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書評 バックナンバー
2015/02/04
『公共圏に挑戦する宗教—ポスト世俗化時代における共棲のために—』 ユルゲン・ハーバーマスほか編 箱田徹・金城美幸 訳 岩波書店
2014年11月 2500円+税 |
原著のタイトルは、The Power of Religion in the Public Sphere である。直訳すれば、『公共圏における宗教の力』だ。本書には、このテーマを巡る4つの論考と各論者のコンパクトな討論、主催者のまとめ、そして、ドイツの哲学者ユルゲン・ハーバーマスのインタビューが収録されている。もとになっているのは、2009年10月に行なわれたニューヨーク大学、米国社会科学研究会議、ニューヨーク州立大学の3学術機関による共催イベントである。邦訳で200ページ少しの作品だが、米国における「宗教と公共圏」をめぐる議論とそのエッセンスを知ることができる好著である。
「公共圏」という語は、一部の学者の間では半世紀ほど前から議論されてきたものの、日本の一般社会ではまだ馴染みのないものだ。この聞き慣れない語は、ヨーロッパの市民社会で人々が「共通の善」をめぐって討議し、その熟議の結果として民主的な諸決定がなされるという社会空間を理念化した術語である。ハーバーマスの『公共性の構造転換』が、「公共圏」についての先駆的研究としてまず挙げられる。本書でも、この「公共圏」という課題が、「宗教の世俗化」以降、つまり「ポスト世俗化時代」においてどのように再検討されるべきなのかという点に論議が集中している。
「世俗化」とは、社会の進展に伴い制度的な宗教が公的な次元での影響力を失い、宗教が個人の好みと選択の対象となっていく過程(=宗教の私化)を指す。単線的な近代化論の中では、世俗化によって宗教の勢いと影響力は縮減すると考えられた。しかし実際には、ファンダメンタリズム(原理主義的な思想や運動)の興隆や、メディアを駆使した伝道による教勢の拡大などのように、宗教は再活性化しているとも言える。ハーバーマスは、こうした動きを「ポスト世俗的社会」ととらえ、宗教と国家のより望ましい関係を築くためには、非宗教的な世俗的市民と宗教的市民の双方が、批判的な議論を通じて相互に理解を深めていくことが必要だと主張する。
本書の冒頭、「「政治的なもの」−政治神学のあいまいな遺産の合理的意味−」で、ハーバーマスは次のように述べている。「民主的な討議の場では、世俗的市民と宗教的市民は相補う関係にあります。両者の関わり合いこそが、市民社会を土壌とし、公共圏でのインフォーマルなコミュニケーションのネットワークを通して成長するデモクラシーのプロセスを構成するのです」(p.30)。ここでハーバーマスが描いているのは、対話を重ねつつ作られる多元主義的な市民社会の姿だ。
こうしたハーバーマスの見取り図に、カナダの政治哲学者のチャールズ・テイラーは異を唱える。「なぜ世俗主義を根本的に定義すべきなのか」と題する論考でテイラーは、宗教を特別視しその盛衰をもって「世俗化」を論じてきた従来の世俗化論を退け、世俗主義の根本的再定義を主張する。テイラーは世俗主義を、「国家と宗教の関係性をめぐる問題」ではなく、「民主国家が多様性に(どう適切なかたちで)対応するかという問題」だと述べる(p.36)。テイラーが念頭に置くのは「国家の中立性」であり、これは「宗教的立場のみならず、あらゆる基本的な立場を宗教的か非宗教的かにかかわらず、優遇も冷遇もしないという意味」(同頁)だという。そしてテイラーは、人権・平等・法の支配・デモクラシーという政治的な原則をモデルとする「世俗主義」を、この語の再定義として強く主張するのである。
続く「ユダヤ教はシオニズムなのか?」でジュディス・バトラーは、宗教(特にプロテスタンティズム)は「公共圏の「内側」に以前から存在しているだけでなく、公私を区別する一連の基準づくりにも貢献している」(p.76)と述べ、宗教が公共圏そのものを支え、その領域を確定するよう働いていることを指摘する。その上で、ユダヤ教の離散(ディアスポラ)の伝統を背景とする、宗教と公共生活との間にある“緊張”に着目し、「共棲 co-habitation」という理念を提示する。バトラーは、『全体主義の起源』でのハンナ・アレントと同様、ユダヤ性を核に国家としてのアイデンティティを拡充していくイスラエルのあり方を、強く批判する。バトラーは「多種多様な住民がいる状況を制約し、あるいは否定しようとする国家建設」をよしとしない(p.86)。そこで、多様な人々との選択不可能な状況のなかで共に生きる倫理として、「共棲」という理念が登場するのである。「地上での共棲という事実は、ありとあらゆる共同体や国家、地域に先立っています。われわれは、住む場所や隣人を選ぶことはできても、地上の共棲相手を選べはしません」(p.94)と。このバトラーの「共棲」の理念は邦訳の本書副題にも冠され、ポスト世俗化時代の倫理として示されている。
四つ目の論考は、マーチン・ルーサー・キング・ジュニアの説教に心打たれ牧師となったコーネル・ウェストが説く「預言宗教と資本主義文明の未来」。ウェストは、公共圏においては、(キリスト教的な)預言宗教が大きな意味を持つと述べる。預言宗教の中心には、「抑圧された人々の破局と苦難」があり、それに対する共感がそこにあるからだという(p.110)。ウェストはまた、「奴隷制はアメリカの原罪である」と言ったバラク・オバマ大統領の演説(2008年3月)を挙げ、「奴隷制以前に先住民の征服と支配があったではないですか」と注意を促す(p.111)。その意図は、このような想像力を発揮することで、「不正に対する義憤と聖なる怒りで満たされ、(中略)直ちに何かしなければという気になり、正常化され、隠され、隠蔽されてきた緊急事態の存在が感じられる」(p.110)からだという。苦難の声を聞き、その現場の「証人」になること。ウェストによればこれが預言宗教の役割であり、「破局的なものを捉える声−ただのこだまではなく、現実の声−が聞こえてこない公共的な討議など想像できない」(p.111)とも語る。ウェストが述べるこの“「証人」となること”は、バトラーの「共棲」よりも一歩踏み込んだ態度だと考えることができる。それと同時にこれは、「公共圏」にいるのは誰であり、我々が関わる相手は誰なのかを深く問うていると言えよう。
以上の論考に続き、各論者どうしの討論でも、「公共圏」を検討する際に重要となる視点のいくつかにふれている。例えばハーバーマスは、ジョン・ロールズの「理性の公共的使用」という考えを引き合いに出しながら、「宗教的な言葉づかい」を誰にでもわかる言葉(=世俗的言語)に言い換える(translation)ということを、公共圏での討議の条件にあげている。この「翻訳」という問題圏を、テイラーは「われわれは宗教的な人間と非宗教的な人間として共存することはいかにして可能なのか」(p.133)と言い直し、翻訳とは、両者の間の「終わりのないプロセス」だと述べている。またバトラーは、宗教的な表現から純粋に合理的な要素だけを抽出することは不可能で、「実際には神学的なものの残余が、世俗的とされるものの内部でやはり鳴り響いている」(p.134)と述べ、両者の間で「完全に共通には決してなりえないものがあるからこそ、真に固有な差異が生まれる」(同頁)と結んでいる。公共圏での対話や討議におけるイディオムの異同という重要な問題が、ここで焦点化されているのである。
近年の日本社会では、「公共圏と宗教」というテーマは、特に社会貢献という文脈において論じられている。1995年の阪神・淡路大震災と2011年の東日本大震災における、ボランティアや宗教者の支援活動が、宗教が関わる新しい公共のかたちとして取りあげられているのである。2011年4月には宗教者災害支援連絡会(宗援連)が発足し、現在まで活発に復興支援を続けている。2012年7月には国際日本文化研究センターで「ポスト世俗主義と公共性」をテーマとするシンポジウムが開かれ、2013年には、日本宗教連盟主催による「震災復興と宗教」連続セミナーや、浄土真宗本願寺派総合研究所の公開講座「宗教と公共性—自他共に心豊かに生きることのできる社会の実現にむけて」(2013年9月)などの研究集会も頻繁に行なわれてきた。被災者支援を主としたこうしたあり方を上智大学グリーフケア研究所・島薗進教授は、「寄り添い型」の支援と呼び、宗教集団の外に出て人々の求めに応じる活動、宗教集団を開く働きとして評価する。
こうして災害復興支援によって、日本における宗教の社会活動には「新しい公共」という言葉が付されることになったが、本書の知見に照らしてみると、またいくつかの課題も指摘できると思われる。一つは、「復興」や「支援」という言葉をそれぞれの宗教伝統がどのように意味解釈をして、その実践をしているのか(いくのか)という点(=翻訳)である。もう一つは、復興支援以外で宗教の公共性が活かされる場(いじめ、ひきこもり、生活保護・貧困問題、外国人労働者の人権保護問題、沖縄基地の問題など)への取り組みは、現状で十分だろうかという点(=共棲)である。
米国の社会的文脈と日本のそれは、性質が異なるのは言うまでもない。しかし、「ポスト世俗化」という時代状況の中で、「宗教の力」の問い直しが大きな関心になりつつあるということは、共通している。本書は、その問い直し作業を進める際、多くの示唆を与えてくれる。
(宗教情報センター研究員 佐藤壮広)