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- 水谷周・編訳『黄金期イスラームの徒然草』『現代イスラームの徒然草』の書評
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書評 バックナンバー
2020/12/22
イブン・アルジャウズィー著、水谷周編訳『黄金期イスラームの徒然草』国書刊行会、2019年、2500円+税。
アフマド・アミーン著、水谷周編訳『現代イスラームの徒然草』国書刊行会、2020年、2500円+税。
吉田兼好の『徒然草』は、日本人の多くが、中学や高校の国語の授業でいやでも読まされる古典随筆のひとつだろう。授業を通して興味を持ち、全体を通読する人、暗唱できる人もすくなくない(評者もそのひとりだ)。それに比較されるような位置づけ・味わいを持った随筆作品が、イスラーム世界にたくさんあるのは当然想像されることだ。博覧強記の学者を輩出し、ギリシア・ローマの知を(ヨーロッパの混乱期に)いちど引き継いでヨーロッパに贈り返したイスラーム世界だから。ただ、アラビア語やペルシャ語などの言葉と、非アルファベット表記の文字ゆえに、少々壁が高く、日本人が触れる機会は多くない。
『黄金期イスラームの徒然草』は12世紀に書かれた『随想の渉猟(サイド・アルハーティル)』の中から編訳者が選んで訳した撰文集。いっぽう、後者の『現代イスラームの徒然草』は、20世紀に書かれた『溢れる随想(ファイドゥ・アルハーティル)』である。800年の時を離れて書かれたものであるが、両者のあいだには共通点と相違点がある。それぞれ、人生や学問について、信心について語られるいっぽうで、他の文明との緊密な協調と対抗を要請される現代イスラームの文明論には、西欧やアジアの諸国と関わりながらみずからのあるべき位置を模索するイスラームゆえの悩みも感じられる。
吉田兼好の『徒然草』が、少々スレて角が取れた人生の智慧を語るのと重なり合うように、二つの随筆も、生きるためのヒントがちりばめられている。評者にとって印象深かったのは『黄金期イスラームの徒然草』の「敵より前に友人に用心を」であった。また同書の人生論では、夫婦生活についても率直に語り助言をする姿勢があるが、おそらくキリスト教や仏教の人生論ではまれにしかみられないものと感じられた。これは『クルアーン(コーラン)』や、預言者言行録でも一貫して預言者ムハンマドが示している姿勢の反映と感じられる。なお、編訳者は、(時代的な制約もあり)このような人生論に女性側の視点が不足していることが多いことを註記している。
いっぽう、『現代イスラームの徒然草』には、西欧文明とのさまざまな相違(差)を突き付けられつつ、どう西欧文明に関わるかという苦悩がある。積極的に導入を試みつつも完全に同化はしなかった日本と比較して、イスラーム世界の知識人は、日本人以上に積極的に留学し制度を導入した。あるいは植民地として否応なく西欧の制度を受け入れた地域もあった。本書を読みながら、日本人の人生観や文明観を鏡に映してみるような……同じものが移っているが左右逆のような……思いがした。そして、イスラームという異文化について勉強になる、といった安楽な気分ではなく、お前はいまそこ日本でこれからどうするのだと、私自身にも問われている気がするのだ。評者が個人的に印象深く感じたのは、友人の自殺について触れた「生と死」と、三羽の鳩について触れたインド神話からの思索である。友人が突然この世から消えてやりきれない寂しさに胸を痛める著者と、人生の幸福が最終的には謎めいたものであることをしみじみと味わう著者とに、共感を覚えた。
原典になった随筆集はいずれも大著で、その中から、自身『徒然草』が愛読書であったという編訳者が選んで訳したものである。日本人に通じ、また編訳者が日本人に読ませたいと思うものが選ばれているのかもしれない。とはいえ、この二冊に目を通すだけでも、イスラームの知性というものについて触れ、イメージを膨らませる手がかりになる。そして、自分の立場に置き換えて、お前はどうするのか?という問いに身を委せて頂きたい。
訳文は読みやすく、イスラームについてあまり知らない読者にも配慮した註がつけられている。派手ではないが美しいアラベスク様の装丁を用意した出版社・装丁者(上の写真をクリックしてみて頂きたい。できれば、本を手に取って、装丁の肌理を味わって頂きたい)と、大著を吟味して撰文集に編まれ日本の読者に贈られた水谷氏の労を多としたい。
(研究員 葛西賢太)