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2018/03/22

『霊魂を探して』鵜飼秀徳著 KADOKAWA

 
2018年2月 1600円+税


東日本大震災では幽霊を見たという話がメディアでよく取り上げられた。ここに注目した著者が、日本人の霊魂観を追って北海道から沖縄まで取材し、さらに僧侶と宗教団体に対するアンケートに考察を加えたルポである。著者は、過疎と高齢化によって地方の仏教寺院が消滅しつつある現状を報告した『寺院消滅』(2015年刊)を著した元日経BP記者で浄土宗の僧侶である。

まず、東京・大手町に残る平将門の首塚を避けてビル開発をする人々と、電車の網棚に遺骨を平気で置き去りにする人々がいるという社会現象を紹介。この対比で問題提起をし、読者を死者観というテーマにぐっと引き込む。そこで改めて、霊魂譚としか言いようのない話に入っていく。孤独死の凄惨な現場をきれいにする「特殊清掃人」たちの不思議な体験を紹介する。彼らは実体験から、死者の想いのような存在を信じている。法要や葬儀を執り行う僧侶らも、檀信徒の死の予知と呼べる怪現象に出合っている。

著者は、これらの体験談について逐一、その妥当性を検証するのではなく、全編を通じて、語りのままに「霊魂観」として紹介する。臨済宗の寺院の住職でもある医師による「科学者の見解」も紹介しているが、幽霊体験をどう受け止めるかという見解に徹しており、医師自身も霊魂全否定の立場ではない。霊魂を正面から否定する人間は登場しない。唯一、東日本大震災の被災地に幽霊が跋扈しているかのようにメディアで目撃談が取り上げられたことについて怒る僧侶に否定的な印象を受ける程度である。その点では、霊魂の存否を問いたい霊魂否定派から不満の声が上がりそうだが、本書は霊魂観の変遷、日本各地の霊魂観を探るものなので、やむを得ないだろう。

このほか、各地の霊能者として青森のイタコや沖縄のユタといった有名どころが押さえられているが、アイヌのシャーマンである「トゥスクル」も登場し、アイヌの他界観も知ることができる。筆者は本書で初めて知った、霊魂と肉体の墓を分ける「両墓制」に興味を引かれた。「両墓制」は古来の祖霊観を示すという。こうした霊魂観の変遷や今も民間の霊能者が各地で頼られている現実を知ると、霊魂を認めないという立場が、時間軸的にも空間軸的にも実は少数派なのではないかという気がしてくる。

一般向けの書物であるが、20の宗教団体と僧侶1335人に実施した霊魂観についてのアンケート結果は、以降の研究における貴重な一次資料となるであろう。各教団の霊魂観については科学者の安斎育郎・立命館大学教授(当時)が1995年と1997年に実施した調査結果があるが、教団からの回答は芳しくなかった。今回も回答を得るには苦労したようだが、当時に比べれば、葬儀離れを経て葬儀の意義の明確化を図った教団が多いせいか、「霊魂の存在を認めるか」、「宗教者に霊魂を鎮める力があるか」「人は死後どうなるのか」などの設問に12教団が回答を寄せ、その回答がそのまま掲載されている。書評で内容を明かしすぎるのは反則であるが、一端を紹介したい。

「霊魂」の存在を教義で認めるとした教団は、高野山真言宗、天台宗、修験道(本山修験宗)、日蓮宗、神社本庁(「御霊(みたま)」を認める)、カトリック中央協議会、幸福の科学。実体的な「霊魂」はないとするのが創価学会だった。「一見解」や「個人見解」を寄せた教団の長々とした説明は、本書で原文を読んでいただくことをお勧めする。公式見解を出せない、あるいは、回答が無かった教団は、どういう事情なのだろう。

また、カトリック中央協議会は、「霊魂を鎮める力があるか」という設問について、「荒ぶる死者の霊」という考え方はないので「鎮める」という考え方はないと回答しているが、悪霊祓い(エクソシスト)についてはどうなのだろうか。日本では行われていないから触れられなかったのだろうか。この点は疑問が残った。

僧侶1335人に実施した調査では、霊的体験が「ある」と回答した僧侶が40%で、霊的な相談を受けたことがある僧侶は78%と高かった。このアンケートは、著者が僧侶を対象にした講演会などの場で実施したという。調査対象者のサンプリングの代表性を問う前に、これだけの大規模な調査を実施できた著者の徳力に感謝したい。

著者はあとがきで「霊魂の全てを語り切っているわけではない」というが、日本人の霊魂観がこれでもかというぐらい詰め込まれている。自身の霊魂観、死後観を確立するには最適な題材であろう。

参考:現代の伝統仏教の「死後の世界」観(2014年)藤山みどり

(宗教情報センター研究員 
藤山みどり)