問題に向き合う学習会を立ち上げる。招いた講師が主宰する自殺防止ネットワークに入会し、現在も継続している24時間体制の電話相談を始める。
 活動を通じてキリスト教の川上直哉牧師と出会ったことが、宗教の壁を越えた「臨床宗教師」を生み出すメンバーとの邂逅につながる。「カフェ・デ・モンク」と東北大学で始まった「臨床宗教師」養成研修は、全国各地に展開した。金田師は、宗教界の一大ムーブメントを創出した立役者のひとりである。それに留まらず、この10年の彼の活動領域は広い。葬儀・法事、諸行事やお祭り、夏休みの寺小屋合宿など定例の活動を続けながら、各種アーティストとの連携イベント、内外からの取材対応までこなす。
 時系列の物語を読むと、目前の小さな問題への真摯な対応の積み重ねが、取材が殺到する大きな活躍をたぐり寄せたことがわかる。金田師の活躍は、個性豊かな仲間とともに成し得たものでもある。課題が投げかけられたとき、天の采配のように、その解決に適した仲間が彼のそばに居合わせるのだ。豊富な人脈も彼の人柄が為せる技なのか、神仏の計らいなのか。ちなみに「カフェ・デ・モンク」の資金源を筆者(藤山)が尋ねてもはぐらかされたが、オーストラリアの坐禅グループからの支援金で始めたと本書で明かされている。
 金田師の原動力は、芯を貫く「宗教性」であろう。身の回りの出来事に仏の教えを見出しては得心し、ときには酷い現実を前に、無情とも思える仏の教えに煩悶する。他の苦しみを己に受け取る感性。他のために自分ができることを考え、それを具現化する智慧と行動力。自分を補ってくれる仲間との連帯。自身の価値観に拘泥しない柔軟性。祈りの力もさることながら、この“壁の無さ”が、悲しみで固まった被災者の心に溶け込んで闇からともに抜け出ることや、生と死のあわいに潜り込んで被災者に憑依した霊をあの世に送ることを可能にするのだろう。その一方で、譲らない強さもある。「原発について話さないように」と釘を刺された講演で、聴衆の問いかけに腹を括り、原発事故の恐怖をまくし立てて会場を後にした話は痛快だ。原発事故の責任の所在があいまいな国民性は、本書に描かれたような、生と死の境界があいまいで幽霊譚が受容される日本の土壌と表裏一体のものかもしれない。
 金田師は完璧な“スーパー僧侶”にもみえるが、津波犠牲者が多かった海で採れたシャコエビをお礼に出されると苦し紛れの言い訳をして逃れる、愛すべき人間くささもある。
  被災者の不思議な体験や憑依霊との対話なども興味深いが、宗教者ならばとくに、自らの在り方を省みざるを得ないだろう。震災の約3年後、疲労が蓄積して鬱になった金田師が、浮上する転機で思い出したキリスト教信者である日野原重明医師の言葉は示唆に富んでいる。
「私の仕事を私の仕事としていたら疲れますが、これらの仕事は神様から与えられた使命なのです。私は神様の道具に過ぎません。(略)ですから決して疲れないのです」
  こののち金田師の活動から力みが抜け、観世音菩薩が遊化するがごとく、飄々とした活動に変化したという。彼が臨床宗教師に重要なものとして挙げる「宗教者としてのメタスキル」とは、このようなことだろうか。自らを「空(くう)」にしていれば、神仏の力が働いて物事はうまく運ぶ。だが、力み過ぎて我(が)に満たされると神仏の力が入らず、物事も失敗して自身も疲れる。とはいえ、自助努力なしでは、神仏の助けは得られない。努力を重ねたうえで「力み」を無くすことは、宗教者だけでなく、実業家やアスリートの成功の秘訣でよく耳にするところである。すべてに共通する真理なのだろう。
 


2021年 2月 2800円 +税
  さて、もう一冊は、『東日本大震災 陸前高田 五百羅漢の記録 ―こころは出口をさがしていた-』。陸前高田市にある曹洞宗普門寺で行われた「五百羅漢像制作プロジェクト」に関わった有名無名の人々が手記を寄せた、記念文集のような書籍である。監修者の一人である佐藤文子氏が、プロジェクト発案者である。彼女は多摩美術大学で彫刻を学び、米国の大学で心理学とアートセラピーを学んだ。帰国直後に震災が発生し、文科省の緊急支援カウンセラーとして岩手県陸前高田市で働く。そこで、創作活動を通じて癒しを実現するアートセラピストの本領発揮とばかりに「五百羅漢像制作プロジェクト」を思いつく。羅漢とは、釈迦の弟子のなかでも阿羅漢果という最高の境地に達した聖者のこと。その像を皆で500体作ろうというのだ。一般参加者は犠牲者供養の祈りを込めて石を彫る。被災者や遺族は、彫刻を通して言葉にならない感情を出し、無心に作業することで気持ちを整理する。その効用は、参加した被災者たちの手記からも読み取れる。
 資金もなく、地縁もない佐藤氏が無謀にも思えるプロジェクトを実現させる道のりは綱渡りのようだが、人と人の縁がつながって形となっていく。普門寺の境内が五百羅漢づくりの場所になったのは、まさに仏縁である。北海道から九州まで、彼女は彫刻指導の協力や寄附のお願いに奔走するが、多額の寄附が見込める企業スポンサーは付かない。彼女の転機は、恩師のアドバイスを受けて、少額の寄附を多くの人からコツコツと集める方針へ転換したときである。この方向性は、聖書や仏教説話の「貧者の一灯」を彷彿とさせる。多くの人の想いが入った羅漢にしようと決意した彼女の本気が、彫刻家や画家、音楽家など寄附金集めの核になる人々を動かし、市井の人々を巻き込んでいく。
 こうして2013年8月に始まったプロジェクトには延べ450人以上が参加し、2017年に569体の羅漢が完成した。震災後に普門寺に奉納された仏画仏像と合わせると1800体となり、奇しくも陸前高田市の震災犠牲者の数とほぼ一致した。いま、普門寺の五百羅漢は祈りの場だけでなく、陸前高田市の観光名所になりつつあるという。被災者の役に立ちたいという一途な思いが大勢の人々を動かし、実りある成果をもたらした。まさに学ぶべきであろう。
 
 
(宗教情報センター研究員 藤山みどり)