文字サイズ: 標準

宗教情報PickUp

バックナンバー

書評 バックナンバー

2013/10/12

『ビジネスマンのための「世界の宗教」超入門』井上順孝編著 東洋経済新報社

2013年10月 1200円(税別)
 
 グローバル化が進んだ現在、日本人がビジネスをするにも宗教に関する知識が不可欠になっている。2000年にインドネシアで起きた「味の素事件」は、その象徴的な事件である。イスラム教徒が口にしてはならない豚由来の成分を利用しているとの疑惑から、一時は役員らが逮捕され、大問題となった。この教訓が生きているかと思うと、そうでもない。
 2013年に報じられたニュースでは、日本政府でさえ、お粗末な対応をしている。7月にマレーシアで行われたTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)会合では、各国参加者に日本酒をお土産に用意し、イスラム教徒が受け取れずに困惑したという。周知の通り、イスラム教徒は飲酒がご法度である。また、食品メーカーのキューピーは、イスラム教に則った食品とのマレーシア政府機関の認定を受けて2010年から同国で発売を開始したが、2011年夏に政府担当者から天使に似たシンボルマークがイスラム教の冒とくにあたると指摘され、キューピー人形から羽を取り除くことにした。
 それでも10年前に比べれば、各国の宗教上のルールや商習慣に関する理解が広まってきている。約20億人を擁するイスラム圏をターゲットとして、イスラム金融やハラル食品を扱う企業が増えている。日本を訪れるイスラム教徒のために、メッカの方角を示したシールを客室に貼ったホテルもでてきている。だが、人と人との付き合いのうえで配慮すべきことなど、宗教文化を背景とした細かな点までは、まだ情報が少ない。このため礼を失したり、トラブルになったりすることが多々ある。
 編著者が2012年前半、ビジネス誌『週刊東洋経済』に連載した「世界で働くための宗教入門」(全26回)というコラムは、このようなビジネス界における宗教摩擦に対する危機意識から書かれたものだった。「韓国では日曜の会議は避けたほうが無難」など端的なタイトルで、時事的な情報を盛り込んで世界の宗教を俯瞰するためになる連載だった。本書は同じ発行元なので、これらをまとめたものと予想していたが、全く異なる内容だった。
 こちらは編著者含む全5名の執筆者による書き起こし。宗教社会学が専門の編著者以外は、ロシア正教、インド文化、イスラム、上座仏教をそれぞれ専門とする宗教学者である。この執筆者構成からわかるように、「ビジネスマンのための」というよりも「世界の宗教」を本格的に説明することに重点が置かれている。どの地域で、どのような宗教が広まっているかを外観したあとは、外国人から日本の宗教について聞かれても答えられるようにと、日本の宗教的な習俗、神道、仏教各宗派の違い、現代の新しい教団について簡潔に記されている。日本人が忘れがちな、この項から入るところは、さすがである。世界の主な宗教であるユダヤ教、カトリック、オーソドックス、プロテスタント、イスラム、上座仏教は宗教別に解説し、近年、関係が深まっているインド、中国と韓国は地域として取り上げられている。小手先のエチケットやマナーを書いたガイドブックやハウツーものとは一線を画そうという姿勢からか、宗教の歴史や特徴、現状など基本的なことが教科書のごとく解説されている。各章とも、基本を踏まえたうえで、「配慮すべきこと」が提示される。宗教の基本を知りたいという大学生や、いろいろな国の人と交流したい、世界旅行が好きという一般の人々にもおすすめである。
 ただ、ビジネスマンにはやや物足りないかもしれない。その宗教的な特徴や価値観があるから、どのように対応すればよいのか、ビジネスの現場でそのまますぐ使える情報がほしいと思う箇所が多かった。また、ビジネスの場においては、製品仕様や広告など企業として配慮すべき点と、個人として人間関係を築くうえで配慮すべき点がある。いま不足していて、個人が切望しているのは、後者の情報ではないだろうか。食習慣の異なる海外への土産物に食品を避けるのは常識だが、そのうえで宗教的禁忌に触れる土産物は何か、もてなす場合のタブー、してはいけないことや触れてはいけない話題などの具体的な提示や、参考となる摩擦事例がもっとほしかった。
 そのなかで、東南アジアに広がる上座仏教についての章は秀逸だった。書き方ひとつで伝わり方がまったく違う。上座仏教の歴史と伝播、教えの内容といった基本はもちろんであるが、日本仏教との違い、日本人が勘違いしやすい点、上座仏教社会で大切とされる功徳積みについての社内での対応方法、仏教的価値観から敬遠される上司としてのあり方、広告でタブーとされる図柄など、まさに日本のビジネスマンがほしいと思う視点から書かれていた。
 要望点も書いたが、宗教の基本的な知識が、これ一冊で得られるのは確かであろう。ところで、外国人に宗教について聞くのはタブーと、どこかで習った記憶があるが、大丈夫なのだろうか、本書に書かれていただろうか。偶像崇拝を嫌うイスラム圏には、お土産に博多人形やこけしを持っていくのは避けたほうがよいと聞いたことがあるけれども、どうなのだろうか。まだまだ宗教に関して知っておくべきことは多いと改めて感じた。「超入門」に続く、ビジネスマンのための「実践編」があっても良さそうだ。
 
(宗教情報センター研究員 藤山みどり)